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シャーロット・パーキンズ・ギルマン『黄色い壁紙』

2012-02-25 10:05:00 | ノンジャンル
 岡野宏文さんと豊崎由美さんの共著『読まずに小説書けますか』の150ページで紹介されていた、シャーロット・パーキンズ・ギルマンの1892年作の短編『黄色い壁紙』(『淑やかな悪夢 英米女流怪談集』に所収)を読みました。
 ジョンとわたしは由緒正しく、夏の休暇にうってつけの家を見つけた。植民地風の邸、世襲の地所、最高に美しいところで、近くの村からも3マイルはゆうに離れている。わたしは自分が神経の病気にかかっていると思っているが、信仰や迷信には我慢できない医者である夫は、それを信じようとしない。
 夫はわたしのためにここへ来たと言い、良い空気を好きなだけ吸い込めるために、わたしたちは階上の子供部屋を使うことにした。その部屋の壁紙の模様は目で追っているうちにわたしを混乱させ、疲れさせ、ほぼ確実に気持ちを苛立たせる。色はくすんだ、不潔な感じの黄色で、胸が悪くなるようだ。
 ジョンは壁紙を気にしないようにならなければだめだと言う。また強い想像力と物語を空想する癖を備えた弱い神経は、過度の興奮をともなう様々な空想に走るきらいがあるとも言う。
 しかし壁紙には繰り返し現れる模様がある。それは夕方の光、ランプの光、最悪なのは月の光なのだけれど、夜にはどんな光の下でも、模様は鉄格子に変わる。わたしが言っているのは、表面の模様のことだ。そしてその向こうにいる女は、やがてものすごくはっきり見えるようになる。太陽の光の下では彼女はおとなしくさせられている。模様が彼女をそんなふうに静かにさせているのだと思う。それは不思議で、わたしは何時間も静かにそのことについて考える。
 やがてわたしは夜あまり眠らなくなった。模様の成行きが気になって眼が離せなかった。壁紙にはとても妙な特徴がひとつある。ずっと下、床に近いあたり、そこに筋があって、その筋は部屋をぐるりと回っている。何度も何度もこすったみたいな筋だ。
 そしてわたしはついに発見した。夜、ずっと監視していると、変わるのが判るのだ。表面の模様は動く―それもそのはずだ、向こうの女が揺らしているのだ。女たちはいつも模様を通り抜けようとしている。でも誰も通り抜けられない。
 昼間、女が外に出ているのをわたしは見た。どの窓からも女が見える。いつも同じ女で、なぜなら彼女はいつも這っているからだ。
 もし外側の模様を内側の模様から引き離すことができたなら。わたしは休暇の最後の日に夫が外出したことをいいことに、ドアに鍵をかけてから、その鍵を邸の前の小径に向かって放りなげると、ついに手が届くかぎりの壁紙をぜんぶ引き剥がした。窓の外には女がいっぱい這っている。けどわたしはうまく隠しておいたロープで今しっかりと体を固定している。だから、わたしを外の道に連れだすことをあなたはできない。夜が来れば、わたしは模様の後ろに戻らなければならないだろう。外を這う人は土の上を這わなければならない。でもここだったら床の上を楽に這うことができる。それにわたしの方は部屋の壁をぐるりと回る長い筋とちょうど同じ高さだ。だから迷わず進める。
 なぜだろう。ジョンがドアの向こうにいる。わたしに教えられて鍵を拾ってきた彼は、わたしが「やっと外に出られたの。もう壁紙はほとんど剥ぎとったから、もう戻そうとしてもだめよ」と言うと、気を失った。ちょうどわたしの通り道をふさぐ壁際のところに倒れたので、わたしはその場所にくるたびに、かれの体を乗りこえなければならなかった。

 最後近くになると主観と客観が混然となっていくという希有な小説でした。本を読みながら実際にイメージを膨らませられれば、より楽しめると思います。

→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/

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