増村保造さん著の2014年作品『映画監督 増村保造の世界(上) 〈映像のマエストロ〉映画との格闘の記録1947-1986』を読みました。
目次を書くと、
撮影風景より(写真)
増村作品より(写真)
わたしの映画修行
水くさい傍観者の時代
イタリアで発見した「個人」
溝口健二━━最も日本的作家
谷崎潤一郎と溝口健二
溝口における“リアリズム
三人の作家━━黒澤明 溝口健二 市川崑
黒澤明
黒澤明論
『隠し砦の三悪人』と黒澤明
黒澤明における巨匠の条件
壮大にして悲壮な映画作家黒澤明
姿三四郎
溝口健二
本能の作家━━溝口健二
巨匠の晩年
溝口健二と邦画の確立
溝口健二のリアリズム
市川崑
市川崑の方法
日本映画史
増村組、増村保造を語る
若尾文子
左幸子
岸田今日子
大楠道代
高橋惠子
原田美枝子
船越英二
宇津井建
田村高廣
緒方拳
宇崎竜童
白坂依志夫
新藤兼人
安本莞二
村井博
小林節雄
間野重雄
林光
増村組 助監督座談会
また、 増村保造さん著の2014年作品『映画監督 増村保造の世界(下) 〈映像のマエストロ〉映画との格闘の記録1947-1986』も読みました。
目次を書くと、
アルバム スナップ・スチール(写真)
映画論+演出論 増村保造
映画のスピードについて
ある弁明━━情緒と真実と雰囲気に背を向けて
私の主張する演技━━栄光ある逆行━━
「シーン」と「ショット」
新人作家の主張
原作小説とその映画化
テレビ・ドラマはコントである
私の演出態度
しろうと批評と専門批評の違い
スターであることと無いこと
わたしの女優論
実在性喪失の現状
近松と新派に帰る
映画批評家とは何か
映画を知るための四冊の本
余りにアマチュア的 映画作家の希望する映画批評とは
サディズム映画論
女優=巫女になるための条件は
三島由紀夫さんのこと
拾遺「黒澤論」 黒澤監督を訪問する
映画評論 増村保造
ヴィスコンティとカステラーニの作風
ルキノ・ヴィスコンティ論
ヴィスコンティ論
悲劇的な人間へ向けるリアルな眼 『家族の肖像』
最も多望の新人監督 フェデリコ・フェリーニ
『青春群像』とフェリーニ
『甘い生活』 背徳とその救済
ヴィットリオ・デ・シーカ 反イタリア的精神
映画人の主観
『太陽はひとりぼっち』
パゾリーニとボロニーニの間
マキャヴェリは葡萄酒を守った
『サンタ・ビットリアの秘密』
イタリアン・リアリズムは生きている
現代フランスの“私映画”『恋人たち』
主観的世界を描く喜劇 『地下鉄のザジ』
新しい大衆性の発見 通俗ドラマと絶縁
現代のフランス映画
『世にも怪奇な物語』
結論なき思考、〈他人の血〉の拒否 「ゴダール全集 第四巻」
アメリカ的オプティミズム
『飛べ!フェニックス』『攻撃』『銃殺』
暴力とは人間の根源的な情熱だ。しかし…
『ゴッドファーザー』『時計じかけのオレンジ』『わらの犬』『ホット・ロック』
ゲテモノの真実味溢れる大傑作である
『未来世紀ザルドス』『エクソシスト』
粗野で善意で果敢で滑稽なヤンギーたち
『狼たちの午後』『カッコーの巣の上で』
映像主義とは?
『恐怖の報酬』『ミスター・グッドバーを探して』『さよならの微笑』
あらゆる映画手法を拒否した詩的情念の世界
『アレクサンダー大王』
この悪魔的ムードと絶望的暗さの伝統!
『ヴェロニカ・フォスのあこがれ』『ドイツの青ざめた母』
黄土塊のうねりとアメリカ人の自由の原型
『黄色い大地』『パーマネント・バケーション』『ストレンジャー・ザン・パラダイス』
自作解説 増村保造
自作を語る
次回作『女の小箱・より 夫が見た』
人間とは何か━━『女の小箱・より 夫が見た』で描きかったこと
次回作『卍』
谷崎の世界とギリシア的論理性━━『卍』について
次回作『陸軍中野学校』
『遊び』で描きたいもの
『音楽』と愛とセックスと
演出意図
『大地の子守歌』で描く逞しい女性
次回作『曽根崎心中』
『曾根崎心中』について
『エデンの園』を撮り終えて
『偽大学生』の思い出
フィルモグラフィー
増村保造映画監督作品
増村保造映画構成・脚本作品
増村保造テレビ作品
あとがきにかえて━━『永遠なれ! 増村映画』
以上です。
ハイライトは上巻での若尾文子さんへのインタビューと、下巻で言及されている映画についての4冊の本『ドキュメンタリィ映画』(ポール・ローサ)、『劇作とシナリオ創作』(J・H・ロースン)、『カリガリからヒットラーまで』(ジークフリード・クラカウェル)、『映画の編集』(カール・レイズ)でした。上巻が650ページ足らず、下巻が700ページというボリュームでした。
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
→FACEBOOK(https://www.facebook.com/profile.php?id=100005952271135)
目次を書くと、
撮影風景より(写真)
増村作品より(写真)
わたしの映画修行
水くさい傍観者の時代
イタリアで発見した「個人」
溝口健二━━最も日本的作家
谷崎潤一郎と溝口健二
溝口における“リアリズム
三人の作家━━黒澤明 溝口健二 市川崑
黒澤明
黒澤明論
『隠し砦の三悪人』と黒澤明
黒澤明における巨匠の条件
壮大にして悲壮な映画作家黒澤明
姿三四郎
溝口健二
本能の作家━━溝口健二
巨匠の晩年
溝口健二と邦画の確立
溝口健二のリアリズム
市川崑
市川崑の方法
日本映画史
増村組、増村保造を語る
若尾文子
左幸子
岸田今日子
大楠道代
高橋惠子
原田美枝子
船越英二
宇津井建
田村高廣
緒方拳
宇崎竜童
白坂依志夫
新藤兼人
安本莞二
村井博
小林節雄
間野重雄
林光
増村組 助監督座談会
また、 増村保造さん著の2014年作品『映画監督 増村保造の世界(下) 〈映像のマエストロ〉映画との格闘の記録1947-1986』も読みました。
目次を書くと、
アルバム スナップ・スチール(写真)
映画論+演出論 増村保造
映画のスピードについて
ある弁明━━情緒と真実と雰囲気に背を向けて
私の主張する演技━━栄光ある逆行━━
「シーン」と「ショット」
新人作家の主張
原作小説とその映画化
テレビ・ドラマはコントである
私の演出態度
しろうと批評と専門批評の違い
スターであることと無いこと
わたしの女優論
実在性喪失の現状
近松と新派に帰る
映画批評家とは何か
映画を知るための四冊の本
余りにアマチュア的 映画作家の希望する映画批評とは
サディズム映画論
女優=巫女になるための条件は
三島由紀夫さんのこと
拾遺「黒澤論」 黒澤監督を訪問する
映画評論 増村保造
ヴィスコンティとカステラーニの作風
ルキノ・ヴィスコンティ論
ヴィスコンティ論
悲劇的な人間へ向けるリアルな眼 『家族の肖像』
最も多望の新人監督 フェデリコ・フェリーニ
『青春群像』とフェリーニ
『甘い生活』 背徳とその救済
ヴィットリオ・デ・シーカ 反イタリア的精神
映画人の主観
『太陽はひとりぼっち』
パゾリーニとボロニーニの間
マキャヴェリは葡萄酒を守った
『サンタ・ビットリアの秘密』
イタリアン・リアリズムは生きている
現代フランスの“私映画”『恋人たち』
主観的世界を描く喜劇 『地下鉄のザジ』
新しい大衆性の発見 通俗ドラマと絶縁
現代のフランス映画
『世にも怪奇な物語』
結論なき思考、〈他人の血〉の拒否 「ゴダール全集 第四巻」
アメリカ的オプティミズム
『飛べ!フェニックス』『攻撃』『銃殺』
暴力とは人間の根源的な情熱だ。しかし…
『ゴッドファーザー』『時計じかけのオレンジ』『わらの犬』『ホット・ロック』
ゲテモノの真実味溢れる大傑作である
『未来世紀ザルドス』『エクソシスト』
粗野で善意で果敢で滑稽なヤンギーたち
『狼たちの午後』『カッコーの巣の上で』
映像主義とは?
『恐怖の報酬』『ミスター・グッドバーを探して』『さよならの微笑』
あらゆる映画手法を拒否した詩的情念の世界
『アレクサンダー大王』
この悪魔的ムードと絶望的暗さの伝統!
『ヴェロニカ・フォスのあこがれ』『ドイツの青ざめた母』
黄土塊のうねりとアメリカ人の自由の原型
『黄色い大地』『パーマネント・バケーション』『ストレンジャー・ザン・パラダイス』
自作解説 増村保造
自作を語る
次回作『女の小箱・より 夫が見た』
人間とは何か━━『女の小箱・より 夫が見た』で描きかったこと
次回作『卍』
谷崎の世界とギリシア的論理性━━『卍』について
次回作『陸軍中野学校』
『遊び』で描きたいもの
『音楽』と愛とセックスと
演出意図
『大地の子守歌』で描く逞しい女性
次回作『曽根崎心中』
『曾根崎心中』について
『エデンの園』を撮り終えて
『偽大学生』の思い出
フィルモグラフィー
増村保造映画監督作品
増村保造映画構成・脚本作品
増村保造テレビ作品
あとがきにかえて━━『永遠なれ! 増村映画』
以上です。
ハイライトは上巻での若尾文子さんへのインタビューと、下巻で言及されている映画についての4冊の本『ドキュメンタリィ映画』(ポール・ローサ)、『劇作とシナリオ創作』(J・H・ロースン)、『カリガリからヒットラーまで』(ジークフリード・クラカウェル)、『映画の編集』(カール・レイズ)でした。上巻が650ページ足らず、下巻が700ページというボリュームでした。
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
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