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仕事の遣り方 ヒルティ

2015年08月03日 | サ行
      

                   カール・ヒルティ著
                   牧野紀之訳

 訳者の「前書き」

 これの原文は、関口存男の出した参考書『労働術(Die Kunst des Arbeitens)』(三修社、1952年)です。ドイツ語についての詳しい注解に加えて「事柄の注解」も付いているものです。再読してみて、その内容は我々の「仕事の遣り方」を反省するのにも役立つと思いましたので、かなり意訳した上に、主として内容に関する私見を注解として加えることにしました。又、例によって「内容上の小目次」を作りました。

  内容上の小目次

第1節〔序論・仕事と休息との相互作用〕

第2節〔本論・マンネリを克服するコツ〕

 明茲坤泪鵐優蠅鮗覚し、利己的でない動機を持つこと〕
◆婿纏を習慣化すること〕
〔序文と標題は後回しにせよ〕
ぁ無な転換の為の仕事は休息と同価値〕
ァ面蟻未併纏で力を浪費するな〕
Α冥虍任蓮崋茲蠅△┐困泙箸瓩拭廚世院∈独任如岼豈の完成」〕

 関口存男による解説から

 1、この論文はヒルティが学校の刊行物のために書いたものである。(労働術65頁)
 2、Arbeitenとは、語義としては広く労働一般であるが、この論文では、論者自身が断っている如く、主として精神労働、即ち頭でやる仕事について述べている。(労働術27頁)

  第1節〔序論・仕事と休息との相互作用〕

 仕事の遣り方ないし仕方というものはあらゆる技術の中でも最も重要なものです。この技術を習得したならば、どんな勉強でも能力でもこれまでより遙かに楽にマスターできるように成るでしょう。それなのに仕事の正しい遣り方を身に付けている人はいつの世でも稀にしかいないものです。現代(1) では「仕事」とか「勤労者」という言葉がかつてなく頻繁に話題に上るようになりましたが、どうもこの技術が目立って向上したとか広がったとかいった事実を確認することは出来ません。時代の趨勢は、働くのを出来るだけ少なくして、残余の人生を働かないで過ごしたいという方向に向っているようです(2)。
(1) ヒルティは1833年に生まれ、1909年に死にました。19世紀の後半が彼にとっての「現代」でしょう。最終段落から判断しますと、労働運動がかなり盛り上がっていたようです。
(2) 聞く所によりますと、ヨーロッパ人の多くはなるべく早く年金生活に入りたいと思っているそうです。しかし、これは必ずしも「働きたくない」という事ではなくて、「使われて働くのが嫌」で、「自分の考えで生活し、ボランティアなどをして世の中のために活動したい」という事のようです。もしこれが本当だとするならば、必ずしもヒルティの考えと矛盾しないと思います。

 では、そもそも働く事と休養する事とは一見してそう思われる程に相容れないものなのでしょうか。これが何をおいても先ず考えるべき第一の問題です。と言いますのも、働く事を肯定するのに反対する人はいないのに、だからといって、それが働く意欲には直結していないからです。実際、働くのが嫌だという感情は相当前から広まっている問題であり、今では多くの国で一種の病気と言っても好いくらいに成っています。働く事は理屈としては肯定せざるを得ないものですが、実際には誰しも働きたくないと思っているのです。それにも拘わらず、この社会問題の解決方法の提案がありません。本当は、この両者は対立しておらず、この社会問題は解決できるのです。

 先ず確認すべきことは、休息を望まない人はいないという事です。どんなつまらない人でも、どんな器の小さい人でも休息を得たいと思っています。逆に、どんなに高邁な精神の持ち主でも緊張が永遠に続くのは嫌でしょう。死後の幸福な生活を表現するのに「永遠の休息」という言葉があるではありませんか。ですから、もし働く事が絶対に必要な事であり、休息がその反対物ならば、「汝、額に汗して生活の糧を得よ」という聖書〔創世記3-19〕の言葉は本当に厳しい呪いの言葉となり、人生は嘆きの谷〔希望のない所〕と化するでしょう。もしそうだとするならば、人間はいつの時代でも、その一部の者しか人間らしい生活が出来ないことに成るでしょう。しかも、この幸福は他の人間に働く事を強制することでしか得られないという事になりますが、こうなってはこれこそ本当の絶望です。

 果して古代の文筆家たちはこう言っています。多くの者が労働奴隷として希望の無い生活を送ることが少数の者たちが自由な市民として生活するための前提条件だったのである、と。19世紀の今日においても尚、〔万人の平等を建前とする〕共和制国家の市民ともあろう者が、その頂点に立つ聖書を手に持ったキリスト教の聖職者たちも、「一部の人種は生まれながらにして他者のために働くように定められている」などと主張しています。文化は富という土壌の上に、富は資本の蓄積あってこそ、資本の蓄積は正当な賃金を与えられない人々の労働の集積の結果〔つまり、搾取の結果〕としてしか生まれない、それ故に文化は不正義の結果としてしか生まれない、というのです〔本当にそうなのでしょうか〕。これがまさに我々のテーマなのでした。

 本稿はこの課題のためではありませんから、この主張がどの程度当たっているかを検証することはしません。ただ賛成出来るように思われる事に限定して管見を述べたいと思います。即ち、全ての人が「正しく」働くならば、かの社会問題は解決するだろうし、これ以外の方法では解決しないだろう、と。つまり、私案は道徳的な方法ですから、その反対の強制という方法では問題の解決は難しいでしょう。力を使う後者の道はいつでも可能でしょうが、そこからはろくな生活は出てこないでしょう。従って、働きたいという意欲を呼び起こす事が問題だという事に成ります。かくしてやはり正しい教育とは何かという問題に帰ってきた訳です。

 働く意欲というものは自分で経験して考えて見る以外の方法では生まれて来ないものでして、説教などしても出てこないものです。毎日至る所で証明されていますように、身を以て示して見せても生まれません。自分で体験したいと思っている人なら、経験から次の事を学ぶでしょう。

 第1に、今問題になっています「休息」は、心と体を全然動かさない、あるいは可能な限り動かさないという方法で得られるものではなく、きっちりと計画された心身の活動から初めて得られるものだという事です。なぜなら、人間はその本性からして活動するように仕組まれているからです。ですから、人間が無理してこの性質を変えようとすると、ひどいしっぺ返しを受けるのです。人間〔アダムとイヴ〕が休息の楽園〔働かないでも自然に出来る物を取って食べれば好いエデンの園〕から追い出されたというのは事実です。しかし、神は「働け」と命令すると同時に、働く事が又慰めでもあるようにしたのです。

 つまり、本当の休息は〔文字通り全く活動しない事ではなく〕活動の中にあるという事です。課題の解決が大いに進んだのを確認できれば精神的な休息に成りますし、仕事中の適当な休憩時間とか、日々の睡眠とか、食事とか、更に日曜日という何物にも代えがたいオアシスのような休養日は、肉体的な休息です。このようにまっとうな休み時間という中断のある活動が持続することで成果が上がる時、人は最高の幸福を感ずるのです。こういう幸福以外に〔どこか仕事の〕外に幸福〔や真の休息〕を求めてはならないのです。

 そうです〔第2に〕、更に一歩を進めれば、これが分かりますと、幸福になれるか否かは仕事の性質〔どんな仕事をするか〕には何の関係もないという事も出てきます。どんな仕事でも単なるお遊びでない限りは、その仕事に熱中するや否や興味を持って取りかかれるものです。幸福感を生み出すのは、その仕事に創造と達成の喜びを感ずる事でして、活動の種類ではありません(1)。ですから、仕事をし、その成果を得て最後に喜びを得られることが幸福な生活なのでして、これの無い生活ほど不幸な事はありません。ですから、働くことは「人間の権利」なのであって、この権利を否定することは絶対にできません。これは全ての人権の中で最も根源的な権利なのです。
(1) これには必ずしも皆が同意できるとは限らないでしょう。「単なるお遊び」eine blosse Spielereiを除外するのは当然としても、意味の小さな単純労働などはどうでしょうか。確かに、半生記などを読んだり聞いたりしますと、与えられた仕事に腐っていたが、「この仕事の名人に成ってやろう」と決心して取り組んだら、やる気が出て、成果を出し、次の仕事を得られた、とかいった話を聞きますが、それも本当に「どんな仕事でもそういう可能性がある」と言えるのでしょうか。

 〔逆に、第3に〕為すべき仕事の無い人ほど本当の意味で不幸な人はいません。しかし、実際にはそういう人は沢山いるのでして、しかもそういう人はいわゆる上流層にこそ下流層よりも多いのです。下流層での無業者は仕事をしたいと思っているのですから失業者ですが、上流層の無業者は間違った教育を受けたために、あるいは本来の仕事をしてはならないとする偏見や社会通念の力によってこの最大の不幸を押しつけられて、希望の無い生活を相続するように定められているのです。毎年、これらの人々がその内面の荒廃と退屈を紛らわそうと我が国〔スイス〕の高地や保養地にやってきます。しかし、ここでも元気を回復することはできません。初めはいくらかでも体を動かしてその無聊という病気から一時的にでも解放されたいと夏にだけやって来ていたのですが、今ではそれでは不十分だという事で、冬までもそうするように成りました。そのために我が国の風光明媚な谷はどこでもそういう人のための病院に成ってしまっていますが、それを年間を通じて占領することに成るでしょう。こういう人たちは休息を求めてどこへでも行きますが、どこへ行っても心の平安は得られません。仕事の中でこそその平安は得られるのだということを知らないからです。

 「六日間働くべきである」〔出エジプト記23-12、申命記5-13〕と言われていますが、それ以上でも以下でもいけないのです。親が失業していたためにまっとうな教育を受けられず、自分も定職に就けないという場合を除くならば、この処方箋を守って治らない現代の精神病はほとんど無いはずです。そして、その時には療養地の医者や精神科医の多くが失業する事に成るでしょう。

 人生とはそもそも〔受動的に〕「享受する」べきものではなくて、成果を生むように〔能動的に〕作り上げて行くべきものなのです。これの分からない人は既に精神が病んでいるのです。人が何歳まで生きうるかということは、不時の災難を除いて考えれば、まずその人の持って生まれた体質によって最大限度は決まっているわけで、心掛けさえ良ければとにかくその最大限度まで生きられる筈ですが、しかし精神がこのように病んでいては、その限度まで身体を持たせる事が出来るかはなはだ疑問です。「人生は七十年、好く行って八十年」(詩篇90-10)ですが、心と体を煩わす仕事があるならば、素晴らしい人生に成るだろうと、かの格言は言うべきだったでしょう。ひょっとすると、元の意味はこういう事だったのかもしれません。

 とはいえ、次の但し書きが必要です。全ての仕事が同じ価値を持つわけではなく、外見だけの仕事、本当には為すべきでない仕事もあります。手持ち無沙汰にやる裁縫や編み物、単なる兵隊ごっこ(特にかつて行われたそれ)、下手で何の足しにもならないピアノ遊びのような「芸術」などの大部分、狩猟やその他のほとんどのいわゆる「スポーツ」、そして特に、自分の「財産管理」がそうです。利口で活動的な人はこういう満足の得られない「仕事」を避ける方が好いでしょう(1)。
(1) ヒルティは「仕事の種類」に価値的な差を見ているわけです。その基準は現在とは少し違う所もあると思いますが、大した問題ではないと思います。

 機械を使った仕事、あるいは機械的で部分的な仕事は一般的に言って充実感を与えないものだというのもここから来るのです。手工業者や農業者の方が工場労働者よりはるかに充実感を得ています。社会的不安定はこういう工場労働者と共に生まれたのです。この種の労働者は自分の仕事の成果を自分で確認することがほとんど出来ません。機械が主として働いていて、労働者は機械に不可欠の道具に成り下がっています。あるいは、時計製造を例とするならば、労働者はただ沢山ある歯車の中の1つを機械が作るのを手伝うだけで、1個の時計をまるまる自分で作ることはしません。自分で全部作ってこそ自分の作品としての喜びもあり、人間的な真の仕事の成果と言えるでしょうに。そのような機械に従属した仕事は人間の尊厳という概念と相容れません。この概念は本来の仕事ならどんな小さい仕事にでも在るものですが、機械的な仕事にはそれが在りません。

 これとは反対の在り方が仕事にまるまる没頭して仕事をしている者です。芸術家はその全精神がその対象と一体に成って仕事をしています。学者にとっては自分の専門以外の事柄は眼中にありません(1)。極めて狭い領域で自分の世界を作り上げて生きている「奇人、変人」でさえこの部類に入れることが出来ます。
(1) ここでの「学者」のような人は、現在の日本の「大学教員」について見るならば、その5%くらいだと、私は推測しています。後の注釈を参照。

 こういう人たちは皆、他者から見ると、多少どうかと思うくらい、世の中のためになる不可欠の仕事をしているのだと思っているのであって、遊びとは思っていません(1)。ともかく、そのように仕事に打ち込んでいる人たちは、持続的に刻苦精励していますし、身体的には必ずしも健康的な働き方をしているとは限りませんが、それにも拘わらず、たいてい、かなり長寿です。それとは逆に、それ程忙しく働いていない貴族の遊び人や有閑マダムを例として考えると分かりやすいでしょうが、これらのなるべく働らかない事を原理としている人たちは不断に自分の健康の増進に気を遣わなければなりません。
(1) なぜこういう事をここで言う必要があったのでしょうか。分かりません。

 ですから、今日の世の中で先ずしなければならない事は、身体の健康の維持にも心の健康の維持にも、従って自分の幸福のためには、意味のある仕事をするのが一番だという事を理解させ、体得してもらうことなのです。

 又、〔とかく誤解されがちな常識とは逆に〕仕事をする必要の無いヒマ人は「選ばれた人」でも「特別な羨むべき人」でもなく、実際は正常な生活を忘れた精神的欠陥者ないし精神的不健康者と言うべきなのです。ですから、ここまでに述べてきたような考えが一度(ひとたび)一般常識として認められるように成るならば、その時には、いや、その時に初めて、世界の新世紀が到来するのです。その時が来るまでは、一部の人たちが質的にも量的にも不正常な労働をし、他の人々が過小な仕事で苦しむというこの世の病気は治らないでしょう。両者は相互作用の関係にあるのですが、どちらが本当に不幸かは分かりません。

 本節の終わりに考えたい事は、以上で確認してきた諸命題は何千年にもわたる経験的事実であり、働いている人でも働いていない人でも日々自分の生活の中で検証できる事ですし、どんな宗教もどんな哲学も一致して説いていることなのですが、それなのに未だに十分には周知徹底されていないのはなぜでしょうか。そのために、信仰心の篤いマダムが聖書には明確には書かれていない死刑を強く支持する反面、明確に書かれている掟に逆らって、週に一日しか働かず、悪くすると一日も働かないのに平然としているという事態に成っているのですが、全く不思議です。これの最大の原因は仕事の分配と順序が正しくないことで、そのために仕事が実際、重荷に成っているからです。かくして、我々は「仕事の遣り方」という標題に戻ったわけです。

 ここでようやく幾ばくかの忠告が出来る所まで来たわけですが、ここで私が念頭に置いている人々とは、仕事の必要性を原則として認めている人で、すぐにも仕事をしたいと思っているのですが、いざやろうとすると、又々奇妙にも折悪しく邪魔が入ってしまって、先延ばしに成るという人たちです(1)。
(1) 関口の解説1にありますように、これは多分ギムナジウムの雑誌か何かに書いた物でしょうから、ここで念頭に置いているのは、論文を初めて書こうとしている生徒(十代の後半の生徒)でしょう。しかし、大学生やあるいは博士論文も既に書いた人に対しても「仕事の遣り方」を教えるで言い過ぎならば、「参考意見を提案する」ことは必要でしょう。つまり、ヒルティのこの「仕事の遣り方」論は、全体を見ていないという欠点(欠けている点)があると思います。

   第2節〔本論・マンネリを克服するコツ〕

 と言いますのも、芸術や技術ならそれぞれに独自のコツがあることは周知の事ですが、働く事でも同じでして、そこを掴めば仕事が著しく楽になる技巧があるからです。更に、仕事をしようと意欲する事だけでも大変な事ですが、更に仕事が出来るという事は決して易しい事ではないにも拘わらず、それを教える所がどこにもないのです〔ですから、ここにそれを6点に分けて提案してみようと思う次第です〕。

  明茲坤泪鵐優蠅鮗覚し、利己的でない動機を持つこと〕

 〔何事の場合でも〕障害を克服する第1歩はそれを障害と認識することです。しかるに働く能力にとっての障害は一般的に言うと「惰性〔マンネリ生活〕」です。人間は誰でも生来怠惰な存在です。そういう知性的とは言えない受動的な生活から脱し、「通常の生活」を止めて自分を高めるにはどんな場合でも相当の努力をしなければなりません。より良い生き方に対して怠惰であることは人間に元から備わっている根本的な悪癖です。つまり、生まれつきの働き者などという人はいないのです。生まれつきとか気性としてはせいぜい活発さに程度の差があるだけです。極めて活発な人でさえ働くよりも他のことで気晴らしをする方を採るのが人間の本性です。逆に言うならば、働き者というのはただ「知性なき惰性生活」よりも強い動機がある場合にしか生まれないのです。

しかるに、この強い動機となるものには二種類あります。第1は低級な動機です。つまり「やる気」ですが、特に名誉欲と所有欲がそれです。あるいは生きて行くためには働かなければならないという事情もこれの一種です。その強い動機の第2は責任感と愛情です。それは仕事そのものへのものであってもいいし、人間に対する責任感ないし愛情でも構いません。この第2の高貴な動機には次のような長所があります。それは前者の「やる気」よりも持続力があり、成果が上がらなくても腐ることがなく、失敗しても嫌にならず、一つの目的を達成したからといって満足してその後は力を抜くというような事をしないのです。ですから、これと比較しますと、前者の名誉心や所有欲といった動機に基づいて仕事をする人々は確かに勤勉な場合がありますが、本当にコンスタントにむら無く働く人は稀です(1)。そして、また、自分自身には利益があっても周りの人々には迷惑になるような事、つまり仕事らしきものをして満足するような場合もあります。昨今では一部の商人や製造業の仕事がその例ですが、そのほかに残念ながら、学者や芸術家の一部にもこういう性格の「仕事」をしている人がいます(2)。
(1) 「稀」ではあるかもしれませんが、「皆無」ではないと思います。いや、「かなりいる」かもしれません。
(2) \萋、新聞で読んだのですが、アメリカン・ドリームを夢見てがんばる人々は、「自分が金持ちにに成れば好い」という考えではなくて、「金を儲けてそれを使って社会を好くするための活動をしたい」という人が多いそうです。芸術家のことは知りませんが、学校教師には「消化試合」をしている怠惰な人が多いと思います。大学の教員でもそうですが、高校以下では一番問題なのは、特に校長にやる気のある人が少ないことでしょう。「毒にも薬にもならない」という言葉がありますように、無気力人間が一番否定的な影響を与えると思います。それがトップにいるとどうしようもありません。「組織はトップで8割決まる」のでして、「学校教育は校長を中心とする教師集団が行うもの」です。これをどうしたら好いかを考えないで、「社会人として生活し始める若い人」にだけ忠告をしているのが本論文です。視野が狭すぎると思います。

従って、例えば社会人として生活し始める若い人に何かアドヴァイスをするとするならば、先ず第1に言わなければならないことは次の事でしょう。仕事をするならば、責任感から出発し、仕事への愛情と関係者への愛情に基づいた仕事をしなさい、と。そして、民族の政治的解放とか、キリスト教の布教とか、見捨てられた下層階級の生活の向上とか、過度の飲酒癖の矯正とか、何なら諸民族の恒久平和とか社会改革とか選挙制度の改善とか、刑法と監獄制度の改善など、こういう目的はいくらでもありますが、何らかの意味で人類の大義に連なる仕事をしなさい(1)。そうすれば、周りの人々からの刺激も得られて恒常的に前向きの推進力を獲得するでしょうし、若い内は特に大切な仕事上の良き仲間が得られるでしょう。今日の文明化された民族では、そのような良き仲間を沢山持たずしては、男性にせよ女性にせよ、若い人は偉く成れないのです。若い人はこのようにしてのみ向上し、実力を蓄え、持続力を増すことが出来るのであって、その結果、早い内から脱皮して成長し、自分だけで孤立した生活をするような事がなくなるのです。利己主義はいつの時代でも欠点であって、弱い人間を結果するだけです。
(1) 「少年よ、大志を抱け」です。ここで大切な事は「大志」であって、「小志」ではダメだという事でしょう。なぜかと言いますと、「大志」を目指してこそ、自分の可能性を百%生かし切る事が出来るからです。私の周りにいた同級生達を見てみましても、優秀な人は沢山いましたが、自分の才能を十分に生かし切った人は少ないと思います。「世の中のために」という「大志」が無かったからだと思います。

◆婿纏を習慣化すること〕

怠惰な心〔マンネリ生活〕と戦う次に有効な手〔第2歩〕は「習慣の力」を使うことです。通常はもっぱら知性に反する事に使われているこの巨大な力をもっと高尚な事に使って悪いという理由がどこにあるでしょうか。実際、人は怠け心、享楽欲、浪費癖、ハッタリ、貪欲を習慣化するだけでなく、その反対の、仕事をすること、節制、倹約、正直な態度、気前の良さを習慣にすることも出来るのです。そして、ここで同時に言っておかなければならない事は、徳性もそれが習慣化されていない限りその人のものとして定着したとは言えない、ということです。逆に、徳性が習慣化されるに従って、マンネリ生活の惰性も弱まり、最後には仕事をしたくてたまらないように成るのです。こう成ったら、生活上の困難の大部分を克服したことになります(1)。
(1) これはとても好い忠告だと思います。

さてここまで来ましたので、仕事好きが習慣に成るのを助ける小技をいくつか述べておきましょう。それは以下の通りです。

真っ先に言うべき事は、「とにかく始めてみる」ということです。或る仕事を始めるという事、その仕事に心を向ける事は根本的に言ってもっとも難しい事なのです。逆に言うならば、一度(ひとたび)手に筆を執り、最初の手を着けてしまえば、これだけで仕事は既に相当楽に成っているのです〔ですから、先ず始める事が大切なのです〕。それなのに、「始める前にしておかなければならない事がある」とか、「準備しなければならない事が沢山あるので着手出来ない(実際はこの言葉には怠惰心が隠れているのですが)」とか言って、始めない人が沢山いるのです。こういう人に限って、その準備が終わると今度は又、準備で時間が少なく成ってしまったために切迫感に押されて心のゆとりが無くなったり、時には熱が出たりで仕事に差し障りが出るのです(1)。
(1) この点は、私(牧野)にも経験があります。私は「哲学史研究」と「哲学研究」とは違うと考えていましたから、どうしても、他の人々のように、「哲学は哲学史と関係がある」という屁理屈で過去の「哲学者の考えの研究(つまり、哲学史研究)」で「哲学」したつもりに成るのはとても嫌だったのです。が、いかんせん、「自分の哲学」は打ち出せませんでした。ですから、どうしても、論文が書けなかったのです。修士課程を2回留年しました。その終わり頃になると、多くの人から、「そろそろ書いてもいいのでは」とか言われました。でも最後まで(修論提出期限まで。たしか1967年1月まで)書けませんでした。仕方なしに「『フォイエルバッハ・テーゼ』の注釈」というものを出しました。内容もその題名通りのもので、11個のテーゼを考える材料となる言葉を集めただけのもので、お恥ずかしい代物でした。
博士課程に進んでようやく何かが熟してきたのでしょう、「書けそうだな」と「感じ」ました。我が都立大学哲学研究室で出している雑誌に書くことになったのを機縁に「『フォイエルバッハ・テーゼ』の一研究」を書きました(1967年秋)。とにもかくにも「論文」を書いたのです。これから楽になりました。1969年の2月頃だったと思います、ヘーゲルの「目的論」(『小論理学』の第204〜212節)を読んでいて「唯物史観の論理的再構成が出来そうだ」とヒラメキました。これが「ヘーゲルの目的論とパヴロフの第二信号理論」です。雑誌『理想』の440号に載せてもらえました。この2つの「論文」が助走だったと思います。1971年の4月に有斐閣のPR雑誌『書斎の窓』に「『パンテオンの人人』の論理」を発表して、一人前に成れたかなと思っています。まあ、「ともかく始めることだ」と言っても、臆病心の結果の場合もあれば、実際に準備が出来ていない場合もあるとは思います。

特別なアイデアがひらめくまで待つという人もいます。しかし、アイデアというのは、仕事をしている最中にこそ一番好くひらめくものなのです。筆者の経験が事実として教える事は、初めに考えていた事は書いている間に変わるのが常で、休息中に思い浮かぶアイデア(1) で仕事中に出てくるアイデアより好いものや完全に新しいものはほとんど無い、という事です。
(1) ヒルティの考えでは、「真の仕事中」には「適切な休息」も含まれているはずですから、そういう「適切な休息中に浮かぶアイデア」は「仕事中のアイデア」に分類されるのだと思います。実際、仕事に集中し没頭している時は、食事中でも床の中でもアイデアは浮かぶもので、いつでもそれをメモ出来るように手元にメモ用紙を用意しておくことが必要だと思います。

結論として確認出来る事は、「先延ばしは絶対にするな」という事です。何らかの身体の不具合とか心の異常とかを言い訳にするな、という事です。毎日、決めた時間を仕事に当てなさい、ということです(1)。その時になっても、使徒パウロの言葉を借りるならば、狡猾な「最初のアダム」〔第1コリント15-45以下〕は、一定の時間は働かなくてはならないが、全ての時間ではないから、休息もして好いのだと言って、大抵、易々と、この期に及んでもまだ今日為べき事〔休息〕はどうしてもするのだと、心に決めるのです(2)。
(1) この「一定の事を毎日やると決めて、それを実行する」というのは「努力」の基本だと思います。拙稿「努力とは何か」(『囲炉裏端』に所収)を参照。
(2) ここは分かりませんでした。一応、こう取っておきました。そもそも、ここまで来て、習慣の力で「最初のアダム」を克服しようと提案している所で、なぜ「最初のアダム」を持ち出すのでしょうか。なお、「最初のアダム」とはエデンの園に住んでいて蛇の誘惑で堕落したアダムのことです。これに対して、イエスのことを「最後のアダム」と言う言い方もあるそうです(新教出版社編『聖書辞典』による)。

〔序文と標題は後回しにせよ(1)〕

精神的な仕事に関わり、それも〔遊戯的でなく〕創造的な仕事をしている人なのに、どういう順序でやろうかとか、前書きをどうしようかとかいった事に時間を費やして意欲を摩耗してしまう人が少なくありません。こういう事はそもそも本人が意味深いと思っているだけで、わざわざ多大の準備をして書いた前書きなどは役に立たない無用なものが普通で、本文の中で書けば好い事を前以て取り上げてしまう不細工でしかありません。言うまでもないでしょう。そこで、どんな場合にも当てはまる忠告をしておきますと、「前書きや標題を考えるのは最後にせよ」です。
(1) これは「小技」の2番目でしょうか。準備が出来たら、「とにかく始める」のが最重要で、「前書きや標題は後」で好いと思いますが、「前書きや標題は役立たない」は言い過ぎだと思います。これを考えるのは文章の構成を自己反省するのに役立つと思います。現にこの文章でも、ヒルティは「節の題名」を付けておらず、第二節の´↓E々にも小見出しを付けていませんが、第1節が「序論」で、第2節が「本論」だということは、ヒルティは自覚していたでしょうが、読者はみな理解するでしょうか。少なくとも関口はこの点に注意していません。又、第二節の,らΔ泙任裡凝世賄切な配置になっているでしょうか。「小技」はどこからどこまででしょうか。私には分かりませんでした。

前書きをどうしたら好いかとか適切な標題などというものは仕事をしている間に自ずから頭に浮かぶものです。そのような事はしないで、助走を省いて直ちに自分の好く知っている事を扱った本論から始めれば好いのです。本を読む場合でも同じです。序言や第1章を先ずはすっ飛ばす事です。するととても楽に読めるものです。筆者は序言を最初に読んだ事は1度もありません。読了した後になって初めて序言を読むと、ほとんど例外なく、「ここにしか書いてない事は一つもないな」と思います。確かに序言が本文より好く出来ているような本もあります。しかし、そういう本は一般に読む価値の無いものです(1)。
(1) ヘーゲルやマルクスやエンゲルスの場合は、序文が一つの「論文」になっていたと思います。時代の風潮だったのでしょうか。ヒルティはヘーゲルを知らないようです。

敢えて一歩を進めて、「(序言か本文かに関係なく)ともかく自分にとって一番取っつき易い所から始めよ」と言っても好いでしょう。とにかく始めることです。そのようにすると、系統立てて仕事をしていないから当然、回り道をすることになるでしょうが、それでもともかく始めれば、始めないで色々考えていて失われる時間が無くなるだけでなく、それ以上の利益があるのです。

 最後に2点付け加えておきます。第1点〔第3の小技?〕は、「明日の日を思い煩うな。どの日にもその日の仕事がある」〔マタイ伝6-34〕ということです。人間は自分の力以上の事を空想するという危険な性質を持っているものです。そのため人は予定している仕事を全部、いっぺんに思い描きます。しかし、現実の能力はその仕事を少しずつ片付けるしかないので、一つ遣っては力を蓄え、又一つ遣っては又新たに力を貯めるという風にするしかないのです。つまり、常にいつもの通り、その日の仕事だけをすれば好いのです。明日は自ずから到来し、明日の仕事とそのための新しい力とを持ってきます。

 もう一つの点〔第4の小技?〕は、殊に精神的な仕事の場合についてですが、なるほど仕事はしっかりと遣らなければならないのですが、全部遣ってしまって、書くべき事や読むべき事が残っていないようにしてはならない、という事です。〔いや、それは遣ってはならないではなく〕そのような事をする力は誰にも無いのです。ですから、せいぜい比較的小さな部分に仕事を限定して、それは全部するが、その範囲を超えた部分は主要点だけ考えておけば好い、とするのです。沢山の事をしようとする人に限って少しの事しかできないものです(1)。
(1) これは「これまでの準備で論文が書けるかな」と迷い、躊躇している高校生には適切な忠告だと思いますが、完全に誰にでも、いつでも当てはまる訳ではないと思います。「目の前の仕事に集中せよ」という考えを私たち(鶏鳴の人たち)は「ベポ主義」と呼んでいます。ミヒャエル・エンデの『モモ』にベポという道路掃除夫が出てきます。ベポは、長い道を掃除しなければならない時には、先を見て「長くて大変だな」と思ってセカセカとやり出すような事はしない。それでは直ぐには終わらないから、結局息が切れて挫折するからです。ベポは目先の仕事、次に掃くべき所だけを見て、一つずつ片付けてゆく。そうすると、その内に独りでに終わるという遣り方をします。このベポ主義が適当な場合は多いと思います。私も、1500頁超の『関口ドイツ文法』の校正をやった時は、実に3校までやったのですが、毎回、ベポ主義を思い出して何とか完遂しました。しかし、仕事の全体像を頭の中に描き、時々反省する事自体はとても大切な事だとは思います。場合によっては「決定的に重要」な場合もあると思います。

 ぁ無な転換の為の仕事は休息と同価値〕

 楽しく生き生きと仕事が続けられなくなったら、仕事を中止するべきです。始める時は「楽しく」なくても好いのですが、仕事で疲れを感じた時とかはただちに中止するべきです。それはその仕事全部を止めろという意味ではなくして、今遣っている仕事を止めて休息を取るとか、別の仕事をすると好いという意味です。〔例えば哲学の勉強に飽きたから数学の問題を考えて見るというような〕仕事を換える事には必要な休息と同じくらいの効果があるものです(1)。人間の本性がこのように作られているからこそ、人間の仕事能力は今日のようなものに成ったのです。
(1) マルクスは、経済学の研究に疲れた時には数学の研究をしたと言われています。

 ァ面蟻未併纏で力を浪費するな〕

 沢山の仕事をしようと思ったら、力を節約するすべを知らなければなりません。その実際的な方法として特に有効なのは無駄な仕事に力を割かないことです。こういう馬鹿な事をしてどれだけのエネルギーが失われ、やる気が削がれているか、言うまでもありません。その例として真っ先に上げなければならないのは新聞を読む事に多大の時間を割くことです。その次に気をつけるべきは、何かの会合に出る事であり、政治的な行動をしたり、政治談義にうつつを抜かすことです。

 実際、朝という仕事に最適な時(1) に新聞を読むことから一日を始め、夜は何かの会合に出たり「付き合い」に精を出してその日を終える人が沢山います。酷い場合は賭け事でその日を終える人もいます。もし朝には一つかあるいは複数の新聞を読んだとしても、翌日にはそれで得た知的な内容をどれだけ覚えているでしょうか。大抵の場合、ほとんど何も覚えていないでしょう。ハッキリと言える事は、新聞を読んだ後には何かの知的な仕事を喜んで遣る気が失せてしまっていて、たまたま別の新聞が手元にあると、それに手を出すことになるということです。
(1) ヒルティはスイス人のようですが、ドイツ人などを見ていますと、朝の時間を本当に大切にしているように感じます。学校などでも午後1時まで授業をしますが、これも「朝の時間」を増やす一つの手段なのでしょう。

 沢山の仕事をしたいと思っている人は、知的な仕事でも肉体的な仕事でも無駄な仕事は極力避けた方が好いという事です。そして、自分の遣るべき事に力を集中させることです(1)。
(1) この事は本当に大切だと思います。私にとっては、新聞を読むという事は完全に「無駄な仕事」とは言えません。「生活のなかの哲学」を標榜していますから、むしろ新聞を読む事は「生活の中にある課題」に気づき、考えるための非常に重要な仕事なのです。「文法研究のための用例を探す」という事でも、決して「完全に無駄な仕事」」ではありません。しかし、問題はどの程度の時間をそのために割くべきか、です。そして、これは自分の力、勉強のために1日何時間割けるかと関係しているのです。私はと言いますと、かつてはまだ体力も脳力もありましたから、最初に1時間半位掛けて丁寧に新聞を読んでも、その後に勉強が出来ましたが、今ではそれは出来なくなりました。新聞を読む代わりにインターネットを見る時間も増えました。ですから、今ではなるべく「先ず本来の勉強をしてから新聞等を読む」ようにしています。実行しない事もあり、この際反省しなければなりません。

 Α冥虍任蓮崋茲蠅△┐困泙箸瓩拭廚世院∈独任如岼豈の完成」〕

 知的な仕事(もちろんここまで主としてそれを念頭において話をしてきたのですが)に大いに役立つ最後のコツは、「繰り返すこと」です。言い換えるならば、「改訂すること」です。大抵の知的仕事について言える事は、「最初はただ大まかにしか出来ない」という事です。再度取り組んで初めてそれを精密に仕上げて、十分に準備の出来たものになり、広く理解されるようなものに成るのです(1)。
(1) これは大切な観点だと思います。自分の仕事を振り返って見ても、初版は「とにもかくにもまとめました」というだけだと思います。初版を出して自分を対象化して欠点(欠けている点)や間違っている点を自覚し、それを直し補って再版で初めて「自分なりの一応の完成」を見るというのが、当然なのだと思います。拙訳『小論理学』の鶏鳴版と間もなく出るであろう未知谷版(既に準備はほぼ終えています)とを比較してもそれが言えます。『関口ドイツ文法』についても、この初版と再版(未発行)の関係は当てはまると思います。

 ですから、或る作家が言いましたように、本当の刻苦精励とは、仕事ばかりしていて全然休まないようなものの事ではなく、むしろ為すべき仕事に沈潜しているが故に、心に思っている事をハッキリした形で表現しようと、休んでいる間にも自然に意識が行ってしまうようなものの事なのです。世間で「勤勉」と言うのは、それなりの量の材料を物にして、一定期間内にその点で目に見える結果を残すことですが、それは当たり前の事です。それは当然の「前提」でしかありません。真の「刻苦精励」はそれ以上に高いものでして、適当な休憩を入れつつ仕事を続けて、倦むことを知らない活動のことです(1)。
(1) ここまでが「或る作家の言」だと思います。そう取って初めて次の段落の「この考え」が何を指しているかが分かります。
さて、ヒルティが支持し、関口が何も批評していないこの考えの内容ですが、こういう規定では不十分だと思います。最初は「先の事や全体像を考えずに、ともかく始めよ」と言ったのですから、「改訂作業」では特に「全体像を意識的に視野に入れて考え直し、その全体像の観点から始め方と中間の順序が適当か、又その展開の論理は本当に内在的か」を反省するべきでしょう。こういう点の欠けているのが本論文の根本的欠点(欠けている点)だと思います。これを指摘出来なかったのは、ヘーゲルの「論理学」を勉強しなかった関口の限界だと思います。

 この言葉はこの考えを表現する最良のものだと思います。つまり、仕事をこう理解してこそ、「仕事と休息とは排斥し合う矛盾なのではないか」という当初の疑念が最終的に解決できるのです。そして、必要な休息を挟みつつ為される仕事の連続性が確認出来るのであり、やはりこれが仕事の遣り方の理想だと分かるのです。

 仕事に沈潜するという本当の意味での刻苦精励を理解した時、人間は休み無く常に仕事をすることになります。そのような「長すぎる事の無い休息」を挟んだ後には、仕事が知らぬ間に大きく進んでいたと気づくのです。不思議な現象ですが、〔実行した人なら誰でも気づく〕本当の事です。分からなかった問題が急に氷解したように感ずる事も珍しくありません。最初に持っていたアイデアがふくらみ、はっきりした姿を採って見えて来て、そのまま文字に出来る程に成っていたりします。そして、残った仕事は、「何もしなかったのに完成間近に成っている材料をただ集めるだけだ」と思われたりするのです。

 「享受と休息の価値は仕事をした人にしか分からない」という言葉は好く引かれるものですが、そしてそれはその通りなのですが、仕事に対する本当のご褒美は以上のようなものなのです。〔逆に言うならば〕仕事をしなかったのにする「休息」は、食欲の無いのに食卓に着くようなものです。要するに、どんな場合でも、仕事をすることが、時間を過ごす最良で、最も楽しくて、報われる事の大きく、そして最も金の掛からない事なのです。

 校長先生、最後に、もし先生が、「なぜこのような分析を事もあろうに学校の雑誌に書いたのだ」と質問されるのでしたら、次のようにお返事したいと思います。即ち、教育という仕事の本質は、生徒に勉強への意欲を引き起こし、その技術を伝授すると共に、他方では、然るべき時が来たならば、生徒が何らかの大義のために身を挺する人間に成るように仕向ける事だと思うからです。

 今日の社会情勢を鑑みますに、19世紀の初頭において働き者の市民が怠け者の貴族や聖職者に取って代わって支配権を握りましたように、今度もやはり働き者の労働階級が支配階級に成ると正当にも考えて好いように思われます。

 この働き者であった市民がその後、自分の先行者たる貴族及び聖職者の轍を踏んで年金とかで暮らすように成り、他人の働きで生活するように成った今、市民が没落するのは必然です。

 いつの時代にあっても、未来は働く者の手中にあるのです(1)。
(1) 「ドイツの労働者階級こそが、ドイツの古典哲学の継承者である」と結んだエンゲルスの『フォイエルバッハ論』の結語を思い出します。しかし、労働者も被抑圧階級もひとたびその「未来を手中にし」「権力を手にする」と、今度は又「腐敗しない権力はない」という鉄則の作用を受けます。社会主義社会とは「全国民が公務員に成る社会である」とも言えるでしょうが、そうなると、その「全公務員」が「指導する公務員」と「指導される公務員」に分かれます。そして、やはり先の鉄則が働き始めます。ではどうしたら好いのでしょうか。本当の解決はどこにあるのでしょうか。これが問題です。
(2015年8月1日)


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ウィンクラー氏の生涯

2015年07月30日 | ア行

ドクター・クラウス (オーストリア大使館)

 レオポルド・ウィンクラー教授は1889年11月10日に生まれた。早くも1912年には日本の土を踏んだのだが、ここの風土と人々が大いに気に入ったために、しばらくこの地に腰を据えようと決心した。そして、休暇には幾度か、故国オーストリアに帰ったが、全部合せると50年間というもの日本で生活を送ることになったのである。

 青年時代から教育に関心を持っていた教授は、1915年、上智大学と東京高校で教鞭を執り始めた。その後、横浜国大、東京外語大、慶応義塾でも講義を行った。

 その教育活動──独会話と文学史──と並んで、彼は日本にスポーツとしてのスキーを普及した先駆者の1人でもあった。今日ではスキーは日本国民の幅広い階層に親しまれているが、1913年設立の日本アルペンスキークラブの創立者に名を連ねた教授は、その最初期の指導者の一人でもあったのである。スキーに適した場所を見つけて開発することに尽力し、登山隊を組織して日本の山々を最初にスキーで登ったのもこの人である。又、新聞や雑誌に多くの論文を発表してスポーツとしてのスキーを広めた。

 氏は15年間にわたって、オーストリアの主要日刊紙である『ノイエ・フライエ・プレッセ』の日本通信員を務めた。又オーストリアの世界的名声ある詩人として双璧をなすフーゴ・フォン・ホフマンシュタールとシュテファン・ツヴァイクとも親交があった。自分自身も文学活動を活発に行い、1929年にはその著作Drei Stufen neuer deutscher Dichtung、1942年には詩集Libelleneiland、1957年には詩集Ai: ein Erosglück in Japanを出した。教科書としてはAnfänger Deutsch (1949), Deutsch für Fortgeschrittene, Deutsche Gedichte; Von der Klassik zur neueren Zeit (1949)などを出版した。

 故国オーストリアへの慕情をウィンクラ-教授は50年にわたって充実した生活を送った異国日本への衷心からの深い愛と結びつけた。氏は、日本の文化を深く身に付けようと努めたが、殊に好きだったのは日本の音楽で、中でも三味線と尺八に親しんだ。

 1957年、日本政府は教育事業における功績から勲四等瑞宝章を授与した。55年には氏は東京都より文化メダルを受けている。これらの光栄につづいて、慶応大学は58年、氏を名誉教授に推挙した。

 教授はまた、オーストリア国民の為にも貢献した。日本におけるオーストリア人協会の創立は1957年だが、氏は創立以来、会長を務めた。

 オーストリア連邦大統領は1960年、母国と日墺関係に対する彼の功績を認めてDas Grosse Goldene Ehrenzeichenというオーストリア最高の勲章を授与した。

 日本スキ-連盟でも1961年、故人に敬意を表して功労メダルを贈っている。

 ウィンクラー教授は1962年4月3日、突然、悲しくも我々の許を去った。この喪失感は計り知れないものがあるが、氏の教え子達が、今日、日本の社会と文化の色々な面で指導的人物となって氏の仕事を引き継ぎ、日墺両国における氏の友人達に教授の思い出となっているという事実を知って、せめてもの慰めとするしかないであろう。
(足立 悠介 訳)

 お断り

 新潟県では「レルヒ少佐を探して」などといったイベントをしたりしています。全体として、スキー関係でもレルヒさんばかり注目されて。ウィンクラーさんが不当に無視されていると思いましたので、横浜国立大学の独文科の雑誌『りんでん』の「悼慕──ウィンクラー先生の霊に捧ぐ」(1962年12月25日発行)の記事から適当なものを幾つか転載することにしました。なお、この雑誌は私のネット上の「絶版書誌抄録」の中にpdf化して入れてあります。しかし、昔のタイプ印刷ですし、読みにくいので、ここに発表することにしました。

 なお、ウィンクラーさんのお墓は横浜の外人墓地にあるという話を聞いた事があります。どなたか、確認して写真でも撮って送ってくださいませんか。

 訳は、足立氏の訳を踏まえましたが、かなり変えもしました。出版物等については図書館で調べて加筆しました。2015年07月30日、牧野紀之

      関連項目

友の死

ゲーテの晩年の一日


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学問の自由 東大

2015年07月23日 | カ行
東大法文1号館で考える

          氏岡 真弓(教育社説担当)

 東京・本郷にある東京大学法文1号館は、80年前の1935年に完工した。憲法学者の美濃部達吉が軍部や右翼に攻撃された「天皇機関説事件」の年だ。彼の追悼会もここで行われた。

 その大教室で今月4日夜、「学問の自由」をめぐる危機を訴える集会が開かれた。主催したのは「学問の自由を考える会」だ。文部科学相が国立大に式典での国旗掲揚、国歌斉唱を要請した。その動きに「学問の自由と大学の自治を揺るがしかねない」と結成された。

 集会は一風変わっていた。憲法学暑が歴史を考察し、西洋史研究者が外国と比較し、政治学者が現状を分析した。まるで学会のようだ。

それだけではない。彼らは批判を自らにも投げかけた。「小中高の先生が国旗国歌を強制された問題に、大学人は鈍感、怠慢だったのでは」「今の政治家は大学が育てた。考えるとはどういうことかを教えてきたのか」「産学協同で金がもうかれば成果が上がったとされる。学問は手段になっている」。

 国立大が迫られているのは国旗国歌だけではない。「社会に役立つ大学を」との政府や経済界の声を受け、人文社会科学系は組織の廃止などの見直しを求められている。国の交付金も減らされた。配分の仕方も、国の示した改革への取り組みに応じて決まる傾向が強まっている。

 大学がエリートの場だった頃は遠い。特権にあぐらをかいていると言われ、存在意義さえ問われかねない時代だ。どうすればよいのか。容易ではない問いに答えを出す前に会の時間は尽きた。

 糸口はあるのではないか。憲法学者が、安倍政権が成立を目指す安保法制を「違憲」と断じたことが国会審議に深い影響を与えた。誰の考えであれ根本から吟味する学者の批判精神が生きたのだ。学問の自由がなければ、研究は細り、新しい知は生まれない。社会全体も知らないうちに価値観の多様さを失い、窒息してしまいかねない。

 80年前の新聞を見る。幻となる東京五輪の計画が進む。忠犬ハチ公が死ぬ。「そんな日常のなか、天皇機関説事件は起きた」と、登壇した石川健治・東大教授。「大学という堤防が決壊した10年後、日本は国家として滅びた。前兆に早めに気づいていきたい」

 学問の自由は、私たちの問題である。
(朝日、2015年07月17日。社説余滴欄)

感想

 遅かったですが、反省しないよりは好かったと思います。中嶋嶺男は東京外語大学の学長をしてみて、既成の大学では教授会の権限が強すぎて改革はできない、と考えたようです。新設の国際教養大学の学長兼理事長となって新しい大学を作り、成果を上げたようです。

 東大教授達の内部からの改革がどうなるのか、見守って行くつもりです。そのためには、氏岡さんがこの問題を継続的に取材し、レポートしてくれなければならないでしょう。

 学問の自由や大学の自治には、内部での活発な相互批判とそれを通しての自浄作用が前提されているのではないでしょうか。そして、それを保障し、指導する者としての学長のリーダーシップも問われるのではないでしょうか。
      
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学力格差問題

2015年07月14日 | カ行

 親の学歴や年収が同じくらいの子どもが通う学校の中で、全国学力調査の成績が良かった学校は、自分で調べたことを文章にさせる指導や、授業の最後に学習を振り返る活動などを取り入れていた。──

 そんな分析結果をお茶の水女子大の耳塚寛明教授(教育社会学)の研究班がまとめ、7日の文部科学省の専門家会議で報告した。子どもの学力向上のヒントになりそうだ。

 小学6年と中学3年が対象の2013年度の全国学力調査について、抽出した公立校778校と保護者約3万9千人への調査結果を分析。研究班はこれまでに親の年収や学歴が高いほど学力も高くなる傾向を明らかにしている。今回お茶の水女子大教授ら、学力調査分析 その結果、子どもが調べたことや考えたことを文章に書かせる指導を「よく行った」のは、小6国語の基礎知識中心の問題で教育効果の低かった学校のうち26・7%にとどまったのに対し、高かった学校では53・3%にのぼった。

 授業の最後に学習を振り返る活動を計画的に取り入れることを「よく行った」のは、小6算数の基礎知識中心の問題で教育効果の高かった学校の63・3%を占め、低い学校の26・7%を大幅に上回った。

 教育効果の高い学校のうち、学力調査の「活用力をみる問題」で成果を上げるなどした12校には訪問調査をした。その結果、家庭学習は教員が必ず読み、手を入れて子どもに返す▽教科を超えた研究、授業をし、教員は協力し支え合う意識が高い▽教育課程や学習習慣などで小中が連携している▽発展的な学習より基礎基本の定着を重視している、といった共通点が浮かび上がった。
 (朝日、2015年07月08日。片山健志)
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貧困、ミレニアム開発目標

2015年07月13日 | ハ行

 貧困の撲滅、初等教育の完全普及……。国連が2015年末を期限として、21世紀の指針を示した「ミレニアム開発目標」(MDGs)。6日に発表された報告書では、「世界の10億人以上が極度の貧困状態から抜け出した」など、一定の成果が強調された。人口の多い中国やインドの経済成長によってもたらされた側面が大きく、サハラ砂漠以南のアフリカ(サブサハラ)などで8億人以上が開発から取り残されている。

 MDGsについて、パン・ギムン国連事務総長は「史上でもっとも成功した反貧困運動」と総括した。一方で地域や男女差での偏りを認め、「あまりに多くの人々が置き去りにされている」とも指摘した。

 報告書によると、1日の生活費が1・25法別150円)未満の「極度の貧困状態」にある人口は、世界中で1990年の約19億人から今年までに8・3億人に減る。全人口に占める割合は90年の36%から12%に下がる見込みで、「90年比で半減」の目標は達成したとしている。

 これは人口の多い中国とインドが経済成良した影響が大きい。東アジアは90年の61%が4%に、南アジアは52%から17%に下がる。

 一方で、今も8億人以上が極度の貧困状態にある。そのうち約8割が、サブサハラと、バングラデシュなどの南アジア地域に集中。サブサハラでは、今も人口の4割以上がこの状態だ。

 また報告書は、各地の紛争が開発の「最大の脅威」になっていると指摘した。

 昨年末までに各地の紛争で6千万人が家を追われ、第2次世界大戦以降で最悪の規模だ。世界で小学校に通えない子は2000年の1億人から5670万人まで減ったが、紛争下の地域では1999年の30%から2012年の36%に増えたという。

 国連では、MDGsの後継として、2030年までの新たな目標になる「持続可能な開発目標」(SDGs)の策定が続いている。
 (朝日、2015年07月08日。ニューヨーク=金成隆一)

 解説1・ミレニアム開発目標(MDGs)

開発分野における国際社会の共通目標。2000年の国連サミットで採択された「国連ミレニアム宣言」に基づいて決められた。ゞ謀戮良郎い箋臆遒遼侈猫⊇蘚教育の完全普及女性の地位向上て幼児死亡率の削減デセ塞悗侶鮃の改善HIVやマラリアの流行防止Т超の持続可能性確保┳発のためのグローバルな連携推進──の八つの分野で、15年末を期限として、具体的な目標と指標を定めた。ほとんどの指標は1990年を基準としている。

解説2・防疫・教育、日本も責献

 日本は、国際社会が取り組むべき共通目標としてMDGsを重視してきた。二国間や国際機関を経由した政府の途上国援助、(ODA)を活用して、目標の達成に貢献してきた。

 近年、力を入れてきたのが保健と教育の分野。エイズや結核、マラリアなどの対策強化、識字教室や職業訓練、防災教育、地雷回避の教育などだ。国家ではなく人間一人ひとりに焦点を合わせ、教育や医療の機会を提供し、自立を支える「人間の安全保障」という概念に基づいている。

 また道路や港湾のインフラ整備を支援する時も、整備作業を通じて現地の人々に技術移転を図ってきた。

 主要7カ国(G7)の米英独仏伊カナダも、援助国として大きな実績を持っている。中でも米国の支出は、他国に比べて大きい。

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無戸籍児童

2015年07月12日 | マ行

無戸籍児童、3割生活困窮

 小中学生にあたる6〜15歳で戸籍を持たない「無戸籍の子」が全国で少なくとも142人いる。その実態を初めて調査した結果を文部科学者は8日、発表した。就学している141人のうち生活保護を受けている世帯の子は17人(12・1%)。それに準じて生活の苦しい世帯も32人(22・7%)にのぼった。他に就学していない子が1人いた。

 3月10日時点で法務省が地方法務局などを通じて把握できた142人(小学生相当116人、中学生相当26人)が対象。居住地がある104市区町村の教育委員会を通じて調べた。文科省は「把握できたのは一部に過ぎず、他にも相当程度いるのではないか」とみている。

 調査結果によると、3月末現在で就学していなかったのは1人。家庭の事情で小1から5年間未就学が続いているが、無事は確認されているという。残りの141人のうち、未就学の経験がある子は6人。期間はいずれも小1からで、7年6カ月、7年5カ月、3年、lカ月など。2人は小学校に全く通っていなかった。「生活習慣や体力面に課題」「知識が欠けている」などの状況が報告された。

 「生活保護を受けている」「それに準じて生活が苦しい」を合わせた計34・8%という数字は、全児童生徒の中の両者の割合15・6%の2倍を上回った。生活保護に限ると、全児童生徒の割合の8倍に上った。

 無戸籍になる背景には、民法の「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子と推定する」という規定がある。前夫の暴力で女性が逃げ、前夫の子になるのを避けて出生届を出せないケースなどがあるとみられる。今回の調査対象でも、8割近くに離婚が関係しているといい、文科省の担当者は「一人親家庭が多いことが収入の厳しさにつながっている」と話す。

 戸籍や住民票がなくても居住実態があれば就学は可能。文科省は誤解しているケースもあるとみて、無戸籍児の就学を促す通知を各教委に出した。貧困や虐待など課題を抱えている場合の支援も求めた。
(朝日、2015年07月09日。高浜行人)
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歯医者のこと

2015年07月08日 | サ行

 或る方がメールをくださいました。

──時々ブログを拝読しております。飯塚哲夫さんの『歯科受診の常識』(愛育社)に関することが書かれてあったので、自宅から通える場所だったので埼玉県上尾市にある口腔研クリニックに行きました。

たしかにいい歯科の治療をされています。ただ、自費診療の項目がけっこうあります。根管治療、歯ブラシの指導、被せ物は自費です。よってかなり高額になります。歯科治療のクオリティが高く、また治療費も高いのが口腔研クリニックです。哲学関係で知った中で値段が高額なのはめずらしいと思い、お伝えしたくなりました。牧野さんが行かれた歯科院は保険内治療だけだったのではないでしょうか。

 牧野のお返事

経験に基づくご意見をありがとうございます。私は「試しに」2度行きました。「自費診療」はありませんでした。「歯石を取るという事で行くと、本当は保険が利かない」とかいう話はしてくれました。

この歯医者で感心した事は、「原則として30分で終わる」(らしい)ことです。そのため「予約した時間にゆくと、待たされない」ことです。駐車場に駐まっている車も少ないです。

歯医者でも眼医者でも「予約した意味がないのではないか」と思うくらい待たされることがあります。それに比べると、「この人は自分の仕事をしっかり把握しているな」と感じました。

私の授業でも、哲学の授業では、授業の初めに「何時何分から何時何分までは何をする」という時間の配分を黒板の隅に書きます。そして、「大体だよ」と断ります。その通り行かなかった場合に困るからです。しかし、ほとんどその通りにやりますので、生徒はびっくりします。『哲学の授業』の23頁に書いてあります。

それはともかく、この投稿は有意義だったと思います。最近は、投稿やコメントが少なくなり寂しく思っています。時枝信者や三浦つとむ信者のくだらない牧野批判はボツにしていますが、それすら、「(「関口ドイツ文法」を出した人を批判するなら)『時枝日本語文法』を書いてからにしろ」とか、「『三浦つとむ哲学の体系』といった本を出してからにしろ」と言ってやったら、ほとんど無くなりました。

これは結構な事ですが、まともな意見が来ないのは寂しいです。皆さん、もう少し発言してください。世は右の方々の大声ばかりで、困った方向に動いているようですから、尚更です。言論の自由をフルに活用しましょう。

関連項目

歯医者と眼医者
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アスベスト公害(石綿禍)

2015年07月06日 | ア行

 1、大手機械メーカー・クボタの旧工場(兵庫県尼崎市)周辺で住民被害が発覚した「クボタ・ショック」から29日で10年。老朽化した建物の解体現場で、ずさんな工事によるアスベスト(石綿)の飛散事故が絶えない。石綿を用いた疑いがある建物は、民間だけで推計280万棟。その解体がこれからピークに向かう。五輪を控える東京では他に先駆け解体が進み、周辺住民が石綿を吸うリスクが高まっている。

一昨年秋、関西の住宅に囲まれた町工場を更地にする解体工事があった。請負会社の関係者である男性は、そこにがれきからむき出しになった茶色の吹き付け材を見た。石綿だと直感した。分析機関に持ち込むと、毒性の強い茶石綿が50%以上の高濃度で含まれていた。男性は現場の担当者に経緯を問うた。

 元請けの産廃会社は、作業を下請けに委ねていた。下請け業者は石綿の有無を確認せず解体を始め、重機で天井や壁を壊すと石綿がぼろぼろ落ちてきた。「符口令がしかれた」と担当者は言った。

 報告を受けた産廃会社は手を打たなかった。「万が一、情報知っている人間増やしたら、なんかのことで行政や周辺の耳に入ってしまったら。もう完全に公害ですもん。会社、もたへん」

 石綿は「静かな時限爆弾」といわれる。髪の毛の5千分の1という極細の繊維状鉱物を吸い込むと、数十年の潜伏期間を経て「中皮腫」や肺がんを引き起こす。

 周辺への飛散を防ぐため、建物解体の際は法令に従って危険箇所を頑丈なプラスチックシートで密閉し、集じん・排気装置を設置する。作業者は防護服と電動ファン付きマスクを着ける。だがこの現場では一切の作業が省かれ、周辺住民には何も知らされなかった。

 石綿含みのがれきは、穀物や土砂の梱包、搬送にも使う巨大なプレコンバッグ二十数袋分に上った。他の現場から出た石綿と偽り最終処分場に搬出したという。いま現場には、石綿のない建材を用いた新しい工場が立つ。

2、2006年、アスベスト(石綿)は製造・使用が原則全面禁止された。だが「石綿禍は過去の問題ではない」と、専門家は警告する。

 環境省によると、石綿を建材にした建物の解体や改修は2013年度、全国で1万62件。うち664件で大気汚染防止法の工事基準が守られていなかった。

 名古屋市では、今年4月に民間ビルの建て替え工事で飛散事故が発生。生活環境における石綿の濃度は大気1辰△燭蠢^1本以下が正常値とされるが、この工事の敷地の境界では150本検出された。

 2013年には市営地下鉄名港線の六番町駅の工事で高濃度の石綿を検出。市は工事を停止し、駅構内の一部を立ち入り禁止にした。2011年には名古屋駅前の百貨店「名鉄ヤング館」の改修工事で基準の49倍にあたる石綿を検出。石綿を除去する集じん機のフィルターがずれていたのが原因だった。

 東京でも今年6月、都営住宅室戸で飛散対策を施さずに撤去工事をした可能性の高いことが発覚した。

 耐火性や保温性に優れる石綿を使った多くの建物が耐用年数を迎え、これから解体のピークを迎える。国土交通省は、ピークは2030年ごろ、年約10万棟と試算。東京では東京五輪に向けた街づくりで解体が早まる。都は今年すでにピークに達しており、2040年ごろまで続くとみている。

 石綿禍の再来をどう防ぐか。昨年6月、大気汚染防止法が改正された。

 工事発注者は石綿の除去費用を十分考慮せず、短期間の工事を求める。業者は安い工事費で請け負い、飛散対策を手抜きする。この構造を打破しようと、工事の届け出義務を受注者から発注者に変更し、発注者責任を明確化した。

深刻な飛散事故や工事の不備は、住民の通報から発覚することが多い。被害者支援団体「中皮腫・じん肺・アスベストセンター」の永倉冬史事務局長は「違法解体を防ぐには、自治体が事前通告なしの抜き打ち検査をして業者に危機感を持たせるべきだ。住民自身も、身近な工事で業者に説明会を求めるなど監視する姿勢が大切だ」と話す。

 石綿は1949〜2005年に約1千万トンを輸入。特に1970〜90年代に大量に使われた。それから数十年の潜伏期聞を経て、中皮腫などの発症者が急増している。

石綿関連の職歴がない人たちの被害が表面化したのは、2005年6月29日の「クボタ・ショック」だ。大手機械メーカー・クボタが、兵庫県尼崎市の旧神崎工場周辺に暮らし、発症した人への見舞金の支払い方針を公表した。これを機に、住民被害を対象にする石綿健康被害救済法が制定。救済認定者は今年に入り全国で1万人に達した。労災認定者も含めると被害者は2万人を超える。

 あれから10年。クボタの旧神崎工場周辺でも新たな発症者が次々に現れ、被害の全容はいまだにつかめない。

 クボタは旧神崎工場の半径1・5膳内の居住歴などを要件にして、発症者らに救済金2500万〜4600万円を支払っている。救済金の請求は6月現在298件(死亡者271人、療養中27人)、うち277人に救済金が支払われた。この1年でも12件の請求があった。

 3、石綿被害と法規制の年表

 1949、石綿の輸入再開
 1975、石綿の吹きつけ作業の原則禁止
 1995、有害性の高い青石綿と茶石綿のの製造・使用禁止
 1996、石綿を含む建築物の解体作業が規制対象に
 2005年6月、クボタ旧神崎工場周辺で住民の中皮腫発症が発覚。「クボタ・ショック」
 2005年7月、建材大手「ニチアス」など、石綿を扱った企業の被害が相次いで表面化。
 2006年3月、石綿健康被害救済法(石綿新法)施行
 2006年9月、石綿製品の製造・使用が原則全面禁止。
 2014年6月、解体の届け出を発注者に変更。事前調査を義務化。
 2014年10月、泉南アスベスト訴訟で最高裁は、石綿関連工場の健康被害について国の責任を初めて認定。
 2015年1月、石綿健康被害救済法の認定者が1万人を超す。

      (朝日、2015年06月28日。足立耕作)
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研究する姿勢で勉強する

2015年07月05日 | 読者へ

 未知谷から次の問い合わせをいただきました。

──先ほど電話で『辞書で読むドイツ語』を熱心に読んでくださっているという読者の方から質問がありました。

 84頁の例文Dir ist alles zuzutrauenが「お前は何をするか分からない」という日本語訳になるということが腑に落ちないとのこと。「zutrauen」は「信頼を寄せる」というプラスのニュアンスの言葉だと辞書に載っているので、この日本語訳のようなマイナスの意味が入る理屈がよくわからないとのことです。

 また、読本の「Burgschaft」の翻訳はどこかで読めたりしないのかとのことでした。

 ユニークな文法書だなあと書店でこの本を見てすぐ購入し、久し振りにドイツ語を真面目に勉強していて、有り難い、とおっしゃってました。──

 第1の、本当の親切なお返事

 zutrauenを辞書で引いて、その例文を写してください。又、seinを引いて、その説明の中の「zu不定句と共に」という項目の例文を写してください。

 ドイツ語を勉強して何かを読みたいのでしょうから、今後、その「何か」を読んでいる中で、この語とこのseinの用法に出会ったら、それを書き写して、訳を付けてみてください。このようにして「用例を集め」て行ってください。そして、その度にこのDir ist alles zuzutrauenに戻って分かるまで考え続けてください。

 又、直ぐに他者の翻訳を探さないで、自分で先ず訳してみてください。そのためにあの本では訳も注もない文を先ず入れたのです。

 第2の、本当は不親切なお返事

 zutrauenをクラウン独和辞典で引きますと、Ich traue ihm diese Fähigkeit zuという例文が載っています。訳は「私は彼にはその能力があると思う」です。

 Dir ist alles zuzutraenを能動的な定形正置文に換えますと、Man kann dir alles zutrauen又はMan traut dir alles zuとなります。文としての意味は「人は(私は)君が何でも出来ると思っている」です。良好な関係なら、例えば「だから君にこの難しい仕事を頼むのだ」という意味に成るでしょう。敵対的な関係なら、「お前は何をするか分からない」となるでしょう。

 私がこの文を見たのは後者の場合でしたから、このような訳をつけたのです。泥棒に入った男達がその家の子供に見つかったが、子供なので逆に捕まえた。少ししたら、ネコがニャオと鳴いたので、ネコと共に隠れていた妹まで捕まってしまった。もっと何かあるかもと、徹底的に探そうとする場面です。

 いずれにせよ、近いうちに関口さんの解説を踏まえて、ヒルティの「労働術」(私の訳では「仕事の遣り方」)を訳しますので、それを読んでください。
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Marx Hegel Philosophie MAKINO

2015年07月04日 | Deutsche Abhandlungen

      Marxismus

Original: Japanisch
MAKINO Noriyuki

Um 1990 herum sind sogenannte sozialistische Regime zusammengefallen, was dazu geführt hat, dass die Rede vom Marxismus immer weniger ist. Das finde ich schade. Nicht nur ist der Gedanke an sich ein riesengroßer Schatz der Philosophiegeschichte. Ohne Verständnis der Werke von Marx und Engels könnte man auch keine wirklichen Früchte der Philosophie Hegels erben. Von derselben gibt es zwar verschiedene Beurteilungen. Das weiß ich schon. Von 'Phänomenologie des Geistes' abgesehen, weiß ich aber keine nicht-Marxistischen Studien, die unter abstrakten Ausdrücken der Hegelschen 'Logik', seines Hauptwerks, verborgenen sachlichen Bedeutungen entdeckt und zum Wort gebracht haben. Trotzdem hält die Verlingerung der Hegel-Studie in der Tat mit dem Nachlassen der Popuralität des Marxismus Schritt. Da Marx selbst bekannt hat, er sei ein Jünger Hegels, wurde damals auch Hegels 'Logik' viel gelesen, wo Marxismus vorherrschte. Was kann man eigentlich zur Tatsache sagen, dass man jetzt so wenig von Hegel spricht !

Das hat aber auch Vorteile. Die Diskussionen in der Blütezeit des Marxismus waren emotional und nicht genug wissenschaftlich, sei es mit politischen Mächten verbunden, sei es von Abneigungen dagegen ausgehend. Endlich sind wir jetzt, glaube ich, in einer Zeit, wo man ruhig von dem eine Zeit prägenden Gedankengut reden und es studieren können.

Man mag sagen, was man will, hat sich die Marxistische Bewegung unter der Fahne der 'Befreiung der Menschheit' geschehen lassen. Es ist also kein Zufall, dass Fragen, die dabei entstanden sind, von grundsätzlicher Natur waren. Deshalb kann man sie durchaus nicht unbeantwortet bleiben lassen. Nun will ich daher die Marxistischen Theorien insbesondere vom philosophischen Gesichtpunkt aus zusammenfassen.

Während fast alle Philosophen in der Neuzeit mit Hilfe der Naturforschungen ihre Ideen entwickelt hatten, haben Karl Marx (1818 - 1883) und Friedrich Engels (1820 - 1895) neben Hegel (1770 - 1831) an Hand des Studiums von Sozialwissenschaften (Jura, National-Oekonomie, Geschichte) ihre Gedanken gebildet, was in einem hervorragenden Kontrast zu ihren Vorgängern steht.

Beide hatten zuerst versucht, das wirkliche Leben durch die idealistische Geschichtstheorie Hegels zu erklären. Der danach erschienene Materialismus Feuerbachs hat sie aber aus dem 'Schlummer vom Idealismus' geweckt. Das Resultat ist eine materialistische Fassung der Geschichte (der historische Materialismus). Was das ferner bedeutet, ist folgendes. Dieses Materialistische Geschichtsverstehen ist alles andere als ein Schluss aus der Anwendung einer ganzheitlichen Weltanschauung, des später sogenannten dialektischen Materialismus, auf die Geschichte. Die Tatsache war eher so, wie die Entdeckung des historischen Materialismus in der Feststellung des dialektischen Materialismus selbst an sich enthalten war. Diesen Namen benutzten sie selbst zwar nicht, spielt aber der Unterschied eines Selbstnennens und des durch die anderen keine Rolle.

Zugleich kam es dazu, dass ihre Ideen sich mit den gerade damals entstehenden sozialistischen Bewegungen verbanden. Die Gründer von Marxismus, die dabei 'die Arbeiterklasse' gefunden hatten, haben sich das Ziel aufgestellt, "nur sich Rechenschaft abzulegen von dem, was sich vor ihren Augen abspielt, und sich zum Organ desselben zu machen" ("Das Elend der Philosophie").

Nach der Niederlage bei der Revolution 1848 hatten sie sich allmählich nach wissenschaftlichen Arbeiten gewendet. Dabei gab es unter ihnen eine Art Arbeitsteilung, für Marz Politische Oekonomie, für Engels Philosophie und Dialektik der Natur. Jener ließ das riesengroßes Werk "Das Kapital" erscheinen und dieser "Anti-Dühring", "Ludwig Feuerbach und der Ausgang der klassischen deutschen Philosophie". Die Glanzleistung "Dialektik der Natur" ist nach seinem Tod auf Grund der Manuskript veröffentlicht worden.

 Die Grundsätze des historischen Materialismus versteht man im allgemeinen anhand von den folgenden Sätzen: die Produktionskräfte bestimmen die Produktionsverhältnisse und diese ferner die gesetzlichen Beziehungen der Menschen zueinander und ihr geistiges Leben.
Was den ersten Satz betrifft, bedeutet dabei das Wort 'bestimmen' nicht 'eindeutig entscheiden', sondern 'den Rahmen festsetzen'. Dann geht man davon aus, dass die Struktur einer menschlichen Gesellschaft veränderlich ist, worin er sich vom Tier unterscheidet. Bei Tieren ist die Kombinationsweise der Individuen je nach Art fixiert, mit Ausnahme vom Schimpanse.

Der Mensch hat also zwar die Möglichkeit, beliebige Produktionverhältnisse zu wählen, was seinen Grundzug ausmacht, aber diese Freiheit einer Auswahl ist durch den Rahmen abgegrenzt, den die jeweilig gegebenen Produktivkräfte bestimmen. Man kann nichts tun, was über seinen Kräften steht. Das versteht sich von selbst.

 Apropos der zweite Satz heißt: die Produktionsverhältnisse bestimmen die gesetzlichen Verhältnisse der Menschen zueinander und ihr geistiges Leben. Er ist oft auch so formuliert: Bewusstseinsformen der Menschen werden durch ihr Sein bedingt oder kurz, die Basis einer Gesellschaft bestimmt deren Überbau. Was diese anderen Ausdrücke bedeuten, war zwar den Urhebern selbst klar und deutlich, aber von den ihre Ideen Erbenden nicht korekt genug verstanden.

 Der Satz: die Basis bestimmt den Üeberbau ist eine tautologishce Wahrheit, wie es jedem nach einem kurzen Üeberlegen auffällt. Die bestimmende Seite der zwei wechselwirkenden Dinge vergleicht man mit Recht mit 'Basis' und die bestimmte heißt 'Überbau'. In anderen Worten, ist es nicht so, dass Marx und Engels die Produkutionsverhältnisse 'Basis genannt' haben. Nein! Sie haben einen bestimmenden Charakter der Produktionsverhältnisse mit einem 'Vergleich der Basis' ausgedrückt. Wenn also die in Frage gestellte These so formliert worden wäre: die Produkutionsverhältnisse sind eine Basis, geistiges Leben ein Überbau, so hätte es keine ungebetenen Missverständnisse gegeben.

 Die andere Formlierung: Es ist nicht das Bewusstsein der Menschen, das ihr Sein, sondern umgekehrt ihr gesellschaftliches Sein, das ihr Bewusstsein bestimmt ("Zur Kritik der Politischen Oekonomie"), ist wichtiger. Warum kann man "Produkutionsverhältnisse" in "gesellschaftliches Sein" und "ein politisches, juristisches und geistiges Leben" in "gesellschaftliches Bewusst- sein" übersetzen ? Diese eigentlich zunächst zu beantwortende Frage beiseite, enthält doch dieser andere Ausdruck in sich, dass der historische Materialismus ein Befürworter der 'Objektivität des Werturteils' ist.

 Sei es Politik, Gesetze oder geistiges Leben, handelt es sich bei dieselben immer um Gut oder Böse, Wertgröße, Bedeutungsvoll oder -los. Was Gesetze betrifft, bestimmen sie am deutlichsten, was man darf oder nicht. Was sind sie denn, wenn sie keine Werturteile heißen sollten ? Der Marx'sche Gedanke von der Geschichte hat nur die Tatsache entdeckt und formliert, dass Werturteile der Menschen schließlich durch die jeweilig herrschenden Produktions- verhältnisse bestimmt sind. Wenn er kein "Anhänger der Objektivität des Werturteils" heißen sollte, wie müsste man ihn doch beurteilen ?

 Seine Studien auf diesem Standpunkt führten ihn zum Schluss, dass "in großen Umrissen können asiatische, antike, feudale und modern bürgerliche Produktionsweisen als progressive Epochen der ökonomischen Gesellschafts- formation bezeichnet werden".

 Die Philosophie von Marx und Engels wird freilich zum Materialismus gezählt. Sie hat den (ontologischen) Begriff von der Materie klar und deutlich bestimmt. Die Materie heißt, was zuerst den Sinnenorganen gegeben wird. Dagegen heißt Geistiges, was zuerst dem Denken zukommt. Zum Beispiel sind Hegelsche Ideen in seinen Büchern geschrieben. Das sind in der Gestalt der Buchstaben ausgedruckt, d. h. durch Papier und Tinte getragen. Deshalb kommen sie zuerst den Augen des Lesers zu. Aber die Ideen selbst werden nicht den Augen, sondern seinem Denken gegeben. Vielleicht behauptet man, dass sie erst vermittels Analyse der Augengegebenen zu Gedanken werden, ist diese sogenannte Analyse doch keine physische.

 Erst dann, wenn man alles in der Welt Seiende in zwei Lager getrennt hat, kann man die Frage, welches der ursprünglich sei, stellen und beantworten. Die Materialisten glauben, dass die Materie selbst ursprünglich sei und der Geist das von ihr Gestammte oder nur eine ihrer Funktionen.

 Später hat Lenin (1870-1924) in seinem "Materialismus und Empirio- kritizismus" den Begriff der Materie geklärt: Die Materie ist eine philosophische Kategorie zur Bezeichnung der objektiven Realität, die dem Menschen in seinen Empfindungen gegeben ist, die von unseren Empfindungen kopiert, fotografiert, abgebildet wird und unabhängig von ihnen existiert. Diese Definition ist deshalb nicht passend genug, weil er ihr zu viele Bestimmungen gegeben hat. Aber deren Kern besteht in "Unabhängigkeit von den menschlichen Empfindungen und Abbilden durch diese". Das heißt, das ist 'ein erkenntnistheoretischer Begriff der Materie', und kein ontologischer.

 Die Materie könne nicht ohne Bewegung da sein, so Marx und Engels. Das hat sie zum Dialektischen Materialismus geführt. Dabei hat Engels auf Grund der Hegels 'Logik' drei Grundgesetze der Dialektik formliert: das Gesetz des Umschlagens von Quantität in Qualität und umgekehrt, das Gesetz von der Durchdringung (od. Einheit) der Gegensätze, das Gesetz von der Negation der Negation.

 Das erste Gesetz ist die Logik von 'der Lehre des Seins' in Hegels 'Logik' und wurde von ihm selbst mit einem Beispiel erklärt: das Ausreißen eines Haares aus dem Schweif eines Pferdes macht zwar keinen kahlschweif, aber dieses gleichgültige Vermindern hat auch seine Grenze, und durch das fortgesetzte Ausziehen immer nur eines Haares entsteht ein Kahlschweif. Was dieses Gesetz betrifft, sind die Erklärungen darin mangelhaft, dass nur das Umschalgen von Quantität in Qualität erklärt ist ohne Studien über das umgekehrte Verändern.

 Das zweite Gesetz, das Engels als 'Grundgesetz der Hegelschen Lehre des Wesens' bezeichnet und als das wichtigste Gesetz von den drei oben erwähnten gelten läßt, wird auch als 'Gesetz von Kampf und Einheit der Gegensätze' benannt. Das ist aber normalerweise unter dem gekürzten Namen 'die Einheit der Gegensätze' verstanden und benutzt, was oft zu großen Misverständnissen führt. Ein herausragendes Beispiel davon ist 'die Einheit von Theorie und Praxis'.




 Vor allem muss ich zweifeln, ob man wirklich dieses Gesetz zum zweiten Gesetz zählt. Fast niemals spricht man von 'einem Gesetz von Kampf und Einheit der Theorie und Praxis', und die Bedeutung von einer Trennnung der beiden ist nie bewusst. Dies hat zur Folge, dass man die 'Einheit' der beiden selbst misdeutet. Diese 'Einheit' bedeutet nicht 'vereinen sollen', wie man gewöhnlich unbewusst voraussetzt, sondern 'tatsächlich eins sein'. Anders ausgedrückt, diese These ist ein Seins- und kein Sollenssatz. Wenn man das als ein Beispiel des Gesetzes von Kampf und Einheit der Gegensätze und die Einheit dabei getreu nach der Lehre der Dialektik 'eine tatsächliche Einheit' verstünde, würde man logisch notwendig zum oben festgestellten Schluss gekommen sein.

 A propos das dritte Gesetz von 'Negation der Negation', man kann leicht vermuten, es sei das Grundsatz des Hegelschen Begriffslehre, des dritten und letzten Teils seiner 'Logik'. Richtig, und er die letzte Stufe der Lehre, die absolute Idee, folgendermaßen erklärt.
──Wenn von der absoluten Idee gesprochen wird, so kann man meinen, hier werde erst das Rechte kommen, hier müsse sich alles ergeben. Gehaltlos deklamieren kann man allerdings über die absolute Idee in das Weite und Breite; der wahre Inhalt ist indes kein anderer als das ganze System, dessen Entwicklung wir bisher betrachtet haben. ……
 Die absolute Idee ist in dieser Hinsicht dem Greis zu vergleichen, der dieselben Religionssätze ausspricht als das Kind, für welchen dieselben aber die Bedeutung eines ganzen Lebens haben. Wenn auch das Kind den religiösen Inhalt versteht, so gilt ihm derselbe doch nur als ein solches, ausserhalb dessen noch das ganze Leben und die ganze Welt liegt.
 Ebenso verhält es sich dann auch mit dem menschlichen Leben überhaupt und den Begebenheiten, die den Inhalt desselben ausmachen. Alle Arbeit ist nur auf das Ziel gerichtet, und wenn dies erreicht ist, so ist man verwundert, nichts anderes zu finden als eben dies, was man wollte. 〔Man kann es oft ungenügend, oder sogar unbefriedigend finden. Wer auf dem Gipfel von Mount Everest gestanden hat, sagt auf eine Frage nach seinem damaligen Gefühl wie aus einem Munde so. Ein kurzes Ueberlegen würde aber einen überzeugen, dass es nichts anders sein könne. Denn das sei sein Ziel gewesen. Ein weitere Nachdenken erklärt einem,〕das Interesse liegt in der ganzen Bewegung〔, und der Prozess selbst sei im letzten Ende enthalten. Und das Feststellen gibt einem tiefe Selbstzufriedenheit.〕 Wenn der Mensch sein Leben verfolgt, dann kann ihm das Ende als sehr beschränkt erscheinen, aber der ganze decursus vitae ist es, welcher darin zusammengenommen ist. ("Die Kleine Logik"§237 Zusatz)

Kurz, zuerst ist ein Ziel nur im Kopf. Dann ist es negiert und wird der Prozess oder die Handlung, die erste Negation. Ferner wird es wieder negiert und zum letzten Resultat verwirklicht, die zweite Negation. Das dritte Gesetz ist nämlich nichts anderes als der Inbegriff eines Entwicklungsprozesses.

 Friedrich Engels sagt: Die große Grundfrage aller, speziell neueren Philosophie ist die nach dem Vetrhältnis von Denken und Sein. Das heisst, der dialektische Materialismus ist nicht nur eine Ontologie, sondern auch eine Erkenntnistheorie. Von der Voraussetzung von der Primarität des Seins gegenüber dem Denken ausgehend, versucht er die Fragen zu beantworten, warum und wie das Denken das Sein abspiegelt, und wie man die Uebereinstimmung der beiden belegen kann, und so weiter.

 Das erste Element des dialektischen Materialismus besteht in dem materiellen Charakter des Denkens, dieses spiegelt das Sein. In anderen Worten ist es Sein, das die Inhalte und Gegenstände des Denkens ausmacht. Das heißt Widerspiegelungstheorie. Lenin sagt: es ist aber logisch, anzunehmen, dass die ganze Materie eine Eigenschaft besitzt, die dem Wesen nach der Empfindung verwandt ist, die Eigenschaft der Widerspiegelung. Die Eigentümlichkeiten der denkenden Widerspiegelung bestehen aber darin, dass sie eine Funktion des Gehirns ist, durch die Sprache vermittelt wird, und in den Sinnen ihre Quelle hat.

Das zweite besteht in dem praktischen, verändernden Charakter des Denkens. Er ist eine notwenige Folge davon, dass es als ein Element des Arbeitsprozesses, das Zweckbewusstsein entstanden ist. Es ist eine ideelle Verlängerung der bisherigen Praxis, was man leicht verstehen, wenn man sich das Weiterlesen bei einem Schachspiel vorstellt, und zugleich eine ideelle Umbildung der Wirklichkeit.
Auf Grund des dritten Charakters hat Hegel eine logische Identität des Denkens mit der Verdauung festgestellt. Ein Verhalten, das das Gegebene verdaut und zu seinem Teil macht, nennt Hegel 'Idealismus' und sagt: der freie Wille ist der Idealismus, der die Dinge nicht, wie sie sind, für an und für sich hält, während der Realismus dieselben absolut erklärt, wenn sie sich nur in der Form der Endlichkeit befinden. Schon das Tier hat nicht mehr diese realistische Philosophie, denn es zehrt die Dinge auf, und beweist dadurch, dass sie nicht absolut sind (Philosophie des Rechts§44 Zusatz).

 Zwar ist der Gedanke selbst eine ideelle Tätigkeit von solcher Art, läßt er sich dann in die Praxis umsetzen. Ist er doch das Zweckbewusstsein. Dieses wirkt aber mit einem Erwarten, das jedoch nicht immer trifft, besser gesagt, immer mehr oder weniger fehlschlägt. Das drückt der Satz aus, dass die Praxis das Kriterium der Wahrheit des Denkens abgibt. Hieraus läßt sich die Realtivität der Wahrheit schließen. Diese negiert jedoch nicht deren absoluten Charakter. Der dialektische Materialismus sieht in dem Entwicklungsprozess der relativen Wahrheiten die absolute Wahrheit. Das heißt der praktische Materilismus. Diesen kann man auch als mit dem Sein hergehenden Denken bezeichnen. Denn das wirkt auf das Sein ein, um seine Eigenschaften erscheinen zu lassen, und beobachtet es. Hier ist der Kontrast zur verständigen Erkenntnistheorie stark, die stillstehende Gegenstände selbst analysieren will.

Dieses Verhältnis von relativer und absoluter Wahrheiten ist unter angeblichen Marxisten und sozialistischen Aktivisten deshalb weit bekannt, weil Lenin es nach Engels ausgefürt hat. Es ist aber nicht genug 'erkannt', was als ein Beispiel vom berühmten Satz Hegels gilt: Das Bekannte überhaupt ist darum, weil es bekannt ist, nicht erkannt (Phänomenologie des Geistes, Vorrede).
Wieso denn ? Weil es nicht aktuellen Problemen angewendet und vertieft wurde, wie dem Verhältnis von Kritik und Selbstkritik, seinsollender Art und Weise der innenparteilichen Diskussionen, wie und warum die Einheitsfront organisiert werden soll, usw. Deshalb waren die eigentlich dialektischen Sätze über beide Wahrheiten 'credos' geworden.

Ebenso wurde das 'Begreifen', das Hegel und Marx als 'das höchste wissenschaftliche Erkenntnismethode' bezeichnet haben, von den Marxist sein Wollenden weder erkannt, noch verinnerlicht. Obwohl das Wort selbst gut bekannt war. Hat es doch Marx die Methode seines Meisterwerks 'Das Kapital' genannt.

Sowohl Marx als auch Engels hat keine Schrift hinterlassen, die den dialektischen Materialismus als solchen systematisch entwickelt hätte. Diese Aufgabe hat deshalb ein sowjietischer Philosoph, Mark Borisovich Mitin, in Stalins Zeit 'erledigt'. Wenn seine Arbeit 'Leninsche Stufe der Philosophie' geheißen hat, war sie in der Tat ein Beispiel des Stalinkultus und einer verständigen Denkweise. Das nennt man Mitinismus.

Um die Fahne des Marxismus waren sehr viele politische Gruppen und Bewegungen zur Welt gekommen. Philosophisch waren sie aber ohne Ausnahme mitinistisch. In der jetzigen Zeit, wo der Kommunismus gestürzt ist, haben wir keine Ersatzphilosophie, die ihn auhgehoben hätte.

 Nach vielen Worten über den zweiten Charakter des Denkens können wir nun einen dritten erwähnen, den sozial-klassen Charakter, d.h. den historischen Materialismus. Dieser ist ja eine Art Erkenntnistheorie, die als eine Gesellschafttheorie erscheint. Behauptet er doch, dass gesellschaftliches Bewusstsein gesellschaftliches Sein widerspiegelt. Was ist er denn anderes als eine Erkenntnistheorie von Gsellschaft ?

 Zum Schluss ein Wort zum Sozialismus von Marx und Engels, über dessen Gedankengut und Bewegungen.
Ihre Gedanken werden von ihnen selbst 'wissenschaftlicher Sozialismus' bezeichnet, während die sozialistischen Ideen vor ihnen 'utopisch' charakterisiert sind. Und die Gründe für die Beurteilungen hat Engels in zwei Entdeckungen gesehen, die vom historischen Materialismus in der Geschichtsforschung und die vom Mehrwert in der politischen Oekonomie, die beide nach ihm die Verdienste Marx' sind.

Dabei kommt zuerst die Bedeutung des Wortes 'wissenschaftlich' in Frage. Ob die eigentlich korrekt genug verstanden worden ist ? Das Wort haben sie beide von Hegel geerbt. Aber dieser sieht darin 'die Notwendigkeit des Werdens einer Dings (od. einer Sache)'. Die beiden Nachfolger Hegels haben sich also eingebildet, es beweist zu haben, dass die Entwicklung der Geschichte notwendig eine sozialistische Gesellschaft schaffen müsste, während die Utopisten nur solche Gesellschaften geträumt hätten. Das Resultau meiner Studien haben mich aber dazu geführt, ihre Selbsteinschätzungen seien falsch. Die Notwendigkeit einer Geburt des neuen Gesellschaftsystems läßt sich durch die zwei Entdeckungen allein nicht erweisen.

Es war Diktatur des Proletariats, die Marx als einen Knotenpunkt der Geschichte genannt hat. Deshalb sagt man, dass der Kern des Marxismus bei dem Beweis ihrer Norwendigkeit liegt. Um es richtig zu verstehen, muss man aber Proletariat (Klasse) und Proletarier (Arbeiter, Leute) richtig unterscheiden, was leider kaum zum Bewusstsein und Verständnis gebracht worden ist. Das hat eine falsche Tendenz des Beurteilens geboren, dass Arbeiersein an sich grossartig wäre. Theorie und Wissenschaft wären herabzusehen. Nur politisches Herumtanzen im Namen 'Praxis' aufzuwerten.

 Lenin, der den Kern des Marxismus mit Recht im Beweis der Notwendigkeit der proletarischen Diktatur gesehen hat, bestimmt dann ausführlich die Eigenschaften der Avantgardepartei, eines Werhzeuges für Revolution. Seine Gedanken gingen jedoch von durch niemanden zu erfüllenden Forderungen aus. Er sagt: die Parteimitglieder sollen es lernen, die materialistische Analyse und materialistische Beurteilung aller Seiten der Tätigkeit und des Lebens aller Klassen, Schichten und Gruppen der Bevölkerung in der Praxis anzuwenden.("Was tun?")

In der politischen Wirklichkeit zählt auch die Zahl der Mitglieder. Deshalb müssten Menschen, die diese Bedingungen nicht befriedigten, in die Partei kommen. Das Resultat davon ist weltbekannt. Der angebliche domokratische Zentralismus hatte sich zum schlechtesten Totalitarismus verändert. Ein zusätzlicher Grund dafür ist, dass der Organisationsgrundsatz einer kommunistischen Partei nicht durch einen theoretischen Vergleich mit Demokratie und Totalitarismus tiefer untersucht worden ist.

 Uebrigens, die Partei Lenins (die Sozialdemokraten Russlands) hatte tatsächlich die Staatmacht ergriffen, was auch durch glückliche geschichtliche Umstände geholfen wurde. Dann war es dazu gekommen, dass sie viele administrativ notwendige Arbeiten erledigen mussten. Ein Saat muss sich gegen aussländische Angriffe verteidigen. Die Sowietunion musste antirussische Truppen von den mehreren fremden Staaten, Japan inbegriffen, zurückschalagen.

In einem Staat muss Ordnung und ein wirtschaftliches Leben der Bevölkerung garantiert sein. Dazu waren administrative Organisationen unentbehrlich, um praktische Geschäfte zu besorgen. Die geschäftlich unfähige Sowietische Regierung ließ sich dann die Logik der bisherigen Bürokratie gefallen. Was von Marx als 'das Prinzip der Pariser Kommune' bezeichnet wurde, d. h. das der Gleichheit der Löhne zwischen Arbeitern und Beamten, konnte die Behörden nicht demokratisieren. Also waren die erhabenen Ideale vergessen.

Der Sozialismus, der undemokratisches Zarsystem und großen Grundbesitz kritisiert hatte, wurde ein noch weniger demokratisches System und ein Sozialismus, wo es keinen einzelnen Grundbesitz und keine Freiheit des einzelnen Ackerbaus gab. Um diese Wahnsinnnigkeiten durchzuzwingen, hatte sich der Staat ein Geheimpolizeistaat verändert und die Herrschaft durch die Macht dauerte rund 70 Jahre lang. Da es ohne Freiheit der Einzelnen keine Entwicklung der Wirtschaft geben kann, hatte er eine Konkurenz mit Kapitalismus verloren. Ein Einsturz der Sowjetunion im Jahr 1991.

Worin liegt der Grund eines sozialistischen Fehlschalgs ? Ich glaube, dass es in seinem Gedankengut grundsätzliche Fehler gibt. Man sagt, er besteht aus drei Quellen, nämlich französischem Sozialismus, britischer klassischen Oekonomie und deutschem Idealismus. Der erste behauptet, der Mensch sei von Natur aus gut. Eine Erinnerung an ein Rousseausches Werk "Emil" würde genug sein. Aber der deutsche Idealismus, der auf dem Boden des Christentums steht, ist der Meinung, der Mensch sei von Natur aus böse. Wie kann man die widersprüchligen Anschauungen in Harmonie bringen? Das Problem selbst war weder Marx noch Engels zum Bewußtsein gekommen. Sie hatten unbewußt die erste Meschenverständnis akzeptiert.

Wie Hegel sagt, ist die zweite Menschenanschauung ist tiefer als die erste. Alle Schwierigkeiten, die bei Revolutionbewegungen den Sizialisten entgegengekommen waren, gingen auf das in der Menschenseele wohnende Böse auf. Der Sozialismus, der die Grundfrage nicht theoretisch beantowrten konnte, hatte fast alle Schwierigkeiten mit Gewalt beseitigen müssen.

Das Menschenbild, wonach der Bürger am Maßstab beurteilt wird, aus welcher Klasse er stammt, ist auch allzu albern. Eine Dialektik, die die Bestimmung einer Sache in ihrer Funktion sieht, schien den Revolutionären unbekannt zu sein. Einer, der als das Kind eines Arbeiters geboren ist, ist Betriebsführer, wenn er Karriere macht und eine Organisation oder Firma führt. Eigentlcih steht der Marxismus auf dem Standpunkt des Proletariats, nicht dem der Proletarier. Der Unterschied von beiden und die daraus folgenden Schlüsse waren nie thematisiert worden.

 Wie erwaehnt, war drittens die Erkenntnis vom Wesen und Rolle vom Beamten ueberhaupt durchaus ungenuegend und falsch. Ohne Ordnung koennte keine Gesellschaft oder Organisation bestehen. Menschen leben und arbeiten im Rahmen einer bestimmten Ordnung. Wer stellt? Es ist auch in einer demokratischen Gesellschaft grundsaetzlich das Volk, aber in der Tat die Fuehrerschaft, die die Ordnung in der Form des Gesetzes aufstellt, die praktisch von den hoeheren Bueroktaten angewendet wird. Buerokraten haben reiche Erfahrungen und wissen, wie man sie zweckmaessig behandeln. Sie koennen sogar politische Vorschraege machen. Das heisst, dass der eigentliche Diener des Volks immer die Moeglichkeit hat, sich in seinen Herrn zu wandeln.

 Die sogenannte Leninistische Avandegardepartei hatte sich immer weiter verderbt. Einen theoretischen Grund dazu kann man ja in fehlender wahrer Erkenntnistheorie finden. Aus der Missverständnis des Grundsatzes 'Einheit von Theorie und Praxis' hatte sich das Aufzwingen der politischen Spiele ergeben. Aus dem demokratischen Zentralismus die Unterdrückung freier Diskussionen. 'Kritik und Selbstkritik' war nichts anderes als ein Werkzeug zum Nötigen des Selbstniederwerfens im Namen von Selbstkritik. Das war die Dreieinigkeit der Partei des Leninismus. Ist das die Folge der fehlenden wahren Erkenntnistheorie? Oder hatte diese Dreieinigkeit die Bildung einer wahren Erkenntnistheorie verhindert? Es handelt sich wohl um einen Teufelskreis von beiden. Es war die Verletzung der Menschnrechte im Namen von 'Untersuchen', die am hässlichsten die Wahrheit der Kommunistischen Partei an den Tag gebracht hatte.

Der Sozialismus, der aus Marx stammt, hatte überall unbändige Höllenbilder entfaltet. Seine Kritik gegen Kapitalismus hatte jedoch Recht. Es war seine positive Seite. Von Sozialismus kritisiert, hat sich dieser reflektiert. Es sind sozialdemokratische Bewegungen, die Leistungen des Kapitalismus übernehmen und seine Nachteile korrigieren zu versuchen. Sie kann man wohl Systeme nennen, die zugleich die Gleichheit der Persönlichkeiten und die Ungleichheit der Fähigkeiten der Einzelnen anerkennen. Mit dem Resultat, dass sie jedem Bürger Lebensgrudlagen wie Bildung, Medizinalwesen, Pflege garantieren und die anderen Gebiete freien Tätigkeiten nach Talent und Willen überlassen.

Das Menschenrecht basiert auf der Tatsache, dass jeder Mensch eine Person ist. Das kann man also leicht verstehen. Qualifikation kann man aber schwer beurteilen. Ist es doch mit der Fähigkeit verbunden. Nicht selten unterscheiden sich eigene Beurteilung und die durch die anderen. Das kann aber nicht anders sein. Im Glauben, dass in einem langen Lebenslauf und der Geschichte sich eine gerechte Beurteilung machen läßt, muss einer Trost finden.

 Statt Egoismus und Boese eines Einzelnen moralisch zu verdammen, ihr Zuweitgehen zu hindern und solche Gift ins Heilmittel zu verwandern, das ist wahrscheinlich der Sozialdemokratismus. In einem Zickzackweg mit nicht wenigen Rueckgaengen scheint er die Anstrengung nach Besserem sehen. Wie weit er gehen kann, zeigt nur der Lauf der Sachlage. Eine Philosophie, die der Geschichte dienen will, sollte damit theoretisch zu tun haben. (übers. 2012,12,13)

cf. Dialektisches Auffassen der Dialektik
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