軽井沢からの通信ときどき3D

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マリア・ジビラ・メーリアン

2023-09-08 00:00:00 | 日記
 日本ではほとんど知られていないと思うが、メーリアンは17~18世紀に活躍した、ドイツ生まれで、欧米では女性研究者の草分けとして知られ、ドイツ紙幣の肖像にもなったこともある人物だという。

 そのメーリアンが昨年から日本でちょっとした話題になっている。軽井沢でも昨年「女流博物画家メーリアンの世界展」(2022.4.23~6.12)が開催された。これは次のパンフレットにも見られるように、「スリナム産昆虫変態図譜1726年版」刊行記念として開催されたもので、この本の刊行については新聞その他WEBなどのニュースでも取り上げられた。


軽井沢のタリアセンで開催された「女流博物画家メーリアンの世界展」のチラシ


「スリナム産昆虫変態図譜1726年版」刊行を伝える2022年12月4日の読売新聞記事

 私は、残念なことにこの「女流博物画家メーリアンの世界展」に行く機会を失してしまったが、出版されたこの本には関心を持った。新聞記事によると、A3版オールカラー、税込み35,200円の豪華本である。600部印刷され、このうち約200部は全国の図書館などに寄贈されたという。軽井沢町図書館にも寄贈されているのではと思い、WEB検索してみたが見当たらなかった。

 この時は、この本を入手したいと思ったものの、高価な本でもあり、ためらったままに時間が過ぎてしまったが、今年になって再び購入できないかと思うようになった。妻の誕生日が近づいてきたからである。

 妻は博物学に関心があり、植物や動物・昆虫にも強い興味を持っている。義父から受け継いだ古い牧野植物図鑑を持っていて、ボロボロになっているので、数年前に新しい上下2巻の牧野植物図鑑を誕生日にプレゼントしたことがあったが、とても喜んでくれて愛用している。

 今回それを思い出して、この「スリナム産昆虫変態図譜1726年版」の復刻版をプレゼントしようと思い立ったのであった。本のタイトルは、普通の女性であれば、これをプレゼントされると怒り出すかもしれないものだが、妻の場合は大丈夫。誤解を生じることはない。

 しかし、出版後すでに1年が経過しており、しかも実質400部の限定出版である。当然今頃のこのこ注文しようとしても、出版元に問い合わせても、どこの書店に連絡しても、見つけることはできなかった。

 あきらめかけたが、ネット検索して中古品を探してみると運よく1冊だけ見つけることができた。しかし価格は非常に高くなっている。当然かもしれない。

 この本を思い切って買うことにしたので、今は無事妻の手元にある。後で述べる白石雄治さんの署名が入っていて、期待通りとても立派なもので私も一緒に見て楽しんでいる。


「スリナム産昆虫変態図譜1726年版」(2022年7月 鳥影社発行)カバーケース表


「スリナム産昆虫変態図譜1726年版」(同上)表紙

 前出の新聞記事にも見られるように、この本は1726年にフランスで発行された原著第三版を邦訳し、復刻したものである。

 原著者のメーリアンは50歳を過ぎてから、オランダの植民地だった南米北東部のスリナムで昆虫の生態を研究。チョウやガが成長に伴って姿を変える「変態」の過程を、幼虫が食べる植物とともに精密に描いて彩色した。1705年には、オランダ語とラテン語の解説文を付けた「スリナム産昆虫変態図譜」を刊行している。

 今回邦訳したのは、ドイツ文学者、岡田朝雄・東洋大名誉教授(87)と、フランス文学者、奥本大三郎・埼玉大名誉教授(78)。共に昆虫好きで、昆虫採集についての共著もある。原本となった仏語版は昆虫愛好家、白石雄治さん(77)が所有し、保存状態が良いもの。

 1705年に発行された初版本は、大英博物館やスミソニアン博物館、パリ自然史博物館など全世界の名だたる博物館や図書館にかろうじて収蔵されている幻の本とされる。

 日本にはこの初版本はおそらく存在せず、国立国会図書館に1719年刊行の第二版が、東京国立博物館と、個人では荒俣宏氏のもとに1726年刊行の第三版がある程度という。こうした希少本を、およそ40年前にイギリスの貴族が手放したものを白石雄治さんが入手して、今回の復刻に至った。

 この復刻版の「訳者あとがき 岡田朝雄」のページを見ると、メーリアンを紹介した我が国の著書は僅かで、次の3冊であるとされる。
 ①荒俣宏編著『昆虫の劇場』リブロポート(1991)
 ②中野京子著『情熱の女流「昆虫画家」ーメーリアン 波乱万丈の生涯』講談社(2002)
 ③キム・トッド著 屋代通子訳『マリア・シビラ・メーリアン 17世紀、昆虫を求めて新大陸へ渡ったナチュラリスト』みすず書房(2008)

  さらに、この復刻版と同時期の発行なので、訳者あとがきでは紹介されていないが、
 ④サラ・B・ポメロイ & ジェヤラニー・カチリザンビー著 中瀬悠太監修 Kohtaroh "Yogi" Yamada訳『マリア・ジビラ・メーリアン ”蟲愛ずる女(ひと)”芸術家I科学者I冒険家”』株式会社 エイアンドエフ(2022)
が出版されていることを、復刻版購入後に知った。

 この4冊のうち、②と④については私も入手した。メーリアンとその著書についてもう少し詳しく知りたいと思ったからである。

中野京子著『情熱の女流「昆虫画家」ーメーリアン 波乱万丈の生涯』講談社(2002)のカバー表紙


サラ・B・ポメロイ & ジェヤラニー・カチリザンビー著 中瀬悠太監修 Kohtaroh "Yogi" Yamada訳『マリア・ジビラ・メーリアン ”蟲愛ずる女(ひと)”芸術家I科学者I冒険家”』株式会社 エイアンドエフ(2022)のカバーケース表  

 文献②と④には文字どおりマリア・ジビラ・メーリアンの生涯が克明に紹介されている。また、復刻版の冒頭にはメーリアン自身による読者へのメッセージがあり、後の方には訳者によるメーリアンの年譜が記されている。

 これらから、メーリアンその人と著書との関係を伺い知ることができる。

 メーリアン本人のメッセージからスリナム行きに至る部分を引用する。

 「私は少女時代からずっと昆虫の研究に従事してきました。先ず私は生まれた町マイン河畔のフランクフルトで、カイコの飼育から始めました。そののち私はほかのいろいろな幼虫から、カイコからよりもずっと美しいチョウやガが生まれることを知って、それからは、見つけることのできたあらゆる幼虫を集めて、その変態を観察しました。・・・
 それと同時に私は絵画技術を練習し、すべての昆虫をありのままに写生し、描こうと思い、先ずフランクフルトで、それからニュルンベルクで発見することのできた昆虫すべてを私自身のために非常に精密に羊皮紙に描きました。・・・
 その後私は・・・オランダに移り住みました。・・・オランダでは、東インドと西インド諸島から、なんと美しい動物を取り寄せているかを知って驚きました。・・・そこで無数の多種多様な昆虫を見ましたが、それらの昆虫の発生と繁殖の過程は見られませんでした。つまり、それらの昆虫が、幼虫から蛹になり、さらに変態する過程についてはまったく知ることができなかったのです。
 このようなすべての事情から、私は長くて費用のかかる旅をして、スリナムへ行き、その地で昆虫の観察を続ける計画を立てるに至りました。・・・」

 続いて本の出版に関する部分である。

 「スリナムで私は、観察したままを忠実に、すべての昆虫の実物を生きたまま写生して、60枚の羊皮紙に描きました。それらは乾燥させた標本とともに私の手元にあります。・・・
 この作品の出版にあたって、私は決して利益を目指さず、私の払った費用を取り戻すことで満足しようと思いました。そして、芸術の専門家や自然愛好家に満足して喜んでもらえるように、この作品の出版にどんな費用も惜しみませんでした。つまり、版画を最もすぐれた名匠たちに彫ってもらい、最上質の用紙を選ぶなどしましたので、読者がよろこんでくださったと聞けば、その目的がかなったことがわかって、私もうれしく思います。・・・」

 メーリアンは何よりも昆虫の生態に興味をもった。これに加えて、その生い立ちが、彼女がこうした素晴らしい本を出版できるのを手助けしている。

 メーリアンの父はドイツで出版社を経営していた。この父が亡くなった後、母が再婚した相手は、画家であった。18歳でメーリアンは結婚するが、その相手もまた画家であった。

 ②の著書の中で、中野京子氏はメーリアンと日本の葛飾北斎とを比べて、「日本画風の奥行きのない描写から、葛飾北斎、特に画狂老人と名のっていた晩年の北斎を思い起こさせる。」と書いている。たしかに、メーリアンの残した作品にはそうしたことを感じさせるものがある。

 また、私はメーリアンの昆虫に対する向き合い方を読んでいて、今放送中の、朝ドラ「らんまん」で紹介されている槙野万太郎(牧野富太郎)が植物と向き合う姿や、日本の植物を、自身の手になる絵と、自身の手になる版画とで残そうとした姿に似ていると感じる。メーリアンもまた自ら描き、エッチングもほとんど彼女ひとりで行い本を出したことがあった。

 著書②の扉には次のような記述もある。

 「・・・ロシアのピョートル大帝はわざわざ彼女の自宅へ侍医を派遣し、(今回の銅版画集を)購入させたし、・・・ナポコフもゲーテも、そのすばらしさに触れている。・・・」

 さて、今回復刻版の図譜を一通りみて、著書②と④にも紹介されている同じ図譜とを見比べていて、オヤと気が付いたことがある。たとえば復刻版の第7図であるが(次図左)、この図譜は著書②(中)にも④(右)にも紹介されていて、次図のように、④では他の2枚の図譜と比べると左右が反転しているのがわかる。

 これは一体どうしたことか。これらの原著書の図譜は銅版画で製作されたものに手彩色されているので、色がそれぞれ微妙に異なっているのは、理解できるとしても、左右が全く入れ替わっているのはなぜか。

 その理由は著書②の中で解説されていた。何と、メーリアンは上図の左側2枚に示されている図譜を用いた本と、右側に示されている左右反転した図譜を用いた本の両方を出版していたというのである。次のようである。

 「・・・(メーリアンは)さらに新しい印刷技術も試した。まず羊皮紙に原画を描き、銅板にエッチングして反転図を作る。まだ乾かないそれを(もう1枚の白い紙を重ねて)すぐプレス機にかけると、できたものは再反転して原画と同じ像になる。しかも二度刷りのおかげで輪郭がぼやけ、銅版画特有のざらつき感が薄れ、やわらかさが出る。これにマリア・シビラ自身が、淡い微妙な色調で彩色する。
 反転図の方は、娘のヘレナや<乙女の集い>の生徒たちに彩色させた。これも少し安い値段で売ることができる。・・・」

 この反転図から再反転図を作る方法はカウンタープルーフィング技法と呼ばれるという。

 すなわち、白石雄治氏所蔵の1726年刊行の第三版を元にした復刻版と、国会図書館所蔵の1719年刊行の第二版を参考にした著書②では原画と同じ向きの再反転した印刷版画が用いられているが、著書④が参考にした原本(1719年刊行 ロサンゼルス・ゲッティ―学術研究所蔵)では最初に印刷した反転した図が用いられていたようである。他の図譜も比べてみたが、すべて同様であった。
 
 多色刷りの日本の浮世絵版画では考えにくい技法であるが、手彩色のエッチング版画ならではの技法だと思え興味深い。

 最後に、メーリアンと関係する人たち、出版物に関することなどを一覧の年表にまとめると、次のようである。


マリア・ジビラ・メーリアン関連人物と事項の年譜 

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