マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

官僚主導を考える

2011年12月21日 | カ行
(その1)

 「官僚主導を政治主導に転換する」という民主党のマニフェストとやらは反故になりました。どうしてでしょうか。どうしたらいいのでしょうか。これを考えるためにも官僚の実態を知る必要があります。以下に転載するものは雑誌「文芸春秋」2005年10月号に載った元通産省職員の堺屋太一さんと元大蔵省職員の野口悠紀雄との対談です。参考になる点が多いと思います。最後に「感想」として、重要な点を箇条書きにしました。(牧野)

  小泉政権は官僚支配を強めた

 堺屋 今回の総選挙(2005年夏の総選挙)の争点である郵政民営化に象徴されるように、小泉政権はこの4年、「官から民へ」「官僚支配の打破」をキャッチフレーズとして改革路線を進んできたとされています。しかしその掛け声の通り、日本は「官」主導からの脱却を果たしつつあるのでしょうか。野口さんも私も、かつては霞が関に勤めていた経験があります。私は昭和35年に通産省に入省しましたが、野口さんはいつ大蔵省に入りましたか。

 野口 昭和39年、東京オリンピックの年です。

 堺屋 それから40年以上も経った今、小泉内閣の4年間で日本の官僚支配は全体として弱まったのかどうか。私は逆に強まった、という確信を持っています。例えば、最近の金融庁の金融機関に対する行政指導は相当ひどく、かつての護送船団時代の指導をさらに細分化したような、恣意的で強引なものになっています。「ゆとり教育」などをめぐる文部科学省の教育方針への介入も、総務省の市町村合併に対する高圧的態度も目に余ります。また、北朝鮮をめぐる六ヵ国協議や国連安保理常任理事国入りの騒動などを見ていても、外務大臣は不在で外務官僚の失態ばかりが目立ちます。これはちょうど、戦前の近衛内閣が「新体制運動」といいながらも、実質的には全て官僚任せの政治だったのと似ているように思います。

野口 確かにここ数年、以前なら考えられなかった細かいところまで、官僚が口出しするようになりました。ただ、長期的な視野に立つと、役人の力は低下してきたのではないでしょうか。特に高度成長期と比べると、その力の低下は著しいと思います。

 私は、戦後日本の発展を支えた経済体制を「1940年体制」と名付けています。生産者優先、競争否定の理念の下、終身雇用、間接金融、直接税中心の中央集権的財政などを柱とした国家体制が1940年前後の戦時期に確立されたことからそう名付けました。この体制は戦後に生き残り、官僚たちは強い統制力をフルに活用し、日本の高度経済成長を先導する役割を果たしてきました。

 堺屋 私もそのことは、ずっと前から「昭和16年体制」として繰り返し指摘してきました。戦後の日本は官僚主導、業界協調体制で、規格大量生産型の工業社会を確立しようと頑張っていました。

 たとえば私が勤めた通産省、今の経産省は、本来は業界のコンサルタント的な役割を果すにすぎなかったのですが、戦後の統制経済で急速に力をつけ、田中角栄の頃から総理秘書官を出すようになりました。行政指導と称して、何ごとにも口出しできるようになったからです。

 業界との合意のもとで、業界主流の意見を代弁する一方、業界団体を作らせてそこに天下りを入れ、官民一体の利益構造の中で確実な利益を生む仕掛けです。役人は自分たちの意見よりも、業界主流の主張を聞き、新規参入の排除と過当競争防止に努める。いわば消費者の犠牲のもとに供給側の成長を促し、外に自らの行政指導力を誇示していったのです。製鉄用の溶鉱炉数や、石油コンビナート施設を割当てることで過当競争を防ぐ。官僚主導と業界協調が人事的にも意思的にも一体となって経済成長に邁進していく。これが、高度成長期における官と民の形だったのでしょう。

 野口 個別的な行政指導という点では、大蔵省の銀行局や証券局もそうです。私が証券局にいたときも、形式的には大蔵省が行政指導の内容を決めたことになっていますが、業界の意向、正確には野村証券の意向を無視しては、証券取引法という根拠法令があっても、実質的には何もできません。「私は何をやっているのだろう」と考えていたことを思い出します。

 それから40年近く時が流れ、日本をとりまく経済状況も変わりました。ですから、現在官僚のカが大局的にいえば低下したのは、小泉内閣のおかげではなく、日本の長期的な変化と共に起きた大きな潮流として捉えるべきでしょう。

 自分の家の軒先だけを掃く

 堺屋 世界的に、1980年頃から、社会システムにおける官僚の影響力を減らし、自由化、市場化、グローバル化を進めようという流れが強くなりました。レーガン、サッチャーといった自由主義市場経済の信奉者が現れ、ドルの国際流動性を高めた結果、冷戦構造が経済分野から崩壊し、平等主義的官僚親制は急速に減少していきました。

 ところが、その頃の日本はバブル景気を謳歌していて、世界の流れには無関心でした。さらにバブルが崩壊すると、不況対策ということで官僚の出番がむしろ多くなった。国が自由化、民営化といったものを積極的に意識し始めるのは1998年の橋本不況のころからでしょう。持株会社の解禁やNPO法案などに慌てて手をつけ始めます。その過程で起きたの
が長銀や日債銀の破綻、マイカルやそごうの倒産といった「リスクの市場化」です。確かにこの頃の日本は、遅ればせながらも市場化、非官僚化の方向へと進んでいました。

 野口 それなのに、堺屋さんも御指摘のように、最近になって役人の圧力を以前よりも強く、それも瑣末な場面で数多く感じます。たとえば国立大学は独立行政法人になりましたから、本来なら各大学がかなり自由に経営できるはずなのに、実際は文科省が細かなことを言ってくるようで「以前よりもやりにくい」と知人の国立大学教授がこぼしています。

 他にも、証券市場における株式のカラ売り規制が強化されたことがありますが、カラ売りは正常な取引で、規制すべきではありません。株価下落を防ぐためだけの規制で、これは間違いなく市場を歪曲化します。市場に「NO」を突きつけられた産業、企業は本来消滅してゆくのが資本主義社会の原則なのに、産業再生機構を作って、それを延命させようとする。産業再生という仕事自体は、たとえば新生銀行のケースでもわかるように、民間のファンドでできます。とにかく、不要な規制や施策が実に多い。

 堺屋 これは、進んでいたはずの「リスクの市場化」が、小泉政権になって「リスクの国有化」へと変質していったからです。りそな銀行に国の金を入れる、産業再生機構で国が引き受ける、というプロセスの中では、自然と役人が細かいところに口出しをしていくようになる。制度としては「体制としての官僚指導」から、「各場面での個別指導」になったため、突出して恣意的な指導が目に着くつくようになった。

 野口 今の官僚のやっていることは、自分の家の軒先だけをホウキで掃き、ゴミを隣の玄関先に捨てているようなものです。

 ただ、私は規制が全ていけない、と言っているわけではありません。アスベストの問題などは、以前からその有害性が指摘されていたのに、中途半端な規制しか行ってこなかった。あるいは公正取引委員会は、自由競争を促進させるために必要な組織なのに、ほとんど機能していない。不必要な規制ばかりがなされ、本当に必要な規制がなされていない。

 そもそも「官僚支配」という言葉は、国民と対立するものとしての官僚が、国民の意に沿わないことをやっている、というニュアンスで言われるものでしょう。高度成長期にはもっと大きなカをふるっていたのに、官僚のリーダーシップを国民は是認していた。経済全体が成長したので、問題は感じられなかった。成長が止まって利害対立が先鋭化したので、「官僚支配」という言葉が生まれたのでしょう。

 官僚集団もひとつの利益集団です。いくら批判を浴びたところで、経済成長がもはや期待できず、天下り組織が自然に増えていく時代が過ぎた今、どうにかして自分たちの権限、利益を守っていくことを考えざるをえない。だから余計な規制を広げてゆこうとするのです。

  官僚社会を喜ばせた小泉の「改革」

 堺屋 はっきりしておきたいのは、不正不当の取締りと、行政指導的な規制とは別ものだということです。官僚主義は、ごく少数の事件や事故を契機として規制を強化し、一般的な選択と利便を失わせます。組織論的にいえば、官僚は非常に閉鎖的で、強烈な仲間意識を持っています。一般に組織は「大きくなりたい」「強くなりたい」「結束したい」という3つの意識を持ちますが、軍人や官僚の組織はその最たるものです。官僚組織ではそれ自体が目的化しています。

 実は戦後日本の社会構造において、この官僚集団を牽制する力を持っていたのは、民間大企業と自民党政治でした。ところがここ数年のうちに、この三者の拮抗状態の中から政治の力が急速に低下している。

 野口 小泉内閣がこの4年、取り組もうと宣言したことですね。

 堺屋 そうですね。小泉内閣は自民党と官僚とが時にタッグを組み、時に対抗しながら国を動かしてきた日本の伝統的なシステムを崩しました。

 野口 高度成長期に比べて官僚のカが低下した1つの理由は、税制における山中貞則氏のように、専門的知識を持つ政治家が登場したからです。

 堺屋 1990年代には政治主導の改革が進みましたが、小泉内閣はそういった政治家たちを〝族議員″という名のもとに駆逐してしまったのです。その結果、残った官僚の独走となり、官僚の力だけがどんどん強化されています。残念ながら小泉さんはそのことに気付いていない。族議員をつぶしたからいいじゃないか、と思っているはずです。

 たとえば戦後の内閣は「大臣は辞任するときに官僚の人事を行なってよい」という慣例を守ってきました。大臣は辞めるときに事務次官や局長、官房長を代えることができる。つまり大臣を辞めさせれば官僚は返り血を浴びるという「刺し違え」の仕組みが互いの抑止力として働いていました。ところが田中真紀子外務大臣(当時)を更迭するに当って、大臣の意向とは関わりなく、小泉さんが外相と外務省の野上義二事務教官を代えました。つまり大臣には人事権がなくなったのです。これ以来、官僚の世界に「大臣は〝資質がない″という噂を流せばいつでも代えられる」といった考えがまかり通るようになったのです。

 さらに、文部官僚だった遠山敦子氏を、選挙も長期の社会評価も経ずに文科省の大臣にしていたこと。実はこの人事は官僚社会をたいへん喜ばせました。「役人を選挙や長期間の世評の洗礼を受けることなく大臣に就けてはならない」という戦前の反省に基づく慣例を、いとも簡単に破ってしまったんです。

 さらには、その時の事務次官を、間を置かずに中央教育審議会の委員に入れた。これによって、事務次官時代に提案したものを、審議委員として審議するという手前味噌を許すことにもなった。

 それからもう一つ、橋本内閣時代の行政改革で、官邸機能を強化するため各担当大臣の人事権を官房に集約してしまった。だから、たとえば金融担当大臣には金融庁の人事権がないんです。

 かくして大臣の地位は限りなく軽くなる。今では大臣の方が官僚に遠慮している。官僚たちも所轄の大臣を無視して、直接官房長官や首相官邸に意見を具申するようになっている。金融庁でも、金融担当大臣よりも、金融庁長官の方が経験も人脈もある。だから、大臣が長官に遠慮していますよね。

  力の源泉は情報の独占にあり

 堺屋 小泉さんは、経世会の支持団体である農協組織や医師会、建設業界や郵便局ネットワークなどを潰そうとしています。その結果、職業の縁でつながった戦後の「職縁社会」を解体し、再び官僚主導に依存することになります。「職縁社会」を潰すのなら、それに代わる民の代弁機関、地域コミュニティや「好みの縁」でつながった政治力を育てなければならない。

 小泉さんは意欲と正義敵は強いんですが、知識が不足しているので、自分の行動が周囲に及ぼす影響を予測できない。やはり政治家としては、大蔵大臣も官房長官も、党幹事長も経験していないと、人脈が限られてくる。結局官邸に入ってくる秘書官なり官僚の話、特定の評論家たちで構成される「何でも官邸団」の話にしか耳を傾けないようになってしまった(笑)。

 野口 それにしても、なぜ官僚が力を持っていたのでしょうか。理由はいくつかありますが、官僚の力の基本的な源泉は、情報を独占していることです。

 この場合の情報には2種類あって、ひとつは制度に関する情報。たとえば年金制度や税制は非常に複雑で、仕組みを正確に知らなければ政策論ができません。これを知るだけで大変なエネルギーが必要です。もう1つは、今現在進行中の事態についての情報。徴税であれば、事業所得の実態がどうなっているのか、といった類の情報です。官僚は、この2つの情報を独占することで、その力を推持し続けてきました。

 堺屋 官僚は情報の収集のみならず、その発信も独占しています。これにはさまざまな弊害がある。例えばBSE問題にしても、農水省が「全頭検査でないと危険だ」と先にアナウンスしてしまった。このため、今では日本の学者でも全頭検査を求めることについて再考を促す意見が出てきているのに、政府としては取り消せなくなった。外交も同じです。国連安全保障理事会の常任理事国入りの問題も、国民の半分は安保理ではなく「国連の常任理事国入り」だと勘違いしているはずです。なぜなら、外務省がそういった誤解を招くようなアナウンスをしてしまっているからです。

 閣僚の発音をすぐに官僚が訂正する、という場面も数多くあります。「注釈」[解釈」などといって、あとで何らかのバイアスをかけようとする。塩川正十郎財務相(当時)が、2002年9月の日米財務相会談において不良債権処理加速のために公的資金を活用する方針を表明し、その直後に財務省が発言を取り消したケースがその典型です。記者クラブ制度をうまく利用して、情報の出し入れを行なっている。

 野口 インターネットでどんな情報も手に入るようになったいま、官庁の情報発信は驚くべき状態です。例えば、在職老齢年金制度について調べようと社会保険庁のホームページを開いたところ、一般的な制度の解説であるにもかかわらず、「詳しくはお近くの社会保険事務所で」とありました。社会保険事務所に行けば、何時聞も待たされます。もっとも、国税庁のホームページのように、きわめて充実したものもありますが。

 堺屋 そして業界との癒着が官僚の力を下支えしています。情報にしても、実態情報の大半は業界に申しつけて作らせています。橋梁談合事件でも明らかなように、官需相手の談合の多くは官製談合です。天下った官僚がパイプ役を果たし、業界の声を束ね、どこからともなく「天の声」が聞こえてくる。欧米のように現場説明をなくして電子入札制度を整備すべきです。ところが日本の官僚の通信情報(マシン・リーズナブル)化の能力が低い、という問題があります。

 官僚主導での規格大量生産、癒着を前提とする利益分配が効果的に機能する時代はとうに過ぎています。通産省の場合は、石油危機の前後にこの変化に気付き、自由経済を前提とした行政を模索し出すのですが、権限を失うだけの結果となった。このため規制維持派と自由化推進派とに省内が二つに割れて荒れました。そのあたりで私は、コンサルタント官庁としての通産省の使命は終わったんだな、と感じたものです。

 現在では、多くの業界が官僚離れを望んでいるのに、官僚側が取締りと情報独占を武器に追いかけている状況です。官僚の方は業界離れができていない。世間からの批判の強い天下りについても、本当にその人の能力が買われての再就職よりも、役所とのパイプとして買われる場合が多い。このため、官僚としてはあえて情報を複雑にしている気配があります。

(その2)

2011年12月21日 | カ行
  「局あって省なし」は変わらない

 堺屋 それからもう1つ、当たり前のことですが、官僚組織は強大な権力である、という点も改めて認識すべきでしょう。中央官庁は、権力官庁、事業官庁、そしてコンサルタト官庁と大きく3つに分類できます。

 権力官庁は税制などを司る財務省や、軍事を管轄する防衛庁、警察庁や総務省といった国家の治安を守る省庁など、唯一無二の権力を持っている官庁を指します。総理大臣秘書官はずっとこれらの(財務・外務・警察)官庁から選ばれています。

 事業官庁は、文科省であれば教育、国土交通省であれば道路や港湾といった事業を自分で行い、予算を配分するという権能を持っています。

 そして経産省などのコンサルタント官庁は、行政指導などによって民間を効果的に動かしていく。それぞれがそれぞれの分野で民間には持ち得ないカを持っていて、それが恣意的に使われるか否かは彼らの倫理観に委ねられている。

 野口 中でも大きな権力を持っているのが国税庁です。悪いことをしなければ警察の世話にはなりませんが、所得を得ているかぎり、国税庁からは逃げられない。

 堺屋 昭和初期の治安維持法は、警察に誰でも引っぱれる権力を与えたが、今でも国税庁はそれに近い。しかも政治家やタレントの些細な申告漏れなどがすぐ新聞に流れる。あれは明らかに守秘義務違反ですが、まったく取締まられてはいない。やはり国税は怖いから誰も楯をつけない。

 野口 申告前に事前照会しても、教えてくれない。申告して国税庁の見解と異なれば、修正申告になる。そしてその内容がマスコミに漏洩する。マスコミはそれをまるで脱税事件のように扱う。事前照会に応じてくれるか、守秘義務を徹底するか、どちらかが絶対に必要です。

 橋本行革で大蔵省から国税庁を切り離す、という案が出たことがあります。「これは本気か」と思ったことがありますが、結局立ち消えになった。結局大蔵省を財務省と金融庁に分離したわけですが、国税を切り離すことに比べれば非常に瑣末な行革だったと思います。

 堺屋 世間の多くの人は、官僚の意思決定は数多くのエリートが議論を重ねた上で一つの合意に至っていると思っているようですが、全く違うのです。かなり大きな政治的課題であっても、それこそ局長や担当課長、同補佐など、ごく少数の人間の意思がかなり重要なんです。

 たとえば古い話ですが、自然保護の観点から、タイマイという亀の鼈甲(べっこう)の貿易を禁止する決議が国連に上程された、その時日本はどういう投票行動をとるか、と国連代表部から外務省に請訓(問い合わせ)が来た。外務省では、鼈甲は通産省日用品課の担当だ、ということで通産省官房経由でその課に問い合わせが来た。そこで課の担当官が長崎県の鼈甲加工協会に連絡すると、まあ当然反対という答が返ってくる。それが先刻と逆のルートで国連大使に届けられ、「日本は反対」という意思表示をした。

 するとその翌日、今度は「象牙の貿易禁止」が上程された。また同じように国連代表部から請訓が来て、さきほどと全く同じ課の同じ担当官に入る。今度は山梨県の象牙加工組合に問い合わせて、やはり「反対だ」となった。このように一つ一つの案件を、係長クラスの官僚が一人で、しかも近視眼的に処理するものだから、全体として「日本は自然保護に反対です」という姿勢を内外に示していることになってしまう。これは明らかに国益に反しますよね。

 野口 「局あって省なし」という状況はどこの省でも変わりません。外務省には研修語学別のスクールがあるわけで、それが個々人のキャリアに大きな影響を及ぼすから、外務省一丸となっての外交は期待できません。大蔵省、財務省にしてもそうで、私が主計局時代に、主計局ではない大蔵官僚のAさんにある件を相談したと同僚に話したら、「こんな重要なことを外部の人間に言うな」といわれました。同じ大蔵省内なのに、主計局以外は「外部」なのですね。

 堺屋 戦時中の日本を支えていた両輪である軍国主義と官僚主導のうち、戦後になって軍国主義は排除されました。それと共に、勇気や覚悟、辛抱といった武人的美徳まで排除され、一方の官僚主導体制の方は残った。しかも、内向きの気配りや優しさが官僚の行動規範になりました。たとえば出世レースでも、国のために働いた人や業績を上げた人ではなく、仲間うちで評判の高い人、自己犠牲のできる人が上がっていくようになりました。私も通産省時代に「会議の議題を調べて一夜漬けで関係数値や関連法規の条文などを憶えてひとくさり論じるが、絶対に反対するな。とりあえず賛成した上で、但し書きをつけるのがよい」と教えられた。それで、実際に3年ほどそうやってみたら身内の評判がいっペんによくなった(笑)。他の官庁や政治家に対してはできるだけ抵抗姿勢を見せつつ、最後に必ず妥協する、なんてテクニックもありますね。

 野口 昔と比べて官僚気質も変わったようです。昔の官庁には、上司に対する強い信頼をベースとした人間関係がありましたが、今は一切ないようです。かつてよく言われたノーブレス・オブリージュの精神も、今そういうことを言ったら嘲笑の種になるだけでしょう。若者にとって官僚が魅力的な仕事ではなくなってきている。そうでなければ、来年度の農水省入省予定者に東大法学部卒が1人も入らなかったり、総選挙にあれほど多くの現役官僚が自民、民主問わず出馬するはずはありません。

 堺屋 我々の時代にも、選挙に出てくれという声は数多くありましたが、ここまでたくさんの人間が出ることはありえなかった。私が通産省を辞めた直接の理由は、大平内閣の時に参議院の選挙に出ろと言われて、いやだから辞めます、と。でも、私の後は、ゾロゾロと政界に打って出ています。今、通産出身は国会で20人以上、知事で6人もいるんです。

 野口 私のときも、入って2、3年目の若造なのに「民社党だったらいつでも出られる」と口鋭かれました。でも、出馬する仲間は誰もいませんでした。当時の新米官僚は、夜勤
で局長の秘書代わりをやらされました。夜陳情に訪れる政治家先生に向かって、「局長は今忙しい」と言って追い払う役目をしていた。それだけ政治家より官僚の方が偉かったので
すから、出馬するわけありません。今の官僚は、軒先を掃き続けるか、運がよければ選挙に出るか、のどちらかの選択肢しかない。隔世の感がありますね。

  政治を官僚の手から取り戻すために

 堺屋 では、このゆがんだ形での官僚支配を打破していくためには、一体どうすればよいのでしょうか。

 野口 単に官僚のカを弱めればよい、というものでもありません。アスベスト問題や公正取引委員会など、きちんと官僚が本来の権限をもって強く取り締まってくれないと困るところもあります。国税にしても、公平な徴税をきちんとやってもらわなければなりません。そのためには今の税務署5万人体制を増やす必要もあるかもしれない。年金保険料の未納分もしっかり徴収してくれないと、サラリーマンの厚生年金にしわ寄せが来るわけで、それも困ります。一方で、余計なお節介をしている部分については、是非止めてほしい。

 堺屋 確かに官僚が取り締まるべき分野をきちんと取り締まり、徴税、徴収を行なうことはもちろん重要です。しかし、官僚が国の重要政策を決めたり、民間業界に恣意的に干渉していくようなことはやはり問題です。

 これを止めさせる方法は、宮僚が国家指導の主体としていかに信用できないかを、日本人1人1人がきちんと理解するしかありません。政治家、官僚、評論家、学者といる中で、誰の言葉が一番信じられるかといえば、いまだに官僚、と思つている人が多いでしょう。なぜかといえば、まずは役人には一番正確な数字情報が入ること。次にマスコミを通じた情報発信力が強いこと、そしてやはり、難しい試験に合格し、高度成長を支えた人々の後継者である、ということ。この3つが、いまだに日本人の官僚幻想を支えているのだと思います。

 野口 1990年代に大蔵官僚をはじめとして、官僚のスキャンダルが次々と暴かれました。適切な報道だったと思いますが、あれ以来官僚の権威は大きく失墜しました。他方で政治家に対する信頼感もない。だから日本人は自国の官僚も政治家も信頼できない。なんとも不幸な国になってしまった感じがします。

堺屋 政治に官僚と拮抗する力を持たせなければならない。政治家が官僚への陳情機関になっているようではどうしようもない。官僚に握られている情報についても、業界や官庁とは別の所に民間のシンクタンクを置き、そこで独自に知的蓄積を図る必要があります。それには、寄付という文化を根付かせねばなりません。ところが日本では官僚が一番お金の使い方が上手なんだから、世のため国のためを思う者はまず税金を払え、寄付は官僚様に税金を差し出した余りでやればよい、というわけです。これでは官僚機構に対抗するような情報の蓄積を持つ機関は育ちません。

 野口 政治家の政策立案能力を高めるために採用された政策秘書の制度にしても、結局はカラ給与問題でミソがつきました。器だけ作ってもタメで、政策立案ができる高度の専門性を持った人材を育てるところから始めなければなりません。

 堺屋 本当に日本の官僚支配を変えよう、というのであれば、人事の流動性を確保すべきでしょうね。私は経済企画庁長官のときに、官僚以外の人々を6名、管理職として採用しました。いちどきに民間から6人の管理職を採用したケースは極めて珍しいでしょう。それほど民間との人事交流は少なかったんです。ところがそれも今や1人か2人に減ってしまっています。だから、たとえば官僚の任期を一律10年にして、再任は職種と位階の各段階で3分の2までは認めるが、あとの3分の1は民間に出す、といった官民のローテーション制度を採ってみては、と思います。そうすれば、毎年大量に官僚経験者が民間に出てきて、その分民間から官庁に入って来る。官民の交流が実現し、人材も活性化するはずです。天下りも、この制度の中で自然とその形が変わっていくはずです。

 野口 官僚機構は本来、法令で決められたルールに従い、政治が決めた基本方針を忠実に実行する組織です。しかし実際には、天下り先の確保が本来の職務遂行の妨げになっる、という側面は否めません。天下りの必要をなくすことで、職務に集中する環境を作ることは大切なのではないでしょうか。そこがしっかりしていないから、天下り先を確保するために余計なことをしてしまう。

 アメリカのスポイルズ・システム(猟官制度)では政府高官は民間人がなりますが、政府の高官を終えたあとで民間企業に戻るため、決定にバイアスが生じる、と見る向きがあります。大事なのはビジネス分野から官僚機構を引き離し、独立した存在とすること、たとえば定年までの勤務を保証することではないでしょうか。

 堺屋 人間の欲望には、人気、首、権限の3つがあります。官僚を経験すると、何よりも権限の魅力に取りつかれる。課長補佐から課長になるくらいが権限欲のピークで、その頃は億単位の年収でも「たかが中小企業の成り金奴」といった感じです。それよりも大きな仕事、権限が欲しいものです。定年までの勤務を保証したところで、その官僚が持ち続けてきた権限指向をどうやって別のところに向けるのか。

 たとえば、なぜアスベストを完全禁止できなかったかといえば、そこにも官僚の権限欲が介在しているからです。業界からの要請を受け、「権限を持っている俺が頑張ったから、業者はまだ助かっているんだぞ」と言いたい権限欲と省益、掌管供給者を第1に考えるからこうなってしまう。日本の官僚はまだ清潔な方だと思います。腐敗はしていない。しかし、その倫理観は頽廃しきっている。つまり、何が正しいか誤りなのかがわからなくなっているんです。だから官僚主導は危険なんです。

 総選挙の結果がどう転がったとしても、新しい内閣には本当の官僚支配の打破を実現してもらいたい。それにはやっぱり知識とビジョンのある政治家が、日本の未来体制を考えるべきです。そうでなければ官僚の造った土壌で官僚のルールで相撲をとっているだけ。どちらが勝っても日本国の長期凋落は避けられないでしょう。

     主要点の箇条書きと感想

 1、戦後日本の経済体制は、生産者優先、競争否定の理念の下、終身雇用、間接金融、直接税中心の中央集権的財政などを柱とした国家体制で、これは1940年ころに成立したものである。いわば消費者の犠牲のもとに供給側の成長を促し、外に自らの行政指導力を誇示していった。官僚主導と業界協調が人事的にも意思的にも一体となって経済成長に邁進していく。

 2、世界的に、1980年頃から、社会システムにおける官僚の影響力を減らし、自由化、市場化、グローバル化を進めようという流れが強くなった。ところが、その頃の日本はバブル景気を謳歌していて、世界の流れには無関心だった。

 3、かくして大臣の地位は限りなく軽くなる。今では大臣の方が官僚に遠慮している。官僚たちも所轄の大臣を無視して、直接官房長官や首相官邸に意見を具申するようになっている。金融庁でも、金融担当大臣よりも、金融庁長官の方が経験も人脈もある。だから、大臣が長官に遠慮している。

 4、小泉さんは、経世会の支持団体である農協組織や医師会、建設業界や郵便局ネットワークなどを潰そうとしています。その結果、職業の縁でつながった戦後の「職縁社会」を解体し、再び官僚主導に依存することになります。「職縁社会」を潰すのなら、それに代わる民の代弁機関、地域コミュニティや「好みの縁」でつながった政治力を育てなければならない。

 5、なぜ官僚が力を持っていたのでしょうか。理由はいくつかありますが、官僚の力の基本的な源泉は、情報を独占していることです。
 この場合の情報には2種類あって、ひとつは制度に関する情報。たとえば年金制度や税制は非常に複雑で、仕組みを正確に知らなければ政策論ができません。これを知るだけで大変なエネルギーが必要です。
 もう1つは、今現在進行中の事態についての情報。徴税であれば、事業所得の実態がどうなっているのか、といった類の情報です。官僚は、この2つの情報を独占することで、その力を推持し続けてきました。
 官僚は情報の収集のみならず、その発信も独占しています。そして業界との癒着が官僚の力を下支えしています。

 6、世間の多くの人は、官僚の意思決定は数多くのエリートが議論を重ねた上で1つの合意に至っていると思っているようですが、全く違うのです。かなり大きな政治的課題であっても、それこそ局長や担当課長、同補佐など、ごく少数の人間の意思がかなり重要なんです。

 7、確かに官僚が取り締まるべき分野をきちんと取り締まり、徴税、徴収を行なうことはもちろん重要です。しかし、官僚が国の重要政策を決めたり、民間業界に恣意的に干渉していくようなことはやはり問題です。これを止めさせる方法は、宮僚が国家指導の主体としていかに信用できないかを、日本人1人1人がきちんと理解するしかありません

 8、官僚に握られている情報についても、業界や官庁とは別の所に民間のシンクタンクを置き、そこで独自に知的蓄積を図る必要があります。

 感想

 お二人の結論は8にあるように国民のためのシンクタンクを作る必要があるという事だと思います。賛成です。しかし、お二人共、自分が旗を振ってこれを作ろうとしていません。これが中途半端なインテリの姿です。

 この座談会から6年経ち、政権交代も成し遂げられましたが、政治主導の挫折を経て官僚主導政治は前より強固になったのではないでしょうか。民主党ではだめだと言っても、自民党に返しても好い事も期待できない。どうして好いか分からない、というのが多くの国民の気持ちでしょう。