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川上未映子『安心毛布』

2013-09-02 06:31:00 | ノンジャンル
 加藤泰監督・脚本の'61年作品『怪談・お岩の亡霊』をスカパーの東映チャンネルで再見しました。四谷怪談の物語に、伊右ェ門の悪友で、お岩の妹のお袖(桜町弘子)に思いを寄せ、最後にはお袖とお袖の許嫁と伊右ェ門に立ち向かい、殺されてお袖への思いを全うする直助(近衛十四郎)の役によりスポットが当たっていて、男女の情がより深く描かれていました。
 また、ポール・W・S・アンダーソン監督・共同製作・脚本の'12年作品『バイオハザード? リトリビューション』をWOWOWシネマで見ました。目の前を猛スピードで物が横切ったり、怪物がグワッと目の前に迫ってきたりと、こけおどしに徹しているところに好感が持てましたが、何より惹かれたのは人工ウイルスによって生み出された生物兵器の造形で、その点ではこの映画シリーズの原作であるゲームの段階から何ら進歩していないことから、元のゲームの質の高さが映画のシリーズを5作まで作ることにつながっているのだと思いました。(ちなみに今回も次回作につながるような終わり方になっていて、シリーズはまだまだ続くようです。)

 さて、川上未映子さんの'13年作品『安心毛布』を読みました。『発光地帯』、『魔法飛行』に続く、エッセイ集の完結版です。
 書き写しておきたいと思う文章は多々あって、例えば「(前略)子どものころはしかしよく雨に濡れていて、服を着ていても、靴を履いていても、雨に濡れることがそんなに迷惑なことでもいやなことでも不都合なことでもなんでもなかった。(改行)さっきの物がその原因である文脈でいうと、服を着ていても、靴を履いていても、ほんとうの意味で物なんて、なにもひとつももっていなかった、そういう時代であったのだな。それはきっと物だけじゃなくて、電車にものらず、お化粧なんてもちろんせず、濡れてしまうと不都合な目的地を、行き先を、友達を、何もひとつも、もっていなかった、あれはそんな時代であったのだな。靴の中で踏む雨水の感触。前髪からしたたってくる雨のみちすじ。オレンジ色と夕暮れと金色がすこしずつ混じってたなびいて、やがて太陽を沈めてしまうあの匂い。(改行)雨といって思いだすのは、どこかしらやっぱり鮮やかなものばかりだ。土も葉っぱの緑も輝き、水たまりはよけるものではなくていつも覗きこむこのだった。髪も服も、いつだって気がつけば乾いているものだった。引くかもしれない風邪のことは、体のどこにも相談したりはしなかった。(後略)」、「何とも比較できない何か。誰かにとやかく言われようのない何か。学校や職場以外の場所にこそ、仕事や人間関係以外のものにこそ、自分にとって素晴らしいものがあるという自信をもつこと。もし今それがなければ、いろんな場所やものに触れて、そう思えるものを見つけること。今の自分の現実だけが現実ではないと知ること。世界に角度をつけること。本でも映画でも、信頼する誰かと昔に交わした言葉でも何でもいい。それは自分の殻に閉じこもってまわりを見ないようにすることとはまったく違って、何かひとつ、誰にもわかってもらえない自分だけの大事なものを見つけることが、明日また、学校や職場でがんばるためのちからになると思うのだ。人からどう思われようと、決して揺るがないものをひとつだけでいいから胸にもっておく。それは本当にわたしたちが困ったときに、わたしたちを必ず助けてくれるちからになる」などなど。
 散文詩のようなものもあり、それらは難解であったりもするのですが、上記のようなものも考えようによっては散文詩とも取れ、一気に読めると同時に全体的に読みごたえのあるエッセイ集でした。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

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