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大島渚監督『東京戦争戦後秘話』

2022-06-17 00:39:00 | ノンジャンル
 大島渚監督の1970年作品『東京戦争戦後秘話』をDVDで観ました。
 サイト「MOVIE WALKER PRESS」のストーリーに加筆修正させていただくと、
「「映画で遺書を残して死んだ男の物語」の字幕。元木象一は映画製作運動に没頭していた。沖縄デーの闘争記録を撮影に行った象一はカメラを奪った私服刑事を追いかけるが、突然一つの幻想にとりつかれた。それは、自分の身近な友人の一人・遠藤が、自分から借りていったカメラで、何かを撮影しつつ、そのフィルムを遺書に残してビルの屋上から自殺してしまったという幻想である。仲間の松村や谷沢はこの馬鹿げた話に苦笑するだけだった。しかし、あいつが自殺したと思いこんでいる象一は、自分の恋人泰子をも「あいつの恋人」だと思いこみ、屋外で強姦同然に泰子を犯してしまった。象一は幻想の中で「あいつ」の遺書の映画を見た。その映画というのは、ありふれた風景の積み重ねだけの訳のわからないものだった。「あいつ」は何を考えていたのか、自分で自分の幻想の世界がわからなくなった象一は、「あいつ」は単なる幻想だったと自分を納得させようとしたが、「あいつの恋人」にされてしまった泰子は、そのままでは済まなかった。彼女は象一にあくまで、「あいつの恋人」としてふるまい、「まぼろしのあいつ」との愛と性の生活について語り続けた。幻想を断ち切ろうと、象一は「あいつ」の撮影した風景の中にうごめく「あいつ」の影を追って東京の街をさすらうが、やがて「あいつ」の影が最後に消えた家が、象一の生家であることを発見した。いまや「あいつ」と闘うことは、自分と闘うことになった。象一は「あいつ」と同じ風景を撮影して、「あいつ」の作品をこえる映画を作ろうとするが、「あいつ」と象一の関係に気づいた泰子は、象一のカメラの前に立って、風景を変えてしまおうとした。そのため現実にはさまざまの不都合なことが起こった。そしてついに、泰子はビルの屋上にまで追いつめられ自分の自殺体まで見てしまった。泰子は象一に「あいつ」に勝ったと語るが、象一はこの世に風景がある限り、「あいつ」はどこにでもいるし、そのことがわかった時どこにもいないのだと気づいた。今や、風景なんて何だって同じである。象一のカメラはでたらめにそこらの街角でまわりはじめた。やがて、松村たちがカメラを奪い返そうと追ってきた。象一は、「あいつ」の影に誘われるようにビルの屋上にのぼり、そこから身を投げた。そして彼が握っていたカメラを何者かがまた奪っていくのだった。」

 とても難解な映画でした。

斎藤美奈子さんのコラムその117&前川喜平さんのコラムその78

2022-06-16 04:14:00 | ノンジャンル
 恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず6月8日に掲載された「もみ消さないで!」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「『週刊文春』が報じた細田博之衆院議長のセクハラ疑惑は、どうして他社からの援護射撃的な続報が出ないのだろう。
 この件のポイントは被害者が女性記者である点だ。2018年、『週刊新潮』が当時の福田淳一財務次官のセクハラを報じた際の被害者もテレビ局の女性記者で、しかしこの局は当初、記者の訴えを事実上退けていた。5月30日に地裁が市に損害賠償を命じた長崎市の幹部による性暴力事件(97年)も被害者は女性記者である。
 細田氏の件を受けて各社は社内調査を行ったのか。『週刊文春』が大手新聞社やテレビ局など14社に送ったという社内調査に関する質問状の答えはどれも曖昧で、釈然としない思いが残る。政治家の呆(あき)れた言動はこれにとどまらない。
西村康稔前コロナ担当相が自身の公式サイトに上げていた「世界美人図鑑」。日本維新の会・石井章参院議員の女性候補に対する「顔で選んでっくれれば一番」発言。同じく維新の会・馬場伸幸共同代表の「かわいいので(名前を)間違えた」発言。いずれも女性を鑑賞の対象としてしか見ていない証拠。個人の資質以上に右のような文化を許す社会の体質が、セクハラ事件の温床になる。
 当事者として、報道各社は徹底調査すべきではなかろうか。不信任案の提出を第三者ぶって報じている場合じゃないと思うけど。」

 また、6月12日に掲載された「菱谷良一さん」と題された前川さんのコラム。
「講演のため訪れた旭川で、菱谷良一さんをご自宅にお訪ねした。公立夜間中学をつくる運動をしている中島啓幸さんがご案内くださった。
 1941年に旭川師範学校の美術の教師だった熊田満佐吾氏とその教え子の美術部員が治安維持法違反で検挙され投獄された「生活図画事件」。菱谷さんはその美術部員の一人だった。
 今年百一歳になる菱谷さんは、僕の両手をとって歓迎してくださった。その身のこなしは軽やかで、話しぶりはよどみない。ふいに立ち上がると、ご自身の画集と「生活図画事件━獄中記━」と題する冊子を奥の部屋へ取りに行かれ、さらさらと署名をして僕に下さった。「矍鑠(かくしゃく)」とはこういうことなのだろう。
 菱谷さんの親友で、同じく検挙された松本五郎さんは、一昨年九十九歳で亡くなられた。菱谷さんのお宅の壁には松本さんの自画像も掲げてあった。「松本はすごい。僕とは比べものにならない」と、親友への畏敬の念を隠されなかった。
 菱谷さんの「話し合う人」という絵は「共産主義を討論している」とされ、松本さんの「レコードコンサート」という絵は「民衆の味方だったベートーベンをかけて民衆を鼓舞した」とされたという。
文化を理解しない輩(やから)が権力を振り回す。そんな時代を繰り返してはいけない。」

 そして、6月15日に掲載された「もはや昭和でない」と題する斎藤さんのコラム。
「14日、2022年版の「男女共同参画白書」が閣議決定された。特集は「人生100年時代における結婚と家族」。
 全体的に目立つのは恋愛離れ、結婚離れの傾向だ。20代の女性の約五割、男性の7割が「配偶者、恋人はいない」と答え、三十代の独身率は女性で約四割、男性で約五割(2020年)。男女とも三十代独身者の四人に一人は「結婚の意思なし」だ。
 親御さん世代の心配顔が目に浮かぶ。うちの子もコレだ、一生ひとりでいるつもりかしら。
 それでもいいと私は思いますけどね。問題はむしろ二十~三十代とその親世代(特に男性)の意識の差だ。「事実婚や同棲より法律婚をすべきである」も「結婚したら夫婦同姓にすべきである」も二十~三十の女性は反対多数、逆に賛成がもっとも多いのは四十代以上の男性だ。一報で家事や育児を「配偶者と半分ずつ分担したい」と希望する人は二十~三十代で男女とも七割にのぼる。男女共同参画意識はかなり浸透しているのだ。
 しかし、制度と親たちの意識がそれに追いついていない。だから結婚に希望が持てず、恋愛にも及び腰になる。こうなると国会議員の多数派を占める高齢男性の意識が結婚を阻害しているのではとさえ思えてくる。白書の巻頭言いわく「もはや昭和ではない」。結婚観を変えるべきは親世代なのよ。」

 どれも一読すべき価値のある文章だと思いました。

大島渚監督『新宿泥棒日記』

2022-06-15 05:09:00 | ノンジャンル
 大島渚監督の1969年作品『新宿泥棒日記』をDVDで観ました。
 サイト「MOVIE WALKER PRESS」のストーリーに加筆修正させていただくと、
「真夏の新宿。蒸し蒸しする雑踏の中から、突然「泥棒だ!」という声が起った。捕った少年は、追手の前で素裸になり、ひらきなおった。その有様を見ていた一の人学生が、紀伊国屋書店へ入ると、数冊の本を抜きとった。その手首をしっかりとつかんだのは厳しい表情の女店員だった。紀伊国屋書店の社長田辺氏は叱りもせず学生を許し、女店員は三度目までは大目にみるのだと笑った。学生は再び、万引を宣言し、実行した。ところが田辺氏は、岡ノ上鳥男(横尾忠則)という学生を許したばかりか金まで与えた。鳥男は女店員のウメ子(横山リエ)に、手首をつかまれた時の感覚を、まるで射精してるようだ、と語った。それから、ウメ子もネグリジェを盗んだ。そして鳥男を挑発し、鳥男は彼女を抱いた。しかし、鳥男との情事は彼女の想像とは違った空しいものだった。その夜、ウメ子はスナックで暴れ、田辺氏が彼女をもらい下げに留置所を訪れた。田辺氏は、二人を性科学の権威高橋氏のもとへ連れて行き、高橋氏は「人間の根元的な性」について語るのだった。田辺氏はつづいて新宿のバーへ二人を案内し、そこにいた俳優の佐藤氏や渡辺氏に紹介した。両氏は、二人を料亭へ連れ、友人の戸浦氏が女性を口説く様子を見せた。その料亭では、お客のためにわざと「やらずの雨」を降らせたりしていたがこの作られた性の世界に二人は失望し、ますます虚しさを覚えるのだった。その反動から、鳥男はウメ子に乱暴をした。ウメ子は、その時の有様を田辺氏に話し、輪姦された自分を買って下さい、と迫った。田辺氏は、もうこんなつまらない遊びはやめなさい、とさとした。唐十郎の状況劇場を訪れた鳥男は、唐に「別の人間にしてくれ」と頼んだ。唐は鳥男を由比正雪にしたてて舞台に立たせた。そんな鳥男に反発するウメ子は、重要な小道具正雪の生首を隠してしまった。怒る唐の前に現われた妻の李礼仙は、それを自分の責任と切腹の作法をはじめた。ウメ子は礼仙の横に座ると、自らのメンスの血で自分の下腹部に赤い横一文字を引いた。鳥男は、引寄せられるようにウメ子に近づいた。その晩、新宿には群衆と警官隊との激しい衝突があった。」

 新宿紀伊国屋書店で万引きをする青年・横尾忠則と、そこの偽店員・横山リエをめぐる物語で、紀伊国屋書店社長・田辺茂一や俳優の佐藤慶、戸浦六宏、渡辺文雄、状況劇場の唐十郎、麿赤児、李礼仙、性科学者の高橋鉄らが本人役で出演し、手持ちカメラを多用したオールロケ、字幕の多様などがゴダールの映画に少し似ていました。

大島渚監督『帰って来たヨッパライ』

2022-06-14 05:53:00 | ノンジャンル
 大島渚監督・共同脚本の1968年作品『帰って来たヨッパライ』をDVDで観ました。
 サイト「映画ウォッチ」の「ネタバレあらすじ」に加筆修正させていただくと
「九州付近の日本海で大学生の悪友3人が泳いでいます。泳ぎ終わって戻ると、砂浜に置いてあった服が2着変わっていました。仕方なく着た中ノッポ(北山修)の服はハングル文字が書かれてあり、チビ(はしだのりひこ)が着た服は学生服でした。残りの大ノッポ(加藤和彦)の財布も学生証も無くなっており、代わりに1000円が置かれていました。
 近くのタバコ屋(殿山泰司)に行って値段をごまかそうとすると、密航者に間違われ警察に通報されます。逃げ回る3人は漁師(小松方正)にも密航者に間違われ、銭湯に逃げ込みます。湯ぶねにつかっていると綺麗なネエちゃん(緑魔子)が「服を盗めばいいのよ」とささやきます。ネエちゃんに一目ぼれした中ノッポが「盗もう」と言って、二人は服を盗み夜道を歩きます。
 すると男(佐藤慶)に「服を捨てましたね、拾ってきてください」と呼び止められます。服を拾ってくると、銃を突き付けられ「服を着ろ、君たちはベトナム戦争を拒んだ韓国軍人のイ、日本の大学に通う留学生のキムとしてここで死んでもらう」と言われます。呼ばれない大ノッポが「僕は?」と聞くと「君は後でどこかで日本人として死んでもらう」と言われます。
 隙をついてイを蹴り飛ばして3人は逃げます。しかし韓国の服を着ていたため警察に捕まり、韓国へ送還されることになります。プサンへ送られ、ベトナム戦争に行って殺される夢を見ていました。そこへネエちゃんがやって来て3人を助けます。
 ネエちゃんは3人を韓国からの密航者だと思っていました。そしてネエちゃんの夫だという男(渡辺文雄)のトラックの荷台に乗って、服を着替え東京へ向かう事になります。しかし後ろのトラックにはイとキムが乗っていました。イは中ノッポの学生証を出して検問を抜け、ネエちゃんらを連れ東京行の列車に乗り込みます。
 ネエちゃんを助けようと3人は切符無しで列車に乗り込みますが、車掌が巡回してきてトイレに隠れます。するとイがトイレの扉に数発発砲して「服を着替えろ」と行って、2人は韓国の服に着替えます。
 イはネエちゃんと夫、そして3人を連れ山の上にやって来ます。イはネエチャンの夫に、中ノッポとチビのこめかみに銃を突きつけさせ「殺せ」と命じます。するとネエちゃんが「この人達は韓国人だ」と言うと、3人も「僕らは韓国人だ、日本人はあいつらだ」とイとキムを指さします。夫は韓国人は殺せないと言います。
 暗闇の中で銃声が響き、3人は再び日本海で泳いでいます。タイムスリップしたようで、同じ状況になっています。3人とも出来事を覚えていたため、同じようにタバコ屋に寄ってみます。タバコ屋の婆さんの話すことが同じだったため、先手を取って煙草を買います。
 そして漁師にも先手をとり、銭湯でネエちゃんを待ちます。やがてネエちゃんが「服を盗めばいいのよ」と言い、3人は服を着替えて銭湯をでます。ネエちゃんに付いて行くという中ノッポでしたが、ネエちゃんが反対の方向に行ったためあきらめ、元の方向へ行きます。するとイとキムがやって来て同じことを言います。
 3人はイのこれから言う言葉を先に話し、イを戸惑わせます。そして「僕たちは韓国人なんだ」とイに話していると、ネエちゃんと夫がやって来ます。ネエちゃんが「この人たちは韓国人密航者だ」と言った事で、7人は一軒家で一晩泊まって、東京に行くことになります。
 部屋ではネエちゃんと夫がSEXを始めます。終わると夫が、イから金をもらい、ネエちゃんをイの布団へ向かわせます。これを見た3人は夫を毒虫だと呼びはじめます。
 トラックの荷台に乗って走っていると、助手席にいたイが銃を持って荷台に乗り込んできて殺そうとします。もみあいになり、イの銃を奪うと、イとキムはトラックを乗り捨て、逃げ出します。
 中ノッポが、イの銃で二人を狙い何発も発砲すると二人は倒れます。そして後ろを走っていた毒虫も射殺します。驚いたネエちゃんは「韓国人は韓国人を殺さない。あなたたちは韓国人じゃない。今度会うときは敵だ」と言って立ち去ります。
 3人は東京行の列車に乗ります。シートには殺したはずの毒虫が正装してネエちゃんと座っていました。3人は「殺したはずなのに、今度会うときは敵だと言ってましたよね」とネエちゃんに言いますが、ネエちゃんは反応しませんでした。
「おかしいなあ?トイレに入ろう」と言ってトイレに入ると、殺したはずのイが発砲してきます。再びイの言うとおり服を着替えていると、イとキムは警察に連行されました。列車から降ろされたイとキムはこめかみを撃たれ射殺されます。この様子を3人は走り出した列車の窓から見ているのでした。」

 コメディを十分に楽しませてもらいました。

大島渚監督『絞死刑』

2022-06-13 06:02:00 | ノンジャンル
 大島渚監督・共同製作・共同脚本の1968年作品『絞死刑』をDVDで再見しました。
 サイト「MOVIE WALKER PRESS」のストーリーに加筆修正させていただくと、
「拘置所の片隅の死刑場で、絞縄を首にかけられ、踏板を落とされた、死刑囚Rは、何ら異状なく刑を執行されたのにもかかわらず死ななかった。一本のロープにぶら下がったRは気を失ってはいたが、脈拍は正常に打ちつづけていたのだ。立会人である検察官(小松方正)、所長(佐藤慶)をはじめとする拘置所職員は、この異常な事態に仰天し、再度、刑を執行しようとしたが、心神喪失状態にある者に刑を執行するのは法律で許されていなかった。間もなく、死亡確認が仕事の医務官(戸浦六宏)の手当てで、Rは目を開いた。教誨師(石堂淑朗)は、Rの魂は神に召されたのだから、処刑は不当であり、生き返ったRは犯罪を犯したRと同一人ではない、と激しく主張した。そこで、所長たちはRに、彼が犯罪を犯したRであることを認めさせるため、Rの犯行を再現しようと試みることになった。要はRが自らの犯行を認めさえすれば、処刑は妥当性を持つのだった。教育部長(渡辺文雄)と保安課長によってRの第一の犯行“賄婦強姦殺人事件”が再現された。だが、Rは何の反応も示さなかった。その次にRが女生徒を殺した“小松川高校事件”が、判決文通りに所長たちによって再現された。Rはただ、ひとりの貧しい家庭に育った朝鮮人が、そのことのために女生徒を殺し、死刑を宣告されたことを理解したが、自分がその犯人であることは認めなかった。やがて所長たちは、犯行現場に行くより仕方がないと考えて、判決文にあるRの行動を、逐一、再現していった。所長たちはただRを処刑するという職務のために、異常な熱意を燃やした。犯行を再現していくうちに教育部長は、しまいには自ら殺人を犯したと錯覚して恐怖に駆られるほどだった。その間、Rは自分の内面に沈潜していた。貧しい家庭、飲んだくれの父親、不良の兄、口の不自由な母、三人の弟妹、それらに抑圧された生活の中で、Rは空想に生き、空想で女を犯して殺したのだ。そして、それを現実に実行してしまったのだった。しかしRは、死刑に値する、ただ残虐なだけの犯行とは思わなかった。それは、Rが空想で愛した女が現われ、Rの犯罪が長い間しいたげられてきた朝鮮人の怒りの証明だ、と言ったことでもあった。Rは空想から現われてきた女(小山明子)が好きだった。そしてその女が、自らがしたように強姦されて殺される場合を想像したとき、はじめてRは自分がやったことを生々しい現実の中で感得できたのだった。RがRであることを認めたので、関係者はほっとして酒を汲み交しはじめた。乱れた席の中で、Rは空想の女の愛撫を受けながら、世間のすべてのRの重荷を引き受けて、処刑されることに同意した。」

 ここでも多くのワンシーンワンカットが見られました。