- 松永史談会 -

   こんにちは。ご機嫌如何ですか。

弁護士作田高太郎はひょっとすると

2015年04月02日 | 教養(Culture)
木戸幸一日記4冊が昨夜東京から届いた。
作田の『天皇と木戸』の公刊の意味を図りかねている小生の疑問に答えてくれるヒントが見つかるかな~。
研究となるとその問題に関する研究史を整理し、既往の成果を踏まえた議論が不可欠だが、門外漢の私にはいまのところその辺は不知


護送車内での木戸

天皇が戦争責任問題からはずされたのは木戸幸一日記や作田高太郎の『天皇と木戸』のお陰ではなく、戦争責任をすべて被らされた感じの東条英機の供述によるところが大きかったとされる。

作田の前掲書冒頭部の記述内容と一致。


有名な『木戸幸一日記・上下』は昭和5年正月から昭和20年12月15日までの記録。12月10日は昭和天皇とご文庫の執務室で面会。木戸は体に気を付け、自分の心境はすべて木戸に話したと言われる。
アメリカ留学経験者である甥の都留重人(1912-2006,元ハーバード大学講師)から以下のようなアドバイスを受ける。
「木戸が無罪なら天皇は無罪、木戸が有罪なら天皇も有罪」(天皇の戦争責任論)
12月11日 午前9時半、石渡宮内大臣が来宅し、弁護士問題で懇談。
12月12日 午前11時半 木戸の弁護を作田高太郎に依頼する。
12月13日 午後3時 野上事務次官が高柳賢三(1887-1967,東京帝大教授)穂積重威(1893 〜 1959、中央大学教授)を伴って来宅。穂積に東京裁判での弁護の依頼をする。
12月15日 午後1時半ころ 岩田司法大臣が来宅し、弁護の件につき打ち合わせ。
都留重人が来て、東京裁判での主任検察官キーナンらと会食したことなどを木戸に話す。夕方木戸の学習院時代の同級生で東京帝大教授高木八尺(米国政治史)が来訪し、特別弁護人の申し出あり。

『木戸幸一日記・東京裁判期』には『穂積陳重・八束進講録』穂積重遠,穂積重威編 岩波書店 1929の編者の一人穂積重威、元ハーバード大学講師の経済学者都留重人の話題は頻出するが、作田高太郎のこととなるとどうも・・・・。木戸は弁護人の穂積を親戚のものと作田に紹介している。木戸担当のアメリカ人弁護士W.ローガンとの日常的な接触は穂積が行っていた(孝彦と作田の接触状況については不明)。

作田弁護士が登場する昭和22年2月の文面。次男坊の孝彦はほぼ毎日面会、しばしば家族(夫人)からの手紙、木戸本人は暇つぶしに読書と拘置所廊下を使った散歩。典型的なインテリで、単行本なら3日程度で読破という感じ。2月6日条:「戦争回避のための努力・・・着手す」(完成は一月後の3月4日で、孝彦に「原稿」を渡している。最終的には孝彦より作田に届けられたはず)とあるのは恐らく作田のアドバイス等もあって行われたものだろ。なお、「穂積君」は穂積重威、「孝彦」は後年弁護士&会社重役となる息子(次男坊)、「弁護士」とは作田のこと。

『木戸幸一日記』原本(『木戸幸一日記ー東京裁判期ーより引用)




作田高太郎の宣誓供述書原稿

宣誓供述者30名のうちの一人となった作田(普通選挙下で国会議員に選出された党人派)と木戸との政治面での交流が密であったこと。陸海軍大臣武官制をよりどころにしながら始まった国政面での軍部(特に陸軍)の横暴、国会軽視を強調する中で、木戸の議会尊重、平和志向、本土決戦を当然とした軍部を抑え、終戦の詔勅を出した天皇に対して木戸は助言をする立場にあったことを述べている。何となく弁解がましい浪花節調だが弁護人の宣誓供述(主旨:木戸は平和主義者&議会尊重主義者)としては10点満点の何点?

まあ、作田あたりも東京裁判でA級戦犯を前に捕虜虐待の件で、オーストラリアの高級将校や看護婦たちが検察側証人として登場して行う証言に付き合わされることに対してはやはり木戸らに対して気の毒に感じた事だろ。





歴史家(人によっては自虐史観の持ち主)・家永三郎著『戦争責任』(岩波書店、1985年7月)ISBN 4-00-001167-7とか井上清の同名書籍は一読の価値がありそう。
目次;
序章 今日なぜ戦争責任を論ずるのか
第一章 戦争責任はどうして生ずるか
第二章 戦争責任にはどのような区分があるか
第三章 日本国家の戦争責任はどのような点にあるか
 序節 日本帝国の権力組織
 第一節 国際的責任
 第二節 国内的責任
 第三節 日本国家の戦争責任は誰が負うべきであるか
第四章 日本国民の戦争責任はどのような点にあるか
 序節 日本国民の置かれた歴史的境位
 第一節 一般国民の戦争責任
 第二節 「戦争を知らない世代」にも責任はあるか
第五章 連合諸国の日本に対する戦争責任はどのような点にあるか
 第一節 米国の戦争責任
 第二節 ソ連の戦争責任
第六章 戦争責任の追及はどのようにしてなされるべきであったか
第七章 戦争責任の追及は、何のために今後どのようにして続けられるべきか

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