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アンナ・マフマートヴァ『レクイエム』

2022-11-24 02:43:37 | 日記
 平和委員会の会報で紹介されていた1963年のアンナ・マフマートヴァの詩集『レクイエム』を読みました。息子が3度逮捕されるなど、スターリン時代に弾圧を受けた著者の作品です。
 中でも印象に残った詩を書き写したいと思います。

「序にかえて」
 エジョフの恐るべき歳月を私はレニングラードの獄舎の前の列に並んで十七箇月間過した。
 ある時だれかが私を「見分けた」。そのとき私の後ろに立っていた真っ青な唇の女が、無論私の名を知るはずもないのに、私たちにつきものの呆然自失からふと我に返ると、私の耳元で囁いた。(そこでは誰もがささやき声で話した。)
「このことをすっかり書くことができますか?」
 私は言った。
「できますとも」
 すると何か微笑みのようなものがかつてその人の顔であったあたりをかすめた。

「献辞」
この悲しみを前にして山並は身をたわめ
大いなる川は流れず
しかし獄門の閂(かんぬき)は固く
その向うは〈徒刑の穴蔵〉
死の憂悶
誰のために風は爽やかに吹き
誰のために入相(いりあい)の空は色づく━━
私たちはそれを知らずどこにいようと同じ
聞えるのはただ厭わしい鍵の軋る音と
兵士らの重い足音
朝早い礼拝に行く如く起き出し
荒れはてた都を行って
死者よりもさらに息をひそめて人と会う
陽は低く ネヴァ河に昏(くら)く霧垂れこめ
なおも遥かに希望はうたう
宣告が下る……どっと涙溢れ
もはやすべての人から引き離され
あたかも痛みに生命を心臓からもがれ
どっと仰(あお)のけに倒されたかのよう
それでも行く……よろめく足で……ひとり……

私の狂ったような二年間を心ならずも
共に過ごした仲間はいま何処にあり
シベリアの吹雪に何を想い
月下に何を見ているだろう?
彼女らに私は別れの挨拶を送ろう

「序曲 1」
あなたは夜明けに連れ去れらた
あなたの後を出棺を送るように私は追いすがった
暗い部屋では子らが泣き
聖像棚では蠟燭がろうを垂らしていた
あなたの唇にあたる聖像の冷たさ
額にうかぶ死の汗 忘れるものか!
私も銃兵の妻たちのように
クレムリの櫓(やぐら)の下で泣き叫ぶのだ

「序曲 9」
すでに狂気はその翼で
魂の半ばを覆っていた
そして炎の酒を振舞い
黒い谷へと手招きする

私には分っている あれに
勝ちを譲らねばならぬこと
自分のもう自分のものとも思われぬ
うわ言に聞き耳をたてながら

あれは何ひとつ許そうとしない
私が心に秘めて立ち去るのを
(どれほどあれに懇願し
哀訴を尽して頼もうとも)

息子の恐ろしい二つの眼━━
石と化した苦しみ
禍(わざわ)いが訪れたその日
牢獄での面会のとき

愛しい両手の冷たさ
菩提樹の不気味な影
遠く聞える微かなひびき━━
最後に聞いた慰めの言葉さえ

「序曲 10 磔刑」

天使のコーラスが大いなる時をたたえ
天空が炎と燃え立ったとき
「なにゆえわれを捨て給いし!」と父に言い
「おお われを泣き給うな……」と母に言い給うた

「エピローグ」

私は知った どのように人々の顔が瘦せこけ
どのようにまぶたの下から恐怖が顔をのぞかせ
どのように楔形文字の苛酷な頁を
苦しみが頬の上に刻みだすかを
どのように灰色まじりの黒髪が
みるまに銀髪と化すかを
ほほ笑みが従順な唇の上で枯れしぼみ
ひからびたくすくす笑いの中で恐怖がわななくかを
私が祈るのは私ひとりのためではない
私とともにあそこで立ち尽くしたすべての人のため
酷寒のときも七月の炎熱にも
盲目の紅(あか)き壁の下で


ふたたびその日がめぐってきて
私は見る 聞く 感じている

窓口までやっとのことで運ばれたひと
ふるさとの土を踏むことさえできないひと

美しい頭を振って
「に戻ってくるみたいにしてここに来るの」と言ったひと

ひとりひとりの名をあげたいが
手帳は奪われて知るすべはもう何処にもなくなった

彼女らのために私が織ったひろい経帷子は
彼女らから聞いた痛ましい言葉で綴られている

いつどこにあっても彼女らを想い
またあらたな苦難の時もきっと忘れまい

もしも一億の民が叫ぶ
この口が疲れ果て押し塞がれるなら

彼女らもまた私を想い出して欲しい
私の弔いの前夜に

いつかこの国で
私の記念碑を建てようとするのなら

そのことに異存はないけれど
ひとつだけ条件がある それを建てるところは

私の生まれた海辺ではなく
海との絆は最後の一本まで断たれている

またツァールスコエの庭園の秘められた切株の傍でもない
影が諦めきれずに私を探しているだろうけれど

それはここにして欲しい 三百時間立ち尽くしても
私には閂(かんむき)が外されなかったこの場所に

私が至福の死のなかにやずらいで
黒い車のうなりを忘れないように

おぞましい扉gあぴしゃりと閉じて呻いた
老婆の傷ついた獣のような号泣を忘れないように

動かぬ青銅のまぶたより
流れる涙となって溶けはじめた雪は流れ

遠く獄舎に巣くう鳩が鳴き
しずかにネヴァの河面を船がすべらんことを

 これほど悲しみに満ちた詩は、久しぶりに読みました。


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