7月22日の東京新聞に、末永和之さんの文章『金子みすゞのまなざしとホスピス すべては「宇宙」の中に 回生、再生 心一つに』が掲載されていました。ここで全文を転載させていただくと……
「ホスピスは、人の傍らにたたずむことから始まります。
ホスピスの現場で、患者や家族のすべてのつらさに寄り添う時に、最も大切なことは患者や家族が『つらい』と言えることです。
そのつらさに寄り添い、耳を傾け、そのつらさをわかってあげる人が必要なのです。『こだます』ことが大切なのです。
スキルス胃がんになった二十七歳のお母さんが、山口赤十字病院でがんの治療を続けていました。ある日の午前四時ごろ、本当につらくなって大パニックになりました。私は病棟に駆けつけ、そっと抱いてあげ『大丈夫だよ、大丈夫だよ』と包み込んであげました。
その時、彼女は『先生、あのね、わたしは頑張り続けてきました。いろいろな治療をやり続けてきました。もうこれ以上頑張れません。でもね、家族のみんなの期待が大きいので、弱音が吐けません。それが一番つらいのです』
と言って、号泣されるのです。
窓の外を二人で眺めながら、
『窓の外のあの山々の麓の家々の灯りをみてください。あの灯りは人びとの生活、変遷によって移り行くものです。でも、あの山々の稜線は悠久の昔から変わりません。生きとし生けるものは、移り逝き、素に戻って、抱かれていくのです。自分の夢を娘さんに語ってください。それが宝物になりますよ』
と伝えると、次第に落ち着いていかれたのです。
私たちの『いのち』すなわち自己の存在は、肉体、精神・こころ、家族・社会、魂の世界の中での存在であり、『まるごといのち』なのです。みすゞは、すべての『いのち』は宇宙(神様)の中にあると言っています。
私たちが二度とない人生を『生き抜いて逝く』というとき、自分の人生が無駄ではなかったという会話、最後の瞬間までその人の存在を感じられるような会話が必要です。そして、どんな人生も肯定することが肝要だと思います。ここに存在していることに意味があるのです。
人は最期の時、将来への希望が消え、愛する人との別れが訪れ、自分で自分のすることができなくなり、すべて削ぎ落とされていきます。最期に残るのは、自分の生きてきた人生の意味、価値、納得、和解、懺悔、後に託すること、そして安寧な気持ちになれるかということです。
逝く人も残される人も、最期の祈りの会話は『ありがとうね』『おかげさまで』。そんな言葉を交わすことで、新たに『いのち』の連続を感じ、心が一つになって『いのち』の共生、回生、再生に思いが至るのです。
『もう、いいよ』といえる人生の生き方、終え方を考える時、やはり『死』と正面から向き合うか否かによって、患者や家族の『生』の最終章が大きく左右されます。
『生き抜いて逝く』ということは、ゆらぎの中の諦観であり、最期まで生きる希望を持ち、受容(受け身)だけでなく、実存(役に立つこと)を感じることであると考えます。
ホスピスで、傍らに立つ人は、恕(じょ。思いやり)や醸し出す雰囲気(温かさ、丁寧さ、やさしさ、明るさ、包容力、広い心)が求められます。患者の言葉を傾聴するためには、自らの死生観を持たなければいけません。悩み迷える患者や家族の方の足下にそっと灯りをかざすことで、薄明るい歩むべき道筋が見えてくるのではないでしょうか。
そして、『いのち』は最後に家族に返さなければなりません。『看取り』とは残される人、愛する家族、友人が、その人と共に歩んだ全人生を看取ることです。
老い、そして『いのち』を終えていくことは誰しもが避けることのできない事実です。すべての人が、その人生を穏やかに、隅に追いやられず、尊厳を持って、尊重され、人生を『生き抜いて逝く』ことが、とても大切なのです。」
大変ためになる文章でした。私の母も今年で86となり、「遺影を決めておかなきゃね」とか、「私が死んだら、あんた自分でしなきゃならないのだから」と細かいことに一々アドバイスをするようになってきているので、この文章は自分の死を意識し始めた母とどう接すればいいのか、それを教えてくれるような文章でもありました。幸い私の母はすこぶる元気で、排便も一日に何回もし、以前に腸のレントゲン写真を撮った時、医師から「この大腸は表彰ものだ」と言われ、一番最初に老いが来るという腸も元気なようなので、病気になるのはまだ先だと思っているのですが、人生一歩先には何があるか分からないので、今のうちから母といい関係を築いていかなきゃなあ、と思ったりもしました。皆さんも年老いたご両親、そしてとくに病気持ちのご両親がいたら、この文章を参考にして日頃から接してあげてほしいと思ったりもしました。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で教室長だった伊藤さん、連絡をください。福長さん黒山さんと首を長くして待っています。また、伊藤さんの近況を知っている方も、以下のメールで情報をお送りください。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)
「ホスピスは、人の傍らにたたずむことから始まります。
ホスピスの現場で、患者や家族のすべてのつらさに寄り添う時に、最も大切なことは患者や家族が『つらい』と言えることです。
そのつらさに寄り添い、耳を傾け、そのつらさをわかってあげる人が必要なのです。『こだます』ことが大切なのです。
スキルス胃がんになった二十七歳のお母さんが、山口赤十字病院でがんの治療を続けていました。ある日の午前四時ごろ、本当につらくなって大パニックになりました。私は病棟に駆けつけ、そっと抱いてあげ『大丈夫だよ、大丈夫だよ』と包み込んであげました。
その時、彼女は『先生、あのね、わたしは頑張り続けてきました。いろいろな治療をやり続けてきました。もうこれ以上頑張れません。でもね、家族のみんなの期待が大きいので、弱音が吐けません。それが一番つらいのです』
と言って、号泣されるのです。
窓の外を二人で眺めながら、
『窓の外のあの山々の麓の家々の灯りをみてください。あの灯りは人びとの生活、変遷によって移り行くものです。でも、あの山々の稜線は悠久の昔から変わりません。生きとし生けるものは、移り逝き、素に戻って、抱かれていくのです。自分の夢を娘さんに語ってください。それが宝物になりますよ』
と伝えると、次第に落ち着いていかれたのです。
私たちの『いのち』すなわち自己の存在は、肉体、精神・こころ、家族・社会、魂の世界の中での存在であり、『まるごといのち』なのです。みすゞは、すべての『いのち』は宇宙(神様)の中にあると言っています。
私たちが二度とない人生を『生き抜いて逝く』というとき、自分の人生が無駄ではなかったという会話、最後の瞬間までその人の存在を感じられるような会話が必要です。そして、どんな人生も肯定することが肝要だと思います。ここに存在していることに意味があるのです。
人は最期の時、将来への希望が消え、愛する人との別れが訪れ、自分で自分のすることができなくなり、すべて削ぎ落とされていきます。最期に残るのは、自分の生きてきた人生の意味、価値、納得、和解、懺悔、後に託すること、そして安寧な気持ちになれるかということです。
逝く人も残される人も、最期の祈りの会話は『ありがとうね』『おかげさまで』。そんな言葉を交わすことで、新たに『いのち』の連続を感じ、心が一つになって『いのち』の共生、回生、再生に思いが至るのです。
『もう、いいよ』といえる人生の生き方、終え方を考える時、やはり『死』と正面から向き合うか否かによって、患者や家族の『生』の最終章が大きく左右されます。
『生き抜いて逝く』ということは、ゆらぎの中の諦観であり、最期まで生きる希望を持ち、受容(受け身)だけでなく、実存(役に立つこと)を感じることであると考えます。
ホスピスで、傍らに立つ人は、恕(じょ。思いやり)や醸し出す雰囲気(温かさ、丁寧さ、やさしさ、明るさ、包容力、広い心)が求められます。患者の言葉を傾聴するためには、自らの死生観を持たなければいけません。悩み迷える患者や家族の方の足下にそっと灯りをかざすことで、薄明るい歩むべき道筋が見えてくるのではないでしょうか。
そして、『いのち』は最後に家族に返さなければなりません。『看取り』とは残される人、愛する家族、友人が、その人と共に歩んだ全人生を看取ることです。
老い、そして『いのち』を終えていくことは誰しもが避けることのできない事実です。すべての人が、その人生を穏やかに、隅に追いやられず、尊厳を持って、尊重され、人生を『生き抜いて逝く』ことが、とても大切なのです。」
大変ためになる文章でした。私の母も今年で86となり、「遺影を決めておかなきゃね」とか、「私が死んだら、あんた自分でしなきゃならないのだから」と細かいことに一々アドバイスをするようになってきているので、この文章は自分の死を意識し始めた母とどう接すればいいのか、それを教えてくれるような文章でもありました。幸い私の母はすこぶる元気で、排便も一日に何回もし、以前に腸のレントゲン写真を撮った時、医師から「この大腸は表彰ものだ」と言われ、一番最初に老いが来るという腸も元気なようなので、病気になるのはまだ先だと思っているのですが、人生一歩先には何があるか分からないので、今のうちから母といい関係を築いていかなきゃなあ、と思ったりもしました。皆さんも年老いたご両親、そしてとくに病気持ちのご両親がいたら、この文章を参考にして日頃から接してあげてほしいと思ったりもしました。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で教室長だった伊藤さん、連絡をください。福長さん黒山さんと首を長くして待っています。また、伊藤さんの近況を知っている方も、以下のメールで情報をお送りください。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)
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