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ジェームズ・グレイ監督『裏切り者』その1

2018-04-25 06:29:00 | ノンジャンル
 今朝の新聞の朝刊各紙で衣笠祥雄さんの訃報が報じられていてびっくりしました。先週、実況放送の解説をされていた時、ひどい声だったので、「どうしたのかな?」と思っていたのですが、闘病中だったのですね。改めてご冥福をお祈り申し上げます。

 さて、WOWOWシネマで、山根貞男さんが推薦していたジェームズ・グレイ監督・共同脚本の’00年作品『裏切り者』を見ました。
 “おかえりレオ”の横断幕。パーティーの最中。エリカの母(フェイ・ダナウェイ)「暑いわよ、バーナード。キティ、フランクは?」「仕事よ」。レオ、部屋に入ってくる。ウィリー「エリカ、ベルヴァをいとこのレオに紹介してくれ。みんな、レオだぞ!」。レオ「母さん、調子どう?」レオの母(エレン・バーンスタイン)「いいわ、元気そうね」「母さんも」。ハグする2人。「お帰り、うれしいわ」。レオ、ウィリーともハグ。「こっちはダンテ。ダンサーだ」。男、レオに「ハンドラー君、ちょっと静かなところに」と言い、別室に移る。男「君は今日の午後4時に出所した。なぜ報告してない?」「24時間以内ならいいのかと?」「何もかも報告する義務がある。記録によると君は車を盗み、1年4ヶ月服役して出所してる。厳重な保護観察下に置かれている。銀行口座や給与明細はすべて調べられ、金の流れを監視される。何か仕事につけそうかね?」「アテがあります。叔母の再婚相手が事業をやっているので、明日面接に行きます。友人もそこで働いています」「カウンセリングは?」「問題は起こしません。有益な人間としてやり直すつもりです」。
 ウィリー「レオをどう思う? いい奴だろ?」ベルヴァ「ええ、でも何も知らない」「だから紹介したんだろ?」「だけどどんな人か……」。
 エリカ「大丈夫?」レオ「ああ。ここにいて平気なのか?」「ウィリーが皆の相手をしてるから息抜きに」「彼とは続いてる?」「結婚を考えてるの。でも彼は仕事が忙しくて」「お父さんはお気の毒に。立派な人だった」「もう戻らないと」「エリカ、新しいお父さんは?」「まあまあよ」「僕の手紙読んだ?」。停電する。「ブレーカーが落ちたんだ」。エリカの母「ここにいたの?」「ええママ」「真っ暗だわね。いとこはいいからお客様の相手をしなさい」エリカの母へレオ「キティおばさん、明日の面接のことを心から感謝しています」「あなたのお母さんのためよ。本当に具合がよくない。心臓が弱ってて」。
 ロウソクの火をつけて歩くパーティの人々。
 ウィリー、レオに「よう、大丈夫か? 何か飲むか? 恩に着るよ。俺たちのことを黙ってくれて」「サツには一言も言ってない。そんなの当然だろ?」「俺と同じ仕事をしろよ。フランクにそう頼め」エリカ「ビールを飲もうよ」ウィリー「君は飲みすぎだよ。週末にクラブに行こう。昔みたいに」「いいとも」「じゃあ。(レオの許を歩み去り)バーナード、元気そうだね」レオの母「聞いてちょうだい。皆、来てくださって、とても嬉しいわ。私にとってこの数年間は辛いことばかり。でも、もう終わった。今日からは楽しいことしかない。嬉しいわ」。拍手する客たち。「コーヒーを淹れるわね」「母さん、いろいろ済まなかった。悲しませて」「もういいのよ。お友達と楽しんでいて」「トッド、座って話そう」。
 “エレクトリック・レース社”の看板。列車の工場。フランク(ジェームズ・カーン)「レオを通せ。レオ、フランクだ。よろしく。待たせて済まない。どうぞ、掛けて。お母さんは?」「何とか病気と闘ってます」「お母さんと話したよ。素晴らしい女性だ。勇気がある。女手一つで君を育てた。」「ええ。孝行しようと思っています」「金を援助しようとしたが、受け取らなかった。立派だよ。生活は苦しかったろうに。君が車を盗んで逮捕されたしな。君は刑に服した。刑務所は淋しいところだが、ビジネスも同じ。甘えや油断は許されない。ここでの仕事がわかるか? ニューヨークの地下鉄の修理をやっている。連結器、ブレーキ、変圧器……、知識はあるか?」「勉強します」「そうか、よろしい。修理工の学校がある。電話してやろう」「今すぐ母を養わなければ。学校は何年?」「一流になるには2年。その後は組合が仕事を回してくれる。週給400~500ドル。卒業まで援助しよう」「ウィリーは学校に行ってない。僕も彼と同じ仕事を」「君には勧めない」「彼の仕事は?」「主に業者との交渉だ。君は修理工の勉強をすべきだ」「考えさせてください」「分かった。もしよければ土曜の晩、お母さんと一緒に食事に来なさい。家族みんなで親密になろう」「はい」「来てくれて嬉しいよ」。握手する2人。「君は私の甥だ。何でも力になるよ」。
 エレベーターで工場へ。レオはウィリーが男に金を握らせてるのを見る。(明日へ続きます……)

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P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で私と同僚だった伊藤さんと黒山さん、連絡をください。首を長くして福長さんと待っています。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)

山田詠美『私のただひとりの「先生」』その2

2018-04-24 18:09:00 | ノンジャンル
 5月のWOWOWでは、エドワード・ヤンの映画が21日から24日の午後11時より4本も放映されます。私が今までに見た『台北ストーリー』と『ヤンヤン 夏の想い出』はどちらも文句無しの傑作でした。今回はそれに加えて『恐怖分子』と長年見たいと思っていた『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(長さはなんと3時間57分!)を見ることができます。映画好きの方でまだWOWOWに加入されていない方は、来月の21日までに加入されることをお勧めします。

 さて、昨日の続きです。
 それから私は打の先生に著書を送るようになりました。それは感想を聞きたいとかそういうことではなく、先生がたまたま手に取って「あ、ちゃんとやれてるじゃない」って思ってくれたらいいなと。
 私が女流文学賞をもらった次の日の朝のことです。玄関のチャイムが鳴って、誰だろうと思って開けたら中央公論の女性編集者が立っていたんです。宇野先生からのお手紙と花束を持ってくださったんです。その時の私の家って福生だから遠いんですよ。手紙は原稿用紙に手書きで、文章作法が書いてあった。私が宇野さんを先生と呼んでいたみたいに、先生も私を弟子だと思ってくれていたのかな。その手紙は、いまでも宝物として取っているんです。

 私が最初の結婚の時、相手はアメリカ人だったんですけど、宇野先生に結婚したことをお知らせしたくてパーティーの招待状を出したんです。その時宇野先生はもうかなりの御高齢ですし、まさか来てくださるとは思わなかったけど、なんといらっしゃったんです。不思議なことに、綺麗なお化粧とお着物姿の先生が登場すると、それだけで周りが華やかになるんですよ。夫の友だちは、彼らもやはりアメリカ人だから、宇野千代という作家のことは知らない。それでも先生を見て「この人は何者かである」ということがわかるのか、皆が寄って行って話しかけるんです。そして夫の親友が、宇野先生に握手を求めて、エスコートしたんです。宇野先生が「すばらしい結婚式ね、私ももう一度結婚したいわ」と言うと、夫の親友は「あなたなら何歳になってもかまわないから、お待ちしています」と返したんです。すると先生は平然と、「じゃあ、待っててくださる?」と言った。すごいですよね。あの泰然としながら無邪気な御様子。それを見て私は、こういう人は、ほんとうに理想だなと思った。肩書きなんかなくても、「あの人はただ者じゃない」と思わせるような人になりたいなって。
 宇野先生は生き方も含めて、全部が小説的なんですよね。時代のことを考えれば、ものすごく不道徳な生き方と見なされると思うけど、小説がうまいから全部いい。それはつまり、小説には時代や社会とはちがう、自分だけのモラルを確立するという役目がある。そしてそれを言葉で提示する。言葉の問題はとくに重要です。宇野先生は自分だけのモラルを生きて、それを小説にしたんですよね。
 モラルを言葉で提示するには、雰囲気やなんとなくでは決して書けなくて、ましてや自分をごまかすことなんて決してできない。宇野先生の波乱万丈の人生の中には辛いことも沢山あったはずだけど、それでも恋のよろこびを書いて、楽しい思いを文章にぶつけてきた。ふつうなら赤裸々でドロドロした小説になったり、自己顕示欲の強いものになってしまいそうな話でも、全然そうはならない。客観性と、語りの技術が凄いんです。私は私小説というのは一番巧妙なフィクションのことだと思っていますが、それを際めている。相手の男の浮気相手のことだって、悪く言わない。憎しみを憎しみとして書かないことを私は「宇野千代」から学びました。
 いま世の中はどんどん保守的になっているけど、そういうことに対抗するのが小説だと思います。宇野千代文学は、生きて行くのに役立つ文学です。
 小説っていうジャンル自体古くさいと言われたりもするけど、なにをいまさら、って思います。だって、人間の心っていちばん最古のものでしょう。どんなに世の中のツールが発達しても、人間の心は変わらないから常に時代遅れなのはあたりまえ。そういう小説家のありようを残して行くのが重要だと思います。
 そんな宇野先生にとって作家という職業は一種の性(さが)で、だから生涯書きつづけたんだと思います。作家というのは元手のいらない職業で、元手はこの身体ひとつ。体に詰まっているものを使って、ずっとなにかを紡ぎだしてゆくんです。
 私は先生の小説を読んでいると、先生が身体からそうやって多くのものを紡ぎだしていたことを、追体験できるような気がします。」

 この文章を読んで、私も小説を書いてみようかな、と思いました。

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山田詠美『私のただひとりの「先生」』その1

2018-04-23 07:32:00 | ノンジャンル
 ‘17年に刊行された、KAWADE夢ムック・文藝別冊『生誕120年記念総特集 宇野千代』に掲載された、山田詠美さんのインタビュー記事『私のただひとりの「先生」』の全文を転載させていただきます。
「私が『先生』と呼ぶ作家は宇野千代先生だけです。宇野千代という作家は私にとって、特別な存在なんです。
 デビュー作の『ベッドタイムアイズ』を書いている時、くじけそうになると机の前に貼っていた宇野先生の『文章作法』を読んでいました。そこには『筆がのってきたら筆を止めなさい,悦に入っているのだから』と書いてあって、これはずっと心がけている言葉です。実際『今日はのってる』と思ってどんどん書いてしまうと、翌日読み返してやっぱり悪い文章になっている。いわゆる『筆が辷(すべ)る』ということなんですよね。夜に書くラブレターと同じですよ。翌日読み返すと、恥ずかしいでしょ?
 宇野先生は『文章作法』で、『毎日机の前に座りなさい』とも書いていたけど、これは言うことがきけなかった(笑)。でも、自転車と同じで、小説の書き方も一度身体に染み付いたら忘れられないものなんです。
 宇野先生はたくさんのフィクションを書かれているけれども、ただ心に留め置いたことを綴ったエッセイも多くて、そうした文章は、私が小説を書くうえでとても役に立っているんです。
 あとは『自信をもって書くこと。宇野先生は自己肯定の力が強い。ここまで自分を肯定して書けるのは宇野千代という作家だけだと思います。』
 ふつうならただの自己肯定で、ナルシスティックな文章になるんですよ。つい凝った文章を使いたくなってしまう。でも宇野先生の文章はそれとはまったく違う。
 宇野先生の自己肯定は、自分にはこの文章しか出てこないんだ、ということを肯定する。誇張せず、わざと削ったりもせず、好きなものを好きな大きさでそのまま、言葉を尽くして書く。これはよほど客観性を持っていないとできないことです。宇野先生はよく、『八百屋のおかみさんでも読めるようなものを書きたい』と仰っていました。私も美辞麗句を使いたくなってしまいそうになると、この言葉を思い出すんです。
 実際、宇野千代の小説は、ごく簡単な言葉で書かれていますよね。でも、それはただ日常で話をする時に使う言葉で書けばいいというものではない。簡単な言葉で、感情をそのまま書く。これにはものすごいテクニックが必要なんです。これは書き言葉のテクニックです。

 いちばん最初に宇野先生の文章に触れたのは、『この白粉入れ』です。私が高校生の頃に手にした田辺聖子さんが編んだアンソロジーに収録されていて、なんて面白いんだろうって思ったんです。それから『生きて行く私』の新聞連載が始まって(1982年)、連続ドラマ化もされて(1984年)、宇野千代のライフスタイルがみんなの憧れの的みたいになっていった。おばあちゃんなのに可愛らしくて、発言に注目が集まるようになりましたよね。
 私が『ベッドタイムアイズ』で文藝賞を受賞しデビューしたのが1985年なんです。もちろん、すぐに宇野先生にお会いできたわけではなくて、『新潮』の1000号記念で『文学の年輪』という特集があったんです。その中で、憧れの人に会わせてくれると言われたんですね。それで、ぜひ宇野千代先生にお会いしたいとお願いして、そこで初めてお目にかかりました。
 南青山の宇野先生のお宅へうかがうことになっていたんですが、うかがう前に、男性編集者二人と原宿駅前のカフェでお待ちすることになったんです。それが結構長い時間で、どうしてこんなに待っているのかと聞いたら、『宇野先生はいまお着物を選んでいるところだから』と。つまりそれは、男性編集者が来ることになったからなんですよ(笑)。お待ちしている時間、私はずーっとドキドキしちゃって。だから『早く会わせて』とも言って。でも会ってみたらとても綺麗で、それだけでも時間かけてお待ちしていた甲斐があったと思いました。
 宇野先生は『ベッドタイムアイズ』を読んでくださっていて、『あなたの書くものは完成しているわね。それにあなた、男を本当に慈しむのね、わたしにはここまではできないわ』と仰っていただけたことがとても嬉しくて、その言葉はいまでも大切にしています。『書きたいように書けば良いのよ。でも浮かれた気持ちで書いてはだめ』とアドバイスもしてくれました。私は先生の影響をとても受けていたから、そう申し上げたら先生は『あら、そう?』とあっさり答えて、そのあとは、ほとんどがガールズトーク(笑)。下世話な話もあったりして。『黒人の彼氏をもつって、どんな感じなの?』とか。当時の私の、チリチリのドレッドヘアを見て『アソコの毛みたいね』と面白がっていたり(笑)。」(明日へ続きます……)

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