「芸は一代」と言って弟子を一切取らない人がいるそうです。ラジオ深夜便で大分前に聞きました。たしか日本舞踊か何かの大家だったと思います。これを聞いてからいろいろと考えました。
1、2種の教師
まずここで考えるべきは、教師と言っても「直接的教師」と「間接的教師」とがあることでしょう。かつて朝日新聞で「最高の教師は誰か」とかいったテーマで色々な人に寄稿してもらって掲載していたことがあります。その中で誰か、音楽評論家だったと思いますが、「ベートーベン」と答えていました。
これを読んで私は「直接的教師と間接的教師」といった題で小文を書いて発表した記憶があります。普通は「最高の教師」とか「良い先生」と聞けば、身の回りで出会った「教え方の上手い先生」とか「熱心な先生」を考えるものですが、この評論家は違った見方をしたわけです。言われてみれば、音楽の先生の仕事を「他者(生徒)の音楽的才能を開花させる事」とするならば、この点でベートーベンの音楽の、従ってベートーベンの果たした役割は物凄いものがあったと思います。ですから、ベートーベンを「最高の教師」とするのには十分な根拠があります。
しかし、それは「教師」というものをどう考えるか、「教える」という事をどう考えるか、と関係しています。私はその観点の違いを「直接的教師」と「間接的教師」としてまとめたのです。その小文はどこに発表したのか、今探しても見当たらないので、困っています。誰か見つけた人は教えてください。
2、教える内容のレベル
さて、「芸は一代」と言いますが、本当に芸は弟子に教える事は出来ないものでしょうか。こう考えると、この問題では又、「レベルの問題」があろと思います。初心者に教える、中級者に教える、上級者に教える、最上級者に教えると、ざっと考えただけでも、「教えるレベル」の4つの段階で「教える」事の意味も違ってくると思います。従ってそれは分けて考えるべきでしょう。
このように細かく考えて見ますと、直ぐにも、下のレベルでの方が「直接教える要素」が大きく、上に行けば行くほど、「生徒が自分で学ぶ部分が大きくなる」ということです。そして、最上級レベルでは「教える事は不可能で、自分で研究するしかない」ということです。あるいは、生徒が「一家をなすようなレベル」では、間接的教師しかいないということです。
3、自己反省
結論はこれでいいと思いますが、これと関連して、私は自分の過去を振り返ってみました。それはもちろん「芸」ではなく「学問」に関してです。従って、「芸は一代」を「学問は一代、思想も一代」と捉え直して、自分はこの原理にどれだけ忠実だっただろうか、忠実でなかったとすれば、なぜ忠実でなかったのだろう、という問題です。
自分自身の過去を振り返ってみるとはっきり分かる事は、私が「他者に教える」という事を考えた時は、自信のなかった時だったということです。大学院時代、マルクス主義の研究会と称するものを提唱して勉強会を開いたり合宿までした時も、準備のために猛勉強をしましたが、これも自分一人で猛勉強をする自信がなかったからだと反省しています。
卒業後、「鶏鳴学園」を始めたのはお金のためでもありましたが、私塾で既成の大学に対抗しようという野心もありました。しかし、本を出してもらえるあてもなかった事もあるでしょう。
逆に、私が本当に勉強をしたのは、第1に、高校時代、孤立してしまって勉強するしかなくなった時でした。第2には、修士課程の2年の時の「研究室内での発表」(題は「方法論の方法」)が悪評で、「修士を4年間やって、一人でやって行けるようになろう」と決心して、哲学史の勉強をした時でした。第3に、幸い博士課程に入ったら、奨学金がもらえました。そこで、上記の「マルクス主義の研究会」の限界を感じて、山にこもりヘーゲルを読んだ時でした。ヘーゲルの目的論を読んで、「これなら論文が書ける」と思って急遽東京に帰ってきた時でした。
鶏鳴学園が最終的に失敗して1人になり、絶望のどん底にいた時、又々、本当の勉強が始まりました。中学の担任の先生(我が校では3年間クラス替えがありませんでした)で唯一「本当の先生」と思っていたA先生が亡くなったので、その霊前で「先生、済みません」と心から謝りました。そして、又勉強を始めました。この時は、非常勤講師としてではありますが、文字通り「既成の学校」に戻りました。
私塾で失敗した後なので、今度は「学校の可能性を追求してみよう」と思いました。幸いかなり好い学校で教えることになりました。大学も90年代初めの「改革の始まりの時代」に突入していました。
そこでの経験は本にしてあります(『辞書で読むドイツ語』と『哲学の授業』)が、結局、現下の「学問は一代」という点に関して分かった事は、「良い学校でも本当の学問は教えられない」という事でした。私塾との違いは、どこまで教えられるかの違いでしかないという事です。
要するに、初級レベルや中級レベルなら「教える」事は出来るでしょう。学校の役割はそのレベルの事なのです。あるいは上級レベルでも、教える事は出来るかもしれません。しかし、「一家を成すような最上級レベル」では「教える」ことは出来ないということです。そして、最初に触れた「芸は一代」というのは初めからこの「一家を成すような最上級レベル」の事を考えて言っているのです。歌舞伎とか伝統的な芸の世界では親から子へ代々「芸が受け継がれている」ように見えますが、それはせいぜい「上級レベル」までの事で、家が学校に代わっているだけなのでしょう。子が親と同じような「一家を成すような最上級レベル」に達するのは、子自身に素質があり、それに努力が伴った場合だけなのだと思います。
4、関口さんの事
ここでも私は関口存男さんの事を考えざるをえません。どこかで読んだと思っているのですが、関口さんは「啓蒙(ないし初心者に教えること)は重要だ」と言っていたと思います。そして、彼は実際、初心者用の教科書や参考書を沢山書きました。それに比して、最上級者用の参考書ないし研究書は、「相対的には」少なかったと思います。『冠詞論』(正式の書名は『冠詞』全三巻)以外は、本当の研究書は書かなかったとさえ言える程です(『
ドイツ語学講話』も入れていいかな)。私は、これをとても残念に思う者です。
なぜこういう事になったかと考えて見ますと、「啓蒙は重要だ」というまとめ方が間違っているからです。「重要でない」などと言う人はいないでしょう。問題は、初心者に教える事と、中級者に教える事と、上級者に教える事との比重、重要性のバランスをどう考えるかが問題なのです。何にどれくらいの力を入れるか、と考えなかったのが間違いの元でした。
「啓蒙は重要だ」と言う関口さんも、その『冠詞』の中ではどこかで、「辞書を引きながら読むようなのは語学とは認めない」といった言葉があったと思います。それなのに、初心者用の本を沢山書き、研究書は少ししか書かなかったのです。まだ書くつもりだったのかもしれませんが、書かないで死んでしまったのです。自分の一生の計画の立て方が間違っていたのです。
推定ですが、関口さんも晩年には、「本当に自分の後を継ぐような弟子は出なかったな」と思っていたのではないでしょうか。最後は、諦めの境地だったと思います。しかし、「学問は一代」とは明確には気付かず、研究書を残す事に集中することなく、NHKでの初級講座で疲れて、奥さんの死がキッカケとなり、バッタリ死んでしまいました。
5、結論
芸も学問も、初級や中級レベルの事は教えられる、つまり「一代」ではない。問題は先生にその才能と性格があるか否かである。これは学校でも私塾でも同じだと思います。
上級ないし「一家を成すような最上級レベル」については、教えることは出来ないと思います。つまり、学ぶ側に素質とやる気があるかだけの問題なのです。芸も学問も「盗むものであって、教わるものではない」ということです。そして、「芸は一代」とか「学問は一代」という時の「芸」とか「学問」は初級や中級レベルの事を言っているのではなく、「一家を成すような最上級レベル」の事を言っているのですから、この言葉は正しいと思います。
私は関口さんの失敗を繰り返すことのないようにしたいと思っています。幸い、本を出してもらえるようになりました。インターネットの発達で、論文ならブログで自由に発表できるようになりました。
無料の大学講座が出てきて、伸びているそうです。「ムーク」とかいう動きのようです。我が「マキペディア」はその一種と考える事が出来ます。読者が「小論文」を出してくれないだけです。メルマガ「教育の広場」時代の方が、読者の投稿が充実していたと思います。ブログでは「コメント」となっているのが悪いのでしょうか。
アマゾンで拙訳『小論理学』下巻へのレビューで高い評価を下さった方が、「翻訳者の些か奇態な意見主張」と書いていますが、具体的にどこがどうおかしいのか書いて、その上自分の意見を書いてくれなければ、議論になりません。
まあ、読者に不満を述べるのは「教えたがり屋」の悪い癖ですから止めましょう。そして、「学問は一代」という言葉を肝に銘じて、自分の研究成果の発表だけに集中することにしましょう。
関連項目
思想の相続
直接的教師と間接的教師
1、2種の教師
まずここで考えるべきは、教師と言っても「直接的教師」と「間接的教師」とがあることでしょう。かつて朝日新聞で「最高の教師は誰か」とかいったテーマで色々な人に寄稿してもらって掲載していたことがあります。その中で誰か、音楽評論家だったと思いますが、「ベートーベン」と答えていました。
これを読んで私は「直接的教師と間接的教師」といった題で小文を書いて発表した記憶があります。普通は「最高の教師」とか「良い先生」と聞けば、身の回りで出会った「教え方の上手い先生」とか「熱心な先生」を考えるものですが、この評論家は違った見方をしたわけです。言われてみれば、音楽の先生の仕事を「他者(生徒)の音楽的才能を開花させる事」とするならば、この点でベートーベンの音楽の、従ってベートーベンの果たした役割は物凄いものがあったと思います。ですから、ベートーベンを「最高の教師」とするのには十分な根拠があります。
しかし、それは「教師」というものをどう考えるか、「教える」という事をどう考えるか、と関係しています。私はその観点の違いを「直接的教師」と「間接的教師」としてまとめたのです。その小文はどこに発表したのか、今探しても見当たらないので、困っています。誰か見つけた人は教えてください。
2、教える内容のレベル
さて、「芸は一代」と言いますが、本当に芸は弟子に教える事は出来ないものでしょうか。こう考えると、この問題では又、「レベルの問題」があろと思います。初心者に教える、中級者に教える、上級者に教える、最上級者に教えると、ざっと考えただけでも、「教えるレベル」の4つの段階で「教える」事の意味も違ってくると思います。従ってそれは分けて考えるべきでしょう。
このように細かく考えて見ますと、直ぐにも、下のレベルでの方が「直接教える要素」が大きく、上に行けば行くほど、「生徒が自分で学ぶ部分が大きくなる」ということです。そして、最上級レベルでは「教える事は不可能で、自分で研究するしかない」ということです。あるいは、生徒が「一家をなすようなレベル」では、間接的教師しかいないということです。
3、自己反省
結論はこれでいいと思いますが、これと関連して、私は自分の過去を振り返ってみました。それはもちろん「芸」ではなく「学問」に関してです。従って、「芸は一代」を「学問は一代、思想も一代」と捉え直して、自分はこの原理にどれだけ忠実だっただろうか、忠実でなかったとすれば、なぜ忠実でなかったのだろう、という問題です。
自分自身の過去を振り返ってみるとはっきり分かる事は、私が「他者に教える」という事を考えた時は、自信のなかった時だったということです。大学院時代、マルクス主義の研究会と称するものを提唱して勉強会を開いたり合宿までした時も、準備のために猛勉強をしましたが、これも自分一人で猛勉強をする自信がなかったからだと反省しています。
卒業後、「鶏鳴学園」を始めたのはお金のためでもありましたが、私塾で既成の大学に対抗しようという野心もありました。しかし、本を出してもらえるあてもなかった事もあるでしょう。
逆に、私が本当に勉強をしたのは、第1に、高校時代、孤立してしまって勉強するしかなくなった時でした。第2には、修士課程の2年の時の「研究室内での発表」(題は「方法論の方法」)が悪評で、「修士を4年間やって、一人でやって行けるようになろう」と決心して、哲学史の勉強をした時でした。第3に、幸い博士課程に入ったら、奨学金がもらえました。そこで、上記の「マルクス主義の研究会」の限界を感じて、山にこもりヘーゲルを読んだ時でした。ヘーゲルの目的論を読んで、「これなら論文が書ける」と思って急遽東京に帰ってきた時でした。
鶏鳴学園が最終的に失敗して1人になり、絶望のどん底にいた時、又々、本当の勉強が始まりました。中学の担任の先生(我が校では3年間クラス替えがありませんでした)で唯一「本当の先生」と思っていたA先生が亡くなったので、その霊前で「先生、済みません」と心から謝りました。そして、又勉強を始めました。この時は、非常勤講師としてではありますが、文字通り「既成の学校」に戻りました。
私塾で失敗した後なので、今度は「学校の可能性を追求してみよう」と思いました。幸いかなり好い学校で教えることになりました。大学も90年代初めの「改革の始まりの時代」に突入していました。
そこでの経験は本にしてあります(『辞書で読むドイツ語』と『哲学の授業』)が、結局、現下の「学問は一代」という点に関して分かった事は、「良い学校でも本当の学問は教えられない」という事でした。私塾との違いは、どこまで教えられるかの違いでしかないという事です。
要するに、初級レベルや中級レベルなら「教える」事は出来るでしょう。学校の役割はそのレベルの事なのです。あるいは上級レベルでも、教える事は出来るかもしれません。しかし、「一家を成すような最上級レベル」では「教える」ことは出来ないということです。そして、最初に触れた「芸は一代」というのは初めからこの「一家を成すような最上級レベル」の事を考えて言っているのです。歌舞伎とか伝統的な芸の世界では親から子へ代々「芸が受け継がれている」ように見えますが、それはせいぜい「上級レベル」までの事で、家が学校に代わっているだけなのでしょう。子が親と同じような「一家を成すような最上級レベル」に達するのは、子自身に素質があり、それに努力が伴った場合だけなのだと思います。
4、関口さんの事
ここでも私は関口存男さんの事を考えざるをえません。どこかで読んだと思っているのですが、関口さんは「啓蒙(ないし初心者に教えること)は重要だ」と言っていたと思います。そして、彼は実際、初心者用の教科書や参考書を沢山書きました。それに比して、最上級者用の参考書ないし研究書は、「相対的には」少なかったと思います。『冠詞論』(正式の書名は『冠詞』全三巻)以外は、本当の研究書は書かなかったとさえ言える程です(『
ドイツ語学講話』も入れていいかな)。私は、これをとても残念に思う者です。
なぜこういう事になったかと考えて見ますと、「啓蒙は重要だ」というまとめ方が間違っているからです。「重要でない」などと言う人はいないでしょう。問題は、初心者に教える事と、中級者に教える事と、上級者に教える事との比重、重要性のバランスをどう考えるかが問題なのです。何にどれくらいの力を入れるか、と考えなかったのが間違いの元でした。
「啓蒙は重要だ」と言う関口さんも、その『冠詞』の中ではどこかで、「辞書を引きながら読むようなのは語学とは認めない」といった言葉があったと思います。それなのに、初心者用の本を沢山書き、研究書は少ししか書かなかったのです。まだ書くつもりだったのかもしれませんが、書かないで死んでしまったのです。自分の一生の計画の立て方が間違っていたのです。
推定ですが、関口さんも晩年には、「本当に自分の後を継ぐような弟子は出なかったな」と思っていたのではないでしょうか。最後は、諦めの境地だったと思います。しかし、「学問は一代」とは明確には気付かず、研究書を残す事に集中することなく、NHKでの初級講座で疲れて、奥さんの死がキッカケとなり、バッタリ死んでしまいました。
5、結論
芸も学問も、初級や中級レベルの事は教えられる、つまり「一代」ではない。問題は先生にその才能と性格があるか否かである。これは学校でも私塾でも同じだと思います。
上級ないし「一家を成すような最上級レベル」については、教えることは出来ないと思います。つまり、学ぶ側に素質とやる気があるかだけの問題なのです。芸も学問も「盗むものであって、教わるものではない」ということです。そして、「芸は一代」とか「学問は一代」という時の「芸」とか「学問」は初級や中級レベルの事を言っているのではなく、「一家を成すような最上級レベル」の事を言っているのですから、この言葉は正しいと思います。
私は関口さんの失敗を繰り返すことのないようにしたいと思っています。幸い、本を出してもらえるようになりました。インターネットの発達で、論文ならブログで自由に発表できるようになりました。
無料の大学講座が出てきて、伸びているそうです。「ムーク」とかいう動きのようです。我が「マキペディア」はその一種と考える事が出来ます。読者が「小論文」を出してくれないだけです。メルマガ「教育の広場」時代の方が、読者の投稿が充実していたと思います。ブログでは「コメント」となっているのが悪いのでしょうか。
アマゾンで拙訳『小論理学』下巻へのレビューで高い評価を下さった方が、「翻訳者の些か奇態な意見主張」と書いていますが、具体的にどこがどうおかしいのか書いて、その上自分の意見を書いてくれなければ、議論になりません。
まあ、読者に不満を述べるのは「教えたがり屋」の悪い癖ですから止めましょう。そして、「学問は一代」という言葉を肝に銘じて、自分の研究成果の発表だけに集中することにしましょう。
関連項目
思想の相続
直接的教師と間接的教師