貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

名古屋市:珍名の由来と粟稗塚!

2023-11-07 10:27:29 | 日記
令和5年11月7日(火)
名古屋市: 解 脱 寺              
明暦3年(1657)、
犬山城主が建てた薬師堂
・小庵が始まり。  
 招かれた竹夭(ちくよう)和尚
は、竹葉軒長虹と名のる俳人。
 境内に、俳聖芭蕉の
句碑「粟稗塚」がある。
<粟稗塚>
      
 江戸時代、この白林寺の
二代目住職全用和尚と成瀬家二代目
当主正虎との間で悶着が起る。
 成瀬家で不祥事を起こした家臣が、
白林寺に駆け込み、全用和尚に
救いを求める。
 全用和尚は正虎からの家臣引き
渡しの要求に頑として応じず、
正虎は全用和尚を騙し、
家臣を手討ちにする。
 全用和尚は怒って、故郷の上州に
帰ってしまう。
 全用和尚の激怒に触れ、
正虎は家臣を手討ちにしたことを
後悔。
<如来様>

 その菩提を弔うために、
荒廃した薬師堂を再建し、
「解脱寺」と名づけ、
白林寺の末寺とする。
 明暦3年(1635)のこと。
「粟稗に 
  とぼしくもあらず 
      艸の庵」 
と刻まれた芭蕉句碑が
左から2番目にある。
<芭蕉句碑>

 解脱寺が再建される以前の
薬師堂を
貞享5年(1688)7月20日、
芭蕉が訪れ、薬師堂の主人、
長虹(ちようこう)を
名古屋の俳人荷兮と尋ね、
歌仙を巻く。
~つづく。