・・・ 思い出依存症 ・・・
▲ 幾百も地球に穴をあけながらスカイツリーは電飾まとう 松井多絵子
5月16日朝日朝刊に 「どっちが好き?スカイツリーと東京タワー」という読者アンケート。結果は 東京タワーが68%、スカイツリーが32%。開業して3年、世界一高い634mの塔が、同じ東京の333mの古い塔の方がはるかに人気があるとは 「ほんまかいな」 である。理由はタワーには人々の思い出が凝縮されていること。古きよき時代の記憶と重なっているからだそうだ。東京で生まれ育った私だが、東京タワーは1度だけである。遠い親戚の上京した誰彼たちと展望台に立ったがその時の記憶はアイマイだ。
「50年前に修学旅行で最後に行ったところが東京タワーだった」「昭和の希望と夢の象徴」
「高度成長時代のトップを走ったような感じがする」「風情がある」「高度成長のシンボルであり、いつも前向きのメッセ―ジを贈ってくれる」。しかし、高度成長期の東京は花の都だっただろうか。あの時期に良い思い出のある人が、思い出を懐かしみ美化しているのだ。
私は思い出の話が好きな人たちに悩まされてきた。話しだすと過去へ過去へと溯る。「あのときアナタが、、。」といわれても思い出せない。私の記憶力がお粗末だと思われたくないので、相手に調子を合わせる。すると更に思い出の徘徊。むかしむかし優等生だったとか、お嬢さま、元重役夫人など、思い出に生きている人々、過去を過剰に美化する女で認知症になった人もいる。数人でお茶を飲んでいる場合は、席を立ち「さよなら」をし易い。が2人だけ、家に訪ねて来られた場合はヤレヤレとなる。思い出の押し売りではないか。
疲れがたまると、現実を逃避し、オイシイ思い出を楽しむとか。ならば自分をヒロインにして自分史を書けばいい。自分しか読まないであろう自分史を。私はおいしい思い出を作るよりオイシイ料理を作りたい。思い出依存症予防のためにも。
5月17日 松井多絵子