貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

芭蕉と能順の出会いと齟齬!

2023-04-12 11:18:40 | 日記
令和5年4月12日(水)
小松市: 小松天満宮       
  
 加賀藩三代藩主前田利常公が
小松城に穩居された時(1657)に、
前田氏の氏神である北野天神を
城北に当るこの地に社殿を造営。
 小松天満宮となる。
<凝った神門>

 東は靈峰白山を望み、
西は安宅の海岸に続く梯川の畔に
あって今も厳かな                                 風致を保っている。
 最近、浮島化される。
 社殿は北野天満宮の社頭を
四分の一に縮めて造られる。
<願掛けなで牛>

 当時の名工山上善衛門
(加賀藩のお抱え大工で、
 瑞竜寺・妙成寺・那谷寺などの
 造成に携わる。)
の手に成ったもの。
 昭和36年、
神門と共に江戸時代の唐様建築の
代表的なものとして
国重要文化財に指定される。
<十五重の石塔>
  
 当社は、
その創建の由来からみて
前田家代々の尊崇が篤く、
祭神が文学の神と仰がれたことと、
初代別当が近世を通じて
連歌の第一人者であったこと等重なり、
絵画、書蹟、文書、典籍寺
貴重なものが多く宝物殿に保管されている。
<千年大祭碑>

 能順は、
晩年まで小松天満宮と北野天満宮を兼務し、
京都と小松を往来している。
<小松城と小松天満宮の説明>

 丁度芭蕉が小松に来た時、
能順も小松に来ていたという。
 能順は加賀藩の重臣であり、
俳諧を通して芭蕉と面識のある俳人。
 能順の指導も受けていた
生駒万子の仲介で、
この”小松天満宮”で句を奉納したいと
依頼している。
 芭蕉が小松に立ち戻ったのは
”小松天満宮”で、
その生駒万子に会うため。
 しかし、
翌日、芭蕉の”小松天満宮”で
初めての別当能順との面談で、
能順の句を褒めた芭蕉の言辞に、
二人の間に齟齬が生じる。
 そのため、
芭蕉がわざわざ山中温泉から
立ち戻ってまで望んだ、
”小松天満宮”での連歌の会での
句の奉納はなされなかったという。
 古い伝統の権威と
新しい波の力のぶつかり合いは、
古今東西、変わることがない。
<芭蕉句碑と説明>

 境内に建つ芭蕉の句碑は、
小松天満宮での句ではなく、
源意庵で芭蕉が始めて披露した句が
刻まれている。

 句は、 
「あかあかと 
  日はつれなくも 
     秋の風」
<実践倫理:朝起き会発祥の地碑>