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新規就農者支援

2011年03月18日 | ナ行
 新規就農者に対して手厚い支援制度を持つ静岡県内には、県外から多くの若者が移住し農業を営んでいる。地元農家が新たな仲間兼ライバルの登場に刺激を受け、地域全体が活性化する効果も出ている。しかし、制度をさらに発展させるには、受け入れ農家の負担軽減が課題となりそうだ。

 青々と茂った葉の合間に、鈴なりになった青や赤のミニトマト。伊豆箱根鉄道の線路沿いにビニールハウスが立ち並んだ一角に、「ニューファーマーとまと農園」(伊豆の国市)の看板が立つ。20棟ほどのハウスは、どれも新規就農者が営んでいる。横付けされた車に軽トラックは見あたらず、鮮やかなカラーのファミリーカーばかりだ。

 中村克彦さん(49)は、県の新規就農者養成制度を使って2004年に就農した。「食べるものを作る仕事って、人間らしい生き方だな」と農業に興味は持っていたが、実家がサラリーマンでは「婿入りするくらいしか方法がない」。農業大学も卒業していたが、あきらめて横浜市の飼料メーカーに就職した。

 それから15年、インターネットで県の養成制度を見つけた。説明会や見学会に足を運び、決意を固めた。

 ベテラン農家のもとで2年間研修し、栽培技術や農業経営のいろはを教わった。翌年から30アールの畑の経営者になったが、農地の確保や資金融資、販売ルートの開拓まで、農家やJAが面倒を見てくれた。「初めから作ることに専念できた。支援がなかったら、今みたいに農業は出来ていないと思う」と振り返る。

 勉強熱心で一生懸命な新規就農者が増えることは、長く農業を続けていた人々にも刺激を与えている。親の代からこの地で農業を営む鈴木金男さん(74)は「若い衆もいいもん作るから、負けんよう頑張らんと」。新規就農者は「よそ者」ではなく、同じ産地を盛り上げる仲間であり、ライバルだという。

 JA伊豆の国の営農事業部によると、新規就農者を本格的に受け入れるようになった2004年から、果菜販売実績(キュウリ、トマト、ミニトマト)は右肩上がりとなり、昨年は10年前の3倍近い約6億円になった。新規就農者による純粋な増加だけではなく、既存農家が刺激を受けて売り上げを伸ばしたと見ている。

 県が全国に先駆けて養成制度を作ったのは1993年。高齢化が進み、休耕地が増え続けるなか、「土地はあるのに耕作する若者がいない」という危機感が背景にあった。現在は計80人が就農し、土地を探すのが大変になってきているほどだという。就農者をサポートする「地域連絡会」も発足させ、JAや受け入れ農家だけでなく、市や農林事務所が連携して60人規模で数人の就農者を支える。

 ただ、制度全体が受け入れ農家に頼り過ぎている感は否めない。技術指導だけでなく農地確保や就農計画まで、受け入れ農家が中心となって面倒を見なければならない。

 県農業振興課は「土地の借り入れは地元で顔が利く人にお願いすることが多い。研修方法もほぼ一任している」と話す。今後も就農地や受け入れ先を増やしたいとしたうえで、個人ではなく産地ごとの受け入れや、技術指導以外を分散して教えるなどの農家の負担軽減策を検討する必要があるという。

 2011年02月26日、焼津市のJAおおいがわのエリアでは、次年度に就農を目指す人たち向けの現地見学会があった。この地域で扱うのはイチゴ。19人が参加し、実際にハウスの中を歩いて苗を見ながら農家の生の声を聞いた。

 宮城県から来た青木圭介さん(33)は静岡県の制度の充実ぶりにひかれたという。「辞める人も多いと聞いて厳しい現実も実感した。それでもやっばり、ハウスを持ちたい」。


新規就農者支援制度

 経験や知識がなくても、農業経営者を志す意欲的な若い世代を応援する制度。栽培指導、農地確保、資金支援、就農計画など多面的に支える。

 静岡県は1993年、全国に先駆けて制度を発足させた。就農希望者は書類と面接選考を通過すると、1年間農家で実践的な研修を受け、その後研修地で町独立を目指す。

(朝日、2011年02月27日。植松佳香)
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