貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

伊賀市芭蕉記念館 道にしたがうを自然という芭蕉翁!

2023-11-20 09:51:22 | 日記
令和5年11月20日(月)
伊賀市 芭蕉翁記念館   
<伊賀上野公園内の芭蕉記念館> 


 受付で、
芭蕉の生家と蓑虫庵のセットで、
150円安の750円チケット
を購入。      
 老子のいう
「人は地に法り、地は天に法り、
天は道に法り、道は自然に法る」
を、
芭蕉は、
「天に従うを道と謂い、
 道に従うを自然と謂う」
と解釈した。
<芭蕉像>

 自然に生きるというより
生かされているという
ものの考え方は
やはり我を我に還してくれる
有り難いことである。
<芭蕉の衣装で気分も芭蕉に>

 芭蕉が江戸へ行く1672年、
齢29歳までいろいろ体験した
生誕地伊賀国でのことも、
この機会に触れておくことにする。                              ~ 芭蕉の生い立ち ~
1644(正保元)年   
 伊賀国阿拝郡の松尾与左衛門の
 次男として生まれる。
1656(明暦2)年 13歳 父逝去
1662(寛文2)年  19歳 
 藤堂新七郎家の若殿良忠
(俳号 蝉吟)に台所用人として
仕える。
 2歳年上の良忠は、蝉吟と俳号
をつけていたが、どう も城址に
住めない若殿で、城址の麓にある
屋敷で過ごしたようで ある。
 若くして俳諧をたしなみ、
城下の遊俳たちを集め、
席を設けるのを唯一の愉しみに
していたよう。
 蝉吟と芭蕉は親友以上の仲で
あったともいわれている。
 その蝉吟も25歳の若さで他界する。
 芭蕉は23歳。
 武士になる道も閉ざされる。
 奉公先を辞した芭 蕉は
京都の季吟を頼ってしばらく住み
込みの奉公をしていたようである。
 芭蕉は京都と伊賀を往来しながら
京都五山文学の禅寺で
学問に 打ち込んだらしい。

 俳号は宗房と名乗り、次の句を詠む。
「春やこし 
  年や行きけん 
      小晦日」

~つづく。