雑誌「白樺」は高級雑誌の典型だが、この洛陽堂刊の美術全集「泰西の絵画及び彫刻」全9巻も当時としてはとてもハイセンスなものだったはず。サイズこそ菊版だが、体裁的にはいまでいう画集。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/2a/93a19a2f3b5400dda08e06880c260e89.jpg)
絵画編4の函の絵はフォゲラー「夏の夕べ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/cd/24aeb277b751da3cfb462d70d558784d.jpg)
大正5年刊の本としては珍しくカラー図版。『沼隈郡誌』が刊行されるだいぶ前に出された本だが、最先端の印刷技術をこの全集にいちはやく取り入れた感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/fa/1e49bbb994f2e2ac511d626a04146b46.jpg)
有名なクリムト(1862-1918)「ユーディト」(1901)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/38/f486f65ad39ff4aaca39263a018670f5.jpg)
「前川蔵書之印」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/71/bde2b5185f197c26df9f7cccc8badd71.jpg)
1918年だからクリムトの方は大正8年没ではなかった。
現在入手しようとするとこんな保存状態のものになる。小泉鐡(まがね)が図版提供などに大きく寄与していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/c4/07f958195f7cfe195bbaa61456c24fb8.jpg)
このシリーズの由来については田中英夫『河本亀之助小伝』417-421㌻が詳しい。田中氏の説明によれば、売れ残った雑誌「白樺」から図版だけを外し、武者小路たちには無断で再編集し、それを河本亀之助編と言う形で刊行したものだったらしい。
先ほどまで雑誌「白樺」は良書だと思ってきたが・・・・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/2a/93a19a2f3b5400dda08e06880c260e89.jpg)
絵画編4の函の絵はフォゲラー「夏の夕べ」
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大正5年刊の本としては珍しくカラー図版。『沼隈郡誌』が刊行されるだいぶ前に出された本だが、最先端の印刷技術をこの全集にいちはやく取り入れた感じ。
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有名なクリムト(1862-1918)「ユーディト」(1901)
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「前川蔵書之印」
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1918年だからクリムトの方は大正8年没ではなかった。
現在入手しようとするとこんな保存状態のものになる。小泉鐡(まがね)が図版提供などに大きく寄与していた。
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このシリーズの由来については田中英夫『河本亀之助小伝』417-421㌻が詳しい。田中氏の説明によれば、売れ残った雑誌「白樺」から図版だけを外し、武者小路たちには無断で再編集し、それを河本亀之助編と言う形で刊行したものだったらしい。
先ほどまで雑誌「白樺」は良書だと思ってきたが・・・・・・。