マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

副教本(予習と復習)

2011年03月04日 | ハ行
 薄っぺらな教科書を補うため、教育委員会や学校、保護者も加わり、市単位で小中学校の副教本をつくる動きが出ている。

 昨年(2002年)4月の新学習指導要領の実施で、勉強する内容が3割ほど削られた。このままでは学力が十分つかないとして、教科書に沿って、副教本で基本的なことを詳しく説明したり、応用問題を出したりしているのだ。

 愛知県犬山市では、小中学生全員に、昨春から算数・数学を、今春から理科の副教本を配っている。たとえば、小学生の算数用副教本は、カラー印刷を施した50頁ほどの冊子。まるで教科書のようだ。

 もちろん、自分たちでつくるには手間がかかる。市内すべての小中学校の代表者で作成委員会をつくり、子どもの理解を深めるにはどんな内容がいいのか議論を重ねた。夏休みはほとんどつぶれた。ある程度方針が決まったうえで、保護者の意見も聞いて練り直したという。

 同市教委の瀬見井教育長は「子どもが、なぜつまずいているのか、補うのは何か。教師の授業づくりという視点で作った」と話す。同市では、副教本で教える時間を生み出すために、来春から2学期制に切り替え、さらに少人数学級できめ細かく教える。

 同じような試みは千葉県野田市でも始まった。

 地域が保護者も含めて手作りの教材をもとに授業を充実させる。こうしたことをぜひ広げていってほしい。もともと教育の内容は学校が主体的に決めるべきことなのだから。
   (朝日、2003年09月27日。山上浩二郎)

 感想

 予習と復習についての正しい考えが確立していない事も一因ではなかろうか。

 結論を言いますと、第1に、予習は復習の10倍の価値を持つ、ということがはっきりとは認識されていないようです。大学生でも、この考えに異を唱える人がいます。その時、私はこう説明します。

 大学を出るなりして社会人として一人前になるということは、自分で勉強して向上して行けるようになることですが、それは、換言するならば、「原則として、予習だけになる」ということです。

 では学校教育の中でこれはどういう意味を持つでしょうか。これが第2点です。

 生徒の話から推測すると、中学校に入ると先生は「予習、復習」ということを言うそうです。しかし、ただそれだけのようです。これで正しい習慣が身に着くならば先生は要らないでしょう。先生の仕事はこの習慣を身につけさせることです。

 小学校での宿題は、皆、復習の宿題です。授業で説明した事を身につけさせるための練習問題を出すのです。これはほぼ実行されていると思います。後は、本当に適当な問題が出されているかの問題だけです。

 中学校以上では予習の宿題を出さなければなりません。そして、学年が上に成れば成るほど予習の宿題の比重を高くして、復習の宿題のそれを下げて行きます。大学では、語学などを除き、ほぼ予習の宿題だけにするべきです(復習なりより進んだ研究は自分の仕事)。

 さて、これを基準にして現状を見るとどうでしょうか。

 まず、こういう原則を意識して宿題が出されていないというのが根本問題です。そして、第2に、こういう宿題、特に予習に役立つような教科書になっていない、ということです。

 教科書は国の仕事ですから、我々が勝手にはできません。しかし、この教科書の欠陥を補うことは自由に出来ます。費用的にも、ネットの発達した今なら、安くできるはずです。中学や高校の先生が県や市ごとにまとまってネット上に副教本を作ったらどうでしょうか。

 「忙しくてそんな事はできない」という反論が返ってきそうです。しかし、こういうものを作る過程で先生自身が勉強することになります。今までは自分一人でしていたのを他の先生と協力してできます。まとめ役は大変ですが、その仕事は交代制いすれば好いでしょう。

 又、こうして好い副教本が出来れば生徒の態度も学力も上向くと推定されます。そもそもこれが目的です。そうなれば、生徒の態度の指導といった困難な仕事も減るはずです。物事は総合的に考えなければ本当の事は分かりません。

   関連項目

犬山の教育
コメント
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