恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず去年の12月30日に掲載された「言い訳の仕方」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「誰しも失敗はするし失敗したら言い訳をしたくなる。そんな時、役に立つ年末の言い訳集。
会食とは食事をしながら会話を楽しむ集まりのこと。だが五人以上の会食は控えよとのお達しが出ている今、会食もなかなかままならない。そこで使えるこの一言。
「会食などはしていない。ただそこで、その時間に出会っただけ」(二階俊博自民党幹事長)
たまたま場所がステーキ屋で、八人でも九人でも、たまたま出会ったふりをする。配偶者や恋人に対する浮氣の言い訳にも応用可能。「密会ではない。ただそこで、その時間に出会っただけ」。相手の失笑を買いたい方はぜひどうぞ。会食についてはこんな言い訳も。
「会食ではなく『自由参加の食事』」(埼玉県議会の自民党県議)
「コロナ禍で苦しい旅館を助けるために中止しなかった」(愛知県西尾市の市議会議員)
現金の授受を追及された人も言い訳してたね。
「現金は配布したが、買収の意図はない」(河井克行元法相)
「確かに受け取ったが、賄賂性はない」(吉川貴盛農相)
行為は認めるが、熟語は拒絶する。このはぐらかし方の原典はこちら。
「幅広く募ってはいたが、募集はしていない」(安倍晋三前首相)
そして今年もバカバカしく暮れてゆく。来年はもう少しマシな言葉を聞きたい。」
そして、1月6日に掲載された「旧著も新著も」と題された斎藤さんのコラム。
「はからずもカミュ『ペスト』がベストセラーになった2020年。が、感染症文学の旧著は内外ともに意外に多い。
17年の直木賞候補になった澤田瞳子(とうこ)『火定(かじょう)』(PHP文芸文庫)は奈良時代の天然痘の流行(737年)をモチーフにした歴史医療小説だ。
遣新羅使から都全体に広がったと噂(うわさ)される、高熱と疱疹(ほうしん)をともなう謎の病。物語は、貧しい人々の救済施設・施薬院と悲田院を主な舞台に進行する。なすすべもなく死んでゆく人々を前に施薬院のベテラン医師は官人の病院・典薬寮に応援を要請するも、官の対応は冷たかった。恐怖にかられた人々の憎悪はやがて外国人狩りに向かう。
一方、11年に刊行された海堂尊『ナニワ・モンスター』(新潮文庫)の舞台は09年。浪速府で見つかった「新型インフルエンザ・キャメル」が巻き起こす騒動を描いている。キャメルは致死率の低い弱毒性のウイルスだったが、報道が過熱し、浪速府は経済封鎖に追い込まれる。はたしてその背後には霞が関の陰謀が渦巻いていた。
どんな感染症文学も今読むと身にしみることしきり。20年7月に刊行された海堂尊『コロナ黙示録』(宝島社)では、昨年冬の北海道とクルーズ船「ダイヤモンド・ダスト号」への対応をめぐって「安保政権」が徹底的に揶揄(やゆ)される。政府の無策が招く悲劇。さて現実は……。」
また、1月3日に掲載された「今年こそは」と題された前川さんのコラム。
「思えば悪夢の八年だった。時代を八十年も昔に戻そうとする人たちが政治権力を握り、学校に教育勅語を持ちこもうとしたり、自己抑制や自己犠牲、全体への奉仕や親と祖父母への敬愛を押しつける道徳教育を教科化したり、大日本帝国の侵略戦争や植民地支配や人道に反する残虐行為をなかったことにする歴史教育を推進したりした。
権力者は国政を私物化し、官僚組織は権力者の下僕になり下がり、戦争放棄、罪刑法定主義、国民の知る権利、表現の自由、学問の自由、三権分立といった憲法原則に反する政治がまかり通った。首相が数え切れない虚偽答弁を行い、それを覆い隠すために官僚も虚偽答弁をした。あったことをなかったことにする文書の改竄(かいざん)や放棄、黒を白と言いくるめる詭弁(きべん)も横行した。
新型コロナウイルスに対しては、科学的根拠のない場当たり的な対策が続き、アベノマスクに何百億円もの税金が無駄遣いされ、全国一斉休校が子どもたちに災難を与え、GoToキャンペーンの中で第三波の感染爆発を招いた。失業者、廃業者、路上生活者、自殺者が増え続けているのに株価だけは上がる異常さ。
これが悪夢でなくて何だろう。今年こそは、この悪夢を振り払い、真っ当な政治、真っ当な生活を取り戻す年にしたい。みんながそうしたいと思えば、そうなる。」
どの文章も説得力のある文章だと思います。
→「Nature Life」(表紙が重いので、最初に開く際には表示されるまで少し時間がかかるかもしれません(^^;))(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
→FACEBOOK(名前を入れて、FACEBOOKに登録しておけば、ご覧になれます)(https://www.facebook.com/profile.php?id=100005952271135)
まず去年の12月30日に掲載された「言い訳の仕方」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「誰しも失敗はするし失敗したら言い訳をしたくなる。そんな時、役に立つ年末の言い訳集。
会食とは食事をしながら会話を楽しむ集まりのこと。だが五人以上の会食は控えよとのお達しが出ている今、会食もなかなかままならない。そこで使えるこの一言。
「会食などはしていない。ただそこで、その時間に出会っただけ」(二階俊博自民党幹事長)
たまたま場所がステーキ屋で、八人でも九人でも、たまたま出会ったふりをする。配偶者や恋人に対する浮氣の言い訳にも応用可能。「密会ではない。ただそこで、その時間に出会っただけ」。相手の失笑を買いたい方はぜひどうぞ。会食についてはこんな言い訳も。
「会食ではなく『自由参加の食事』」(埼玉県議会の自民党県議)
「コロナ禍で苦しい旅館を助けるために中止しなかった」(愛知県西尾市の市議会議員)
現金の授受を追及された人も言い訳してたね。
「現金は配布したが、買収の意図はない」(河井克行元法相)
「確かに受け取ったが、賄賂性はない」(吉川貴盛農相)
行為は認めるが、熟語は拒絶する。このはぐらかし方の原典はこちら。
「幅広く募ってはいたが、募集はしていない」(安倍晋三前首相)
そして今年もバカバカしく暮れてゆく。来年はもう少しマシな言葉を聞きたい。」
そして、1月6日に掲載された「旧著も新著も」と題された斎藤さんのコラム。
「はからずもカミュ『ペスト』がベストセラーになった2020年。が、感染症文学の旧著は内外ともに意外に多い。
17年の直木賞候補になった澤田瞳子(とうこ)『火定(かじょう)』(PHP文芸文庫)は奈良時代の天然痘の流行(737年)をモチーフにした歴史医療小説だ。
遣新羅使から都全体に広がったと噂(うわさ)される、高熱と疱疹(ほうしん)をともなう謎の病。物語は、貧しい人々の救済施設・施薬院と悲田院を主な舞台に進行する。なすすべもなく死んでゆく人々を前に施薬院のベテラン医師は官人の病院・典薬寮に応援を要請するも、官の対応は冷たかった。恐怖にかられた人々の憎悪はやがて外国人狩りに向かう。
一方、11年に刊行された海堂尊『ナニワ・モンスター』(新潮文庫)の舞台は09年。浪速府で見つかった「新型インフルエンザ・キャメル」が巻き起こす騒動を描いている。キャメルは致死率の低い弱毒性のウイルスだったが、報道が過熱し、浪速府は経済封鎖に追い込まれる。はたしてその背後には霞が関の陰謀が渦巻いていた。
どんな感染症文学も今読むと身にしみることしきり。20年7月に刊行された海堂尊『コロナ黙示録』(宝島社)では、昨年冬の北海道とクルーズ船「ダイヤモンド・ダスト号」への対応をめぐって「安保政権」が徹底的に揶揄(やゆ)される。政府の無策が招く悲劇。さて現実は……。」
また、1月3日に掲載された「今年こそは」と題された前川さんのコラム。
「思えば悪夢の八年だった。時代を八十年も昔に戻そうとする人たちが政治権力を握り、学校に教育勅語を持ちこもうとしたり、自己抑制や自己犠牲、全体への奉仕や親と祖父母への敬愛を押しつける道徳教育を教科化したり、大日本帝国の侵略戦争や植民地支配や人道に反する残虐行為をなかったことにする歴史教育を推進したりした。
権力者は国政を私物化し、官僚組織は権力者の下僕になり下がり、戦争放棄、罪刑法定主義、国民の知る権利、表現の自由、学問の自由、三権分立といった憲法原則に反する政治がまかり通った。首相が数え切れない虚偽答弁を行い、それを覆い隠すために官僚も虚偽答弁をした。あったことをなかったことにする文書の改竄(かいざん)や放棄、黒を白と言いくるめる詭弁(きべん)も横行した。
新型コロナウイルスに対しては、科学的根拠のない場当たり的な対策が続き、アベノマスクに何百億円もの税金が無駄遣いされ、全国一斉休校が子どもたちに災難を与え、GoToキャンペーンの中で第三波の感染爆発を招いた。失業者、廃業者、路上生活者、自殺者が増え続けているのに株価だけは上がる異常さ。
これが悪夢でなくて何だろう。今年こそは、この悪夢を振り払い、真っ当な政治、真っ当な生活を取り戻す年にしたい。みんながそうしたいと思えば、そうなる。」
どの文章も説得力のある文章だと思います。
→「Nature Life」(表紙が重いので、最初に開く際には表示されるまで少し時間がかかるかもしれません(^^;))(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
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