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斎藤寅次郎『日本の喜劇王 斎藤寅次郎自伝』その3

2019-05-03 12:20:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。

・松竹京都撮影所でまだ助監督だった頃、門前の食堂の隅でしょんぼりしている二人の男がいた。よれよれの浴衣にぺしゃんこの緒の切れた下駄。どうしたんだと訊くと、腹がへって声も出ない様子……ライスカレーを食べさせて二人の話をきくと、田舎志望の巡業で御難をくって和歌山から文なしで、飲まず食わず歩いて来たのだという。
「死んだつもりでやるから、何か仕事を下さい」
 当時売り出しのチャンバラ俳優森野五郎に頼んで二人は弟子入りすることになった。これが坂本武と林誠之助である。

・(前略)近ごろのテレビのタレントの中に達者過ぎるほど達者な子供がたくさん出てくる。昔育てた映画の子役とは、全然質の違う別な存在……これがタレントと呼ばれる人たちなのだろうか。
 しかし、歌謡界を見れば、世の移り変わりをつぶさに観察することができる。
 BCR、ジョン・トラボルタ……サタデーナイト・フィーバー……ロックの世界は花盛りだ。しかし見たまえ、カラオケブームを……紅白歌合戦の出演メンバーを……古賀メロディー、服部メロディーが、はたして姿を消しているであろうか。……春日八郎、藤山一郎、田端義夫が過去の人となっているだろうか。
 私の喜劇は演歌調である。演歌の心が人々の心の中からいつまでも消えないように、日本の喜劇も新しい形で、大地をしっかりと踏まえて生きつづけるはずだ。

・僕が喜劇を製作するからと言って、僕の生活まで喜劇的だという理論は存在しないであろう。俳優の渡邊君や齋藤君からは、よくそんな話を聞かされたものだが、今度始めて僕までが身に沁みて感じた訳だ。
 私は限りなく侘しい。

・これは完全なナンセンス映画である。何時かは高級な本格的な喜劇を完成させようとの抱負を持ってい乍ら、やはり、目先を変えた当意即妙なナンセンス━━ギャグ続出のファースの方へ走りたがる私の気持ち━━それは恐らく、余りにも目まぐるしい現代の尖端的神経衰弱症の為ではないだろうか。静かに落着いて、より深い人生の真理を叡智を以て究めるには、僕達は余りに末梢的神経を疲らせ過ぎているのだ。それよりか、非常に敏感に尖っている僕達の神経に触れるがままの現象を、完全な理智の批判なく、感覚と情緒とほんの少しばかりの理智とで表現してゆく方が、ぴったりと心に触れて来るのである。僕達にとって、コメディよりもファースの方が、より大きな魅力を持っている所以であろう。

・今度の『精力女房』は前述の通り、完全なファース━━ナンセンス・コメディ━━である。この映画の中から、人生の深遠な哲理や、腥(なまぐさ)い階級闘争や、そんなものを求めようとしてはいけない。唯、人生の表面を吹き荒す皮肉や撞着など━━凡そ一般の人々の笑いの線に触れそうな事ども━━から来る現実のナンセンスを享楽してもらえればいいのである。人生には、深遠な哲理の探究に用うる時間が必要であると同時に、現実の表面を吹く笑いに身を浸すべき時間も必要である。(後略)

・僕は皮相的なアクションに依る普通のおかしさだけの喜劇では満足出来ない。内容のある喜劇でなければならないと思っている。(中略)
 今でも僕は時折、荒唐無稽に近いようなことを平気でやっているが、観る人々はそれを唯意味なく笑わないで、冷静な態度で観て貰いたいと思う。その出鱈目の如き事件の中には、物理学的、また化学的に立派な理屈があるつもりである。(後略)

・これが全体としての苦しみであって、作品としての苦しみは、たとえばルビッチはブルジョア生活の喜劇を得意とし、チャップリンはプロレタリア生活の喜劇を得意として、現在の僕はブルジョア生活の喜劇をもやりたいと思っても、日本に於いて喜劇的には大きなセットを建てられないし、立派な衣装も使えないので、結局、後者を選んで満足しなければならないことである。撮るもの、撮るもの、総てルンペンが主人公では手が尽きる。客も飽きる。そこに何んとかしなければならない苦しみがある。

・丁度その頃いまPCLへ行っている成瀬巳喜男や小津安二郎などが、僕と同じように、ナンセンス映画に就いて、散々の苦悩を味わって色々と研究し続けた末に、現在の社会相を諷刺して、その中に各監督の持ち味を加え、是までのナンセンス映画とは、全く一風変わったものを作る━━という訳になってしまった。
 そして是が、その当時の蒲田映画のナンセンスの味というものになって来た。(後略)

・それに、是はひとり、僕個人の考えだけかも知れないが、悲劇と喜劇とは、人生の両極端を行っているようであって、実際は同一のものであるような気がする。(後略)

(また明日へ続きます……)

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