軽井沢からの通信ときどき3D

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山体崩壊

2017-04-28 00:00:01 | 浅間山
山体崩壊。この何とも恐ろしい響きのある言葉の実態を知ったのは、浅間石のことを調べているときであった。本ブログの浅間石(3)で紹介したように、今から2.4万年(2.8万年との説もあるようだが)ほど前に(旧)浅間山の大規模な崩壊が起きている。

 浅間山は三重式火山で、現在の狭義の浅間山は前掛山であるが、その西側にある黒斑(くろふ)山は第一外輪山で、今は東に開いた馬蹄形カルデラを形成している。この馬蹄形カルデラは大規模な崩壊すなわち「山体崩壊」によって形成されたと見られている。

 このとき山体崩壊した体積は4立方キロメートルと推定されており、カルデラ形成以前は現在の湯の平付近に火道を持つおよそ2,800mの富士山型の成層火山であったと考えられているという。

 発生した泥流の痕跡は浅間山周辺の「流れ山」と共に群馬県の前橋市にまで及んでいて厚さ10mに及ぶ前橋台地を形成しているとされる。

 浅間山の大規模噴火としては平安時代の1108年、と江戸時代の1783年の噴火が知られていて、災害の規模も記録に残されている。この時は火山噴火に伴う噴出物とこれらが山壁に降り積もっていたものが、爆発と噴火の震動に耐え切れずに崩壊したためにおきた火砕流や土石流であり、火山の大半が失われる「山体崩壊」ではなかった。

 この時の火山灰や溶岩の噴出量はそれぞれ、およそ10億立方メートルと4.5億立方メートルと推定されている。一方黒斑山時代の山体崩壊で流下した土石流の体積は上記の4立方キロメートルすなわち、40億立方メートルであるから、その規模の巨大さが想像できる。この山体崩壊により黒斑山は2,800mから2,404mまで低くなっている。

浅間山2,568mの西に連なる現在の黒斑山2,404m(2013.4.28 撮影)と山体崩壊前の旧浅間山2,800mの予想図(作成筆者)

 本ブログ「浅間石(3)」で紹介した火山学者早川由紀夫群馬大学教授の2003年の言葉の一部を再度引用すると、
「・・・いまから2万4,000年前、浅間山がまるごと崩れました。崩壊した大量の土砂は北に向かって流れて吾妻川に入り、渋川で利根川に合流し、関東平野に出て、そこに厚さ10メートルの堆積層をつくりました。・・・つまり前橋市と高崎市は、浅間山の崩壊土砂がつくった台地の上に形成された都市なのです。

 浅間山のような大円錐火山が崩壊することはめずらしいことではありません。むしろ大円錐火山にとって、崩壊することは避けられない宿命のようなものです。ゆっくりと隆起してできる普通の山とちがって、火山は突貫工事で急速に高くなりますから、とても不安定です。大きな地震に揺すられたり、あるいは地下から上昇してきたマグマに押されたりして、一気に崩れます。

 2万4000年前の浅間山崩壊で発生した土砂の流れは、北側の群馬県だけでなく、南側の長野県にも向かいました。・・・浅間山の崩壊土砂がつくった土地の上にはいま、群馬県で50万人、長野県で10万人が住んでいます。私たちはこのことをどう考えればよいのでしょうか。答えは、簡単にはみつかりそうもありません。いろいろな角度から研究を進める必要がありそうです。(早川由紀夫)上毛新聞に2003年9月4日に掲載された郡大だより65教育学部を、わずかに書き換えた」
とある。

 なお、南軽井沢ではこの泥流に湯川が堰き止められ、大きな湖が形成された(南軽井沢湖成層)。現在の軽井沢はこの湖に降り積もった離山火山が噴出した軽石の上にあるとされていて、軽石沢が軽井沢の語源とされている。

 ところで、過去に日本と世界で起きた「山体崩壊」について調べて見ると、次のようなものが見つかる。

2900年前・・・・富士山東斜面(静岡県/山梨県、現在の標高 3,776m)
紀元前466年 ・・鳥海山(山形県/秋田県、2,236m)
887年・・・・・八ヶ岳(天狗岳: 長野県、2,646m)
1586年・・・・・帰雲山(岐阜県、1,622m)
1640年・・・・・北海道駒ケ岳(北海道、1,131m)
1707年・・・・・大谷崩れ(静岡県、2,000m)および五剣山(香川県、375m)
1741年・・・・・渡島大島(江良岳: 北海道、737m)
1751年・・・・・名立崩れ(新潟県、100m)
1792年・・・・・眉山(長崎県、708m)
1815年・・・・・タンボラ山(インドネシア、2,851m)
1847年・・・・・岩倉山(虚空蔵山: 長野県、764m)
1858年・・・・・鳶山(富山県/岐阜県、2,616m)
1883年・・・・・クラカタウ(インドネシア、400m)
1888年・・・・・磐梯山(福島県、1,816m)
1911年・・・・・稗田山(長野県、1,428m)
1961年・・・・・大西山(長野県、1,741m)
1980年・・・・・セント・ヘレンズ山(アメリカ、2,550m)
1984年・・・・・御嶽山(長野県、3,067m)
2008年・・・・・栗駒山(宮城県/岩手県、1,626m)

 このうち、1980年5月18日に起きたアメリカ、ワシントン州のセント・ヘレンズ山の噴火とこれに伴う山体崩壊は記憶に新しいところである。富士山に似た2,950mの秀麗な山の姿が一変し2,550mになった。

セントへレンズ山の山体崩壊による変化(作成筆者)

 この時の火山噴出物量は10億立方メートル(ウィキペディア *1)と推定されていて、約40平方キロメートルの範囲に平均25mの厚さで堆積したとされている(*2)。黒斑山の山体崩壊(40億立方メートル)がどれほど大規模なものであったかが理解される。

*1:ウィキペディア フリー百科事典 2017年2月15日UTC
*2:高橋 保、新砂防,118, 昭56.2, PP24-34

 さて、セント・ヘレンズが似ていた本家・富士山に関しては、小山真人(こやま まさと)静岡大学防災総合センター教授(富士山火山防災対策協議会委員、火山噴火予知連絡会伊豆部会委員)が2012年に次のような発表をしている。

 「富士山の噴火と言えば、300年ほど前の江戸時代に起きた「宝永噴火」をイメージする人が多いだろう。宝永噴火は開始から終了までの16日間に、マグマ量に換算して7億立方メートルもの火山灰を風下に降らせた大規模で爆発的な噴火だった。同種の噴火が将来起きた場合の首都圏への影響については、10月9日の藤井氏執筆の本欄を参照してほしい。

 しかしながら、富士山が過去に起こした噴火は多種多様であり、必ずしも次の噴火が宝永噴火に類似するとは限らない。ここでは富士山が起こしうる別種の大規模災害として、「山体崩壊」を指摘しておきたい。

 山体崩壊は、文字通り山体の一部が麓に向かって一気に崩れる現象であり、その結果生じる大量の土砂の流れを「岩屑(がんせつ)なだれ」と呼ぶ。富士山では、不確かなものも含めて南西側に5回、北東側に3回、東側に4回の計12回起きたことが知られており、最新のものは2900年前に東側の御殿場を襲った「御殿場岩屑なだれ」である。その際に崩れた土砂量は、宝永噴火を上回る約18億立方メートルである。

 岩屑なだれの速度は時速200キロメートルを越えた例が海外の火山で観測されており、発生してからの避難は困難である。首都圏にもっとも大きな影響が出るのは、北東側に崩壊した場合であろう。大量の土砂が富士吉田市、都留市、大月市の市街地を一気に埋めた後、若干速度を落としながら下流の桂川および相模川沿いの低い土地も飲み込んでいき、最終的には相模川河口の平塚・茅ヶ崎付近に達する。このケースの被災人口を見積もったところ約40万人となった。事前避難ができなかった場合、この数がそのまま犠牲者となる。

 同様なケースが実際に約1万5000年前に生じた。この時に相模川ぞいを流れ下った大量の土砂は「富士相模川泥流」と呼ばれ、相模原市内の遺跡などで今もその痕跡を見ることができる。

 このように山体崩壊は広域的かつ深刻な現象であるが、現行の富士山のハザードマップでは想定されていないため、それに対する避難計画も存在しない。「想定外」となった主な理由は、約5,000年に1回という発生頻度の小ささである。

 しかし、たとえ発生頻度が小さくても、起きた時の被害が甚大である現象に対して全く無防備だとどうなるかを、昨年私たちは嫌と言うほど見せつけられた。東日本大震災と福島原発災害である。しかも、最近の研究によって、宝永噴火の際にも地下のマグマの「突き上げ」による宝永山の隆起が起き、山体崩壊の一歩手前まで行ったことが明らかになった。

 幸いにして、こうした明瞭な前兆をともなう山体崩壊は、山の変形を監視することによる予知が可能である。しかし、山体崩壊を想定したハザードマップと避難計画がない現状では、40万人もの人間をすみやかに遠方に避難させることは困難である。山体崩壊による甚大な被害が予想される静岡・山梨・神奈川の3県は、それを考慮した避難対策を早急に作成すべきである(東京新聞2012年10月31日コラム「談論誘発」)から引用)」。

 ここに示されているように、富士山の直近の山体崩壊である2,900年前の「御殿場岩屑なだれ」の規模は 18億立方メートルと推定され、冒頭紹介した黒斑山崩壊時の40億立方メートルの約1/2の規模である。

 小山教授は、富士山で山体崩壊が起きた場合のおおよその被災範囲(厚い土砂で埋められる範囲)を、過去に発生例がある北東側・東側・南西側の方向別にそれぞれ描いている。

小山真人教授による富士山山体崩壊時の土石流の流下予想図
(http://sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public_html/Fuji/tokyoshinbun121031.htmlから許可を得て引用)

 黒斑山の山体崩壊が発生した2.4万年前の時代は日本では石器時代の終わりごろにあたる、縄文時代は1.6万年前から始まるとされているから、その少し前の出来事になる。

 弥生時代は今から3,000年前に始まるとされているので、富士山の山体崩壊は弥生時代のできごとであったことになる。当時の人々にどのような打撃を与えたのであろうか。

 仮に現在の社会でこうした山体崩壊が起きるとどういうことになるか。上記のとおり、小山真人教授は、富士山が北東側に崩壊した場合には40万人が被害を受けると推定している。また、浅間山の崩壊土砂がつくった土地の上にはいま、群馬県で50万人、長野県で10万人が住んでいるということである。

 その想定被害は驚くべきものである。巨大地震や津波の被害を受けたばかりの我々には、その記憶がまだ生々しいが、場合によってはこれをはるかに上回る被害が予測されているということになる。

 先日NHKのTV番組ヒストリアで、群馬県榛名山の噴火で8kmほど離れた麓の渋川村が火砕流に飲み込まれた様子が発掘により明らかになったことを放送していた。

 村人の多くが済々と避難した後、火山の噴火を鎮めようと祈りを捧げていたとも考えられているが、何らかの目的で後に残った村の長(王)が逃げる間もなく家族と共に火砕流に飲み込まれていった。

 現在南海トラフ沿いで、マグニチュード8~9級の巨大地震の発生が懸念されている。最悪の場合には、東日本大震災を大幅に上回る被害が出る恐れがあるとされているのであるが、地震だけではなく、火山噴火やこれに伴う山体崩壊にも目を向ける必要があるとの指摘に、改めて関心を払うべきなのかもしれない。


 












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