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アーサー・ビナード『日本の名詩、英語でおどる』

2013-01-03 09:26:00 | ノンジャンル
 アーサー・ビナードさんの'07年作品『日本の名詩、英語でおどる』を読みました。
 「『過去という名の外国』 まえがきにかえて」と題する文章から引用させていただきます。「『過去とは一種の外国だ。そこではみんな、様子もやり方も違う』――イギリスの作家L・P・ハートレーの代表作『橋渡し』はそう始まる。今昔の感をとことんまで探った小説で、1953年の発行から何度も何度も冒頭のその名言が、いろんな形で引用され、今や諺よろしくひとり歩きしている。(中略)ひょっとしたら、日本では『ふるさとは遠きにありて思ふもの』が、同じような位置にあるのかもしれない。『小景異情』という題名を覚えていなくて、室生犀星の名もすぐには浮かばないけれど、あの一節はどこか体内に根づいていて、ふと思い出される‥‥名詩たるものは、そういう運命なのか。(中略)『小景異情』が世に出たのは1913年、大正政変の年。(中略)ところが遠く離れた英語に、今、翻訳すれば古めかしい表現がみんないったん外され、逆に中身のほうが前面に出る。そこで分かるのだ。いかに時代を超越した普遍的な作品であるかが。Hometown is a place you leave behind and then long for. とくると、英語の読者は胸の内を言い当てられて、はっとして頷く。例えばテネシーの田舎に生まれ育ち、今はマンハッタンに暮らす者も、現にそんな心境だろう。(中略)この本に登場を願った26人の作品は、どれも現代と直結している。様子もやり方も違う世界の産物に感じられても、耳を澄ませば今の暮らしに迫って、語りかけてくる。ぼくが添えた英訳とエッセイが、原作の新しさに気づくきっかけとなれば幸いだ。」
 以下、この本で取り上げられている詩は、萩原朔太郎『旅上』『静物』、山村暮鳥『雲』『ある時』、山之口貘『妹へおくる手紙』『博学と無学』、茨木のり子『顔』、石原吉郎『疲労について』『世界がほろびる日に』、中原中也『サーカス』、高田敏子『水のこころ』、小熊秀雄『馬の胴体の中で考へていたい』、菅原克己『小さなとものり』、竹内浩三『ぼくもいくさに征くのだけれど』、岩田宏『動物の受難』、まど・みちお『やぎさん ゆうびん』『リンゴ』、与謝野晶子『君死にたまふことなかれ』、高村光太郎『道程』『あどけない話』、石垣りん『花』『幻の花』、高木恭造『春先』『春』『宵祭』、鶴彬『川柳十句』、堀口大学『蝉』『お七の火』、柳原百蓮『短歌六首』、金子光晴『富士』、三井ふたばこ『池』『傷ひらく』、中村千尾『午後のレモン水』、壷井繁治『黙っていても』『雪の日に』、大塚楠緒子『お百度詣』、黒田三郎『開かれた頁』『自由』、室生犀星『小景異情』より、『駱駝』、以上です。
 それぞれの詩人に写真入り(本人の肖像だったり、本の表紙だったり、絵画だったり)の扉があり、左に原詩、右に英訳、最後に1ページのビナードさんによる解説と詩人の簡単な評伝といった構成になっていて、26册の詩集を読んだ気分にさせてくれる本でした。またビナードさんが「まえがきにかえて」で書いている通り、英訳によって原詩の意味がはっきりと分かるものが少なくなく、また最後の解説と評伝も、今まで知らなかったことを多く教えてくれるものでした。
 私が特に好きだったり、気になったりした詩や文章は、山村暮鳥の『雲』、山之口貘についての解説、茨木のり子についてのの解説、中原中也についての解説と評伝、小熊秀雄の『馬の胴体の中で考へていたい』、竹内浩三の『ぼくもいくさに征くのだけれど』と彼の評伝、岩田宏についての解説、鶴彬の『川柳十句』、堀口大学の『蝉』と『お七の火』、柳原百蓮の評伝、壷井繁治についての解説、大塚楠緒子の『お百度詣』と彼女についての解説、黒田三郎の『自由』でした。
 ということで、これらをこちらに全て書き出すことは到底不可能なので、私はこの本を図書館で借りることに飽き足らず、アマゾンで古本を手に入れることを決意しました。皆さんにも、実際に手に取って読まれることをお勧めします。

P.S 今晩は妹夫婦と母と一緒に奥七沢の広沢寺温泉に泊まりに行くため、こちらの明日の更新はお休みいたします。ご了解のほど、宜しくお願いいたします。

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ベン・シャーン絵、アーサー・ビナード構成・文『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』その2

2013-01-02 08:23:00 | ノンジャンル
 鶴田法男監督・脚本の'12年作品『POV~呪われたフィルム』をスカパーの日本映画専門チャンネルで見ました。「私たちはこの恐怖体験を上映することに、いまだに不安を感じています。この記録を多くの人にお伝えするのは、彼女の思うつぼになると思えるからでえす。特に本編終了後に語られることについては、皆さんだけの秘密にしてください。志田未来 川田春菜」「本作は、携帯電話向け番組『志田未来のそれだけは見ラいで!』の収録映像とメイキング映像を編集した作品である」という字幕で始まるこの映画は、1人称カメラだけで撮った『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の手法を使って撮られた映画で、音響効果で怖がらせるものでしたが、ラスト、赤いドレスの女の幽霊が出て来るのに、鶴田監督のこだわりを感じました。

 さて、昨日の続きです。
「医者は みんなの 病気を 『放射能病』とよんだ。 しかし かぜをひくのと ちがって その病気は ひとが つくった 爆弾が 原因だ。 遠くまで とばされる 放射能。」「みんなの 鼻の穴と 耳の穴と 爪のあいだ へそのごまの中にも 放射能は もぐりこんだ。 からだを じりじりと こわしていく。」「3月16日の朝 新聞の いちめんに のった。『邦人漁夫、ビキニ原爆実験に遭遇』『死の灰』『水爆か』 科学者たちが しらべようと 焼津に やってきた。 第五福竜丸の23人は 海で見たことを かたった。 マグロの からだに カツオの からだに サメのからだに 放射能が もぐりこんだ。 空高く とんだ 放射能は 雲を よごして 雨と いっしょに 畑の キャベツや ニンジンに ふった。 なにを 食べたら いいのか。」「23人の中で いちばんの せんぱいは 久保山愛吉だった。 第五福竜丸の 無線長で 焼津の 家には おくさんと かわいい むすめが 3人 かれを まっていた。 東京の 病院に はいった 久保山さんは 8月に 放射能病が きゅうに わるくなった。」「医者は かれを たすけようとし 久保山さんは 生きようとした。」「そして ひとびとは かんがえはじめた―― いっぺんに なん百万人も ころせる 爆弾を いったい どこで つかおうと いうのか。」「9月23日 久保山さんの 心臓は とまった。『原水爆の 被害者は わたしを 最後に してほしい』といって かれはなくなった。 ひとびとは わかってきた―― ビキニの海も 日本の海も アメリカの海も ぜんぶ つながっていること。 原水爆を どこで 爆発させても みんなが まきこまれる。」「『久保山さんのことを わすれない』と ひとびとは いった。 けれど わすれるのを じっと まっている ひとたちもいる。」「ひとびとは 原水爆を なくそうと 動きだした。 けれど あたらしい 原水爆を つくって いつか つかおうと かんがえる ひとたちもいる。 実験は その後も 千回も 2千回も くりかえされている。」「わすれたころに またドドドーン! みんなの 家に 放射能の 雨がふる。」「どうして わすれられようか。 畑はおぼえている。」「波も うちよせて おぼえている。 ひとびとも わすれやしない。」
 「『久保山さんのことを わすれない』と ひとびとはいった。 けれど わすれるのを じっと まっている ひとたちもいる。」という文に、戦慄が走りました。また、「わすれたころに またドドドーン! みんなの 家に 放射能の 雨がふる。」というのは、まさに福島第一原発事故のことを予言していた訳で、東日本大震災の5年前に、ビナードさんは現在の日本の姿を、“既に見ていた”ことになります。ベン・シャーンさんはビナードさんのあとがき“石に刻む線”によると、1898年、リトアニアのコブノ生まれ。7歳のときに家族といっしょにアメリカに渡り、ブルックリンに住み着き、幼い頃から絵の才能に恵まれ、修行を積んだ後、'71年に『死刑台のメロディ』として映画化もされたサッコとヴァンゼッティ事件についての23点からなる連作の展覧会を1932年に開いてから、その才能を開花させ、終生、社会の語り部の役割を果たし続けたのだそうです。そのシャーンさんが最後の連作で取り組んだのが、第五福竜丸事件で、その無線長の久保山愛吉さんを主人公にして描いた“Lucky Dragon Series”の絵に、その連作以外の2点も加えて、この本が作られたということでした。シャーンさんの絵も本当に素晴らしいものなので、是非実際に絵本を手にしてお読みください。公共図書館でも借りられると思います。

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ベン・シャーン絵、アーサー・ビナード構成・文『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』その1

2013-01-01 08:33:00 | ノンジャンル
 ベン・シャーンさん絵、アーサー・ビナードさん構成・文の'06年作品『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』を読みました。'07年に日本絵本賞を受賞した絵本です。ここではビナードさんによるテキストを全て転載させていただきたいと思います。(「」はページ替わりを示します。また改行はあえて無視させていただいています。)
「ひとは 家をたてて その中にすむ。」「ここ 日本の 焼津という まちも 家が いっぱい。」「マグロは いつも およいで とまることは ない。 マグロの すむ家は 海の あちこち。」「船にのって みなとを でれば ひとも マグロと おなじように 遠くへいける。」「大平洋も 大西洋も インド洋も 北極海 南極海 みんな つながっている。 ここは ひろい世界の 入り口だ。」「マグロを とろうとする 漁師たちは 船に のるまえから かんがえている――」「マグロは いま 世界の どのあたりを およいでいるのか。」「1954年1月22日 第五福竜丸という りっぱな船に 23人の 漁師が のって 焼津の みなとから 海に でた。 家族は 手をふって 船を 見おくり もう そのときから 23人が ぶじ かえってくるのを まちはじめた。」「船にのれば そこは みんなの家。 ごはんを 食べるのも 寝るのも うたをうたうのも くしゃみをするのも 23人 おなじ波に ゆられながらだ。 第五福竜丸は 日本から 最初は東へ それから南へ また東へ 4千キロもこえて ミッドウェーという島を とおりすぎた。」「2月7日に マグロの 漁を はじめた。 するどい はりを たくさん つけた なわを 海に なげて おもいっきり 長く のばし マグロが 食らいついたら みんな いっきに いそがしくなる。百キロもある マグロの つよく ひっぱること!」「ところが ミッドウェーの 海では マグロが 見つからなかった。 波が あらく なわが とちゅうで きれてしまった。 もっと 南のほう マーシャル諸島を めざすことにした。」「南西へ また2千キロばかり。2月27日に 第五福竜丸は マーシャル諸島の 海で ついに マグロの むれに であった。 寝るまも ほとんどなく どんどん つりあげては なわを また 長く のばす。 そして3月1日の夜あけまえ‥‥」「いきなり 西の空が まっ赤に もえた。『太陽がのぼるぞぉー!』と ひとりが さけんだ。 西の空の 火の玉は 雲よりも 高く あがっていた。」「けれども ほんものの 太陽は 東の空に のぼる。 にせものの 太陽みたいな ばけものが うようよ もくもくと もがいているのだ。」「5分がたち 6分がたって 7分 8分‥‥ ドドドーン! 爆発の音が ひびいた。 しばらくして 空から こんどは 白いものが ふってきた。 どこを見ても まるで 冬の ふぶきだ。」「ただ さわると その白いものは 雪と ちがって じゃりじゃりして 顔に あたると 痛い。 どうやら さんごか なにかが もえたあとの 灰だ。 みんなの 上に なん時間も 灰は ふりそそいだ。」「まえから うわさは ながれていた。 アメリカが 水爆という 爆弾を つくって それを どこか 南の島で ためすかもしれないと。 マーシャル諸島の ビキニ環礁で 3月1日 夜あけまえに 爆発させたのだ。 島に 家をたててすんでいた ひとびとは もう そこには いられなくなり まわりの 海も ぜんぶ よごされた。 なにしろ 広島で 14万人をころした 原爆より 1千倍も 大きい 爆弾だ。」「第五福竜丸は スピードをあげて 北へすすみ まっすぐ 焼津へ かえることにした。 その3千キロをいくのに 2週間は かかる。」「最初の日から 23人は 気もちが わるくなって ごはんが 食べられなくなった。 2日めから 頭も 痛くなり めまいがして ゲリもした。 3日めには 顔が 黒くなって 5日めには 腹とか 首とかに デキモノが‥‥ 10日めになると 髪の毛が ぞろぞろと ぬけだした。 空からふった あの灰には 生きものの からだを しずかに こわしていく 放射能が たっぷりと はいっていた。」「それでも 無線で 『たすけてくれ』と たのむと なにを されるか わからない。 もっと ひどいめに あわされてしまう かもしれないのだ。 水爆という 見てはいけなかった 秘密を 見たのだから。」「3月14日の 朝早く 焼津の みなとに 第五福竜丸が つくと 23人は 病院へいった。」(明日へ続きます‥‥)

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