マキペディア(発行人・牧野紀之)

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本質論(本質論主義)

2007年01月12日 | ハ行
 1、ヘーゲルの論理学は大きく3段階に分かれます、存在論と本質論と概念論です。従って、ヘーゲル哲学について議論している場合、本質論とはその第2段階のことを意味するのが普通です。

 2、新聞などにも時々「本質論」という言葉が使われます。

 例えば2001年12月22日の朝日新聞にはNHKのあり方についての議論を紹介した記事がありましたが、それに「本質論は手つかず」という見出しを付けていました。

 内容を読むと、その「本質論」とは「根本問題の議論」とか「(NHKの)あり方全体についての議論」という意味です。

 3、牧野は大衆運動のあり方を考える中で、本質論と戦術論という対比を作りました。

 本質論とは「そこで問題になっている事柄の本質は何かを議論すること」です。戦術論とは「その運動でどういう運動形態なり戦術を採るかの議論」です。

 4、この用語を踏まえて牧野は本質論主義を提唱しています。つまり大衆運動のあり方として「本質論に重点をおくやり方」が正しいのではないかという考えです。

 逆に戦術論主義とは「本質論を前提してしまって議論を戦術論に絞るやり方」のことです。多くの場で戦術論主義が採られていますが、これは「尻つぼみの運動」になります。本質論主義こそが「尻上がりの運動」を作りだすのです。

 5、しかし本質論主義はこれだけでは完成していません。牧野の哲学の授業はこの本質論主義を発展させたものです。

 それはまず第1に授業の目的を「各人が自分の考えを自分にはっきりさせ、更に発展させることを目的とする」と目的を明記しています。

 この「目的の明記」が大切です。というのは、多くの場では事実上、「相手を言い負かそうとする議論」がなされているからです。

 第2に、教科通信を利用していることです。つまり集団のコミュニケーションにとっての書き言葉の意義を認め活用していることです。話し言葉の議論ではとかく「相手を言い負かそうとする議論」になりがちです。話し言葉と書き言葉の両方を正しく結合することが大切です。

 第3に、本質論主義を妨げ破壊しようとする暴力的な傾向に対して警戒し、対処法を考えるようになったことです。

 実際、人間は善意の固まりではありません。精神異常者もいます。特に社会運動などでは利害や保身がからむために、純粋な議論を妨げる傾向が出ることが多いです。本質論主義を説明すれば誰でもが納得し賛成し協力してくれると思うのは世間や人間を知らない子供の考えです。

 6、牧野の戦術論主義と本質論主義はレーニンの「自然発生性に拝跪した運動」と「意識的運動」との対比を捉え直したものです。

 7、なお、戦術論という言葉は戦略論との対比では又別の意味を持っています。又、戦術論の内部での区分としては持久戦と短期決戦、陣地戦と機動戦(運動戦)などの対比があります。

   参照文献

 本質論と戦術論(牧野紀之著『ヘーゲルからレーニンへ』に所収)
 本質論主義の組合運動を(同上書)
 グラムシの陣地戦論(牧野紀之著『ヘーゲル的社会主義』に所収)
 哲学主義の政治(同上書)

 牧野紀之著『哲学の授業』(未知谷)
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