第2次世界大戦後間もなく創設され、欧州統合を引っ張る人材を育ててきた欧州大学院大学(本部・ベルギー)が欧州の政財界での影響力を増している。全寮制の厳しい英才教育をくぐり抜けたエリートは過去56年間に約7500人。欧州連合(EU)や欧州各国に人脈の網を広げている。国家を超えた「欧州人」を育てる教育の現場を訪ねた。
「議長。今の意見には賛成できません。不法移民に関する宣言案第24条の文言の修正提案を出したいと思います」。
イタリア内相役を務める女子学生が発言すると、他の「閣僚」たちが発言を求めて次々と手を上げた。今月(2005年02月)03日、ベルギー・ブリュッセルにあるEU理事会ビル。欧州大学院大学による「模擬授業」だ。
実際にEU内相理事会が開かれる会議室を使って、本物の会議と同じ議事進行や参加者の顔ぶれを採用して討議していく。議長役の後ろのテーブルから、討議の様子を指導教員が厳しい目で見守っている。
政治行政学科に属する学生約60人に課せられた討議テーマは、EUで一番ホットな「EUの不法移民問題」。約4時間にわたって、意見を戦わせながら不法移民の取り締まり策、移民出身国への送還問題などについて合意を作っていく。EUの専門知識ばかりではなく、相手を説得し、立場の違いを埋めていく交渉術が求められる。討論で使う言葉は英語か仏語だ。
学生たちに「君のアイデンティティーはどの国?」と聞いてみた。
ルクセンブルク代表を務めたキャサリン・ブレアさん(21)は昨年、英オックスフォード大を3年で卒業した。
「小さい時からドイツ人の母親とは独語、英国人の父親とは英語で話してきた。育ったのは、フランスのストラスブール。だから私のアイデンティティーはヨーロッパです」と屈託のない笑顔を浮かべた。
英仏独語ができるブレアさんは特別な存在ではない。理解できる外国語数を調べた約4年前の調査で「2ヵ国語がわかる」と答えた学生が44%、「3ヵ国語」が35%。「4ヵ国語以上」が11%にもなった。両親が国際結婚だったり、留学経験があったりすることが背景にありそうだ。
ブリュッセルから電車で1時間の所にあるベルギーの古都ブルージェ。中世の運河に囲まれたこの街で学生たちは7つの学生寮で暮らしている。食堂をのぞくと、学生たちが出身国ではなく、寮ごとに集まって談笑していた。
同校のクリスチャン・ルケンヌ教授は21年前、この街で寮生活を送った。「私たちにも『欧州人』という意識はあったが、当時は冷戦の真っ最中。EU加盟国はわずか10ヵ国で、『欧州人』の範囲は限られていた。加盟国が25ヵ国に増えて、欧州統合が深化し、学生たちの『欧州人意識』はより鮮明になっている」。
EUとの「特別な関係」を反映して、同校の卒業生のうち約800人が欧州委員会、欧州議会などEU機関で働いている。職員数約2万人の組織の中では決して大集団ではないが、欧州委の事務方トップである事務局長のほか、官房スタッフ200人のうち30人を同校OBが占めており、「EUの中では一番出世に有利な学閥」とやっかむ声がEU内外で聞かれる。
欧州委員会法務部に勤めるピーター・ヨルゲンさんは2年前、民間企業から欧州委に転職した。「同級生を通じて、学校の先輩や後輩を紹介され、自然なつながりができ、すごく仕事がやりやすい。わずか1年の寮生活だったが、5年間学んだ大学よりも人間関係は濃密だ」と語る。
同校のティエリ・モンフォルテイ教務部長も「私のトルコ人の同級生は帰国してEUとトルコの関税同盟の担当者になった。その交渉相手になった欧州委担当者も私の同級生だった。そういうことが起きるのは、能力の高い優秀な学生が集まり、EUの勉強を集中的に行った結果にすぎない」と語る。今年はすでにEU法の専門家を求める約30社の法律事務所から求人希望が来ているという。
こうした実績を元に同校は欧州の外へも目を向けている。英語だけ話せる学生を対象にした国際関係学科の設立を2008年ごろ予定しているほか、今年、マレーシア・ペナンのマレーシア科学大学に欧州学部を開設するための人材交流を始めた。
これまでに同校で学んだ日本人は10人前後。同校OBである久留米大学の児玉昌己教授は「全寮制の生活でできた人間関係は何ものにも代え難い。ナショナルなものをまだ意識せざるをえない日本人学生に『欧州人』と触れ合い、学んでほしい」と話していた。
メモ・欧州大学院大学
1948年、欧州統合を唱えたスペインの政治家マダリアガ氏が提唱し、1949年に創設された。1994年に開設したポーランド・ワルシャワ近郊のナタリン校とブルージェ校と合わせた学生数は410人、出身国数は欧州を中心に45ヵ国。法学科、経済学科など4コースの選抜試験は、各国の選考委員会などで大学卒業者を対象に行われる。9月に入学後、翌年6月末まで集中教育を受ける。予算の4分の1がEU、残りはEU加盟国が主に負担する。毎年秋には、欧州各国やEUの首脳が記念演説を行う。
(朝日、2005年02月15日。ブリュッセル、脇阪紀行)
感想
ウィーンの近くの小さな村には、民間人(と言っても、政府高官だった人ですが)の運営している「欧州平和大学」があると、かつてNHkテレビで見たことがあります。ヨーロッパの懐の深さを感じますね。