また昨日の続きです。
「『プロット・アゲンスト・アメリカ』が刊行された2004年といえば、9/11以降のブッシュ政権によるアメリカの理想を踏みにじるふるまいに激しい非難の声が上がった時期であり、この小説で述べられるヒトラー、リンドバーグへの脅威をジョージ・W・ブッシュとその側近の横暴に重ねあわせた読者も多かった(白状すれば、僕も初読時はそうだった)。だがロス本人は、この本は二十一世紀のアメリカを寓話的に語ったものではなく、あくまで1940年代初頭のアメリカ自体に対する純粋な興味に導かれて書いたものだと主張している(もっとも、文学作品の『意味』が社会的文脈によってさまざまに読み換えられていくという事実はロスも認めているが)。いずれにせよ、ブッシュの横暴自体は━━それが残した傷跡はともかく━━ひとまず過去のものとなったいまも、この作品の持つ衝撃力がいささかも失われていないことは、校正刷りを読み進めるなかで十分確認できた。
1933年に生まれ、59年に『さようなら コロンバス』で本格デビューして以来、半世紀以上に及ぶキャリアを通して旺盛な創作活動を続けてきた作家ロスは、アメリカでもっとも権威ある文学叢書シリーズ〈ライブラリー・オブ・アメリカ〉に存命中に作品が収録された3人目の作家となった。いまやまさしくアメリカ文壇の大御所的存在である。そのキャリアの最盛期を強いて挙げるなら、『アメリカン・スパイラル』(1997)、『ヒューマン・ステイン』(2000)などの非常に濃密な本格長篇を立て続けに4冊発表した1995年から2000年あたりということにおそらくなるだろうが、この『プロット・アゲンスト・アメリカ』もその最盛期にひけをとらない力強さを持つ一冊だと思う。
ほかの〈ロス本〉との関係でいえば、『父の遺産』で語られたフィリップの両親ハーマン、エリザベスの人生のいわば『前日談』(の改変)としてもこの本は読める。『父の遺産』においては長い人生を逞しく生きてきたことを讃えられる父ハーマンが、この前日談では、まさに男盛りの時期であるにもかかわらず、ファシズムの浸透によってじわじわとその威厳を剝ぎとられていく。そうした展開は、『父の遺産』を念頭におくといっそう切実さを増す。2冊の〈ロス本〉をあわせてお読みいただければと思う。(後略)」
次に目次を書き写しておくと、
1 1940年6月━━1940年10月
リンドバーグに一票か、戦争に一票か
2 1940年11月━━1940年6月
大口叩きのユダヤ人
3 1941年6月━━1941年12月
キリスト教徒のあとについて
4 1942年1月━━1942年2月
切株
5 1942年3月━━1942年6月
いままで一度も
6 1942年5月━━1942年6月
あの連中の国
7 1942年6月━━1942年10月
ウィンチェル暴動
8 1942年10月
暗い日々
9 1942年10月
終わらない恐怖
と、なっています。
ちなみに冒頭の部分を書き写してみると、
「恐怖が、絶えまない恐怖が、ここに綴る記憶を覆っている。むろん恐れのない子供時代などありえないが、もしリンドバーグが大統領にならなかったら、あるいは自分がユダヤ人の子孫でなかったら、私はあそこまで怯えた子供だっただろうか。
1940年6月、最初の衝撃が訪れた。アメリカが世界に誇る英雄飛行士チャールズ・A・リンドバーグが、フィラデルフィア共和党大会において大統領候補に指名されたのだ。当時私の父親は39歳で、中学も終えていない保険外交員として、週に50ドルを少し下回る、いちおう基本的な生活費には足りるがそれ以上はほとんど残らない額を稼いでいた。この時点で36歳だった私の母親は、若いころ教員養成大学に進みたかったものの家に余裕がなくて果たせず、高校を出ると会社秘書となって自宅から通勤し、結婚してからは毎週金曜に父から渡される給料で、もろもろの家事をてきぱきとこなす有能さで上手にやりくりし、大恐慌のどん底の時期にも私たち子供に貧乏な思いをさせなかった。兄のサンディは画才にかけては神童と言っていい12歳の7年生で、私は1年飛び級した3年生、アメリカ中の数百万人の子供と同じく全米一の切手収集家ローズヴェルト大統領に刺激されて収集家の卵となった七歳の子供だった。……」
以上が約1ページ分で、520ページにわたる大著です。柴田元幸さんの訳であり、面白そうな小説なのですが、何しろこのところ忙しく読む暇がありませんでした。また改めてじっくりと読もうと思っています。
「『プロット・アゲンスト・アメリカ』が刊行された2004年といえば、9/11以降のブッシュ政権によるアメリカの理想を踏みにじるふるまいに激しい非難の声が上がった時期であり、この小説で述べられるヒトラー、リンドバーグへの脅威をジョージ・W・ブッシュとその側近の横暴に重ねあわせた読者も多かった(白状すれば、僕も初読時はそうだった)。だがロス本人は、この本は二十一世紀のアメリカを寓話的に語ったものではなく、あくまで1940年代初頭のアメリカ自体に対する純粋な興味に導かれて書いたものだと主張している(もっとも、文学作品の『意味』が社会的文脈によってさまざまに読み換えられていくという事実はロスも認めているが)。いずれにせよ、ブッシュの横暴自体は━━それが残した傷跡はともかく━━ひとまず過去のものとなったいまも、この作品の持つ衝撃力がいささかも失われていないことは、校正刷りを読み進めるなかで十分確認できた。
1933年に生まれ、59年に『さようなら コロンバス』で本格デビューして以来、半世紀以上に及ぶキャリアを通して旺盛な創作活動を続けてきた作家ロスは、アメリカでもっとも権威ある文学叢書シリーズ〈ライブラリー・オブ・アメリカ〉に存命中に作品が収録された3人目の作家となった。いまやまさしくアメリカ文壇の大御所的存在である。そのキャリアの最盛期を強いて挙げるなら、『アメリカン・スパイラル』(1997)、『ヒューマン・ステイン』(2000)などの非常に濃密な本格長篇を立て続けに4冊発表した1995年から2000年あたりということにおそらくなるだろうが、この『プロット・アゲンスト・アメリカ』もその最盛期にひけをとらない力強さを持つ一冊だと思う。
ほかの〈ロス本〉との関係でいえば、『父の遺産』で語られたフィリップの両親ハーマン、エリザベスの人生のいわば『前日談』(の改変)としてもこの本は読める。『父の遺産』においては長い人生を逞しく生きてきたことを讃えられる父ハーマンが、この前日談では、まさに男盛りの時期であるにもかかわらず、ファシズムの浸透によってじわじわとその威厳を剝ぎとられていく。そうした展開は、『父の遺産』を念頭におくといっそう切実さを増す。2冊の〈ロス本〉をあわせてお読みいただければと思う。(後略)」
次に目次を書き写しておくと、
1 1940年6月━━1940年10月
リンドバーグに一票か、戦争に一票か
2 1940年11月━━1940年6月
大口叩きのユダヤ人
3 1941年6月━━1941年12月
キリスト教徒のあとについて
4 1942年1月━━1942年2月
切株
5 1942年3月━━1942年6月
いままで一度も
6 1942年5月━━1942年6月
あの連中の国
7 1942年6月━━1942年10月
ウィンチェル暴動
8 1942年10月
暗い日々
9 1942年10月
終わらない恐怖
と、なっています。
ちなみに冒頭の部分を書き写してみると、
「恐怖が、絶えまない恐怖が、ここに綴る記憶を覆っている。むろん恐れのない子供時代などありえないが、もしリンドバーグが大統領にならなかったら、あるいは自分がユダヤ人の子孫でなかったら、私はあそこまで怯えた子供だっただろうか。
1940年6月、最初の衝撃が訪れた。アメリカが世界に誇る英雄飛行士チャールズ・A・リンドバーグが、フィラデルフィア共和党大会において大統領候補に指名されたのだ。当時私の父親は39歳で、中学も終えていない保険外交員として、週に50ドルを少し下回る、いちおう基本的な生活費には足りるがそれ以上はほとんど残らない額を稼いでいた。この時点で36歳だった私の母親は、若いころ教員養成大学に進みたかったものの家に余裕がなくて果たせず、高校を出ると会社秘書となって自宅から通勤し、結婚してからは毎週金曜に父から渡される給料で、もろもろの家事をてきぱきとこなす有能さで上手にやりくりし、大恐慌のどん底の時期にも私たち子供に貧乏な思いをさせなかった。兄のサンディは画才にかけては神童と言っていい12歳の7年生で、私は1年飛び級した3年生、アメリカ中の数百万人の子供と同じく全米一の切手収集家ローズヴェルト大統領に刺激されて収集家の卵となった七歳の子供だった。……」
以上が約1ページ分で、520ページにわたる大著です。柴田元幸さんの訳であり、面白そうな小説なのですが、何しろこのところ忙しく読む暇がありませんでした。また改めてじっくりと読もうと思っています。
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