川上未映子さんの2019年作品『夏物語』を読みました。
「第一部 2008年夏」
1 あなた、貧乏人?
その人が、どれくらい貧乏だったかを知りたいときは、育った家の窓の数を尋ねるのがてっとりばやい。(中略)
だから貧乏人について話がしたいと思ったり、貧乏について実際に話をすることができるのは、やっぱり貧乏人だけだということになる。現在形の貧乏人か、過去に貧乏だった人。そしてわたしはその両方。生まれたときから貧乏で、今もまだまだ貧乏人。
そんなふうなことをぼおっと思いだしたり考えたりしたのは、目の前に座っている女の子のせいかもしれない。(中略)
そういえば彼女は荷物を何ももっていない。(中略)
見ているうちに、席を立って女の子のまえに移動して、何でもいいから話しかけなければならないような気がしてくる。(中略)
腕時計を見るとちょうど午前十二時。ぴくりともしない夏のてっぺんの暑さを横断するように電車はゆき、つぎは神田だというくぐもったアナウンスの声がする。(中略)
東京駅に着いて改札を出ると、どこから来るのかどこへ行くのか、信じられないくらいの人混みに思わず足が止まってしまう。(中略)
高校時代に古着屋でずいぶん迷って買った馬鹿みたいに丈夫で大きなリュックに(これは今でもわたしの一軍だ)、(中略)お守り代わりなのか何なのか、片時も体から離したくなかった大事な作家の本を十冊近く背中にかついで、わたしは東京にやってきた。あれから十年。2008年現在。三十歳のわたしは、二十歳のわたしが何となくでも想像していた未来にいるかというと、たぶんまったくそうではない。(中略)
時計を見ると、十二時十五分。結局わたしは待ちあわせの時間より十五分早く着いて、ひんやりした石のぶあつい円柱にもたえて人の行き来を見つめていた。(中略)
わたしはバッグから電話をとりだして、巻子からメールも着信も届いていないことを確かめた。となれば巻子たちは大阪から無事、予定通りの時刻に新幹線に乗って、あと五分もすれば東京駅に着くはずだった。(中略)
〇 卵子にはなぜ、子という字がつくのかというと、それは、精子、に子という字がついているから、それにあわせただけなのです。(中略)
緑子
今日、大阪からやってくる巻子はわたしの姉で、私よりも九歳年うえの三十九歳。緑子というもうすぐ十二歳になる娘がいる。二十七歳のときに産んだ緑子を、巻子はひとりで育てている。(中略)
巻子が夫と別れた理由は今もよくわからない。(中略)
わたしたちはもともと父親と母親と四人で、小さなビルの三階部分に住んでいた。
六畳と四畳がひとつづきになった小さな部屋。(中略)数分も歩けば海が見える港町。(中略)
たった七年足らずしか一緒に暮らさなかった父親は、子どもながらに背が小さいとわかる、まるで小学生のような体躯(たいく)をした小男だった。
働かず、朝も夜も関係なく寝て暮らし、コミばあは━━わたしたちの母方の祖母は、娘に苦労ばかりさせる父親のことを憎み、陰で“もぐら”と呼んでいた。(中略)機嫌が悪くなるととつぜん怒鳴り、たまに酒を飲むと癇癪を起こして母親を殴ることがあった。(中略)
ある日、学校から帰ると父親がいなかった。(中略)そしてさらに一ヶ月が過ぎたある真夜中に、わたしと巻子は「起きや起きや」と暗がりでもせっぱつまった表情をしているのがわかる母親にゆり起こされてタクシーに乗せられ、そのまま家を逃げだしたのだ。(中略)わたしはランドセルが好きだった。(中略)
でも、わたしはそれを残してきてしまった。(中略)
そんなふうに夜逃げ同然で転がりこんでそのまま始まったコミばあとの四人の生活は、しかし長くは続かなかった。わたしが十五歳のときにコミばあが死に、母はその二年まえ、私が十三歳のときに死んでしまった。
突然ふたりきりになったわたしたちは、仏壇の奥に見つけたコミばあの八万円をお守りとして、そこから働き倒して生きてきた。(中略)巻子は(中略)高校を卒業して数年後には正社員に昇格して、あとは店が潰れるまで働いた。それから妊娠し、緑子を産み、いろんなパートを転々として、三十九歳の今も週五でスナックで働いている。(中略)
(中略)
緑子が、巻子と口をきかなくなってから半年がたつ。(中略)どれだけ丁寧に、巻子があの手この手でその理由を訊きだそうとしても、緑子は頑として答えようとしなかった。
(中略)
(中略)純ちゃんに生理がきたことをわたしが知っているのんはわたしが純ちゃんからきいたからやけど、でも、考えたら、わたしがまだ生理になってないってことがなんで生理組の子らのわらるんかなぞ。(中略)
緑子
(明日へ続きます……)
「第一部 2008年夏」
1 あなた、貧乏人?
その人が、どれくらい貧乏だったかを知りたいときは、育った家の窓の数を尋ねるのがてっとりばやい。(中略)
だから貧乏人について話がしたいと思ったり、貧乏について実際に話をすることができるのは、やっぱり貧乏人だけだということになる。現在形の貧乏人か、過去に貧乏だった人。そしてわたしはその両方。生まれたときから貧乏で、今もまだまだ貧乏人。
そんなふうなことをぼおっと思いだしたり考えたりしたのは、目の前に座っている女の子のせいかもしれない。(中略)
そういえば彼女は荷物を何ももっていない。(中略)
見ているうちに、席を立って女の子のまえに移動して、何でもいいから話しかけなければならないような気がしてくる。(中略)
腕時計を見るとちょうど午前十二時。ぴくりともしない夏のてっぺんの暑さを横断するように電車はゆき、つぎは神田だというくぐもったアナウンスの声がする。(中略)
東京駅に着いて改札を出ると、どこから来るのかどこへ行くのか、信じられないくらいの人混みに思わず足が止まってしまう。(中略)
高校時代に古着屋でずいぶん迷って買った馬鹿みたいに丈夫で大きなリュックに(これは今でもわたしの一軍だ)、(中略)お守り代わりなのか何なのか、片時も体から離したくなかった大事な作家の本を十冊近く背中にかついで、わたしは東京にやってきた。あれから十年。2008年現在。三十歳のわたしは、二十歳のわたしが何となくでも想像していた未来にいるかというと、たぶんまったくそうではない。(中略)
時計を見ると、十二時十五分。結局わたしは待ちあわせの時間より十五分早く着いて、ひんやりした石のぶあつい円柱にもたえて人の行き来を見つめていた。(中略)
わたしはバッグから電話をとりだして、巻子からメールも着信も届いていないことを確かめた。となれば巻子たちは大阪から無事、予定通りの時刻に新幹線に乗って、あと五分もすれば東京駅に着くはずだった。(中略)
〇 卵子にはなぜ、子という字がつくのかというと、それは、精子、に子という字がついているから、それにあわせただけなのです。(中略)
緑子
今日、大阪からやってくる巻子はわたしの姉で、私よりも九歳年うえの三十九歳。緑子というもうすぐ十二歳になる娘がいる。二十七歳のときに産んだ緑子を、巻子はひとりで育てている。(中略)
巻子が夫と別れた理由は今もよくわからない。(中略)
わたしたちはもともと父親と母親と四人で、小さなビルの三階部分に住んでいた。
六畳と四畳がひとつづきになった小さな部屋。(中略)数分も歩けば海が見える港町。(中略)
たった七年足らずしか一緒に暮らさなかった父親は、子どもながらに背が小さいとわかる、まるで小学生のような体躯(たいく)をした小男だった。
働かず、朝も夜も関係なく寝て暮らし、コミばあは━━わたしたちの母方の祖母は、娘に苦労ばかりさせる父親のことを憎み、陰で“もぐら”と呼んでいた。(中略)機嫌が悪くなるととつぜん怒鳴り、たまに酒を飲むと癇癪を起こして母親を殴ることがあった。(中略)
ある日、学校から帰ると父親がいなかった。(中略)そしてさらに一ヶ月が過ぎたある真夜中に、わたしと巻子は「起きや起きや」と暗がりでもせっぱつまった表情をしているのがわかる母親にゆり起こされてタクシーに乗せられ、そのまま家を逃げだしたのだ。(中略)わたしはランドセルが好きだった。(中略)
でも、わたしはそれを残してきてしまった。(中略)
そんなふうに夜逃げ同然で転がりこんでそのまま始まったコミばあとの四人の生活は、しかし長くは続かなかった。わたしが十五歳のときにコミばあが死に、母はその二年まえ、私が十三歳のときに死んでしまった。
突然ふたりきりになったわたしたちは、仏壇の奥に見つけたコミばあの八万円をお守りとして、そこから働き倒して生きてきた。(中略)巻子は(中略)高校を卒業して数年後には正社員に昇格して、あとは店が潰れるまで働いた。それから妊娠し、緑子を産み、いろんなパートを転々として、三十九歳の今も週五でスナックで働いている。(中略)
(中略)
緑子が、巻子と口をきかなくなってから半年がたつ。(中略)どれだけ丁寧に、巻子があの手この手でその理由を訊きだそうとしても、緑子は頑として答えようとしなかった。
(中略)
(中略)純ちゃんに生理がきたことをわたしが知っているのんはわたしが純ちゃんからきいたからやけど、でも、考えたら、わたしがまだ生理になってないってことがなんで生理組の子らのわらるんかなぞ。(中略)
緑子
(明日へ続きます……)