マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

報告と御礼

2011年03月25日 | 読者へ
 浜松市長選に立候補出来ませんでした。選管にその旨を伝えました。

 しかし、全然落胆してはいません。スロースターターの私らしいと思います。思えば、1971年の10月に鶏鳴出版をでっちあげて処女作「労働と社会」を出した時は高揚感と気負いで一杯でした。取次(本の問屋)に運んでくれる車を見送って、地下鉄のお茶の水駅へ向かった時、「地に足がつかない」という感じを初めて味わっていたことを思い出します。「この本で自分も世界も変わるのだ!」と。

 しかし、最初の高揚感にも拘わらず、その後の実績はひどいものでした。全然売れませんでした。ですから、初めて郵便振り込みでの註文を受けた時は驚きもしましたし、嬉しくもありました。名前が少し知られるようになったのは、3冊目にマルクスの「初版資本論第1章」を対訳で出してからです。

 あれから40年、また新しい世界に一歩を踏み出した点では同じですが、今回は高揚感も気負いもありません。仮立候補すること自体が「当たり前のこと」でした。長年の活動と研究の結果、「出る」というのは自然な結論でした。他の選択肢はありませんでした。

 仮立候補というあり方は正しかったと思っています。「公約」はその作り方も内容も学問的に正しかったと、今でも確信しています。学問的に正しいものを具体的に示せただけでも仮立候補してよかったと思っています。

 従って、正式の立候補が出来なくても、今まで通りの生活をいつものペースで続けるだけです。違うのは、今後は「政治家として生きる」ことに「も」なる、ということです。しかし、する事は今後も今まで通り、ブログを中心として政治的見解を発表するということです。4年後の再度の仮立候補を目指して淡々と走り続けるつもりです。

 学者としての私にとってのメリットは、新たな経験が出来て、考えるテーマなり材料なりが増えたということです。そして、これは「生活の中の哲学」をスローガンとする私にとっては、好い事ではあっても何ら苦になる事ではありません。かつての仲間たちが教授に成って戦う姿勢を失って「死に体」と成り終わったのを見れば、このメリットは明白です。既に、これまでも、仮立候補しなかったら考えたり発表したりしなかったであろう文章を発表しました。

 以上で仮立候補の結末のご報告と御礼とします。

2011年03月25日、牧野 紀之

    関連項目

政治献金の扱い方

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。