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ことの発端は江戸後期の不安定な金融経済の下で、角灰屋橋本氏はあくまでも返済金を正銀建てで要求したことだった。橋本氏としては借り手有利となる、(暴落を続けていた)藩札での支払いは到底受け入れ難かった訳だ。
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西向宏介「近世後期尾道商人の経営と地域経済-橋本家の分析をもとに-」(地方史研究協議会編『海と風土』雄山閣、2002、p.158-188)
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「借金問題でもめていた麻生吉兵衛と高橋七郎右衛門」というタイトルだが、姻戚関係にあった麻生吉兵衛と高橋七郎右衛門との間にはもめごとはなく、もめごとはご両人と債権者:角灰屋との間の話。高橋七郎右衛門は嘉永2(1849)年に尾道町町年寄り上席(『新編尾道市史』6、689頁)。麻生吉兵衛は今津村などの年貢米を福山に輸送する海運業者だった。