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美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

『竹田の子守唄』は世界水準の名曲である  (イザ!ブログ 2012・7・1 掲載分)

2013年11月22日 05時08分21秒 | 音楽
一九六〇年代前半、アメリカのサイモンとガーファンクルはイギリスや南米の民謡を取り上げ、『スカボロ・フェア』や『コンドルは飛んでいく』を歌いました。六〇年代後半に、今度はイギリスのフェアポート・コンベンションやスティーライ・スパンなどが自国やアイルランドの民謡を取り上げ、数々の名曲を生みました。いささか難しい言い方をすれば、近代という普遍性を追求する運動は、エスニシティへの回帰の衝動を不可避的に招来するということなのでしょう。

その世界的な波が日本にも伝わり、フォーク・グループの赤い鳥が、京都の竹田地区に伝わる伝承曲に着目し取り上げて歌い始めました。それが、『竹田の子守唄』。一九六九年十一月「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に彼らは関西・四国地区代表として出場し、この曲を歌ってフォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、さらには他部門の優勝グループを抑え、グランプリをも獲得しました。

ちなみに、この時、オフコース(当時は「ジ・オフ・コース」)やチューリップ(当時は「ザ・フォー・シンガーズ」)も同コンテストに出場していました。財津和夫はオフコースを聴いて「負けた」と思い、オフコースの小田和正は赤い鳥を聴いて「負けた」と思ったというのは有名な話。そういう伝説が残るほどに、『竹田の子守歌』でのメイン・ヴォーカル山本潤子(当時は、新居潤子)さんの歌声が素晴らしかったということでしょう。

レコード会社側の「売らんかな」の皮相的な思惑で、歌詞の意味が分かりにくいと判断され、同じメロディに違う歌詞を載せて『人生』として一九七〇年に発売されたものの、さっぱり売れなかったそうです。それで、元の歌詞に戻して一九七一年に発売し直されたところ、爆発的に売れミリオン・セラーを記録しました。

この曲の歌詞は、次の通りです。

守りもいやがる
ぼんからさきにゃ
雪もちらつく
子も泣くし

盆が来たとて
何うれしかろ
かたびらはなし
帯はなし

この子よう泣く
守をばいじる
守も一日
やせるやら

はよもゆきたや
この在所こえて
むこうに見えるは
親のうち
むこうに見えるは
親のうち

戦前の日本の貧しい家では、10歳前後の娘さんたちが口減らしのために奉公に出されるのはごく一般的なことでした。この曲は、奉公先で子守をしている娘さんが、泣きやまない赤ん坊に手こずって困り果てている様を娘さんの立場から歌ったものです。

歌詞の内容についてちょっとだけ説明しておきましょう。

子守をしている娘さんは、なぜお盆以降を嫌がっているのでしょう。それは、やらなければいけないことが増えて忙しくなるからです。10歳前後の娘さんにとって、忙しくなることは、こき使われることを意味します。こき使われることは、奉公先のご主人や奥さんからお小言をたくさん頂戴することを意味します。それを思うと切なくなってきます。そうなると、ホーム・シックが募っても来ます。10歳前後と言えば、まだ親に甘えたい盛りです。当時の娘さんたちの真情が、歌詞とメロディとから切々と聴く者に伝わってきます。

「かたびら(帷子)はなし、おび(帯)はなし」というのは、どんな年中行事があっても、自分は、縄や紐でしばった着物一枚しかないので気分が晴れないと嘆いているのでしょう。オシャレが第二の本能と化している女の子にとって、こういうことの辛さは身に堪えるのではないでしょうか。

「いじる」は、いじめるという意味のようです。赤ん坊が泣き止んでくれないと、しっかりと子守をしていないじゃないかと、奥さんから叱られたりするので、赤ちゃんが私をいじめると言っているのでしょう。

「在所」。この一語があることで、この名曲は不幸な運命をたどることになりました。この語に京都では「被差別」の意味があるというのです。竹田が京都の伏見区に実在する被差別の所在地であることも不運な巡り合わせでした。(赤い鳥のメンバーは、そういう事情を当時全く知らなかったそうです)それで、各テレビ局が一斉にこの曲の放送を自主的に控えるようになったのです。放送禁止のリストに一度も載ったことがないのに、事実上放送禁止歌扱いをされ続けてきた。そんな馬鹿げたことが、つい最近まで続きました。

この曲の美しさに純粋に惚れ込み、心を込めて歌い続けた赤い鳥のメンバーは、そのような、事態の意外な展開に深く傷ついたことでしょう。ましてや、差別を助長するような内容はこの曲に一切ないのですから、やりきれない思いが募ったことでしょう。一九七四年という比較的早い段階でグループが解散していることに、彼らの、『竹田の子守歌』をめぐる複雑な思いが濃い影を落としているような気がします。

しかし、少なくともメイン・ボーカルの山本潤子さんにとって、この曲をめぐる30年間の理不尽な歴史は無駄ではなかったようです。「この美しい曲がなぜそんな理不尽な目に遭わなければならないのか」という想いが、彼女をこの曲の本質への深い理解に導いたことを、私たちは、彼女の歌声からうかがうことができるからです。

若いころに赤い鳥で歌ったころの彼女の歌声が素晴らしいのは論を俟ちません。しかし、数十年の歳月を経た彼女の歌声は、奥深さとしか形容のしようがないものが際立っているように感じられます。いまここで歌っていることと、はるか彼方から木霊が響くように歌っていることとが同時進行しているので、聴く者に名状し難い感情が湧き起ってくるのです。神がかり、という言葉がふさわしい気さえもしてくるほどに。そういう、言語化するのに困難を感じるほどの迫力は、昔の彼女の歌声になかったものです。

おそらく、後年の彼女の、ポップス・センスによって洗練された歌声は、日本文化の古層に届いているのでしょう。ここで、日本文化の古層とは、柿本人麻呂が「志貴島の日本(やまと)の國は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」と歌い上げた、言霊の響きの交差する、時空を超えた豊饒な世界のことを指しています。彼女は、知的さかしらによってではなく、一人の感覚の鋭い表現者の直観によって、その世界に触れ得ているように、私には感じられるのです。だから、私たちは、この曲を聴いて心が本来の場所に戻ったような安堵感を抱くのではないでしょうか。もっとも、本人はそう言われてもポカンとするとは思いますけれど。

アメリカで犬畜生扱いをされ続けてきた黒人のやりきれなさを表現したフィールド・ハラー(労働歌)や黒人霊歌からブルースやジャズが生まれたように、日本の伝統社会で一番弱い立場である被差別の10歳前後の娘さんたちのやりきれない切なさを表現した子守歌から『竹田の子守歌』が生まれました。

そのルーツを、後年の山本潤子さんは、長い年月をかけて高度に洗練された感性で掴み直し、日本文化の古層にまで届くこの子守歌のエッセンスを今日に蘇らせたのです。

優れた表現者は、自分のナショナリティやエスニシティを深く掘り下げることによって、世界普遍性を獲得する逆説の果敢な実践者です。

ルイ・アームストロングやビートルズと並んで、『竹田の子守歌』の山本潤子さんは、そのような果敢な実践者の一人であると、私は考えます。『竹田の子守唄』は世界水準の名曲なのです。

60年代の欧米で巻き起こった、民謡へのポップスの接近のムーヴメントは、エスニシティを足がかりにして世界普遍性を獲得しようする表現拡張の試みであったことが、今なら分かります。その試みを、山本潤子さんは今もなお継続している、と見ることもできるでしょう。大した人ですね。

赤い鳥 竹田の子守唄(ライヴ)


*後期の赤い鳥は、2番の歌詞を「久世の大根飯 吉祥の菜飯 またも竹田のもんば飯」と変えています。理由は、分かりません。

山本潤子 竹田の子守唄

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1 コメント

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『竹田の子守唄』再アップ (美津島明)
2014-06-13 05:55:48
you tube から削除されて視聴できない状態だった赤い鳥と山本潤子の『竹田の子守唄』を再アップしました。
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