令和7年3月12日(水)
大崎市尿前の関跡②


元禄2年(1689年)
5月15日(新暦7月1日)、
岩出山で一宿した芭蕉は、
「道遠ク、難所有之」
(曽良随行日記)
という理由から、
尾花沢までの旅を、
急遽、小野田経由から
鳴子経由に変更する。
<芭蕉のことも説明あり>

このため、
通行手形の用意がないまま
尿前から中山峠越えを
目指すこととなる。
「美豆の小島」
というのは、
江合川の中にある岩山だそうだが、
名称の響きに誘われて探すことに。
田園と山合の所と化し、
分からずじまいとなる。
<芭蕉翁像と句碑>

<芭蕉翁>

<芭蕉句碑>

芭蕉の句は、
「蚤虱
馬の尿(ばり)する
枕もと」 。
なお、
なお、
「尿前」という名前は、
義経一行が平泉に逃避する際、
連れていた幼児が
初めておしっこをした場所
というのが由来らしい。
何ともいえない。
が、史実を尊び、
納得!
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