1990年代から、いわゆるキラキラネームが話題になるようになりました。私は現在は67歳ですが、自分の名前がいまだに嫌で嫌で仕方がありません。両親は熱心なキリスト教徒であったため、聖書の言葉を出典にして付けたのですが、男なのに女の名前にとられてしまうのです。私がまだ小学生の頃、同名の有名な女優がいたためなのでしょうが、女性であると勘違いされ、また「男のくせに・・・・」と冷やかされ、しばしばいじめられました。今でも病院の支払いなどで名前を呼ばれると、すぐには立ち上がれません。しばらくしてからようやく立ち上がることができます。周囲に相談しても、「いい名前じゃないの」と言われるのがおちで、辛いでしょうと同情されたことはありません。
実際に、女性と勘違いしているとしか思えない手紙をもらったり、女性の部屋に割り当てられたり、そんなことが何回もありました。今まで何度親に食ってかかったことか。しかし93歳の母は、今も良い名前を付けたと信じているのです。「辛い思いをさせて悪かったね」とでも言ってくれれば、少しは楽になるのですが、決して言ってはくれません。名前を人前に言わなければならないような時には、この年齢になってもじっと堪えて逃げ出したくなります。私の性格にも大きな悪影響があったことは確かです。この哀しみは、墓場まで持っていくことになるのでしょうね。
今さら改名の手続きをする元気もないので、あと何年生きるかわかりませんが、最後の最後まで我慢するしかないと、もう諦めています。親を親とも思わないということはありませんが、名前に関する限りは、いまだに親に対する恨みは消えません。人前で自分の名前を言ったり、また言われたりすることが涙が出る程に辛いということは、本当に哀しいことです。徹底して親を怨み切れるなら、かえって楽かもしれません。しかしそれはできませんから、板挟みになって苦しむのです。
教職を長年続けていると、キラキラネームの生徒の担任をすることは何度もありました。まずは読めずに苦労します。本人が名前で苦しんでいる場合は、他の生徒の前で名前を呼ばないように気をつかいます。もちろん全く気にしていない生徒もいましたが、私の経験では、何かしら辛い経験をしている生徒の方が多かったと思います。
しかしそれにしてもなぜそのような名前を付ける親がいるのでしょうか。「世界でただ一つの名前」と思っているのでしょう。またキラキラネームを付けることを擁護する意見もたくさん聞きますが、付けられた子供が、将来その名前に誇りをもって生きられるか、辛い経験をして名前を変えたいと思うか、それは名付けた時にはわかりません。
私は長い教職生活で、保護者から3回も教育委員会に名指しで通報され、校長から指導されたことがあります。一回は、沖縄修学旅行で暑い海辺でサングラスをかけていたことを通報されました。教師として相応しくないというのでしょう。二回目は、三者面談で親の前で生徒を敬称抜きで呼んだことでした。三回目は、茶髪の生徒の指導についてでした。三人の生徒の名前はいわゆるきらきらネームでしたが、親を見て納得してしまいました。こういう親だからこそキラキラネームを付けたのだろうということです。よかれと思って付けたのでしょうが、将来のことや広く社会のことなどを考えることなく、自己満足だけで名付けたのでしょう。
きらきらネームの子は、将来は就職や結婚で不利になることがあると言われることが多いのですが、少なくともキラキラネームを平気で付けるような親に育てられた子は、どこかに思慮が足りないことがあるのではと思われてしまうということに、私は自分の経験をもとに納得してしまうのです。人を名前で差別してはいけないことはもちろんです。しかし自分がキラキラネームで辛い辛い少年時代を過ごしたこともあって、キラキラネームの生徒と接する時は、その生徒の親を警戒してしまいます。生徒を差別はしませんが、生徒の背後にはそのような親がいると思うと、警戒はしてしまうのです。
入社試験で、名前のために不合格にすることは、法律違反ではありません。また不合格にした理由を言わなくても、全く問題はありません。まあ学校で差別することは許されませんが、入社試験で差別されても、それは違法ではありません。もし私が社長だったら、キラキラネームの受験生は、それだけで不合格にはしないでしょうが、間違いなく一瞬は躊躇し、以後は警戒し続けることでしょうね。きらきらネームの営業マンから名詞を差し出されたら、一瞬ぎくっとして、「この人は辛い思いをしたのではないか」と思ってしまうと同時に、差別ではなくとも警戒はしてしまうでしょう。
子供にキラキラネームを付けようかと迷っている親にお願いです。絶対に自己満足で付けないで下さい。もちろん付けられて喜ぶ子もいることでしょう。しかしそうでない子も少なくないのです。少年時代にどれ程悲しい思いをしたか、親は全くわかってくれませんでした。人の人格形成にまで悪影響を及ぼしかねません。どれ程親を恨んだことかわかりません。子供は親から独立した人格なのです。
実際に、女性と勘違いしているとしか思えない手紙をもらったり、女性の部屋に割り当てられたり、そんなことが何回もありました。今まで何度親に食ってかかったことか。しかし93歳の母は、今も良い名前を付けたと信じているのです。「辛い思いをさせて悪かったね」とでも言ってくれれば、少しは楽になるのですが、決して言ってはくれません。名前を人前に言わなければならないような時には、この年齢になってもじっと堪えて逃げ出したくなります。私の性格にも大きな悪影響があったことは確かです。この哀しみは、墓場まで持っていくことになるのでしょうね。
今さら改名の手続きをする元気もないので、あと何年生きるかわかりませんが、最後の最後まで我慢するしかないと、もう諦めています。親を親とも思わないということはありませんが、名前に関する限りは、いまだに親に対する恨みは消えません。人前で自分の名前を言ったり、また言われたりすることが涙が出る程に辛いということは、本当に哀しいことです。徹底して親を怨み切れるなら、かえって楽かもしれません。しかしそれはできませんから、板挟みになって苦しむのです。
教職を長年続けていると、キラキラネームの生徒の担任をすることは何度もありました。まずは読めずに苦労します。本人が名前で苦しんでいる場合は、他の生徒の前で名前を呼ばないように気をつかいます。もちろん全く気にしていない生徒もいましたが、私の経験では、何かしら辛い経験をしている生徒の方が多かったと思います。
しかしそれにしてもなぜそのような名前を付ける親がいるのでしょうか。「世界でただ一つの名前」と思っているのでしょう。またキラキラネームを付けることを擁護する意見もたくさん聞きますが、付けられた子供が、将来その名前に誇りをもって生きられるか、辛い経験をして名前を変えたいと思うか、それは名付けた時にはわかりません。
私は長い教職生活で、保護者から3回も教育委員会に名指しで通報され、校長から指導されたことがあります。一回は、沖縄修学旅行で暑い海辺でサングラスをかけていたことを通報されました。教師として相応しくないというのでしょう。二回目は、三者面談で親の前で生徒を敬称抜きで呼んだことでした。三回目は、茶髪の生徒の指導についてでした。三人の生徒の名前はいわゆるきらきらネームでしたが、親を見て納得してしまいました。こういう親だからこそキラキラネームを付けたのだろうということです。よかれと思って付けたのでしょうが、将来のことや広く社会のことなどを考えることなく、自己満足だけで名付けたのでしょう。
きらきらネームの子は、将来は就職や結婚で不利になることがあると言われることが多いのですが、少なくともキラキラネームを平気で付けるような親に育てられた子は、どこかに思慮が足りないことがあるのではと思われてしまうということに、私は自分の経験をもとに納得してしまうのです。人を名前で差別してはいけないことはもちろんです。しかし自分がキラキラネームで辛い辛い少年時代を過ごしたこともあって、キラキラネームの生徒と接する時は、その生徒の親を警戒してしまいます。生徒を差別はしませんが、生徒の背後にはそのような親がいると思うと、警戒はしてしまうのです。
入社試験で、名前のために不合格にすることは、法律違反ではありません。また不合格にした理由を言わなくても、全く問題はありません。まあ学校で差別することは許されませんが、入社試験で差別されても、それは違法ではありません。もし私が社長だったら、キラキラネームの受験生は、それだけで不合格にはしないでしょうが、間違いなく一瞬は躊躇し、以後は警戒し続けることでしょうね。きらきらネームの営業マンから名詞を差し出されたら、一瞬ぎくっとして、「この人は辛い思いをしたのではないか」と思ってしまうと同時に、差別ではなくとも警戒はしてしまうでしょう。
子供にキラキラネームを付けようかと迷っている親にお願いです。絶対に自己満足で付けないで下さい。もちろん付けられて喜ぶ子もいることでしょう。しかしそうでない子も少なくないのです。少年時代にどれ程悲しい思いをしたか、親は全くわかってくれませんでした。人の人格形成にまで悪影響を及ぼしかねません。どれ程親を恨んだことかわかりません。子供は親から独立した人格なのです。