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ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

学校徴収金(PTA会費、後援会費)

2014年04月18日 | カ行
 2012年度に静岡県立高校92校が保護者から集めた学校徴収金(PTA会費、後援会費)を、教職員の旅費や施設修繕費など学校運営の経費として支出した総額は4758万円で、2011年度から54%減少したことが4月16日までに、県監査委員の2013年度調査で分かった。

基準策定で抑制、県監査委員2013年度調査

 県監査委員の学校徴収金を対象にした行政監査の実施や、県教委による学校運営における公費支出の基準策定などが影響し、各校が学校運営に充てる経費としての支出を抑制したとみられる。県監査委員は県教委の基準に基づいた適正な支出が行われているか調べるため、2014年度は数校を抽出して特別監査を実施する方針。

 調査によると、学校運営の経費に学校徴収金を充てた支出の内訳は、教職員の勤務時間内の出張に支払う旅費が579万円、施設を修繕する施設費3594万円、授業用教材の購入にかかる需用費345万円、備品費15万円、実験実習費223万円となっている。

 PTA会費は92校全てが徴収した。生徒1人当たりのPTA会費の年額は平均1万2283円。最高額が3万1200円で、最少額は2400円。後援会費を徴収しているのは90校で、平均額9314円、最高額は2万6400円だった。

 県監査委員は「学校間でPTA会費や後援会費の負担額に差があるのは問題では」としている。

公費と区別、グレーゾーンも

 県監査委員が2013年度、県立高校3校を対象に学校徴収金に関する特別監査を実施した結果、県教委の基準に明確に違反しているとして是正を求める支出はなかった。ただ、体育館の緞帳(どんちょう)の修理費やグラウンドの土の購入費など、公費か学校徴収金のどちらを使うべきかが判然としない「グレーゾーン」の支出もあった。

 監査結果によると、3校のうち1校では、体育館の緞帳の修理費21万4000円、グラウンドの土の補充費8万3000円が、いずれも後援会費から支出されていた。県監査委員は緞帳修理費について「体育館のような基幹的施設の補修は本来、公費支出すべき」、土の補充費も「体育授業にも不可欠なグラウンド整備を安易に部活動関係の支出としていないか」としている。

 グレーゾーンが生じる背景には、県教委の基準に「学校の一層の魅力化、特色化を図るため実施される部活動、進路指導、学校行事の充実や教育環境整備などの事業に要する経費については、PTAなど学校関係団体から支援を受けることが可能」と記されていることがある。県監査委員は「基準自体があいまいさを残しているのでは」とみている。
(静岡新聞ネット版、2014年4月17日)

外的反省

2014年04月14日 | カ行
 01、カントが所与の特殊の中に普遍を探す能力として挙げた反省は外的反省である。それは所与のものである直接的なものに関係する。(大論理学第2巻19頁)

 02、この際とくに注意しなければならないことは、〔その昔の形而上学の認識〕方法が、認識すべき対象、例えば神に、述語を「付加する」という方法だったということです。しかし、こういう方法は対象に対する外的反省〔の方法〕です。というのは〔これでは〕諸規定(諸述語)は認識主観の表象の中に予め出来上がったものとしてあり、それを対象に外から付加するにすぎないからです。これに反して、対象の真の認識とは、対象が自分自身から自己を規定するのであって、その述語を外から取って来るようなものではないのです。しかるに、もし〔外的反省の〕述語〔属詞〕を付加するという方法で認識しようとすると、精神〔認識主観〕はそういった述語では〔対象を〕認識し尽してはいないのではないかという〔当然の〕感じを持つことになります。ですから〔昔の〕東方人たちは、この立場から、全く正当にも、神を「多くの名を持つ者」「無限に多くの名を持つ者」と呼んだのでした。心情はそのような有限な規定では、どれによっても満足しません。そこで〔昔の〕東方人たちの認識はそういう〔付加される〕述語を次から次へとどこ迄も求めゆくことになるのです。(小論理学第28節への付録)

  参考
 01、カテゴリー自身の論理的展開に内在しておこなわれる反省ではなく、この論理的展開を外から観察するものが、この論理的展開の過程をとびこえて、その結果を先取りしておこなう反省を、ヘーゲルは「外的反省」とよぶ。(寺沢訳書1、385頁)

 02、例えば、6と3はことなっており、6は3よりも大きく、6は3の2倍であり、3は素数であるが6は素数でなく、6は3の倍数であり、3は6の約数である、等々のことは、ヘーゲルによれば比較する外的反省にのみ属することであって、6と3という数そのものに属することではなく、6と3はたがいに無関心的である。数についてのこのような考え方は大いに批判の余地のあるものである。ヘーゲルのこのような考え方が生まれたのは、例えば自然数の全体を「自然数系」として、実数の全体を「実数系」としてとらえる、という見地から箇々の数をとらえていないことによるものと考えられる。とにかくヘーゲルにとっては、つぎのパラグラフで述べているように、数は本質的に「外面性」なのである。(寺沢訳書1、406頁)

 03、あとの「注解」で述べられているように、ヘーゲルが「外的反省」とよぶのは、通常「反省」と呼ばれているもののことである。外的反省はまず、或る事実(直接態)を与えられたものとして前提する。そして何らかの一般的規定(原理・ 法則など)をみいだし、前提された事実をこの一般的規定によって媒介されたものとして示す。これが、通常「反省す る」といわれている運動のなすことである。このような反省によってもたらされる一般的規定は、前提されている事実に とって外的な規定である。つまりその事実にとって本来は無関係な規定が反省によって外からもたらされるのであるから、 このような反省をへーゲルは「外的反省」とよぶのである。

 例えば、「エジプトで古代文明が発生した」という事実を前提としてうけいれ、「古代文明は定住農業とともにはじまる、 そして定住農業は大河の流域で最初に成立する」という一般的規定にもとづいて、「エジプトにはナイル河がある、だか らここで定住農業が成立し、古代文明が発生した」と論ずるならば、これは前提された事実を前記の一般規定によって媒 介されたものとして示したのであり、「エジプトで古代文明が発生した」という事実について反省したのである。

 だがしかし、同じ事実は、他の一般的規定、例えば青銅器の使用によって媒介することもできるだろう。ことなった一般的 規定によって媒介されうるということは、これらの一般的規定が前提されている事実にとって外的な規定にすぎないとい うことの証拠である。こうして、このような反省は「外的反省」である。

 また、外的反省がもちいる一般的規定は、「一般的」とはいっても、論理的規定ではなく、経験的知識にもとづく実在 的規定である。だから「外的反省」はまた「実在的反省」ともいわれる。外的反省が経験的知識を必要とするということ がまた、外的反省が一義的に決定されない(同じ事実がことなった一般的規定によって媒介されうる)ということの一つ の理由でもある。(寺沢訳書2、294頁)

      関連項目

反省



直接的教師と間接的教師

2014年03月03日 | カ行
 教師はその在り方から見て直接的教師と間接的教師とに分けられるのではないか、という事は拙稿「『何をなすべきか』を読む」(『ヘーゲルからレーニンへ』に所収)の中に書いてあることが分かりました。「通りすがり」さんが指摘して下さいました。ありがとうございます。独立した小文として載せておきたいので、ここにその部分だけを転載します。

       直接的教師と間接的教師

牧野・レーニンはそういう階段を作らなかったという点で、直接的教師としては不合格ですね。
読者・何ですか、その直接的教師ってのは?
牧野・朝日新聞の「真の教育者とはと問われたら」というコラムの中で、山根銀二さんが「ベートーベン」と答えているのです。考えてみれば、たしかにベートーベンが人類の音楽的才能を伸ばすために果した功績は測り知れないものがあります。しかるに、生徒の才能を伸ばすのが教師の任務ですから、ベートーベンは偉大な音楽教師と言えるわけです。しかし、普通には名音楽教師としてベートーベンとは考えない。そこらのいわゆる教え方のうまい人を考えるわけです。
 そこで私が考えたのですが、教師にも二種類あって、いわゆる教師は直接的教師で、ベートーベンみたいにその分野で大きな業績をあげ、その方面の精神的財産を作り、環境を作ることで、後世の人に影響を与える教師を間接的教師と呼ぶことができるのではないかと思ったのです。

読者・それは面白い分類ですね。すると、マルクスも直接的教師としてはあまり優れていなかったことになりそうですね。
牧野・そうですね。第一に階段を作らなかったという点で、第二にその直弟子たちがみなおかしくなったという点で、マルクスの場合も冴えませんね。
読者・しかし、これは「知っていることと教えることとは別」ということでしたけれど、絶対理念に立った人なら教え方も知っているはずですから、直接的教師としても優れていなければならないはずではないでしょうか。
牧野・すると、マルクスもレーニンも絶対理念の立場に立っていなかったということになってしまいますね。困りましたな。

読者・この場合は理論的に不十分というより、事実不十分だったわけで、牧野さんのレーニン弁護も成り立たないようですね。
牧野・いや、実際困りました。当時の困難な事情で逃げることもできません。私も、マルクスがロンドンで研究しながら、自分の後継者を系統的に養成するサークルなり私塾なりを作らなかったのはなぜか、不思議に思っているのです。
読者・その点、毛沢東は初め小学校の教師をしていたことがずいぶん役立っているようですね。
牧野・そうですね。毛沢東というのは本当に教師ですね。いわゆる革命家でも、レーニンや金日成みたいに、自分で何から何までやってしまうタイプと、毛沢東みたいに、他人にやらせて、それをじっくり見ているタイプと、二つありますね。
読者・マルクスの場合は研究者という性格も非常に強かったようですね。

牧野・いずれにしても、偉い人の直弟子から又偉い人が出てくるというのは、むしろ少ないくらいですね。間接的教師と直接的教師とは一致しにくいようですね。ですから、逆に言うと、世の中には或る偉い人の弟子であることを鼻にかけている人がいますが、そういう迷信に対しては「直弟子必ずしも真の弟子ならず」という言葉を確立しておく必要がありますね。

読者・そういう人たちは、偉い人に習ったこと自体で自分が偉くなったと思い込んじゃうんですね。
牧野・日本の学者なんか、欧米の人の説を受け売りして、日本国内で威張ればよいという人が多すぎますね。先生も生徒も偉いなんてのは、プラトンとアリストテレスの関係が珍しい例ではありませんか。(以上、『ヘーゲルからレーニンへ』117~119頁)

        感想

 その後判明した事実もありますし、私の評価の変化もありますから、ここに名を挙げた人々について今でも同じように評価している訳ではありません。

 しかし、自分のかつての考えを書き換えるのは拙いと思います。そういう事をするならば、新しい文章を書くべきでしょう。

 ともかく、「教師の在り方を直接的教師と間接的教師に分けて考える」点では、今でも変わっていませんので、このまま掲載します。


芸は一代

2014年02月20日 | カ行
 「芸は一代」と言って弟子を一切取らない人がいるそうです。ラジオ深夜便で大分前に聞きました。たしか日本舞踊か何かの大家だったと思います。これを聞いてからいろいろと考えました。

1、2種の教師

 まずここで考えるべきは、教師と言っても「直接的教師」と「間接的教師」とがあることでしょう。かつて朝日新聞で「最高の教師は誰か」とかいったテーマで色々な人に寄稿してもらって掲載していたことがあります。その中で誰か、音楽評論家だったと思いますが、「ベートーベン」と答えていました。

これを読んで私は「直接的教師と間接的教師」といった題で小文を書いて発表した記憶があります。普通は「最高の教師」とか「良い先生」と聞けば、身の回りで出会った「教え方の上手い先生」とか「熱心な先生」を考えるものですが、この評論家は違った見方をしたわけです。言われてみれば、音楽の先生の仕事を「他者(生徒)の音楽的才能を開花させる事」とするならば、この点でベートーベンの音楽の、従ってベートーベンの果たした役割は物凄いものがあったと思います。ですから、ベートーベンを「最高の教師」とするのには十分な根拠があります。

 しかし、それは「教師」というものをどう考えるか、「教える」という事をどう考えるか、と関係しています。私はその観点の違いを「直接的教師」と「間接的教師」としてまとめたのです。その小文はどこに発表したのか、今探しても見当たらないので、困っています。誰か見つけた人は教えてください。

2、教える内容のレベル

 さて、「芸は一代」と言いますが、本当に芸は弟子に教える事は出来ないものでしょうか。こう考えると、この問題では又、「レベルの問題」があろと思います。初心者に教える、中級者に教える、上級者に教える、最上級者に教えると、ざっと考えただけでも、「教えるレベル」の4つの段階で「教える」事の意味も違ってくると思います。従ってそれは分けて考えるべきでしょう。

 このように細かく考えて見ますと、直ぐにも、下のレベルでの方が「直接教える要素」が大きく、上に行けば行くほど、「生徒が自分で学ぶ部分が大きくなる」ということです。そして、最上級レベルでは「教える事は不可能で、自分で研究するしかない」ということです。あるいは、生徒が「一家をなすようなレベル」では、間接的教師しかいないということです。

3、自己反省

 結論はこれでいいと思いますが、これと関連して、私は自分の過去を振り返ってみました。それはもちろん「芸」ではなく「学問」に関してです。従って、「芸は一代」を「学問は一代、思想も一代」と捉え直して、自分はこの原理にどれだけ忠実だっただろうか、忠実でなかったとすれば、なぜ忠実でなかったのだろう、という問題です。

 自分自身の過去を振り返ってみるとはっきり分かる事は、私が「他者に教える」という事を考えた時は、自信のなかった時だったということです。大学院時代、マルクス主義の研究会と称するものを提唱して勉強会を開いたり合宿までした時も、準備のために猛勉強をしましたが、これも自分一人で猛勉強をする自信がなかったからだと反省しています。

 卒業後、「鶏鳴学園」を始めたのはお金のためでもありましたが、私塾で既成の大学に対抗しようという野心もありました。しかし、本を出してもらえるあてもなかった事もあるでしょう。

 逆に、私が本当に勉強をしたのは、第1に、高校時代、孤立してしまって勉強するしかなくなった時でした。第2には、修士課程の2年の時の「研究室内での発表」(題は「方法論の方法」)が悪評で、「修士を4年間やって、一人でやって行けるようになろう」と決心して、哲学史の勉強をした時でした。第3に、幸い博士課程に入ったら、奨学金がもらえました。そこで、上記の「マルクス主義の研究会」の限界を感じて、山にこもりヘーゲルを読んだ時でした。ヘーゲルの目的論を読んで、「これなら論文が書ける」と思って急遽東京に帰ってきた時でした。

 鶏鳴学園が最終的に失敗して1人になり、絶望のどん底にいた時、又々、本当の勉強が始まりました。中学の担任の先生(我が校では3年間クラス替えがありませんでした)で唯一「本当の先生」と思っていたA先生が亡くなったので、その霊前で「先生、済みません」と心から謝りました。そして、又勉強を始めました。この時は、非常勤講師としてではありますが、文字通り「既成の学校」に戻りました。

 私塾で失敗した後なので、今度は「学校の可能性を追求してみよう」と思いました。幸いかなり好い学校で教えることになりました。大学も90年代初めの「改革の始まりの時代」に突入していました。

 そこでの経験は本にしてあります(『辞書で読むドイツ語』と『哲学の授業』)が、結局、現下の「学問は一代」という点に関して分かった事は、「良い学校でも本当の学問は教えられない」という事でした。私塾との違いは、どこまで教えられるかの違いでしかないという事です。

 要するに、初級レベルや中級レベルなら「教える」事は出来るでしょう。学校の役割はそのレベルの事なのです。あるいは上級レベルでも、教える事は出来るかもしれません。しかし、「一家を成すような最上級レベル」では「教える」ことは出来ないということです。そして、最初に触れた「芸は一代」というのは初めからこの「一家を成すような最上級レベル」の事を考えて言っているのです。歌舞伎とか伝統的な芸の世界では親から子へ代々「芸が受け継がれている」ように見えますが、それはせいぜい「上級レベル」までの事で、家が学校に代わっているだけなのでしょう。子が親と同じような「一家を成すような最上級レベル」に達するのは、子自身に素質があり、それに努力が伴った場合だけなのだと思います。

4、関口さんの事

 ここでも私は関口存男さんの事を考えざるをえません。どこかで読んだと思っているのですが、関口さんは「啓蒙(ないし初心者に教えること)は重要だ」と言っていたと思います。そして、彼は実際、初心者用の教科書や参考書を沢山書きました。それに比して、最上級者用の参考書ないし研究書は、「相対的には」少なかったと思います。『冠詞論』(正式の書名は『冠詞』全三巻)以外は、本当の研究書は書かなかったとさえ言える程です(『
ドイツ語学講話』も入れていいかな)。私は、これをとても残念に思う者です。

 なぜこういう事になったかと考えて見ますと、「啓蒙は重要だ」というまとめ方が間違っているからです。「重要でない」などと言う人はいないでしょう。問題は、初心者に教える事と、中級者に教える事と、上級者に教える事との比重、重要性のバランスをどう考えるかが問題なのです。何にどれくらいの力を入れるか、と考えなかったのが間違いの元でした。

 「啓蒙は重要だ」と言う関口さんも、その『冠詞』の中ではどこかで、「辞書を引きながら読むようなのは語学とは認めない」といった言葉があったと思います。それなのに、初心者用の本を沢山書き、研究書は少ししか書かなかったのです。まだ書くつもりだったのかもしれませんが、書かないで死んでしまったのです。自分の一生の計画の立て方が間違っていたのです。

 推定ですが、関口さんも晩年には、「本当に自分の後を継ぐような弟子は出なかったな」と思っていたのではないでしょうか。最後は、諦めの境地だったと思います。しかし、「学問は一代」とは明確には気付かず、研究書を残す事に集中することなく、NHKでの初級講座で疲れて、奥さんの死がキッカケとなり、バッタリ死んでしまいました。

5、結論

 芸も学問も、初級や中級レベルの事は教えられる、つまり「一代」ではない。問題は先生にその才能と性格があるか否かである。これは学校でも私塾でも同じだと思います。

 上級ないし「一家を成すような最上級レベル」については、教えることは出来ないと思います。つまり、学ぶ側に素質とやる気があるかだけの問題なのです。芸も学問も「盗むものであって、教わるものではない」ということです。そして、「芸は一代」とか「学問は一代」という時の「芸」とか「学問」は初級や中級レベルの事を言っているのではなく、「一家を成すような最上級レベル」の事を言っているのですから、この言葉は正しいと思います。

 私は関口さんの失敗を繰り返すことのないようにしたいと思っています。幸い、本を出してもらえるようになりました。インターネットの発達で、論文ならブログで自由に発表できるようになりました。

 無料の大学講座が出てきて、伸びているそうです。「ムーク」とかいう動きのようです。我が「マキペディア」はその一種と考える事が出来ます。読者が「小論文」を出してくれないだけです。メルマガ「教育の広場」時代の方が、読者の投稿が充実していたと思います。ブログでは「コメント」となっているのが悪いのでしょうか。

 アマゾンで拙訳『小論理学』下巻へのレビューで高い評価を下さった方が、「翻訳者の些か奇態な意見主張」と書いていますが、具体的にどこがどうおかしいのか書いて、その上自分の意見を書いてくれなければ、議論になりません。

 まあ、読者に不満を述べるのは「教えたがり屋」の悪い癖ですから止めましょう。そして、「学問は一代」という言葉を肝に銘じて、自分の研究成果の発表だけに集中することにしましょう。

     関連項目

思想の相続

直接的教師と間接的教師


外国人労働者

2014年02月14日 | カ行
 国内企業で働く外国人労働者は、前年と比べ5%多い71万7504人で、2年ぶりに過去最多を更新した。2013年10月末時点の調査で、厚生労働省が01月31日発表した。人手不足の中小企業が受け入れを増やし、留学生のアルバイトも増えたためだ。

 雇用対策法に基づき、雇い主が届け出た人数を08年から毎年10月末に集計し、公表している。

 出身国籍別では中国が30万3886人(前年比3%増)で最も多く、ブラジル9万5505人(6%減)、フィリピン8万170人(10%増)、ベトナム3万7537人(40%増)と続く。

 就労先は、前年より6%増の約12万7000カ所と過去最多。企業規模では従業員30人未満が半数超を占める。業種別では、製造業が3分の1を占め約26万人。人手不足が続く建設は約1万6000人だった。      (2014年02月01日、朝日。山本知弘)

教師の仕事の範囲

2013年12月17日 | カ行
 朝日新聞の「こころ」の欄に月に一回くらい「読者が考える」という特集がある。今年(1996年)6月のテーマは「聴場の不正」ということだった。その中に次の投書があった。

 ──最近、私は公立高校の教師を務めましたが、教員の生活に慣れると判断が一方的になり、善悪感もマヒするんだ、と思いました。

 ある日、他県から引っ越して来た生徒の編入試験の合否判定会義に出ました。事前の学年会で不合格が決まっていたから追認の会議でしたが、教師の利益に合わないというのが不合格の理由でした。家庭に問題があり、本人も指導歴があるから教育しにくい。こういう生徒を受け入れるのは、教員の労働条件の面からも問題、というのです。

 私はパートですから、組織を怖がる理由がなく、一般社会の常識を述べました。①手続き通り受験し、学力に支障なく定員も空きがある。②教員の労働条件は受験生と無関係。③悪い生徒を直すのが教師の仕事……。

 どうせ教職経験のない人の言うことと思っていましたが、決をとると、若い女教師の手があがり、賛成が半数を少し超え、合格が決まりました。入学後は遅刻指導などあったらしいが、成績は上の方。あわや私は少女の一生を狂わせ、老いて悔いを残すところでした。(6月11日)── 投書者は「茨城県・無職・66歳」とあった。

 投書者は自分の主張する「一般社会の常識」とやらが通って1人の少女を救ったと思い込んで、得意になっているようだが、私はここには大きく見て3つの問題があると思う。第1に、悪い生徒を直すのは教師の仕事なのか、第2に、学校教育は誰が行うのか、第3に、生徒の良否を誰が判断するのか、である。これをひとつずつ考えていこうと思う。

 未成年者の教育を考える時の大前提は2つある。1つは、それは、大きく言って、家庭教育、地域社会による教育、学校教育の三者がそれぞれの役割を分担いつつ、一体となってなされるのが理想だ、ということである。もう1つは、学校教育は校長を中心とする教師集団によって行われるのであって、個々の教師がバラバラに行うものではない、ということである。

 第1前提から見てみると、日本では家庭教育は個々の家庭でバラツキがあり、地域での教育は不当に小さくなっている。そして、その事の反省なしに、学校教育に過大な任務が押しつけられ、「態度の悪い生徒を直すのが教師の仕事」という「一般常識」が出来上がっている。しつけも学校でやってくれなどという親もいれば、部活が教師の大きな仕事になっていて当たり前と思われている。態度の悪い生徒を、特に高校などで、退学処分にすると、「教育の放棄だ」という非難がなされる。

 私は、学校教師の仕事は、家庭教育によって学ぶ姿勢の出来た生徒に勉強を教えるだけだと考えている。従って、学ぶ姿勢の出来ていないと分かった場合には、家庭に送り返すべきだと思う。もっとも、家庭が悪かったからこうなったのだと考えるならば、家庭に送り返しても好い結果は得られないと考えられる。それなら、家庭の代わりをする施設である教護院(その後「児童自立支援施設」とかに改名された)に入れるべきである。もちろん、その際には、態度が改まった場合の復学の道を残しておかなければならない。ともかく、今の日本の学校教育の最大の問題点は、退学処分にするしか方法のない生徒を退学処分に出来ないということである。

 これだけでは、「一般常識」に囚われている読者に納得してもらえないと思われるので、もう1つ説明を加えておこうと思う。数年前、愛知県の某中学の生徒の大河内清輝(きよてる)君がしつようないじめを受けて自殺した。日本社会に大きな衝撃を与えたが、読者はその4人のいじめ犯人がどういうことになったか、覚えているだろうか。私の記憶では、3人は少年院に送られ、1人は教護院に送られた。教護院というのを御存知ない方は、少年院の前段階と思って下さればよい。一番有名な教護院は北海達の家庭学校で、これについてはルポもあれば、校長自身による著書もある。

 さて、大切な事は、その時、誰もこの処分を「教育の放棄だ」といって非難しなかったということである。つまり、「悪い生徒を直すのが教師の仕事」という「一般常識」をお持ちの方も、ある程度以上ひどい場合には、退学処分にしてしかるべき施設に入れるのも正当、と考えているということである。このように言うと、そんな事は当たり前だと言うかもしれない。しかし、理論というのは、一般的に言ったら、その一般的帰結も認めているものと考えられても仕方ないのである。それが嫌なら、初めから定式化の際に例外や妥当範囲を定めておかなければならない。それが理論というものである。

 従って、この場合の本当の問題は、悪い生徒を直すのが教師の仕事か否かではなくて、どの程度悪い生徒までは学校で引き受けるか、どの程度以上なら退学処分にしてよいか、という線引きの問題である。私は、現在の日本ではその点で教師の仕事が余りにもに過重に考えられている、と言いたいのである。

 幸い、最近ようやくこういう考えが公にも出てきたようである。山岸駿介氏(元朝日新聞記者で、現数育ジャーナリスト)が朝日紙のコラムに書いていた(1996,06,28)。それによると、教育審議会の発表した「まとめ」の中に「教育のスリム化」という言葉があるそうで、それは「何でも学校が引き受けるのはやめて、家庭や地域でやれることはそこに返すという発想」とされている。「家庭や地域でやれること」ではまだ不正確である。「家庭や地域でやるべきこと」と言わなければならない。しかし、それはともかく、「一般常識」に代わる真の良識がようやく出てきたことを喜びたい。

 教師も勤労者であり、本来の任務に属さない仕事によって不当に忙しくされる理由はない。もしこの投書の生徒が本当に悪い生徒なら、その生徒の態度の善導のために労働条件が悪くなることを断るのは、当然の権利である。即ち、この投書者は、このような大きな観点に欠け、間違った「一般常識」に囚われている、と言わなければならない。

 最近、いじめにあった生徒の親が、いじめた生徒の親を訴えて、損害賠償か慰謝料を求める裁判を起こしたそうだが、私は正当な考えだと思う。私はこの裁判の結果に注目している。

 第2に、多くの教育論や教師論にも、又この投書者にも欠けている決定的な点は、第2の前提である。つまり、学校教育ば校長を中心とする教師集団によって行われるという観点を知らないで、個々の教師しか見ていないということである。先に、態度の悪い生徒は退学処分にして教護院に送れと言ったが、教師集団が校長を中心にしてまとまっている場合には、かなり態度の悪い生徒でも「直す」ことが出来る、と私は思っている。私は、教師の側が為すべきこともしないで、すぐに退学処分をしてよいと言っているのではない。最近、教員養成方法の改革が又議論されているらしいが、それを見ていても、個々の教員の資質の向上ばかりで、校長と教師集団の問題が忘れられている。

 投書者は、当の問題が職員会議で論じられた時、校長がどういう態度を取ったか、その学校の「校長を中心とする教師集団」がどうだったかということを全然論じていない。そういう観点を持っていないからである。こういう「一般常識」では、教育問題の正しい解決は得られないだろう。

 さて、原理的な事はこれくらいにして、投書者の事例では、結果は好かったようである。それはなぜか。教師が、本来の任務外の「生活指導」を行ってその「悪い生徒を直し」たからだろうか。否。そうではない。つまり、投書者の考えが正しかったからではない。それは、当の生徒が実際には悪い生徒ではなかったからである。悪くない生徒を入れたのだから、問題の起こるはずがない。只それだけである。実際、その生徒は時々遵刻をした程度でしかないのである。これは何ら合否や退学処分に関係する程の問題ではない。

 では、問題はどこにあったのか。それは、前の学校の教師の判断を無批判に受け入れたことである。前の学校でかなりの問題があったであろうことは推測出来る。実際「指導歴」とやらがあるのだから。しかし、それは当人が本当に悪いことを必ずしも証明しないし、又、かつて悪かったとしても今でもまだ悪い事を証明しないし、ましてや、自分たちが前の学校の教師の判断を無批判に受け入れてよいことの理由には絶対にならない。

 真の教師たるもの、生徒が教師や学校と問題を起こした場合は、半分くらいは教師か学校の方が悪いものだということを知っておかなければならない。これが分かっていれば、前の学校の教師の判断を鵜呑みにすることはない。しかも、高校入試の時ならば中学校の内申書を判定材料の一部として採用しなければならないと規則で定められているかもしれないが、この場合はそういう法律上の義務もないのである。つまり、投書者の学校の教師の間違いは、自分で判断すべきことを自分で判断しようとしなかったということである。「悪い生徒を直すのが教師の仕事」と考えなかったのが悪いのではない。自分たちで調査して本当に悪い生徒だと判断したのなら、入学を断ってよかったのである。この点でも投書者は錯覚している。

 結果がよかったからといって、必ずしも推論が正しかったことにはならないという一例である。それにしても、学校教育については、本当に間違った考えが横行しているものである。(1996,07,29)(雑誌『鶏鳴』第137号から転載)



規律という観点

2013年12月10日 | カ行
 三浦問題についての村崎耕平氏(筆名)の牧野批判に対して私は3つの反批判をした。それは氏の論点に内在的に答えるというより、氏の間違いの根本がどこにあるかを考えた超越的な反批判である。なぜ内在的反批判をしないかというと、それは既に拙稿「真理の規律」(『ヘーゲルと共に』に所収)で尽きていると考えているからである。

 しかし、氏は第一期鶏鳴学園の生徒の中でもとりわけ学園との関わりの深かった人である。そして、現在の両者の意見の食い違いには第一期鶏鳴学園の中途半端さが底にあり、私としては氏に対して率直に言わなくて悪かったという反省がある。多分、氏にも言い分があるだろうとも考えた。そこで、今後も文章による相互批判はやりたいなら互いに続けるとして、一度はテーブルを囲んで話し合ってみることも必要だろうということになった。(1986年)6月2日にその話し合い「村崎さんとの研鑽会」は持たれた。

 そこで私が述べたことの1つに規律ということがある。まず私は「規律の本質は、その集団の正式の手続きで決められたことには、『反対でも従う』ということである」と押えた。そして、その事例として2つ挙げた。

 その1。かつてT氏が学園のカセット聴講生だった時、秋から会費を1カ月ずつ遅れて払うようになった。いくら督促しても返事が無いのでおかしいなと思っていた。その頃、氏は村崎氏の家での読書会に参加していたのだが、村崎氏は「Tさんが『鶏鳴学園のゼミは8月は休みなのだから、8月も会費を取るのはおかしい』と言うのを聞いて、そういう考えもあるんだなと思った」と、私に語ってくれた。私は、この村崎氏の考え方には、思想の自由ないし言論の目由の観点はあっても、規律という観点が全然無いと思う。本当は、氏は、学園の仲間として、「そう考えるのはTさんの自由だが、会費不払いという実力行使をする前に、学園にその問題を出して話し合いを求めるべきではなかろうか。そして、学園の会費制度が変るまでは、今決まっていることに『反対でも従う』べきではなかろうか」と話すべきだったと思う。

 その2。三浦問題について「自己批判の自発性」として話し合いが何週間も続いた時、そこの出席者はみな「三浦さんの態度はそれ自体として正しいか」だけを問題にして自分の考えを述べた。村崎氏の発言もその観点からなされていると思う。しかし、規律という観点からは、そのほかに、「三浦さんの態度は鶏鳴学園で生徒に要求されている態度と一致するか否か」という問題が考えられるべきだと思う。これらの2つの問題を区別し、関連させて考えるのが規律ということを弁(わきま)えた正しい態度だと思う。

 その日には以上の事を問題として出した。今は私自身の考えている答を書いた。

 次に、もうひとつの事例を付け加える。

 私の参加した山岸会の特講の時、その終りの方で、係の一人であったW氏がこういう話を得意気に語ってくれた。「私の息子がある時『ヤマギシを出たい』と言った。そこで私は『出たいなら出てもいいが、その代りお前とはもう会えないよ』と言った。息子は一度出たが、その後しっかりした人間になって戻ってきた」。完全無欠で全知全能であるが故に人を裁く資格のあるWさんらしい話し方だなと、感心して聞いたのだが、ここには3つの問題があると思う。

 ①こういう問題を研鑽会にかけないで、独りで答えるのは、山岸会のやり方として正しいか。②又、内容的にも、「出ていった息子とは2度と会えない」という考えは、ヤマギシズムと一致するのか。③一般的に、思想をもって運動したり生きたりしている親に対して、自分の子供が親の思想運動には参加できないと言い出した時、親はどう対処すべきか。以上3つである。

 ③はこのように一般化してみると分かるように、大きな問題である。多くの親は子供に自分の思想や宗教を押しつける。子供は物心つくようになると、多かれ少なかれ反発する。その後、主体的にその思想を受け入れる人もいる。その思想から離れる人もいる。その離れた人の中では、又戻って来る人もいる。戻らないで親と違った道を歩む人もいる。親はどうしたらよいのだろうか。

 しかし、この問題は別の機会に譲る。今は規律という観点を論じているのであった。山岸会の問題としてこれが出た以上、③はともかくとして、①と②を共に考えるのが規律ということを弁えた考え方だと思う。(1986,06,08)

 付記

 私はその後も「規律」について考えていますが、特に考えている事は「トップの裁量権」ということです。「規律なくして組織なし」と共に「組織はトップで8割決まる」という経験則も定式化しました。ここでは「トップの裁量権」をかなり広く認める考えに成っています。もちろんそれは「トップの活動報告の義務」と一体でなければならないと思っています。(2013,12,10)

      関連項目

規律

シュタイナー教育と子安美知子

2013年12月02日 | カ行
 ドイツの人智学者ルドルフ・シュタイナーの思想、特にその教育思想と実践がまたまた注目されているのだろうか。〔1996年〕5月にNHKの衛星放送で1時間半にわたって、シュタイナー学校を中心にした紹介番組があった。そこではその思想に基づいた農場や病院も紹介された。そしてその番組に深く関わっていたのが、早稲田大学教授の子安美知子氏であった。シュタイナー学校に子供を通わせた日本人は、子安氏以前にも何人かいたらしいが、それを精力的に紹介して、日本人に知らせたのは子安氏であるから、それも当然であろう。私も、氏の諸著作を興味深く読んだ者の1人である。

 その番組によると、今〔1996年〕ではシュタイナー学校は世界中に広がり、全部で約650校にもなっているそうである。それなのに、なぜこの外国のものを輸入するのが得意な日本で未だにそれがlつも出来ないのだろうか。とても残念だ。確かにシュタイナー学校に対してはいくつかの批判もあるらしいが、それは人の考えは様々なのだから当然である。しかし、だからといってそれを日本で作る必要がないということにはならないだろう。日本の教育はあまりにも問題が多すぎる。そこに1つの意見を提示する意味でも、シュタイナー学校が早く日本に出来て欲しいと思う。

 このよように私はシュタイナーの思想に多大の興味と共感と期待を持つ者であるが、それは今は述べない。今述べたいのは、子安氏の態度についてである。氏とシュタイナー教育との関係を極く簡単にまとめておくと、氏はドイツ文学の研究者としてドイツに留学した際、子供をシュタイナー学校に通わせることになったのである。初めはとまどった事も多かったらしいが、徐々に引きつけられていって、今ではシュタイナーの思想、特にその教育思想を自分の研究テーマにするようになったらしい。それはそれで好い。研究テーマを変えるのは自由であり、この経過から見て、この変更には十分な根拠がある。しかし、氏の諸著を読んでいて一番不思議に思うことは、シュタイナー学校を知ったことで氏のドイツ語の授業がどう変わったのかが全然書かれていないことである。

 氏は早稲田大学のドイツ語の教員なのであり、実際にドイツ語の授業を担当しているのである。そして、改めて言うまでもなく、大学の教員の任務は研究と教育なのである。それなのに、研究の結果は、テーマがシュタイナー思想なのだから、このようにきちんと発表されているのだが、教育の方は、自分の娘にとってどうだったというようなことしか書かれていないのである。つまり、教育については親としての視点しかないのである。これはおかしいのではあるまいか。シュタイナーを知ったことで氏の授業がどう変わったのか、私はそれが一番知りたいし、それこそ本当のシュタイナー研究ではなかろうか。

 この子安氏の欠点は、しかし、日本の学者の思想研究に共通した欠点である。外国の、あるいは欧米の思想を紹介するだけで、それによって自分の生き方がどう変わったかを問題にしないのである。従って又、主体的・批判的にその思想を捉え直すこともない。ひたすらその思想を持ち上げ、それを無知な日本人に紹介・宣伝する。自分の意見は全然なく、それがかえって謙虚だと思われる。本は売れ、金はもうかる。それを読む人々も又、自分の生き方とは無関係に外国の思想を知って満足する。これが日本の思想のあり方である。しかし、こういう思想のあり方はシュタイナーの思想と一致するのだろうか、ということは全然考えない。考えないで生きていける。そういうのが私には不思議である。(1996年09月11日。雑誌「鶏鳴」第141号から転載)


世の中はなぜ好くならないのか(その2)

2013年10月30日 | カ行
 01、学校現場の現状

 2013年10月2日、下記のコメントをいただきました。ありがとうございます。まず、そのコメントを引きます。

  記(校長の断固とした対処が必須)(筆者・grasshopperphon。「いなごさん」とします)

 私が勤務していた中学では日常的に〔対〕教師暴力がありました。生徒間のいじめも多いこともあり、〔生徒からの〕対教師〔暴力〕に対応する時間はありませんでした。つまりやられっぱなし。益々、生徒は助長〔増長〕します。

 管理職も教育委員会にとっても、明るみにされる問題件数は少なく〔して〕、外部からの避難〔非難〕をさけたいのですから、教師が暴力を受けてもひたすら校長がもみ消しして、同僚教員さえ実情を知らされない状態でした。私も、暴力を受け、1ヶ月休みました。その件は、公務災害の適用ではなく自費で払いました。

 社会が荒むと比例して生徒も荒れるのは自然なことです。生徒を憎むのでなく、責められるべきはもみ消しばかりしてなんの策も取らない校長にあります。(引用終わり)

 感想

 辛口でも甘口でもない(と思う)、正直な感想を書きます。それが相手に対して「本当の意味で親切」だと思うからです。いなごさんは、現在は定年退職して、年金生活を送っているのだと思います。そう前提して書きます。

 「学校の問題は何よりも先ず校長の責任である」という主張には、賛成です。しかし、長い間教師をしてきて、既に60歳を超しているのに、この程度の意見しか書けないのは、少し情けないです。

 なぜかと言いますと、教員の年金は平均よりいいはずです。そして、年金生活に入れば、首の心配はなくなるはずです。従って、今こそ、こういう問題の解決に向けて戦うべきなのに、「どういう活動をしているのか」の報告がありません。現在は「説明責任の時代」ですから、報告し説明していない活動は「していないもの」と見なされても仕方ないのです。

 黒沢明監督の作品に「生きる」というのがあります。ガンで「余命半年(?)」と告げられた三無主義職員が、一念発起して、サボリ上司と掛け合って、住民のために公園を作るとかいったストーリーです。その人の葬式の後の宴会で、残った同僚は「これからは我々も死んだ○○さんのようにやろう」と誓い合います。しかし、実際に仕事に戻ると、今まで通りの三無主義職員として保身を図るのです。

 なぜか。死んだ主人公は「余命半年」と言われて、命を掛ける気になれましたが、まだ先の長い現役職員にはそれは不可能だからです。黒沢監督は映画監督としては優れていたのでしょうが、社会観は不十分だったようです。こういう根本問題が全ての観客に分かるような作りには出来なかった、自分でもそうは理解していなかった、ようです。

 しかし、いなごさんは年金生活に入ったのですから、首の心配はないはずです。実際、年金生活に入ってから、立派な活動をしている元教員も沢山います。但し、その「活動」は趣味か研究みたいな事が多く、行政のあり方を健全化する活動をしている人は少ないようです。オンブズパーソンとして県職員の裏金問題などを追及した静岡県の元県議の服部寛一郎さんは、その少ない例外の一人ですが、彼も今では体力的に続けられなくなったようです。

 いなごさんは、自宅の近くの学校のホームページの評価でもしたらどうでしょうか。市民がこういう事をするのが、学校民主化の最後の保証だと思います。議員に通信簿を付ける会などをするのも有意義でしょう。

 半世紀以上、社会運動をし、それを理論的に研究してきた私のたどり着いた結論は「修身斉家治国平天下」ということです。一時的な怒りや運動では、世の中は好くなりません。自称「社会主義」も日本の民主党政権もダメでした。修身と斉家が無かったからです。それなのに、「治国平天下」を唱えたからです。

 いなごさんも先ず、身の回りで息の長い活動をしてください。その上で、他者を批判してください。対案を出してください。

 又、いなごさんは、教師時代の活動についても著書などを残していないようです。本というものは10年間研究を続けていれば書けるものなのです。それなのに、自分の教育活動を本に纏める人が少なすぎます。研究をしている人が少ないからです。大学で研究方法を身につけないで卒業するからです。

 校長がだらしないからだ、と考えたとします。そうしたら、なぜそういう事態になっているのか、その原因を考えるべきです。もちろん、それでも更迭されず、給与も退職金も年金も変わらないからです。校長の給与は年収1000万円を越えています。仕事は部下に丸投げしていても、です。年金は「事務次官の年金より多い」といって、問題になったことがあります。しかし、そのままのようです。校長ほど甘い商売はないのです。

 東京都の杉並区立和田中学校で民間人校長になった藤原和博さんは「我が校には沢山の人が見学に来たけれど、校長は一人も来なかった」と言っていました。藤原さんでも「なぜそうなのか」は考えないのでしょうか。これでは、「よのなか科」をやった意味がありません。

 ついでに言っておきますと、あの「よのなか科」では「官と民の違い」は問題にしなかったようです。官の堕落を防ぐにはどうしたら好いかを考えさせなかったようです。商売のやり方などを練習させたようです。これでは「よのなか科」とは言えません。一番大切な事が抜けていますから。

 静岡県の川勝知事は、先日、学テ問題で、校長の名前を発表するとかで物議を醸しました。校長の責任を問うのはよいのですが、「学校教育は、個々の教師が行うものではなくて、校長を中心とする教師集団が行うものだ」という根本命題をきちんと言わない(知らない)のは、見識がなさ過ぎます。

 又、校長の責任を問うならば、その前に教育長の責任を問うべきです。教育長が校長を評価せず、指導せず、交代させないから、校長は平然としているのです。私は10年ほど前、引佐町の或る自治会長として、教育長に、「ホームページを作っていない校長がいるがどうか?」と聞いた時、教育長は、どんな形で報告をするかは学校の「個性」だ、と答えました。サボルのも「個性」の一つだから好いのだ、という事です。

 サボリ校長をサボリ教育長(評価と指導をしない教育長)が支えているのです。それなのに、川勝知事も教育長の責任は一切、問題にしませんでした。これを言うと、教育長を任命した自分の責任問題になるからです。教師をし、学長も務めたのに、「私の授業と大学運営から学べ」とも言いませんでした。その種の本を出していないから、言えないのでしょう。

 結局、首長のリーダーシップの問題なのです。いなごさんもここまで理解してほしいものです。我が「マキペディア」を読んでいるのですから、尚更です。

 いなごさんは、首長選挙の時、こういった事を考えて、適任者を教育長にする候補者に投票しているでしょうか。ネットでそういう主張をしているでしょうか。

 02、浜松市の中学校でのイジメ自殺問題

 我が浜松市の中学校でもイジメ自殺がありました。昨年の事です。その自殺者の親が学校や市を相手取って、裁判を起こしたようです。新聞記事を引きます。

──浜松市立曳馬中学校2年の男子生徒=当時(13)=が昨年(2012年)6月、住宅屋上から転落死した問題で、死亡した片岡完太君の父道雄さん(48)ら両親が27日、いじめで精神的に追い詰められて自殺したなどとして、同級生ら11人と浜松市に約6200万円の損害賠償を求め、静岡地裁浜松支部に提訴した。

 市に対しては、片岡君の死後、学校側の配慮に欠けた対応で精神的苦痛を受けたとして、両親へそれぞれ100万円を支払うことも求めた。

 訴状によると、2012年2月からいじめが始まり、片岡君は通っていた学習塾で「死ね」などの悪口を言われたり、帰宅時にエアガンで撃たれたりした。学校では教室で首を絞められたほか、床に倒され馬乗りになって腹をたたかれた。あらゆる場面で継続的にいじめがあったが、校長や学級担任、部活顧問はいじめを放置。学校側は亡くなったあとも調査をほとんどしなかったとしている。

 市教委の高木伸三教育長は「訴状が届いておらず内容を確認できていない。今後よく検討し、誠実かつ適切に対応する」と文書でコメントした。

 片岡君は2012年6月12日夕、浜松市中区の自宅の十階建て集合住宅屋上から落ちて亡くなった。同12月、市教委が設置した第三者調査委は「いじめを背景にした自殺」との報告書を公表。道雄さんはことし5月、同級生らから暴行を受けたなどとして、浜松中央署に被害届を提出した。

 父親の片岡道雄さんは提訴後、記者会見し「完太がどれほどつらい思いをしたのかを考えると到底許すことはできない。いじめに対する厳しい判断が出ることで、安心して通わせられる学校に変わることを願っている」と提訴への思いを語った。

 明るく友達が好きだった片岡君はいじめが始まったあとも、家では笑顔でいた。父として気持ちを察することができなかったことが、今でも悔やみきれない。「家族を失った後悔を一生背負っていくしかないと思っている」と苦しみは消えない。

 学校側は度重なるいじめ行為を気づかなかったとしているが、「それこそが異常事態ではないか」と強い調子で指摘した。(中日新聞、2013年06月28日)

 参考・浜松市教育委員会は6日、いじめ問題の早期解決を図るための専門家チームを設置し、同市中区で第1回検討会議を開いた。市教委によると、外部専門家で構成するチームの常設は県内初。学校や市教委では対応しきれない問題が発生した場合、チームの委員が助言と支援を行う。

 チームの設置は、同市立曳馬中(中区)の男子生徒が昨年6月に自宅マンション屋上から転落死した問題で、背景にいじめがあったとした第三者調査委員会の報告を踏まえた。臨床心理士と元警察官、精神科医、弁護士、2人の学識経験者を加えた計6人で構成する。任期は来年3月末まで。

 市教委はこの日の会合で、いじめ問題を程度に応じて6段階に分けて対応に当たる方針を示した。学校と保護者らで解決できる問題を「レベル1」、曳馬中の問題のように、第三者調査委員会設置の必要がある最も重大なケースを「レベル6」と位置付けた。専門家チームは、学校だけでは解決できず、市教委指導課が中心になって対応する「レベル4」以上で問題に関わる。

 委員の1人に任命された原拓也弁護士は「現場ではさまざまな問題が起こっている。委員それぞれが、専門性を発揮して問題解決に当たりたい」と話した。(静岡新聞、2013年06月07日)

 感想

 この親御さん(父親の片岡道雄さん)は「学校や教育委員会の誠意のない態度に怒っている」とどこかで読んだ記憶があります。当然でしょう。実際、校長や教育長の態度はひどいものです。浜松市や静岡県では何十年も前から、イジメや教員不祥事が続いています。それなのに、全然改まりません。それなのに、教育長は交代させられず、給与の一部返還もありません。発覚されたり、教員が逮捕されると、記者会見をして頭を下げて「謝罪」し、臨時校長会を開いて、「再発防止に万全を期すように」と話して終わりです。十年一日の如く、毎回毎回、これを繰り返しています。

 これを改めさせられるのは首長しかいません。それなのに、市長も知事も何もしないのです。それに対して、市民からは何の抗議もないのです。万事休す、です。ここでも「辛口でも甘口でもない」感想を書きます。

 父親の片岡道雄さんは「学校と教育長の不誠意」は指摘しましたが、市長の責任は問題にしていないのでしょうか。少なくとも、新聞では読んだ記憶がありません。大津市でも同じ事件がありましたが、こちらは大分違った経過をたどりつつあるようです。なぜか。市長のやる気が浜松市とは違うからです。

 市長まで視野に入れなければ、本当のことは分かりませんし、解決もしません。敢えて言いますが、2011年の浜松市長選で片岡さんはどういう行動を取ったのでしょうか。あの時、私は「仮」立候補しました。ほとんど反響がなく、正式立候補は出来ませんでした。片岡さんは私の「仮」立候補を知っていたのでしょうか。もし私が市長になっていれば、このイジメ自殺は起きていなかったかもしれないのです。少なくとも、起きていない確率の方が起きた確率より高いです。なぜなら、私が市長になったら、先ず教育改革を始めるからです。しかも、現在の予算枠内で可能で、かつ効果的な改革をする案を持っているからです。

 ここまで考察を深めてほしいものです。そうしないと教育改革は行われないからです。「国民は自分に相応しい政府しか持つ事が出来ない」と言われています。市民と市政(市長)の関係でも同じです。どこかの車屋の会長に「改革」してもらおう、などという他人頼みの態度では市政は好くなっていません。当たり前です。市政を改革出来るのは主権者たる市民だけです。他者を責めるのは結構ですが、自己反省を伴わない他者批判では何も変わらないでしょう。

 03、3つ目として朝日新聞の社説を取り上げます。朝日紙の9月26日の社説は2つありましたが、その内の1つは次の通りです。

──題・私たちの目で育てよう

 地方分権が叫ばれて久しい。自治体が独自の施策を競う時代とも言われる。だが、議員のレベルは向上しているだろうか。各地で相次ぐ不祥事に、市民はあきれている。とくに、政務調査費と呼ばれる支給金をめぐる問題は、地方自治のあり方の根幹を考えさせる。

 都道府県議や政令指定市の市議は調査活動の費用として、月50万~60万円をもらっている。だが、飲食や遊興などへの流用があとを絶たず、「第二報酬」とも揶揄(やゆ)されている。名古屋市では、議員の高額報酬を批判し、議会リコールを実現させた地域政党、減税日本の議員たちも不正が発覚した。

 政調費が制度化されたのは2001年。全国的に住民訴訟が相次いでおり、これまで50件超の返還判決が出ている。

 第三者チェックなどを強めるベきなのは言うまでもない。だが、もっと重要なのは、どうしたら地方議員の質を高められるか考えることだろう。この問題を長年追及してきた仙台市や名古屋市、京都市などの市民オンブズマンは最近、議員通信簿の活動を始めた。

 議事録から質問を項目ごとに分析し、点数化する。現場を調べたか、他都市と比較したか、改善策を提案したか。道徳論を延々述べて「教育長いかがですか」と聞く京都市議の質問は0点。民間資金を活用する手法を実地研究し、学校への空調設置の知恵を出した仙台市議は高得点という具合だ。福岡市議会では、一般質問94件のうち48件は事前調査がなかった。名古屋市議会では、1年間、本会議で一度も質問しない議員が75人中19人もいた。

 成績の悪い議員からは「議会外の要望活動も仕事だ」と反論も出たが、そんな論争が生まれること自体が前進だろう。市民が議員活動への関心を高めることが何よりの薬になる。

 もっとも、壁になるのが議会の情報公開度だ。早稲田大の調査などによると、75%の地方議会が本会議の議事録をネット公開しているが、常任委員会については25%にとどまる。 大阪市議会は議案ごとの会派別の賛否を公開している。だが市民研究者らの「議会改革白書」(2011年)によると、全国の議会の65%はそんな情報を出していない。これでどうやって市民の信頼を得るのだろう。

 みなさんも一度、自分の街の議会をのぞいてみてはいかがでしょうか。議員は自分たちの代表です。私たちメディアとともに、もっと間近に注視し、議員を育てていきましょう。(引用終わり)

 感想

 「どうしたら地方議員の質を高められるか」が重要問題だとしながら、「市民オンブズマンは最近、議員通信簿の活動を始めた」などと寝言を言っているようでは、論説委員の「質の向上」が先だなと言わざるを得ません。

 議員通信簿を付ける運動は神奈川県相模原市で随分前から始まり、様々な経験を積んでいるはずです。我が静岡県にはそういう活動が一つもないようですが。

 しかし、議員の質を高める方法としては、国会議員を含めて、松下政経塾の失敗を踏まえて、私は「本当のシンクタンク」を提案しています。そして、その活動の中心は「行政機関のカウンター・ホームページを作る事」だとしています。朝日紙も「情報公開」を念仏のように唱えていますが、「カウンター・ホームページ」という発想はないようです。

 最大の問題は、朝日紙のOB、OGの内、何人の人がこういう「行政を監視する活動」をしているかと言うことです。東北で漁業の活性化に協力しているとか言った話は聞いています。そういう活動なら行政にも歓迎されるでしょう。しかし、日本社会の根本的変革にはならないでしょう。朝日新聞社にも「修身斉家治国平天下」という言葉を贈りたいです。

 04、では、このような低レベルの事態の原因はどこにあるのでしょうか。大学と大学教員にあると思います。「一国の文化のレベルは大学と大学教員で決まる」というのが私の考えです。

 5月18日、朝日新聞に桜美林大学の芳沢光雄教授の文章が載りました。まず、それを引きます。

   記(論理的に考え、書く力を。芳沢光雄)

 大学受験資格にTOEFL〔トーフル、と読むようです〕の基準を設けるなど、大学入試改革に向けた与党案などが論じられている。いうまでもなく、大学入試が教育全般に与える影響は大きく、また、教育そのもののあり方とも深く関わらざるを得ない。まず、そこから考える必要がある。

 今や、人や情報が国境を越えて活発に行き来する時代であり、経済、環境など解決すべきグローバルな課題が山積している。こうした課題に取り組むには、論理的に考え、文化の異なる他者が納得できるように、自らの立場を筋道を立てて説明する力がきわめて重要だ。

 そのために欠かせない1つに、「比の概念」がある。通貨危機への対処には、対国内総生産(GDP)比の債務残高を国際比較する必要があるし、国内の企業価値を測るときも、社員1人当たりの利益が基準になりつつある。環境問題ではたとえば、PM2・5の濃度を国際基準値と比較して対応しなければならない。

 ところが、現在の若い世代は、比の概念の理解が大変苦手だ。まず、「何々の何々に対する割合」という表現にあるような2つの量を定める必要があるが、マークシート問題の答えを当てるテクニックだけに慣れた学生は自ら考えることをせず、暗記に頼って答えを当てようとして間違えてしまう。

 昨年の全国学力テストの中学3年理科で、10%の食塩水1000gを作るのに必要な食塩と水の質量を求める問題が出題され、正解率は52・0%だった。1983年の同様の問題では、正解率は69・8%だった。

 最近の大学生の就職適性検査では、この程度の算数の問題ができない者が少なくなく、「替え玉受験」が横行している実態がネット上に氾濫している。

 また、数学の証明文を書く教育は、筋道を立てて説明する力を育む上で欠かせない。ところが、1970年と2002年の中学数学教科書にある証明問題数を比戟したところ、全学年合計で約200題から約60題に減っていた。

 その結果、2004年1月に文部科学省が発表した全国の高校3年生10万人を対象にした学力調査結果では、ヒント付きの簡単な証明問題でも6割以上が無回答だった。

 日本数学会が昨年2月に発表した数学教育への提言も、「証明問題を解かせるなどの方法で、論理的な文章を書く訓練をする」「数学の入試問題はできる限り記述式に」の2点を強調している。入試を通して、多くの大学が、論理的に考えて説明する力を大切にする姿勢を打ち出してほしいと思う。(朝日、2013年05月18日)

   感想

 芳沢光雄という方は数学者としても業績を挙げているようですし、特に数学教育者としてはとても評判の高い方のようですが、このご意見には疑問を感じます。

 第1に、「論理的思考能力」が大切とした後で、全体を見る事無く、「その中の1つである比の概念」に持って行って、自分の専門である数学教育の話に全体を矮小化してしまった点です。我田引水の見本です。

 第2に、高校までで不十分な教育を受けてきたとしても、最後の砦である大学教育がしっかりしていればかなりの所まで挽回できるはずです。金沢工業大学は、中学レベルの数学も出来ない学生を大卒時にはしかるべき水準まで引き上げる事に成功して、評判になったはずです。他者に「入試改革」を要望する前に、自分の大学の教育改革を学内で提唱し、実行したらどうでしょうか。

 そもそも芳沢氏はどういう理由で桜美林大学に呼ばれたのでしょうか。私の記憶では、数年前に数人の「優秀な教授」と共に他の大学から特別に招かれた(スカウトされた)のだと思います。桜美林大学の掲げる「リベラル・アーツ」とやらの看板として、です。つまり、現有教授のあり方を変えるのではなく、少数の看板教授を使って、見かけだけを好くしようとしたのだと思います。金沢工業大学は学長のリーダーシップの下に、「現有教授の意識改革」を通して、教育体制を一新したのだと聞いています。芳沢氏は桜美林大学のこういうやり方をどう考えているのでしょうか。ぜひとも「論理的な説明」をしてほしいものです。

 桜美林大学については、私は大学院時代に関係のあった永瀬順弘教授(既に退職)を見ていたのですが、アメリカに留学して「意見と主張の言える人間教育」とやらを掲げていました。その「具体的内容」の説明を求めても、回答はありませんでした。大学にもメールで質問しましたが、返事はありませんでした。説明しないのですから、「やっていない」と見なすしかありません。最近、ホテルなどでの「メニュー偽装」が大問題になっていますが、桜美林大学のこれは「シラバス(広義)の偽装」ではないでしょうか。初年度納付金が126万円にもなる大学での「シラバス偽装」です。

 芳沢氏自身は立派な方のようですが、自分の属する大学の「偽装」を是正していない、あるいは学長にその是正を提言していない以上、「修身」は出来ていても「斉家」が出来ていないと言わざるを得ません。従って、「治国平天下」は無理ですし、それを言う資格もないと言わざるを得ません。これでは「世の中は好く」ならないわけです。

     関連項目

世の中はなぜ好くならないのか(その1)

教員人事の真実

議員の通信簿

民間のシンクタンクのあるべき姿(官僚主導を考える)

浜松市長選(2011年)関係の目次


歌人と哲学者

2013年10月25日 | カ行
 俵万智の『ちいさな言葉』(岩波書店、2010年)を読みました。この本の「あとがき」にこう書いてあります。「これは、子どもとの暮らしのなかで、はっとしたり、へえっと思ったり、えっと驚いたり、ふふっと笑ったりしたことを、近況報告のような感じで綴ってきたものです。特に、赤ん坊だった息子が言葉を獲得してゆく過程は、ほんとうにおもしろく、言葉好きな母としては、まことに観察のしがいがありました」。

 私の関心もここにありました。しかし、同じ「関心」と言っても、歌人と認識論の研究者とでは関心の対象が違うだろうから、そこから学ぶ事もあるだろうと思ったのです。又、同じ現象に関心を持ったとしても、それにどういう切り口から関わるかは、多分、違うだろうから、それも面白いだろうと予想しました。

 この予想は当たりました。先ず、私には無い観点を2つ引きます。

 第1は「連濁」という言葉です。私は、こういう国語学の用語及び現象(66頁)を知りませんでした。新明解国語辞典によりますと、その意味はこう書いてあります。「ある条件下の二つの語が連接して複合語を作る時に、下に来る語の第一音節の清音が、濁音になること。例、『あさ+きり→あさぎり』」。

 その文は「くつした」と題されています。つまり「連濁」を教わった子どもがなぜ「くつじた」と言わずに「くつした」と言うのか、と聞いてきて、答えに窮したという話です。俵万智は最後まで答えが分からずに読者に教えを請うています。

 私にも分かりません。そもそも辞書を引いてみますと、「連濁」に反した読み方は結構あるようです。又、「下」には「じた」と濁る読み方はあるのでしょうか。思い付きませんでした。「下々(しもじも)」ならありますが、これは「下」の読み方ではあっても、「じた」ではありません。

 先の新明解の説明では、冒頭に「ある条件下の」という句があります。これは何を意味しているのでしょうか。明鏡国語辞典にはこういう「条件」に当たる句はありませんでした。ですから、新明解の語釈を引いたのです。つまり、この規則は決して絶対的なものではなくて、こうならない複合語もあるということなのでしょう。そうすると、例外になる場合の条件は何かが問題になります。国語学ではこの「例外の条件」が解明されているのでしょうか。少なくとも俵万智はそれを知らないのでしょう。私がここで引かれているような状況になったら、「言葉の法則にはほとんどの場合、例外がある」という事を話すでしょう。

 第2は歌人石川一成です。短歌にも俳句にも川柳にも疎い私が知らないのは当然です。それはこう出てきます。

 ──〔息子が〕年下のいとこに「雪」を説明してやるとき、「おそらからふってくる、まあ、おしおみたいなもん」。なんとこれは、石川一成の名歌「風を従へ坂東太郎に真向へば塩のごとくに降りくる雪か」に使われていた比喩ではないか。親バカ丸出しではあるが、「まいりました」と思ってしまった。(58頁)

 次に同じテーマないし対象について俵万智と私とでは違った観点から捉えている事に移ります。

 その1つは、子どもに説明することの「難しさ」です。こう書いてあります。

──ある日、息子が言った。「べつばらって、なあに?」。知らない言葉に出会うと、必ず知りたがる。最近は、けっこう説明がむずかしいような言葉も多く(子どもにわかる語彙で、かみくだいて意味を伝えるというのは、大人に説明するよりも大変だ)、この「べつばら」も、なかなか苦労した。(65頁)

 実はこの文は先に引いた「くつした」の書き出しです。それはともかく、「子どもに説明するのは大人に説明するより難しい」と一般的に言えるのでしょうか。私はこの問題を『哲学夜話』に収めた文章「人間の相互理解」で考えました。

 そこでは、先ず第一に、「相手に何かを分からせるためには、その事柄をそれ自体として説明するのではなく、相手の知っている事柄と結びつけるようにして説明しなければならない」という事を確認しました。次いで、「母親が五歳の子供に何かを説明して分からせるのと、大学の教師が大学生に何かを説明して分からせるのと、どっちが易しいか、あるいは難しいか」という問題を「読者」に出して、「学生に教える方が易しいんじゃないですか。なぜって、学生の方が五歳の子供より多くのことを知っていますから、新しいことを相手のこれまでの知識と結びつけて説明するにも、結びつける材料が沢山あるということになるわけですから」という答えを引き出しました。俵万智が「大人に説明するよりも大変だ」と安易に考えているのも、その根拠はここにあるだろうと推測します。

 こういう考えに対して、私は「たしかにそういう面はある」と認めた上で、「しかし、ここにもうひとつの条件として、教える側が相手の意味の世界を知っているか否かという条件がある」と主張しました。それは例えば、「母親の場合には、子供が生れてからこれまでにどんな経験をしてきて、どれくらいの知識をもっているかを、母親はよく知っていますから、今説明しようと思っていることと関係があって、しかも子供も知っている事柄を的確に引合いに出すことができる」と言いました。ですから、「世の母親はみなそうしてます。子供に何か聞かれると、たいていは、その事柄と関係のあることで、しかも子供の知っている事を思い出させるように、『ほら、○○ちゃん、この間あそこで……というのがあったでしょ?」と話すのです(同書、159頁)。実際、俵万智の場合でも、この通りの方法で、「べつばら」を大体、的確に説明したと言えるでしょう。

 拙稿「時枝意味論の論理的再構成」(雑誌『国文学、解釈と鑑賞』1995年1月号に所収)で披露した我が姉妹の会話を再録します。

──これも私の長女(みち、という)の小さかった頃(小学校に入るか入らないかという頃)のことである。長女と次女(まみ、という)とが一緒に庭の小さな池の金魚を見ていた。大きい金魚の横で小さい金魚が餌を食べる様子でも見ていたのだろう。長女が「大きい金魚が譲ってるんだね」と言った。次女は「譲る」という単語を知らなかったのだろう。「『譲る』って?」と聞いた。長女は直ぐに「ほら、朝、顔を洗う時、みっちゃんがまみちゃんに先にやらせてあげるでしょ? ああいうのを『譲る』って言うの」。「ふーん」。少し離れた所でこの会話を聞いていて、この長女の説明の鮮やかさに感服した私は、付ける薬も無いほどの親馬鹿だろうか。(引用終わり)

 2つ目は「最初に出会った個別は普遍として理解される」という認識過程の法則に関係しています。俵万智はヘーゲルの認識論を知りませんから(哲学教授でも知っている人はほとんどいません)、次のような形で理解しました。

──子どもが言葉を操っているように見えても、実はその意味が対応していないことも多い。最初にその言葉と出会った状況を、わしづかみにして、子どもは理解している(7頁)

──欧米人らしき人を見ると「あ、英語の人だ」と言う(9-10頁)

──背中でだっこ(13頁)

 拙著をお読みくださっている方々ならば、ほとんどの人が知っているでしょうが、まとまった説明は拙稿「昭和元禄と哲学」〔『生活のなかの哲学』に所収)にあります。ここでも今し方引きました論文に出した実例を再録します。

──長女が小さかった頃、こういう事があった。まず、或る日、ヘリコプターが飛んできた。例によって、「これ、なあに」と聞かれた。「ヘリコブター」と答えた。それから何日か経って、今度は飛行機が飛んできた。長女は、今度は自分の知っているものが来たので喜んで、「ヘリコプター、ヘリコプター!」と叫んだ。それを聞いて空を仰いだ妻が「なんだ、飛行機じゃない」と言った。長女はキョトンとした。

 長女が最初「これ、なあに」と聞いた時、その「これ」で考えていたことは「空を飛ぶ機械一般」のことだったのである。従って、その名前を「ヘリコプター」と聞いて知った時、次に飛行機が飛んできたら、それももちろん「空を飛ぶ機械一般」だから、「ヘリコプター、ヘリコプター!」と叫ぶのは当然だったのである。(引用終わり)

 我が家では長女も次女も、初め、私の読んでいる本の事を「お父さんの絵本」と言う段階がありました。この時、「絵本」とは「本一般」という意味だったのです。なぜなら、生まれてから最初に出会った本が「絵本」だったのですし、「絵本」以外の本を知らないのですから。

 3つ目は次のような事です。俵万智はこう書いています。

──まもなく3歳になる息子、なんだか最近、とみに理屈っぽくなってきた。「こうしたら、こうなる」「これこれは、こういうわけだ」というような、モノゴトの筋道のようなものが、わかりかけてきたのだろう。(17頁)

 普通、3歳前後に第1反抗期が来る、と言われていると思います。私の孫も今年の4月に来てくれた時、3歳2ヶ月でした。「複合文が言えるようになったな」と思いました。「何々だからこれこれ」「何のためにこれこれする」という文が言えるようになっていたからです。拙稿「恋人の会話」(『生活のなかの哲学』に所収)に、3歳前後には、「なぜ?」「どうして?」という問いを発するようになると書きましたが、こういう文法学者的観点はありませんでした。これは俵万智との違いではなく、自己反省です。

 最後の4つ目は次の大問題です。

──子どもが、まず覚えるのはモノの名前、すなわち名詞だ。それから「ちょうだい」とか「おいしい」とか、だんだん動詞、形容詞が加わる。(56頁)

 後半は今は問題にしません。「先ず覚えるのは名詞である」という事実が何を意味するかです。俵万智はあまり深くは考えなかったようですが、私は近著『関口ドイツ文法』の82頁以下で詳しく考えました。核心的な点だけ繰り返しておきますと、名詞こそ言語の中心であるが、他の品詞はみな「事」であるのに反して、名詞だけは「モノ(物、者)」であるということです。だから、言語によって人生の何かを「完全に」表現したり、伝えたりすることは「原理的に」不可能なのである。しかし、それが不可能と知りながら、それを追求せざるを得ないのが文章家の定めなのである、といった事です。

 最後に総括的な感想を書きます。

 その1つは、俵万智は子どもと好く遊んでいるなあ、というものです。だから、これだけ沢山の材料を持っているのだと思いました。残念ながら、私にはそういう能力がありませんでした。家で仕事をする時間が長かっただけです。

 もう1つは「卒業の季節」という題の文を読んだ感想です。

──私が最後の春休みを味わったのは、もう20年近く前になる。高校で教員をしていたあの頃は、三月といえば卒業の匂いがした。

  三月のさんさんさびしき陽をあつめ卒業してゆく生徒の背中
  去ってゆく生徒の声のさくら貝さざめきやまぬ正門の前
  はなむけの言葉を生徒に求められ「出会い」と書けり別れてぞゆく

 当時作った短歌を読みかえしてみると、自分の心のアルバムを開くような気持ちになる。勤めていた高校の門、そこに吸い込まれ、そして出てゆく生徒の背中。それを2階の職員室から見守っていたときの、切ないような、ほっとしたような気分が、鮮やかに蘇る。(略)いかにも頼りない新米教師だった自分が、どんな思いで、生徒たちを見送っていたか。短歌にしていなかったら、たぶん記憶はおぼろになり、年々薄れていったことだろう。短歌には、そのときの思いを、真空パックで保存してくれる一面がある。(145-6頁)

 「時々の思いを真空パックのように保存するもの」は、何も必ずしも短歌でなくても、俳句でも川柳でも、あるいは写真でもスケッチでも作曲でも好いと思います。とにかく持ってさえいれば幸せです。「私にはそういう才能が1つもないなあ」というのが正直な感想です。(2013年10月25日)

漁業(ノルウェーの漁業)

2013年10月24日 | カ行
 日本の水産業関係者の間で近年、ノルウェーの漁業の手法が注目を集めている。生産量が減り、従事者の高齢化も激しい日本に対し、ノルウェーでは漁業の自動化や合理化が進み、若者に人気の職業ともなっでいる。この夏ノルウェーを訪れたのを機に、大西洋岸の漁業拠点オーレスンを訪ね、その実像を垣間見た。

 漁業の町に来たからには、まずは何より、魚市場に行きたい。活気にあふれる様子は、いつ見ても楽しいものだ。どんな魚が揚がっているか。北海産といえばタラか。ひょっとするとクジラがあるかもね。

 GLOBE編集部がある東京・築地の朝日新聞東京本社の隣には、世界最大規模の卸売市場「築地市場」がある。全国の魚がずらりと並び、威勢のいいかけ声が飛び交う。そのような光景を想像して出かけていった「魚市場」は、町の真ん中のオフィスビルの中にあった。地元の漁業者販売組合(SUROFI)の事務所だ。受付のカウンターの背後で、若い女性がヘッドセットで電話中だ。他に職員が2人。

 これが、ノルウェー流の魚市場の姿なのだという。床もぬれでいなければ、長靴姿の仲買人もいない。そもそも、魚が1匹もいない。

 「ノルウェーの漁業のシステムは、世界で最も巧みにつくられています。だからこそ、水産資源を枯渇させずに漁業を続けていられるのです」。StJROFIのスヴェイヌンク・フレム代表(58)が胸を張った。

 取れる魚はサバ、カラフトシシヤモ、タラなどが主だ。漁船はSUROFIに、その日の漁獲高を直接連絡する。SUROFIはこれを受けて、電話やインターネットを通じて競りを実施。先ほどのヘッドセットの女性は、競りの最中だったのだ。

 魚は、漁船内で冷凍され、倉庫に直接荷揚げされる。競り落とした買い手は、倉庫から直接魚を受け取る。漁業管理が徹底し、品質が安定しているから、買い手はいちいち魚を目にしない。だから、魚のない魚市場が可能になる。

 漁獲量は、船ごとに正確に割り当てられでいる。それ以上に多く取る必要はないし、取ってもいけない。SUROFIは、競りを担当すると同時に、漁民が割り当てを守っでいるかどうかの監視役も担う。「違反はほとんどありません。漁業資源を守ることの大切さは、漁民も十分理解しています」とフレム代表。

 この手法をそのまま日本に導入するのは難しいかもしれない。日本には小規模な事業主が多く、魚種も豊富なことから、管理が難しい。ただ、ノルウェーに多くのヒントがあるのは間違いない。実際、日本からもしばしば視察団が訪れるという。

 大型船を利用するノルウェー漁民の年収は1000万~2000万円分にも及び、200万円あまりの日本を大きく上回る。悩みは、漁業者間で淘汰が進み、漁民の数自体が減っていること。現在は国内で約1万人の漁業者がいるが、あと10~20年で8000~7000人に減りそうだと、StJROFIと同じビルに入るノルウェー漁業者協会のウルモルテン・ソルナ会長(48)は予想した。「海底油田の掘削のために操船技術者を求める石油産業が、人材を引き抜いでいる」と語った。(以下略)

 (朝日新聞グローブ、2013年10月20日。国末憲人)

   感想

 元朝日新聞の論説委員だった高成田亨が、何年か前、やはり朝日新聞グローブに、ノルウェーの漁船に乗り込んだ体験を発表していたと思います。

 その高成田は定年退職後、東北に住み、地元の漁業に関心を持っているとか、書いてあったと思います。そして、震災後は、東北の漁業をノルウェー方式で復興させる努力をしているはずです。

 国末も「この手法をそのまま日本に導入するのは難しいかもしれない」と書いて済ませるのではなく、そういう努力が今、どこまで進んでいるかを含めて、報告してくれるとありがたかったと思います。

鶏鳴学園の思い出

2013年04月04日 | カ行
 『合本・鶏鳴』を読んで下さった方が、コメント欄に思い出を書いて下さいました。ありがとうございます。

 この機会に鶏鳴学園の初期の頃の思い出を少し書いて見ようかな、という気に成りました。

 私は自分の年譜のようなものを少し前から書いているのですが、昔の部分は記憶に頼っていますから、不正確な所もありますが、それを見ますと、
1971年、鶏鳴出版を始める。
1973年4月、哲学私塾「鶏鳴学園」を始める。
 となっています。

 1971年から東洋大学で、更に半年遅れて法政大学で、ドイツ語の非常勤講師を始めましたが、その学生たちの中の希望者を主たる対象として1973年、「牧野道場」というものを始めたのだったと思います。

 そうそう、脱線しますが、先ず最初に集まった学生の中に日大のKさんがいます。Kさんは東洋大学の私の授業に出ていた人なのですが、実は「ニセ学生」だったのです。友人が私の授業に出ていたのに、何かの都合で辞めた時、そのKさんに「面白い先生がいるぞ」と推薦したらしいのです。それでその辞めた友人に代わって、しかし名前だけは友人の名で(出欠を取る時などはその友人の名で返事をして)1年間、出ていたのです。「牧野道場」にも来るようになって、こういう事情が分かったのです。

 宇井純さんたちが東大で「公害原論」とかをやっていた頃、「ニセ学生の勧め」みたいな運動があったと思いますが、こういう事は当時は勝手に行われていたのです。今はどうなのでしょうか。

 さて、1973年に出しました『初版資本論第1章』が売れたために一般の人にも名前が知られるようになり、東京都の職員が2名、参加して下さいました。これと前後して、単発で「哲学講習会」を開いたり、数回のシリーズで「資本論の勉強会」をしたと思います。そうい事を踏まえて、正式に発足したのだと思います。

 いずれにせよ、初めは自分の教室がなかったので、大学の部屋を借りたり、区の施設を借りたりしながらの学園でした。そこで庭に自力で小屋を建てたのです。
1975年8月、鶏鳴学園の教室を自力で建設。
同、10月、鶏鳴学園、正式発足
 とあります。ですから、1973年のそれは「鶏鳴学園の前身」の始まりだと思います。

 とにかく、1970年代という時代背景、と言うか、「風」に乗って、生徒も増えました。「カセット聴講生」というのを考えだしたので、通えない方も参加して下さいました。
 60年代末の「運動」の挫折を経て、「本当の勉強がしたい」と言って参加して下さった方々でした。一時は全員で30名くらい居た時もありました。本当に懐かしいです。

 しかし、私の力も指導力も低かったですし、経営の才能もなかったために、段々と下降線をたどることになりました。

 今では「学問は一代、思想も一代」という考えに成りましたので、生徒は取りませんが、当時はこれ以外に考えられませんでした。

1975年12月、スト権ストの最中も関口研究に没頭
1976年06月、雑誌「鶏鳴」を創刊
 とあります。

 1976年に出した『関口ドイツ語学の研究』で又、知己が広がりました。あれから37年になる訳ですね。ようやく『関口ドイツ文法』を出す所まできました。

 自分の人生を振り返ってみると、やはり、戦争のない時代に生きる事の出来た事が、幸運だったと思います。6歳までは戦争中でしたが、小学校からは戦後でした。何と言っても、やはり、平和が幸福の第1前提だと思います。

 そして、コンピューター時代まで生き延びた事、これが第2に大きな幸運だったと思っています。私のような言論だけで生きている人間にとっては、事実上無料で自分の意見を発表できるという事は、物凄く有りがたいことです。それがどうだけ読まれるか、それは相手にも依る事です。自分は自分の義務を果たす以外の事は出来ません。

 この恵まれた条件を活かして、仕事をやり残すことのないように、残りの時間を生きたいと思っています。

文化語学と実用語学

2013年03月21日 | カ行
                   関口 存男(つぎお)

 私がはじめてドイツ語をやり出してから後の十年足らずの間の苦心談は以上に述べた通りですが、それから後のお話をすることになると、ここに一寸、およそ語学教育というものの根底に横たわっている重大問題の1つを検討せざるを得なくなります。重大問題というのは、『文化語学』(Philologie)か『実用語学』(Linguistik)かという、殊に現下の外国語教育方針に重大関係のある、またこれから如何なる外国語をやる人にも切実な関係のある重大問題です。

 まず私自身の傾向の方をハッキリと告白しておきましょう。前回までの身の上話をお読み下さった方々にはもはや別に改めて告白するまでもないことですが、私は日本にいて書物でドイツ語を勉強した人間ですから、私のドイツ語は、出発点からして、いわば生きたドイツ語ではなかったわけです。つまり、昔の漢学者が漢文を勉強するようにドイツ語を書物の上で学んだ人間です。近頃は殊に英語教育の方において、眼から先に入るといったような「学問的」な教え方はいけない、耳と口とで覚えるような教授法を採用しなければいけない、という事が急にやかましく言われているようですが、そういう見地からは、どちらかというと、やはり私も非難される方の陣営に入ってしまうでしょう。

 けれども、『文化語学』対『実用語学』という見地からは、私は、もっと詳しく言うならば、丁度その中間ぐらいの所を領域にしていて、どちらかというと少し文化語学の方に傾いている……といった程度のところにいます。

 それから、私の実用語学(即ち、発音、会話、作文等)的方面の事も正直に告白しておきます。私のはとにかくドイツへ行った事もないのですから、会話ができるだけでも一種の奇蹟と思っていただかなくてはならないのですが、もちろんそうスラスラとしゃべれるわけではなく、やはり一言一句かなり努力しないといえません。発音も、そう大して手際が好くはない、99パーセントまでドイツ人のそれに近いという自信はありますが、あとの1パーセントはどうにも致し方のないところがある。

 10年ほど前まで度々ラジオでドイツ語の放送を担当したことがありますから、お聞きになった方は大体お分かりのことと思います。自分から言うのはおかしいが、大体ドイツ人の発音によく似た発音はします。決していかにも日本人がやっているように聞こえる拙い発音ではない。しかし,ドイツ人に聞いてみると、「よく聞いていると、やはり本当のドイツ人でないことは直ぐわかる」というのだから、こいつはどうもやはりやむを得ないものと見えます。結局二世の英語のようには行かない。

 作文はどうかというと、この方は会話とはちがって、ずっと本物です。作文は、苦心もし、時にはずいぶん時間もかけ、調べるべきことはチャンと調べて書くし、おまけに文学書や哲学書その他色んな物を読んで色んな事を知っているから、作文だけは或いはドイツ人なみに書けると言っても好いかも知れません。

 単に眼から入ってきたドイツ語の知識を基礎にして、多少インチキであるにもせよ、どうして発音、会話、作文、即ち実用語学的方面を以上の程度にまで進歩させたかということは、これはチョット一ロでは説明できません。褒めてくれる人は、「語学の天才」という、ちょっと私には意味のわからない、光栄ではあるが、多少迷惑な形容詞で以て片づけてしまう。なぜ迷惑かというと、天才という形容詞は、私のチョット一口には説明できない複雑微妙な、無限にこみ入った、単に意識と脳力と努力と苦心とによって操作して来た千態萬様の「人工的努力」と、その努力の蔭にかくれた「企画性」と「信念」とを全然買ってくれない評価だからです。否、私の語学力というやつは、縦にして眺めても横にして眺めても、「天才的」なところはどこにもない、凡て是れ意識的に、努力的に、企画的に、ヤットのことででっち上げ、ヤットの事で持ちこたえている人工的なものにすぎません。

 たとえば,発音にしても、ドイツ本国へ行けないから、その代りに在京のドイツ人と接するたびに、一言一句相手のしゃべるのに注意して、まるで植物学者が植物を採集するようにして、いろんな知識を採集して、同時に一生懸命にかれらの発音を真似したきりの話にすぎません。殊に映画はよく利用しました。同じ映画を三四晩もつづけて見、おしまいには中の文句を半分通り覚えてしまうほども研究しました。それでも、なかなか全部聴いてわかるところまでは行かない。しかし、とにかくトーキーでは随分覚えました。

 その他,既に22、3才の時、幸にして在京のオーストリア人のLeopold Winkler君というのが、同じ大久保に住んでいたので、この人としょっちゅう交際することになったのが非常にためになりました。この人は今でもいますが、duで話す関係のドイツ人というのは今でも此の人きりです。その他、今日まで、全体として、色んな関係で話したドイツ人の数が、それでも50人や60人はあったでしようか。私の会話力と発音というのは、つまり東京にいた5、60人の色んな種類のドイツ人と、それから若干のドイツ映画とから獲得した、すこぶる人工的なものなのです。その努力といったらありません! 或る種の細かい事となると、あんまり恥かしくて、とても公開する勇気がありません。

 けれども、たとえどんな無理な人工的な手を用いたにせよ、とにかく私のドイツ語には、我国の多くのドイツ語学者や大学教授諸君には大いに欠けている所の「実際語学的方面」というものが多分にあることは事実で、本来はやはりそうした人々と同じような「文化語学」即ちPhilologieの方の畑の男でありながら、そうした畑の方に一番欠けている実際語学的方面の要素を多分に備えているということが取りも直さず私の強味だと云えましょう。けれども、私を単に実用語学者だと思っている人があるとすれば、それに対しては私としては断然異議があります。だいいち、語学というものを専ら実用語学と解する事に対しては真向から反対ですから、その意味においては、私は或いはいわゆる「語学者」ではないかもしれません。やはり、よく言う、むつかしい事はよく知っているくせに、会話や聴き取りとなると、ごく簡単なことにすらマゴつく「学者」の方の陣営です。

 だから、文化語学か実用語学かという問題に関しても、私はどちらかと言うと「文化語学」というものの方を強調したい気持でいます。今の時勢には多少逆らうかも知れないが、一国の文化という高遠な観点からは、真の教育家はすべてそうでなければならないと思います。それは決して耳と口との教授法という改革に対して反対を唱える意味ではないので、それはそれで結構であり、私自身も実際教壇に立つ時にはそれを最高の原則としてやってきました(今は指定は受けていないが、とにかく士官学校を卒業して形式的には少尉に任官した履歴上当然追放だろうと言われているので、自から謹んで、何とか決まるまでは公職にも教職にも就こうとは思っていませんが)。(昭和25年現在)

 では、どういう意味で文化語学の方を強調するかということを少し言わせてもらいます。本稿は、本当は具体的な苦心談だけにとどめて、一般論はなるたけ遠慮するつもりではありますが、この問題だけは、私自身の語学力の生成過程と密接な関係があって、両者を分けて考えるわけには行かないと思うので、しばらく御辛抱をねがう次第です。

 まず、いわゆるLinguistik、すなわち実用語学というものの正体をよく観察して見ようではありませんか。そうすれば、それが果して語学の理想であるかどうかは、すぐわかります。

 私の経験から云うと、実用語学なんてものは、真の語学すなわち文化語学の方がしっかりしていさえすれば、わけのないものだと思います。よく云う事だが、大学で何年も英語をやったというのに、缶詰のレッテルすら読めないじゃないか、と云って大学の英語が非難されます。しかし、大学では別に缶詰のレッテルの読み方を教えるわけではないから、それもやむを得ないじゃないですか!

 それに反して、実用語学のみを理想にして獲得された外国語には、それどころではない。もっともっと致命的な欠陥があります。よく見受ける現象ですが、外人を相手にどんどん話のできる人という奴の中には、もちろん本当に其の外国語をよく知って話す人もあるにはありますが、大抵の人はそうではなくて、単に日常会話の範囲の事だけがわかっているにすぎない。これが証拠に、少しこみ入った話になったり、いわんや思想の発表とか気持の上の問題とかになると、だいいち外人の方で初めっからあきらめて、てんで相手にしてくれない。そういう人が、たとえば外人同志がそうしたむつかしい話をしている席に一緒に座わらされると、まあ何てことはない、まるで落語家がオペラの役を引きうけたような恰好になる。そういう場面を私はたぴたび見受けて知っていますが、実に屈辱的な……というよりはむしろ国辱と云いたい気がします。そういう時には、何というか、或る種の義憤をおぼえます。悲憤的愛国心に鞭打たれます。戦争には何遍負けても好いが、精神的水準と文化人としての水準だけは、せめて西洋人に笑われないだけの日本人を五六萬人造らなければ駄目だと思いました。本当です。

 だから、実用語学の必要を誰よりも痛感して来ていながら、しかも信念としては、誰が何と云っても我が国の語学教育は文化語学でなければならないという結論を持する所以のものは、一にも二にもそうした文化的見地の愛国心から来ています。此の愛国心、此の愛民族心だけは一銭の掛値もありません。

 私は決して右翼的思想をもった男ではない。また左翼的でもない。どちらかというと国際的自由主義者、あるいは個人至上主義的ニヒリストです。けれども,どんなに清算しようとしても清算し切れない過去の野獣が少しばかり意識の奥に残留している……それは愛郷心です、日本人としての自尊心です。こいつだけは腐らないでソーッとしておいてもらいたいのです。しかしマア、こんな話はやめましょう、くだらない事だから‥…

 実用語学的行き方は、勿論中学あたりから盛に採用しなければなりません。けれども、それは直ぐ缶詰のレッテルが読めたり西洋人と話ができたりする事が理想であってはならない、やはり結局は文化語学、すなわち主として「書物が読める」ことが最後の理想でなければならない。書物さえ読めるなら、なんなら会話や作文はできなくてもよろしい。少くとも、全部のインテリが会話や作文ができる必要はない。しかし書物を読むことだけは全部のインテリができなくてはいけない! これが私の見地です。

 如何となれば、外国語と一口に云っても、文化的背景を持った独英仏等の語学をやる場合と、ホツテントット語やズールー語やダコタ語やエスキモー語をやる場合とは、やる目的が全然ちがうと思うのです。それとも違わないでしょうか?

 もちろん、書物は読めるが会話も作文も碌にできないというのは、たしかに片輪には相違ありません。けれども……書物が読めないよりは好いじゃありませんか!

 とにかく、ちょっとしたツマラナイ事のために最も重要なことを忘れてはいけません。大挙の教授のくせに会話一つ出来ないとか、語学者でありながら発音がなってないとか云いますが、では、我が国の文化、我が国の科学を、せめて今日までの程度に向上させたのは誰の力だと思います? 外人ガイドや、横浜の人力車夫や、米兵専門のパンパンや、その他外人を相手にべラベラと軽快に話のできる人たちの力でしょうか?

 もしそうなら、もっと外人と接触する機会の多い、ジャワ人や仏領インド人や、その他植民地の原住民の方が我々よりはずっと西洋人の胸に喰い入って、我々よりもずっと西洋文化の水準に近づいていた筈です。

 そうではない、我が国の文化水準をせめて今日の程度にまで引きあげたのは、すべて是れ、本は読めるが会話となると頭を掻いて馬脚をあらわす医学者、科学者、思想家、翻訳家、文人、大挙教授、その他の片輪語学者であったのです! すなわち「文化語学」をやって来た人たちなのです!

 だいいち、語彙や表現から云っても、実用語学ほど貧弱なものはありません。それに反して、書物に出て来る外国語が、これが本当の英語、本当のドイツ語です(話される言語が本当の言語だという説は、もう古いと云って好いでしょう)。従って、この方は、そう簡単には支配できません。長年の勉強を要します。しかしそれはむしろ当然でしょう。

 語学というものを軽く考えている人は、もう一度昔の漢学者の立場にかえって、その真の目的を深く反省すべきです。でないと、西暦2049年頃には、極東の地図はすっかり色が変わってしまいますよ。

 以上は、事いやしくもドイツ語に関する限りという前提で申しあげたのです。
 (関口存男『趣味のドイツ語』に所収の「語学苦心談」より)

 感想

 これはドイツ語等の文明国の言葉について(第1条件)国家的見地から(第2条件)述べたものです。従って、「自分は旅行が出来ればいいのだ」とかいう理由で会話だけに絞って鍛える人はそれはそれで好いのです。しかし、学校教育での外国語教育はどうすべきか、となると、個人の目的だけでは決められないでしょう。

 それに関口がこれを書いた頃とは事情が変わっている所もあると思います。私にとって身近なな大学教授の実力について言いますと、今ではドイツに行きやすくなりましたので、「話す」ことは一応出来ても、学術書の読み方を知らない人が多くなっているのではないでしょうか。

 いずれにせよ、何をやるにも「何の為に」やるのかという「目的意識」が一番大切だと思います。ドイツ語を勉強したいという方は少なくありませんが、その際の目的は何なのか、どうもその点のはっきりしていない方が多いように思います。もちろん哲学の勉強でも同じです。問題意識もないのに哲学を勉強しても成果は上がらないでしょう。問題意識がないという事は、勉強の成果を判断する時の基準がないという事だからです。

政治主導を考える、嘉田由紀子滋賀県知事の場合

2013年01月21日 | カ行
 過日の総選挙で小沢一郎氏と共に日本未来の党を作った(その後、分党)ので、一躍全国的に知られるようになりましたが、前から知る人ぞ知る知事ではあったと思います。「新幹線駅の建設はもったいない」と言うスローガンで知事になった人です。

 滋賀県庁のホームページを検討してみました。「かだ便り」というブログ風の日記らしきものを書いています。ほぼ毎日出しているようですし、自分で書いているようです(大津市の越市長は嘉田知事を尊敬しているそうですが、こちらの活動報告は職員が書いているようです。越市長は嘉田知事を見習わなければいけません)。

 さて、その「かだ便り」のほかに「知事への手紙」という項目があります。それの説明みたいなものを見ると、「知事が拝見する前に広報課で確認する」といった事が書いてあります。これでは困ります。「知事宛ての手紙は先ず知事が目を通す」のでなければなりません。かつての田中康夫長野県知事はそうでした。

 そして、その手紙への回答という項目も別にあります。こんなめんどくさい事をしないで、ブログを通常のブログサイトを使って出し、そのコメント欄で県民と議論をすれば好いのです。そんなに県民が怖いのなら、知事を辞めると好いでしょう。

 ともかく「かだ便り」を出している事は一応評価します。ほとんどの知事がこれくらいの事さえしていないのですから。しかし、自分だけ出していて、副知事にも教育長にも他の特別公務員(議員は除く)にも「活動報告をブログで出すように」と指導していないのが困ります。修身斉家治国平天下と言いますが、修身はまあ60点としても、これでは斉家は20点くらいです。

 それなのに、治国をしようとした。ここに嘉田さんの今回の失敗の根本原因があったと思います。まず修身を80点にし、次いで斉家を60点にしてから、治国を考えても遅くはないと思います。

 県立看護専門学校があるようですが、そこの校長の名前も挨拶も載っていないのではないでしょうか。私には見つけられませんでした。話に成りません。

 その他の疑問を2つ、書きます。

 第1に、嘉田さんは「卒原発」だそうですが、なぜ緑の党に加わらなかったのでしょうか。この問題を避けているようです。これは感心しません。

 第2に、女性の幹部の登用がほとんどないようですが、なぜでしょうか。緑の党では総ての役職が男女半々になるようにしているようです。

 「草の根民主主義」という事をもう少し研究されるように希望します。

児童・生徒からの暴力

2013年01月19日 | カ行
 静岡県東部の中学校に勤務する50歳代の男性教諭が男子生徒から暴力を受けて全治1か月の重傷を負い、昨年12月、地方公務員災害補償基金静岡県支部に労災認定されていたことが県教委への取材でわかった。対教師暴力の労災認定は珍しく、今年度はこの1件のみだ。背景には増加する対教師暴力がある。

 県教委福利課などによると、教諭は昨年9月、男子生徒に個別の生徒指導をしていた際、生徒に右脇腹を蹴られ、肋骨(ろっこつ)を折る全治1か月の重傷を負った。教諭は、このけがを公務災害として11月に労災申請し、12月に認定された。基金からは治療費などが支払われたという。

 静岡県内の教職員の公務災害は毎年100件程度で推移しているが、内訳は体育の授業中のけがや部活指導中のけがなどが多い。児童・生徒からの暴力は「申請がないか、あっても年に1、2件程度」(県教委福利課)という。

 2011年度に認定された公務災害は108件。このうち児童・生徒からの暴力は2件で、いずれも軽傷だった。

 県内の児童・生徒による対教師暴力は年々増加傾向にあり、深刻な問題となっている。2006年度に16件だった小学校内での対教師暴力は2011年度には約5倍の75件に増加。中学校での対教師暴力も増加を続けている。

 安倍徹・県教育長は「最近の子供たちには、コミュニケーション能力の低下や我慢する力がなくなっているように感じる。個々の成長の過程を考えながら対応していくことが大事」と話している。

 心対心の指導に

 学校の危機管理に詳しい鳴門教育大大学院の阪根健二教授(学校教育学)は「教員の体罰が問題になっているが、(教員と子供の関係は)力対力ではいけない。心対心の指導に転換すべきだ。それには地域や保護者と一緒に粘り強く指導していくしかない。『学校だけに任す』という風潮が問題だ」と指摘している。(2013年1月17日 読売新聞)

 感想

 安倍教育長は教師のセクハラ事件も体罰も生徒のイジメも対教師暴力も無くせないのだから、辞めるべきだと思います。こういう人を「堅実な行政能力」とか言って任命する川勝知事にも責任があると思います。これらに対して黙っている県民にもあきれます。

            関連項目

学校は治外法権か