- 松永史談会 -

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婦女新聞(明治33-38年)

2014年09月13日 | 教養(Culture)
福島四郎が発行した週刊『婦女新聞』の創刊号から5年間分の復刻版だ。
長野で生まれた高島平三郎の長男:文雄の生後1年8か月頃の動静(=行動)を母親寿子が文雄の視座から記述した(観察)日記が連載されている。
ざっと見たところ初回は明治30年2月14日の記録で「婦女新聞」72号(明治34年9月23日)に掲載。以後第105号(明治35年5月12日)まで25回ほど連載されている。幼児の日常を記したもので山上憶良モードのまことに取り留めない内容だが、江戸時代とは異なる新しい子供に対する視線が何となく新鮮だ。
記事自体は読者からクレームがついたか、執筆者本人がその親ばかぶりを自覚したか、あるいはその他の理由で「断ち切れ」状態になり終焉。
「文雄日記」は本紙における育児日誌の最初のものではなく、明治33年8月27日(「婦女新聞16号」)にはすでに玉成綱(福島四郎の友人)の名前(ペンネーム)」で「小児発育日記」が登場していた。この話題は福島の執筆依頼に答えたものらしい。
玩具の話題で高島が記者訪問を受けているが、長男文雄に与える「おもちゃ」のこととも関連して、世界中のおもちゃを収集してみたいとの抱負を語っている。この頃の高島の場合、小児の研究対象として長男文雄の存在がとても多きかったことが判るのである。高島の偉いところはわが子の事例を小児一般に止揚する研究者としての客観的な目というものを同時に作動させていた点だろか。


高島平三郎執筆の記事が散見される。この時期は児童心理学の一大ブーム期であったようだ。

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