「日本ローリングストーンズ ファンクラブ since 1973」による『キース・リチャーズ自伝 LIFE』の各章の見出しを書き写しておきたいと思います。
CHAPTER 1
1975年のUSツアー中、アーカンソー州で警察に車の停止を命じられ、膠着状態に。
CHAPTER 2
ダートフォードの湿地帯で、一人息子として育つ。休みの日にはドーセットで両親のバート、ドリスとキャンプ。ガスじいさんや犬のミスター・トンプソン・ウーフトと冒険。ガスから初めてギターのリックを教わる。学校でいじめにあい、その後ダートフォード・テクニカル・スクールでいじめを克服。ドリスにジャンゴ・ラインハルトで耳を鍛えられ、ラジオ・ルクセンブルクでエルヴィスを知る。聖歌隊の少年(クワイヤ・ボーイ)から不良少年(テディ・ボーイ)に身を落とし、退学の憂き目にあう。
CHAPTER 3
アート・カレッジに入学。ここが俺のギター・スクールとなる。初めて人前で演奏し、その日の夜に女の子とくっついた。ダートフォード鉄道駅でチャック・ベリーのレコードをかかえていたミックと再会。いっしょに活動を始める------リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズというバンド名で。イーリング・パブでブライアン・ジョーンズと出会う。ブリックレイヤーズ・アームズでイアン・スチュワートの同意を得て、彼を中心にストーンズを結成。チャーリー・ワッツをメンバーに加えたいが、金がない。
CHAPTER 4
1962年の夏、ミック・ブライアンとイーディス・グローヴで暮らす。シカゴ・ブルースを習得していく。マーキー・クラブ、イーリング・クラブ、クローダディ・クラブ。トラッドジャズの演奏者たちと縄張り争い。ビル・ワイマンがヴォックスのアンプといっしょにやってくる。ステーション・ホテルでプロになったと実感。チャーリーがメンバーに。アンドルー・ルーグ・オールダムがデッカ・レコードの契約を勝ち取る。エヴァリー・ブラザーズ、ボ・ディドリー、リトル・リチャーズと初の国内ツアー。俺たちの音楽は暴動にかき消される。ビートルズが曲をくれた。ミックと俺はアンドルーに台所に閉じこめられて、初のオリジナル曲を書く。
CHAPTER 5
ストーンズ初のUSツアー。サンアントニオ・ステートフェアでボビー・キーズと出会う。シカゴのチェス・レコードへ。ロニー・ベネット(のちのロニー・スペクター)と再会。ハーレムのアポロ・シアターに行く。フリート・ストリート[マスコミ]とアンドルー・オールダムが、長髪で反抗的で薄汚いという世間的なイメージをつくり出す。ミックとストーンズでやれる曲を書いた。
ストーンズはLAのRCAスタジオでジャック・ニッチェとレコーディング。俺は眠っているあいだに「サティスファクション」を書き、ストーンズは初の全米ヒットチャート1位を獲得。アレン・クラインがマネージャーになる。リンダ・キースに失恋。レッドランズに別荘を買う。ブライアンが壊れはじめた------そしてアニタ・パレンバーグとの出会い。
CHAPTER 6
レッドランズで逮捕される。ベントレーでモロッコに脱出。アニタ・パレンバーグと夜の逃避行。初めて法廷に出廷、スクラブズ刑務所で一夜を過ごす。そしてローマの夏。
CHAPTER 7
1960年代後半にオープン・チューニングとヘロインを発見。グラム・パーソンズと出会う。船で南米へ。父親になった。マッスル・ショールズで「ワイルド・ホーシズ」と「ブラウン・シュガー」を録音。オルタモントを生き延び、サキソフォン吹きのボビー・キーズと再会を果たす。
CHAPTER 8
1971年の春、フランスに向けて出発し、リヴィエラの邸宅ネルコートを借りた。ミックがサントロペで結婚。『エグザイル・オン・メイン・ストリート(メイン・ストリートのならず者)』の録音のために移動式スタジオを設営し、実り多い夜間の録音日程を消化。モーターボート〈マンドラックス〉号でイタリアへ朝食を食いにいく。五弦ギターで能力全開。グラム・パーソンズが来て、ミックの独占欲が強くなる。俺は麻薬で自分に没頭。アニタといっしょに逮捕される。グラムと(これが最後になるが)LAをうろつき、粗悪な麻薬で中毒に。治療のためアニタとスイスに逃げ出し、麻薬断ちの恐怖を経験して、回復期に「アンジー(悲しみのアンジー)」を作曲する。
CHAPTER 9
1972年、ストーンズは長期のコンサート・ツアーに出る。ドクター・ビルが薬のかばんを開き、ヒュー・ヘフナーが住まいを提供してくれた。フレディ・セスラーとの出会い。ストーンズはまずスイスに、そのあとジャマイカに移動した。ボビー・キーズと移動中トラブルに見舞われ、ハワイのパイナップル王に救出される。ジャマイカに家を購入。そこでアニタは投獄され、国外追放の憂き目にあう。グラム・パーソンズが死に、俺は死ぬ可能性がいちばん高い人間にランクされる。ロニー・ウッドがメンバーに。(明日へ続きます……)
CHAPTER 1
1975年のUSツアー中、アーカンソー州で警察に車の停止を命じられ、膠着状態に。
CHAPTER 2
ダートフォードの湿地帯で、一人息子として育つ。休みの日にはドーセットで両親のバート、ドリスとキャンプ。ガスじいさんや犬のミスター・トンプソン・ウーフトと冒険。ガスから初めてギターのリックを教わる。学校でいじめにあい、その後ダートフォード・テクニカル・スクールでいじめを克服。ドリスにジャンゴ・ラインハルトで耳を鍛えられ、ラジオ・ルクセンブルクでエルヴィスを知る。聖歌隊の少年(クワイヤ・ボーイ)から不良少年(テディ・ボーイ)に身を落とし、退学の憂き目にあう。
CHAPTER 3
アート・カレッジに入学。ここが俺のギター・スクールとなる。初めて人前で演奏し、その日の夜に女の子とくっついた。ダートフォード鉄道駅でチャック・ベリーのレコードをかかえていたミックと再会。いっしょに活動を始める------リトル・ボーイ・ブルー・アンド・ザ・ブルー・ボーイズというバンド名で。イーリング・パブでブライアン・ジョーンズと出会う。ブリックレイヤーズ・アームズでイアン・スチュワートの同意を得て、彼を中心にストーンズを結成。チャーリー・ワッツをメンバーに加えたいが、金がない。
CHAPTER 4
1962年の夏、ミック・ブライアンとイーディス・グローヴで暮らす。シカゴ・ブルースを習得していく。マーキー・クラブ、イーリング・クラブ、クローダディ・クラブ。トラッドジャズの演奏者たちと縄張り争い。ビル・ワイマンがヴォックスのアンプといっしょにやってくる。ステーション・ホテルでプロになったと実感。チャーリーがメンバーに。アンドルー・ルーグ・オールダムがデッカ・レコードの契約を勝ち取る。エヴァリー・ブラザーズ、ボ・ディドリー、リトル・リチャーズと初の国内ツアー。俺たちの音楽は暴動にかき消される。ビートルズが曲をくれた。ミックと俺はアンドルーに台所に閉じこめられて、初のオリジナル曲を書く。
CHAPTER 5
ストーンズ初のUSツアー。サンアントニオ・ステートフェアでボビー・キーズと出会う。シカゴのチェス・レコードへ。ロニー・ベネット(のちのロニー・スペクター)と再会。ハーレムのアポロ・シアターに行く。フリート・ストリート[マスコミ]とアンドルー・オールダムが、長髪で反抗的で薄汚いという世間的なイメージをつくり出す。ミックとストーンズでやれる曲を書いた。
ストーンズはLAのRCAスタジオでジャック・ニッチェとレコーディング。俺は眠っているあいだに「サティスファクション」を書き、ストーンズは初の全米ヒットチャート1位を獲得。アレン・クラインがマネージャーになる。リンダ・キースに失恋。レッドランズに別荘を買う。ブライアンが壊れはじめた------そしてアニタ・パレンバーグとの出会い。
CHAPTER 6
レッドランズで逮捕される。ベントレーでモロッコに脱出。アニタ・パレンバーグと夜の逃避行。初めて法廷に出廷、スクラブズ刑務所で一夜を過ごす。そしてローマの夏。
CHAPTER 7
1960年代後半にオープン・チューニングとヘロインを発見。グラム・パーソンズと出会う。船で南米へ。父親になった。マッスル・ショールズで「ワイルド・ホーシズ」と「ブラウン・シュガー」を録音。オルタモントを生き延び、サキソフォン吹きのボビー・キーズと再会を果たす。
CHAPTER 8
1971年の春、フランスに向けて出発し、リヴィエラの邸宅ネルコートを借りた。ミックがサントロペで結婚。『エグザイル・オン・メイン・ストリート(メイン・ストリートのならず者)』の録音のために移動式スタジオを設営し、実り多い夜間の録音日程を消化。モーターボート〈マンドラックス〉号でイタリアへ朝食を食いにいく。五弦ギターで能力全開。グラム・パーソンズが来て、ミックの独占欲が強くなる。俺は麻薬で自分に没頭。アニタといっしょに逮捕される。グラムと(これが最後になるが)LAをうろつき、粗悪な麻薬で中毒に。治療のためアニタとスイスに逃げ出し、麻薬断ちの恐怖を経験して、回復期に「アンジー(悲しみのアンジー)」を作曲する。
CHAPTER 9
1972年、ストーンズは長期のコンサート・ツアーに出る。ドクター・ビルが薬のかばんを開き、ヒュー・ヘフナーが住まいを提供してくれた。フレディ・セスラーとの出会い。ストーンズはまずスイスに、そのあとジャマイカに移動した。ボビー・キーズと移動中トラブルに見舞われ、ハワイのパイナップル王に救出される。ジャマイカに家を購入。そこでアニタは投獄され、国外追放の憂き目にあう。グラム・パーソンズが死に、俺は死ぬ可能性がいちばん高い人間にランクされる。ロニー・ウッドがメンバーに。(明日へ続きます……)
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