(その1)
「官僚主導を政治主導に転換する」という民主党のマニフェストとやらは反故になりました。どうしてでしょうか。どうしたらいいのでしょうか。これを考えるためにも官僚の実態を知る必要があります。以下に転載するものは雑誌「文芸春秋」2005年10月号に載った元通産省職員の堺屋太一さんと元大蔵省職員の野口悠紀雄との対談です。参考になる点が多いと思います。最後に「感想」として、重要な点を箇条書きにしました。(牧野)
小泉政権は官僚支配を強めた
堺屋 今回の総選挙(2005年夏の総選挙)の争点である郵政民営化に象徴されるように、小泉政権はこの4年、「官から民へ」「官僚支配の打破」をキャッチフレーズとして改革路線を進んできたとされています。しかしその掛け声の通り、日本は「官」主導からの脱却を果たしつつあるのでしょうか。野口さんも私も、かつては霞が関に勤めていた経験があります。私は昭和35年に通産省に入省しましたが、野口さんはいつ大蔵省に入りましたか。
野口 昭和39年、東京オリンピックの年です。
堺屋 それから40年以上も経った今、小泉内閣の4年間で日本の官僚支配は全体として弱まったのかどうか。私は逆に強まった、という確信を持っています。例えば、最近の金融庁の金融機関に対する行政指導は相当ひどく、かつての護送船団時代の指導をさらに細分化したような、恣意的で強引なものになっています。「ゆとり教育」などをめぐる文部科学省の教育方針への介入も、総務省の市町村合併に対する高圧的態度も目に余ります。また、北朝鮮をめぐる六ヵ国協議や国連安保理常任理事国入りの騒動などを見ていても、外務大臣は不在で外務官僚の失態ばかりが目立ちます。これはちょうど、戦前の近衛内閣が「新体制運動」といいながらも、実質的には全て官僚任せの政治だったのと似ているように思います。
野口 確かにここ数年、以前なら考えられなかった細かいところまで、官僚が口出しするようになりました。ただ、長期的な視野に立つと、役人の力は低下してきたのではないでしょうか。特に高度成長期と比べると、その力の低下は著しいと思います。
私は、戦後日本の発展を支えた経済体制を「1940年体制」と名付けています。生産者優先、競争否定の理念の下、終身雇用、間接金融、直接税中心の中央集権的財政などを柱とした国家体制が1940年前後の戦時期に確立されたことからそう名付けました。この体制は戦後に生き残り、官僚たちは強い統制力をフルに活用し、日本の高度経済成長を先導する役割を果たしてきました。
堺屋 私もそのことは、ずっと前から「昭和16年体制」として繰り返し指摘してきました。戦後の日本は官僚主導、業界協調体制で、規格大量生産型の工業社会を確立しようと頑張っていました。
たとえば私が勤めた通産省、今の経産省は、本来は業界のコンサルタント的な役割を果すにすぎなかったのですが、戦後の統制経済で急速に力をつけ、田中角栄の頃から総理秘書官を出すようになりました。行政指導と称して、何ごとにも口出しできるようになったからです。
業界との合意のもとで、業界主流の意見を代弁する一方、業界団体を作らせてそこに天下りを入れ、官民一体の利益構造の中で確実な利益を生む仕掛けです。役人は自分たちの意見よりも、業界主流の主張を聞き、新規参入の排除と過当競争防止に努める。いわば消費者の犠牲のもとに供給側の成長を促し、外に自らの行政指導力を誇示していったのです。製鉄用の溶鉱炉数や、石油コンビナート施設を割当てることで過当競争を防ぐ。官僚主導と業界協調が人事的にも意思的にも一体となって経済成長に邁進していく。これが、高度成長期における官と民の形だったのでしょう。
野口 個別的な行政指導という点では、大蔵省の銀行局や証券局もそうです。私が証券局にいたときも、形式的には大蔵省が行政指導の内容を決めたことになっていますが、業界の意向、正確には野村証券の意向を無視しては、証券取引法という根拠法令があっても、実質的には何もできません。「私は何をやっているのだろう」と考えていたことを思い出します。
それから40年近く時が流れ、日本をとりまく経済状況も変わりました。ですから、現在官僚のカが大局的にいえば低下したのは、小泉内閣のおかげではなく、日本の長期的な変化と共に起きた大きな潮流として捉えるべきでしょう。
自分の家の軒先だけを掃く
堺屋 世界的に、1980年頃から、社会システムにおける官僚の影響力を減らし、自由化、市場化、グローバル化を進めようという流れが強くなりました。レーガン、サッチャーといった自由主義市場経済の信奉者が現れ、ドルの国際流動性を高めた結果、冷戦構造が経済分野から崩壊し、平等主義的官僚親制は急速に減少していきました。
ところが、その頃の日本はバブル景気を謳歌していて、世界の流れには無関心でした。さらにバブルが崩壊すると、不況対策ということで官僚の出番がむしろ多くなった。国が自由化、民営化といったものを積極的に意識し始めるのは1998年の橋本不況のころからでしょう。持株会社の解禁やNPO法案などに慌てて手をつけ始めます。その過程で起きたの
が長銀や日債銀の破綻、マイカルやそごうの倒産といった「リスクの市場化」です。確かにこの頃の日本は、遅ればせながらも市場化、非官僚化の方向へと進んでいました。
野口 それなのに、堺屋さんも御指摘のように、最近になって役人の圧力を以前よりも強く、それも瑣末な場面で数多く感じます。たとえば国立大学は独立行政法人になりましたから、本来なら各大学がかなり自由に経営できるはずなのに、実際は文科省が細かなことを言ってくるようで「以前よりもやりにくい」と知人の国立大学教授がこぼしています。
他にも、証券市場における株式のカラ売り規制が強化されたことがありますが、カラ売りは正常な取引で、規制すべきではありません。株価下落を防ぐためだけの規制で、これは間違いなく市場を歪曲化します。市場に「NO」を突きつけられた産業、企業は本来消滅してゆくのが資本主義社会の原則なのに、産業再生機構を作って、それを延命させようとする。産業再生という仕事自体は、たとえば新生銀行のケースでもわかるように、民間のファンドでできます。とにかく、不要な規制や施策が実に多い。
堺屋 これは、進んでいたはずの「リスクの市場化」が、小泉政権になって「リスクの国有化」へと変質していったからです。りそな銀行に国の金を入れる、産業再生機構で国が引き受ける、というプロセスの中では、自然と役人が細かいところに口出しをしていくようになる。制度としては「体制としての官僚指導」から、「各場面での個別指導」になったため、突出して恣意的な指導が目に着くつくようになった。
野口 今の官僚のやっていることは、自分の家の軒先だけをホウキで掃き、ゴミを隣の玄関先に捨てているようなものです。
ただ、私は規制が全ていけない、と言っているわけではありません。アスベストの問題などは、以前からその有害性が指摘されていたのに、中途半端な規制しか行ってこなかった。あるいは公正取引委員会は、自由競争を促進させるために必要な組織なのに、ほとんど機能していない。不必要な規制ばかりがなされ、本当に必要な規制がなされていない。
そもそも「官僚支配」という言葉は、国民と対立するものとしての官僚が、国民の意に沿わないことをやっている、というニュアンスで言われるものでしょう。高度成長期にはもっと大きなカをふるっていたのに、官僚のリーダーシップを国民は是認していた。経済全体が成長したので、問題は感じられなかった。成長が止まって利害対立が先鋭化したので、「官僚支配」という言葉が生まれたのでしょう。
官僚集団もひとつの利益集団です。いくら批判を浴びたところで、経済成長がもはや期待できず、天下り組織が自然に増えていく時代が過ぎた今、どうにかして自分たちの権限、利益を守っていくことを考えざるをえない。だから余計な規制を広げてゆこうとするのです。
官僚社会を喜ばせた小泉の「改革」
堺屋 はっきりしておきたいのは、不正不当の取締りと、行政指導的な規制とは別ものだということです。官僚主義は、ごく少数の事件や事故を契機として規制を強化し、一般的な選択と利便を失わせます。組織論的にいえば、官僚は非常に閉鎖的で、強烈な仲間意識を持っています。一般に組織は「大きくなりたい」「強くなりたい」「結束したい」という3つの意識を持ちますが、軍人や官僚の組織はその最たるものです。官僚組織ではそれ自体が目的化しています。
実は戦後日本の社会構造において、この官僚集団を牽制する力を持っていたのは、民間大企業と自民党政治でした。ところがここ数年のうちに、この三者の拮抗状態の中から政治の力が急速に低下している。
野口 小泉内閣がこの4年、取り組もうと宣言したことですね。
堺屋 そうですね。小泉内閣は自民党と官僚とが時にタッグを組み、時に対抗しながら国を動かしてきた日本の伝統的なシステムを崩しました。
野口 高度成長期に比べて官僚のカが低下した1つの理由は、税制における山中貞則氏のように、専門的知識を持つ政治家が登場したからです。
堺屋 1990年代には政治主導の改革が進みましたが、小泉内閣はそういった政治家たちを〝族議員″という名のもとに駆逐してしまったのです。その結果、残った官僚の独走となり、官僚の力だけがどんどん強化されています。残念ながら小泉さんはそのことに気付いていない。族議員をつぶしたからいいじゃないか、と思っているはずです。
たとえば戦後の内閣は「大臣は辞任するときに官僚の人事を行なってよい」という慣例を守ってきました。大臣は辞めるときに事務次官や局長、官房長を代えることができる。つまり大臣を辞めさせれば官僚は返り血を浴びるという「刺し違え」の仕組みが互いの抑止力として働いていました。ところが田中真紀子外務大臣(当時)を更迭するに当って、大臣の意向とは関わりなく、小泉さんが外相と外務省の野上義二事務教官を代えました。つまり大臣には人事権がなくなったのです。これ以来、官僚の世界に「大臣は〝資質がない″という噂を流せばいつでも代えられる」といった考えがまかり通るようになったのです。
さらに、文部官僚だった遠山敦子氏を、選挙も長期の社会評価も経ずに文科省の大臣にしていたこと。実はこの人事は官僚社会をたいへん喜ばせました。「役人を選挙や長期間の世評の洗礼を受けることなく大臣に就けてはならない」という戦前の反省に基づく慣例を、いとも簡単に破ってしまったんです。
さらには、その時の事務次官を、間を置かずに中央教育審議会の委員に入れた。これによって、事務次官時代に提案したものを、審議委員として審議するという手前味噌を許すことにもなった。
それからもう一つ、橋本内閣時代の行政改革で、官邸機能を強化するため各担当大臣の人事権を官房に集約してしまった。だから、たとえば金融担当大臣には金融庁の人事権がないんです。
かくして大臣の地位は限りなく軽くなる。今では大臣の方が官僚に遠慮している。官僚たちも所轄の大臣を無視して、直接官房長官や首相官邸に意見を具申するようになっている。金融庁でも、金融担当大臣よりも、金融庁長官の方が経験も人脈もある。だから、大臣が長官に遠慮していますよね。
力の源泉は情報の独占にあり
堺屋 小泉さんは、経世会の支持団体である農協組織や医師会、建設業界や郵便局ネットワークなどを潰そうとしています。その結果、職業の縁でつながった戦後の「職縁社会」を解体し、再び官僚主導に依存することになります。「職縁社会」を潰すのなら、それに代わる民の代弁機関、地域コミュニティや「好みの縁」でつながった政治力を育てなければならない。
小泉さんは意欲と正義敵は強いんですが、知識が不足しているので、自分の行動が周囲に及ぼす影響を予測できない。やはり政治家としては、大蔵大臣も官房長官も、党幹事長も経験していないと、人脈が限られてくる。結局官邸に入ってくる秘書官なり官僚の話、特定の評論家たちで構成される「何でも官邸団」の話にしか耳を傾けないようになってしまった(笑)。
野口 それにしても、なぜ官僚が力を持っていたのでしょうか。理由はいくつかありますが、官僚の力の基本的な源泉は、情報を独占していることです。
この場合の情報には2種類あって、ひとつは制度に関する情報。たとえば年金制度や税制は非常に複雑で、仕組みを正確に知らなければ政策論ができません。これを知るだけで大変なエネルギーが必要です。もう1つは、今現在進行中の事態についての情報。徴税であれば、事業所得の実態がどうなっているのか、といった類の情報です。官僚は、この2つの情報を独占することで、その力を推持し続けてきました。
堺屋 官僚は情報の収集のみならず、その発信も独占しています。これにはさまざまな弊害がある。例えばBSE問題にしても、農水省が「全頭検査でないと危険だ」と先にアナウンスしてしまった。このため、今では日本の学者でも全頭検査を求めることについて再考を促す意見が出てきているのに、政府としては取り消せなくなった。外交も同じです。国連安全保障理事会の常任理事国入りの問題も、国民の半分は安保理ではなく「国連の常任理事国入り」だと勘違いしているはずです。なぜなら、外務省がそういった誤解を招くようなアナウンスをしてしまっているからです。
閣僚の発音をすぐに官僚が訂正する、という場面も数多くあります。「注釈」[解釈」などといって、あとで何らかのバイアスをかけようとする。塩川正十郎財務相(当時)が、2002年9月の日米財務相会談において不良債権処理加速のために公的資金を活用する方針を表明し、その直後に財務省が発言を取り消したケースがその典型です。記者クラブ制度をうまく利用して、情報の出し入れを行なっている。
野口 インターネットでどんな情報も手に入るようになったいま、官庁の情報発信は驚くべき状態です。例えば、在職老齢年金制度について調べようと社会保険庁のホームページを開いたところ、一般的な制度の解説であるにもかかわらず、「詳しくはお近くの社会保険事務所で」とありました。社会保険事務所に行けば、何時聞も待たされます。もっとも、国税庁のホームページのように、きわめて充実したものもありますが。
堺屋 そして業界との癒着が官僚の力を下支えしています。情報にしても、実態情報の大半は業界に申しつけて作らせています。橋梁談合事件でも明らかなように、官需相手の談合の多くは官製談合です。天下った官僚がパイプ役を果たし、業界の声を束ね、どこからともなく「天の声」が聞こえてくる。欧米のように現場説明をなくして電子入札制度を整備すべきです。ところが日本の官僚の通信情報(マシン・リーズナブル)化の能力が低い、という問題があります。
官僚主導での規格大量生産、癒着を前提とする利益分配が効果的に機能する時代はとうに過ぎています。通産省の場合は、石油危機の前後にこの変化に気付き、自由経済を前提とした行政を模索し出すのですが、権限を失うだけの結果となった。このため規制維持派と自由化推進派とに省内が二つに割れて荒れました。そのあたりで私は、コンサルタント官庁としての通産省の使命は終わったんだな、と感じたものです。
現在では、多くの業界が官僚離れを望んでいるのに、官僚側が取締りと情報独占を武器に追いかけている状況です。官僚の方は業界離れができていない。世間からの批判の強い天下りについても、本当にその人の能力が買われての再就職よりも、役所とのパイプとして買われる場合が多い。このため、官僚としてはあえて情報を複雑にしている気配があります。
「官僚主導を政治主導に転換する」という民主党のマニフェストとやらは反故になりました。どうしてでしょうか。どうしたらいいのでしょうか。これを考えるためにも官僚の実態を知る必要があります。以下に転載するものは雑誌「文芸春秋」2005年10月号に載った元通産省職員の堺屋太一さんと元大蔵省職員の野口悠紀雄との対談です。参考になる点が多いと思います。最後に「感想」として、重要な点を箇条書きにしました。(牧野)
小泉政権は官僚支配を強めた
堺屋 今回の総選挙(2005年夏の総選挙)の争点である郵政民営化に象徴されるように、小泉政権はこの4年、「官から民へ」「官僚支配の打破」をキャッチフレーズとして改革路線を進んできたとされています。しかしその掛け声の通り、日本は「官」主導からの脱却を果たしつつあるのでしょうか。野口さんも私も、かつては霞が関に勤めていた経験があります。私は昭和35年に通産省に入省しましたが、野口さんはいつ大蔵省に入りましたか。
野口 昭和39年、東京オリンピックの年です。
堺屋 それから40年以上も経った今、小泉内閣の4年間で日本の官僚支配は全体として弱まったのかどうか。私は逆に強まった、という確信を持っています。例えば、最近の金融庁の金融機関に対する行政指導は相当ひどく、かつての護送船団時代の指導をさらに細分化したような、恣意的で強引なものになっています。「ゆとり教育」などをめぐる文部科学省の教育方針への介入も、総務省の市町村合併に対する高圧的態度も目に余ります。また、北朝鮮をめぐる六ヵ国協議や国連安保理常任理事国入りの騒動などを見ていても、外務大臣は不在で外務官僚の失態ばかりが目立ちます。これはちょうど、戦前の近衛内閣が「新体制運動」といいながらも、実質的には全て官僚任せの政治だったのと似ているように思います。
野口 確かにここ数年、以前なら考えられなかった細かいところまで、官僚が口出しするようになりました。ただ、長期的な視野に立つと、役人の力は低下してきたのではないでしょうか。特に高度成長期と比べると、その力の低下は著しいと思います。
私は、戦後日本の発展を支えた経済体制を「1940年体制」と名付けています。生産者優先、競争否定の理念の下、終身雇用、間接金融、直接税中心の中央集権的財政などを柱とした国家体制が1940年前後の戦時期に確立されたことからそう名付けました。この体制は戦後に生き残り、官僚たちは強い統制力をフルに活用し、日本の高度経済成長を先導する役割を果たしてきました。
堺屋 私もそのことは、ずっと前から「昭和16年体制」として繰り返し指摘してきました。戦後の日本は官僚主導、業界協調体制で、規格大量生産型の工業社会を確立しようと頑張っていました。
たとえば私が勤めた通産省、今の経産省は、本来は業界のコンサルタント的な役割を果すにすぎなかったのですが、戦後の統制経済で急速に力をつけ、田中角栄の頃から総理秘書官を出すようになりました。行政指導と称して、何ごとにも口出しできるようになったからです。
業界との合意のもとで、業界主流の意見を代弁する一方、業界団体を作らせてそこに天下りを入れ、官民一体の利益構造の中で確実な利益を生む仕掛けです。役人は自分たちの意見よりも、業界主流の主張を聞き、新規参入の排除と過当競争防止に努める。いわば消費者の犠牲のもとに供給側の成長を促し、外に自らの行政指導力を誇示していったのです。製鉄用の溶鉱炉数や、石油コンビナート施設を割当てることで過当競争を防ぐ。官僚主導と業界協調が人事的にも意思的にも一体となって経済成長に邁進していく。これが、高度成長期における官と民の形だったのでしょう。
野口 個別的な行政指導という点では、大蔵省の銀行局や証券局もそうです。私が証券局にいたときも、形式的には大蔵省が行政指導の内容を決めたことになっていますが、業界の意向、正確には野村証券の意向を無視しては、証券取引法という根拠法令があっても、実質的には何もできません。「私は何をやっているのだろう」と考えていたことを思い出します。
それから40年近く時が流れ、日本をとりまく経済状況も変わりました。ですから、現在官僚のカが大局的にいえば低下したのは、小泉内閣のおかげではなく、日本の長期的な変化と共に起きた大きな潮流として捉えるべきでしょう。
自分の家の軒先だけを掃く
堺屋 世界的に、1980年頃から、社会システムにおける官僚の影響力を減らし、自由化、市場化、グローバル化を進めようという流れが強くなりました。レーガン、サッチャーといった自由主義市場経済の信奉者が現れ、ドルの国際流動性を高めた結果、冷戦構造が経済分野から崩壊し、平等主義的官僚親制は急速に減少していきました。
ところが、その頃の日本はバブル景気を謳歌していて、世界の流れには無関心でした。さらにバブルが崩壊すると、不況対策ということで官僚の出番がむしろ多くなった。国が自由化、民営化といったものを積極的に意識し始めるのは1998年の橋本不況のころからでしょう。持株会社の解禁やNPO法案などに慌てて手をつけ始めます。その過程で起きたの
が長銀や日債銀の破綻、マイカルやそごうの倒産といった「リスクの市場化」です。確かにこの頃の日本は、遅ればせながらも市場化、非官僚化の方向へと進んでいました。
野口 それなのに、堺屋さんも御指摘のように、最近になって役人の圧力を以前よりも強く、それも瑣末な場面で数多く感じます。たとえば国立大学は独立行政法人になりましたから、本来なら各大学がかなり自由に経営できるはずなのに、実際は文科省が細かなことを言ってくるようで「以前よりもやりにくい」と知人の国立大学教授がこぼしています。
他にも、証券市場における株式のカラ売り規制が強化されたことがありますが、カラ売りは正常な取引で、規制すべきではありません。株価下落を防ぐためだけの規制で、これは間違いなく市場を歪曲化します。市場に「NO」を突きつけられた産業、企業は本来消滅してゆくのが資本主義社会の原則なのに、産業再生機構を作って、それを延命させようとする。産業再生という仕事自体は、たとえば新生銀行のケースでもわかるように、民間のファンドでできます。とにかく、不要な規制や施策が実に多い。
堺屋 これは、進んでいたはずの「リスクの市場化」が、小泉政権になって「リスクの国有化」へと変質していったからです。りそな銀行に国の金を入れる、産業再生機構で国が引き受ける、というプロセスの中では、自然と役人が細かいところに口出しをしていくようになる。制度としては「体制としての官僚指導」から、「各場面での個別指導」になったため、突出して恣意的な指導が目に着くつくようになった。
野口 今の官僚のやっていることは、自分の家の軒先だけをホウキで掃き、ゴミを隣の玄関先に捨てているようなものです。
ただ、私は規制が全ていけない、と言っているわけではありません。アスベストの問題などは、以前からその有害性が指摘されていたのに、中途半端な規制しか行ってこなかった。あるいは公正取引委員会は、自由競争を促進させるために必要な組織なのに、ほとんど機能していない。不必要な規制ばかりがなされ、本当に必要な規制がなされていない。
そもそも「官僚支配」という言葉は、国民と対立するものとしての官僚が、国民の意に沿わないことをやっている、というニュアンスで言われるものでしょう。高度成長期にはもっと大きなカをふるっていたのに、官僚のリーダーシップを国民は是認していた。経済全体が成長したので、問題は感じられなかった。成長が止まって利害対立が先鋭化したので、「官僚支配」という言葉が生まれたのでしょう。
官僚集団もひとつの利益集団です。いくら批判を浴びたところで、経済成長がもはや期待できず、天下り組織が自然に増えていく時代が過ぎた今、どうにかして自分たちの権限、利益を守っていくことを考えざるをえない。だから余計な規制を広げてゆこうとするのです。
官僚社会を喜ばせた小泉の「改革」
堺屋 はっきりしておきたいのは、不正不当の取締りと、行政指導的な規制とは別ものだということです。官僚主義は、ごく少数の事件や事故を契機として規制を強化し、一般的な選択と利便を失わせます。組織論的にいえば、官僚は非常に閉鎖的で、強烈な仲間意識を持っています。一般に組織は「大きくなりたい」「強くなりたい」「結束したい」という3つの意識を持ちますが、軍人や官僚の組織はその最たるものです。官僚組織ではそれ自体が目的化しています。
実は戦後日本の社会構造において、この官僚集団を牽制する力を持っていたのは、民間大企業と自民党政治でした。ところがここ数年のうちに、この三者の拮抗状態の中から政治の力が急速に低下している。
野口 小泉内閣がこの4年、取り組もうと宣言したことですね。
堺屋 そうですね。小泉内閣は自民党と官僚とが時にタッグを組み、時に対抗しながら国を動かしてきた日本の伝統的なシステムを崩しました。
野口 高度成長期に比べて官僚のカが低下した1つの理由は、税制における山中貞則氏のように、専門的知識を持つ政治家が登場したからです。
堺屋 1990年代には政治主導の改革が進みましたが、小泉内閣はそういった政治家たちを〝族議員″という名のもとに駆逐してしまったのです。その結果、残った官僚の独走となり、官僚の力だけがどんどん強化されています。残念ながら小泉さんはそのことに気付いていない。族議員をつぶしたからいいじゃないか、と思っているはずです。
たとえば戦後の内閣は「大臣は辞任するときに官僚の人事を行なってよい」という慣例を守ってきました。大臣は辞めるときに事務次官や局長、官房長を代えることができる。つまり大臣を辞めさせれば官僚は返り血を浴びるという「刺し違え」の仕組みが互いの抑止力として働いていました。ところが田中真紀子外務大臣(当時)を更迭するに当って、大臣の意向とは関わりなく、小泉さんが外相と外務省の野上義二事務教官を代えました。つまり大臣には人事権がなくなったのです。これ以来、官僚の世界に「大臣は〝資質がない″という噂を流せばいつでも代えられる」といった考えがまかり通るようになったのです。
さらに、文部官僚だった遠山敦子氏を、選挙も長期の社会評価も経ずに文科省の大臣にしていたこと。実はこの人事は官僚社会をたいへん喜ばせました。「役人を選挙や長期間の世評の洗礼を受けることなく大臣に就けてはならない」という戦前の反省に基づく慣例を、いとも簡単に破ってしまったんです。
さらには、その時の事務次官を、間を置かずに中央教育審議会の委員に入れた。これによって、事務次官時代に提案したものを、審議委員として審議するという手前味噌を許すことにもなった。
それからもう一つ、橋本内閣時代の行政改革で、官邸機能を強化するため各担当大臣の人事権を官房に集約してしまった。だから、たとえば金融担当大臣には金融庁の人事権がないんです。
かくして大臣の地位は限りなく軽くなる。今では大臣の方が官僚に遠慮している。官僚たちも所轄の大臣を無視して、直接官房長官や首相官邸に意見を具申するようになっている。金融庁でも、金融担当大臣よりも、金融庁長官の方が経験も人脈もある。だから、大臣が長官に遠慮していますよね。
力の源泉は情報の独占にあり
堺屋 小泉さんは、経世会の支持団体である農協組織や医師会、建設業界や郵便局ネットワークなどを潰そうとしています。その結果、職業の縁でつながった戦後の「職縁社会」を解体し、再び官僚主導に依存することになります。「職縁社会」を潰すのなら、それに代わる民の代弁機関、地域コミュニティや「好みの縁」でつながった政治力を育てなければならない。
小泉さんは意欲と正義敵は強いんですが、知識が不足しているので、自分の行動が周囲に及ぼす影響を予測できない。やはり政治家としては、大蔵大臣も官房長官も、党幹事長も経験していないと、人脈が限られてくる。結局官邸に入ってくる秘書官なり官僚の話、特定の評論家たちで構成される「何でも官邸団」の話にしか耳を傾けないようになってしまった(笑)。
野口 それにしても、なぜ官僚が力を持っていたのでしょうか。理由はいくつかありますが、官僚の力の基本的な源泉は、情報を独占していることです。
この場合の情報には2種類あって、ひとつは制度に関する情報。たとえば年金制度や税制は非常に複雑で、仕組みを正確に知らなければ政策論ができません。これを知るだけで大変なエネルギーが必要です。もう1つは、今現在進行中の事態についての情報。徴税であれば、事業所得の実態がどうなっているのか、といった類の情報です。官僚は、この2つの情報を独占することで、その力を推持し続けてきました。
堺屋 官僚は情報の収集のみならず、その発信も独占しています。これにはさまざまな弊害がある。例えばBSE問題にしても、農水省が「全頭検査でないと危険だ」と先にアナウンスしてしまった。このため、今では日本の学者でも全頭検査を求めることについて再考を促す意見が出てきているのに、政府としては取り消せなくなった。外交も同じです。国連安全保障理事会の常任理事国入りの問題も、国民の半分は安保理ではなく「国連の常任理事国入り」だと勘違いしているはずです。なぜなら、外務省がそういった誤解を招くようなアナウンスをしてしまっているからです。
閣僚の発音をすぐに官僚が訂正する、という場面も数多くあります。「注釈」[解釈」などといって、あとで何らかのバイアスをかけようとする。塩川正十郎財務相(当時)が、2002年9月の日米財務相会談において不良債権処理加速のために公的資金を活用する方針を表明し、その直後に財務省が発言を取り消したケースがその典型です。記者クラブ制度をうまく利用して、情報の出し入れを行なっている。
野口 インターネットでどんな情報も手に入るようになったいま、官庁の情報発信は驚くべき状態です。例えば、在職老齢年金制度について調べようと社会保険庁のホームページを開いたところ、一般的な制度の解説であるにもかかわらず、「詳しくはお近くの社会保険事務所で」とありました。社会保険事務所に行けば、何時聞も待たされます。もっとも、国税庁のホームページのように、きわめて充実したものもありますが。
堺屋 そして業界との癒着が官僚の力を下支えしています。情報にしても、実態情報の大半は業界に申しつけて作らせています。橋梁談合事件でも明らかなように、官需相手の談合の多くは官製談合です。天下った官僚がパイプ役を果たし、業界の声を束ね、どこからともなく「天の声」が聞こえてくる。欧米のように現場説明をなくして電子入札制度を整備すべきです。ところが日本の官僚の通信情報(マシン・リーズナブル)化の能力が低い、という問題があります。
官僚主導での規格大量生産、癒着を前提とする利益分配が効果的に機能する時代はとうに過ぎています。通産省の場合は、石油危機の前後にこの変化に気付き、自由経済を前提とした行政を模索し出すのですが、権限を失うだけの結果となった。このため規制維持派と自由化推進派とに省内が二つに割れて荒れました。そのあたりで私は、コンサルタント官庁としての通産省の使命は終わったんだな、と感じたものです。
現在では、多くの業界が官僚離れを望んでいるのに、官僚側が取締りと情報独占を武器に追いかけている状況です。官僚の方は業界離れができていない。世間からの批判の強い天下りについても、本当にその人の能力が買われての再就職よりも、役所とのパイプとして買われる場合が多い。このため、官僚としてはあえて情報を複雑にしている気配があります。