軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

マリー・アントワネットと浅間山

2018-11-16 00:00:00 | 浅間山
 以前、道の駅「雷電くるみの里」の記事を書いた際に、名横綱・雷電為衛門は、浅間山の1783年(天明3年)の噴火がなかったならば、誕生しなかったかもしれないという話を紹介した(2018.3.9 公開の当ブログ)。

 浅間山の噴火については、もう一つの歴史的な「たら・れば」の話がある。それはマリー・アントワネットにまつわる話で、浅間山の噴火が、フランス革命の遠因になったのではないかという話である。そして、マリー・アントワネットの運命にも。

 今年に入ってからも、さまざまな自然災害に見舞われた日本と世界。

 ハワイでは、5月3日にもともと火山活動が活発で、観光地でもあったキラウエア火山だが、いままで噴火活動が見られていなかった場所に、突然亀裂が生じ、そこから溶岩が噴出するという事態に現地は騒然としている。

 付近の住人1万人に対して避難勧告がなされており、一部観光スポットも閉鎖されたという。溶岩流は住宅街にまで達し、その後しばらく小康状態が続いていたが、現地時間17日午前4時過ぎ(日本時間17日午後11時過ぎ)に大規模な爆発的噴火が観測された。

 この噴火に伴い、噴煙が3万フィート(9km)もの高さまで噴出したとされる。現在はようやく落ち着きを取り戻したようだ。

 アメリカ、カリフォルニア州ではもう年中行事のごとく森林火災が発生し、多くの高級別荘が消失している。また、水の都ベネチアでは、高潮により町全体が水没して、折から開催されていたマラソンでは、選手が水に浸かった町なかを走るという、前代未聞の事態も起きている。

 純粋な自然災害と、その背後には人為的なものが含まれている災害との両方があるとはいうものの、こうした非常事態というべき状況に対し、我々はもう慣れっこになったのか、諦めたのか、その一つの原因とされている地球温暖化問題への関心は、いまひとつ盛り上がりを感じないのは私だけだろうか。

 さて、軽井沢のシンボルでもある日本の代表的火山浅間山、気象庁は、平成30年8月30日、11時00分、噴火警戒レベルを「2」から「1」に引き下げた。ただし、噴火警戒レベルが「1(活火山であることに留意)」及び「2(火口周辺規制)」のとき、軽井沢町側では、小浅間山と石尊山への登山道のみ立ち入りを認めていて、それ以外の部分については、立入禁止にすることになっているので、今回立ち入り区域に関する変更はない。

 この浅間山の大規模噴火の噴火間隔は700 - 800年と考えられている。大きな噴火としては4世紀、1108年、1783年のものが知られ、いずれも溶岩流、火砕流の噴出を伴っている。1108年の噴火は1783年の噴火の2倍程度の規模で山頂に小規模なカルデラ状地形を形成した。現在は比較的平穏な活動をしているが、活動が衰えてきたという兆候は認められず、監視活動は続けられている。


最近の浅間山(2018.10.30 撮影)

 この浅間山の1108年と1783年の2回の噴火による災害について、さらに詳しく見ると、1783年の被害は極めて大きいものであった。1108年の被害は「上州で田畑被害大」と書かれ、人的被害については特に記されていないのに対し、1783年の被害は「死者約1,500、餓死者10万」とあり、火山活動に伴う直接被害の大きさはもちろんだが、間接的な被害の大きさに驚く(「浅間山」《村井勇執筆、浅間火山博物館発行》)。

 この大量の餓死者というのは、火山の爆発によって噴出した火山灰や、火山性ガスが上空に漂い、太陽からの日射エネルギーを弱めたため、地上の気温を下げたことが原因となる凶作によるものと考えられている。この凶作による飢饉は、天明の飢饉として知られるもので、これは必ずしも浅間山の噴火によって始まったものではないが、浅間山の大噴火の影響により、飢饉が長期化かつ深刻化したものとされている。

 こうしたことを調べていて、興味深い本に出合った。

 上前淳一郎氏の「複合大噴火」(1989年 文藝春秋発行)という本である。この本で著者は、同時期に噴火した日本の浅間山とアイスランドのラキ火山の複合噴火が、日本の飢饉だけではなく、ヨーロッパの飢饉にも影響をおよぼし、結果として日本の政変やフランス革命にまで影響を及ぼしたのではないかという考えを提示している。

 著者の上前淳一郎氏については、ずいぶん前に週刊誌の「読むクスリ」というコラムを読んで知っていたが、本格的な著作を読むのは初めてである。この「複合噴火」から、浅間山との関係について記述されている部分を中心に紹介させていただこうと思う。

 次の表は1783年の浅間山の噴火前後の、日本とフランスの政治状況をごく簡単に記したものであるが、両火山噴火と前後して、日本とヨーロッパでは平均気温の低下があり、凶作に見舞われている。そして日本では米不足、フランスでは小麦不足に伴うパン価格の高騰が起き、民衆の不満が高まっていた。

 そして、その結果、江戸時代の日本では田沼意次から松平定信への政権交代を呼んだとされる。一方、フランスでは定信が老中に就任した翌年の1788年4月、フランス全土は猛烈な旱魃に襲われた上に、7月には大規模なひょう害が追い打ちをかけて、小麦は著しく減収し、主食のパン価格は異常に高騰した。翌1789年にかけての冬は猛烈な寒さとなり、パリのセーヌ川も凍りついた。人々はパリに流れ、いたるところで暴動が発生し、ついに7月14日のバスチーユ襲撃という結末を迎えることになる。


ラキ火山、浅間山の噴火とその前後の日本とフランスの政治状況

 浅間山の噴火とフランス革命との間に関連があるとは、話が飛躍しすぎているように感じるが、この辺りについて著者の上前淳一郎氏は、この「複合大噴火」のあとがきで次のように記している。

 「われながら風変わりな本を書いた。これは歴史ではないし、まして気候学でもない。ノンフィクションというには異端にすぎる。エッセイだと思ってもらうのが著者には一番ありがたい。・・・青森県八戸にある対泉院というお寺で、天明飢饉で餓死した人びとの供養碑を見たのは、ちょうど三十年前になる。
 ・・・子供だった太平洋戦争中に飢えは経験しているが、そうでもなければ凶作とは無縁な暖かい中部日本に育った私は、未知の世界に触れた気がした。そして、・・・天明期の飢饉のことを書いてみたい、と思うようになっていった。
 ・・・ちょうどアメリカでセントヘレンズ山が噴火した翌年、その噴煙による冷夏が騒がれているときだったが、ある大学教授が『浅間山天明大噴火とフランス革命との関係』という論文を発表したのである。・・・天明の飢饉の結果もたらされた社会不安が、田沼意次から松平定信への政権交代を呼んだといってよい。そこまでは私も理解していた。しかし、フランス革命にまで影響が及んだとは、考えてみたこともなかった。・・・
 私はすぐその論文を取り寄せ、むさぼるように読んだ。浅間山の噴煙がヨーロッパまでおおって冷夏をもたらし、そのために小麦が不作になってパンが値上がりしたのがフランス革命の原因だ、と書かれている。日本で米の凶作から政権交代が起きたのと同じように、フランスでは小麦の不作が政体の変革を招いたというのだ。・・・」

 しかし、この論文には浅間の噴煙とフランスの不作との因果関係が十分書かれていないと感じた上前氏は自ら調査を行った。そして、天明の浅間噴火が地球規模でどの程度の影響をもたらしたかを知るために、イギリスのH.H.ラム教授がまとめた噴煙指数(ダスト・ベール・インデックス=DVI)を調べた。

 このDVI指数とは、噴火による煙や灰、塵がどのくらい地球の大気に影響を与えたかを推測して、指数で示したもので、1883年のクラカトア火山(インドネシア)の噴火の噴煙指数を1,000として基準としている。過去最大の指数を示しているのは、1815年のタンボラ火山(インドネシア)の3,000である。


DVI指数による世界の主な噴火の大きさ(上前氏の図から主なものだけを採りあげた)

 ここで、浅間山とぼぼ同時期に噴火したラキ火山のことを知った上前氏は、日本の天明飢饉を長期化させ、深刻化させたのは、浅間よりむしろラキ噴火だったのではないかと気付く。さらに、浅間のDVI指数は600と小さいとはいえ、浅間とラキのDVI指数2300とを合わせると2900になり、1815年に噴火し、1816年にヨーロッパ、アメリカに極端な冷夏をもたらした、タンボラ火山(インドネシア)のDVI指数3000にほぼ匹敵することから確信を深めていった。

 こうして、先の大学教授の論文で無視されていたラキ噴火を浅間に加えた複合噴火こそが、フランス革命との関係を論じる場合に対象とされなけらばならないと考え、更に調査を行った結果を纏めたものがこの本であった。

 この「複合噴火」(1992年刊行の文春文庫新装版)には帝京大学教授・首都大学東京名誉教授・三上岳彦氏の解説があり、歴史気候学の立場から次のように分かりやすく書かれていてる。

 「飢饉の原因となった異常冷夏については、浅間の噴火によるとする説があるが、噴火が起こったのは八月上旬であり、気温の異常な低下はすでに春頃から始まっていた。著者の上前氏は同じ年にアイスランドで火を噴いたラキ火山との複合噴火が、悲劇をより大きくしたのではないかと推論している。
 ・・・浅間山とラキ火山から噴出した膨大な量の火山灰と火山ガスは、上空を吹く偏西風にのって世界中に広がっていった。厳密にいうと、火山爆発にともなって噴き上げられた大量の亜硫酸ガスが成層圏にまで達したあと、日射(紫外線)の影響によって硫酸の微粒子(エアロゾル)に変化したのである。上空に漂う火山性のエアロゾルは、太陽からやってくる日射のエネルギーを弱め、地上の気温を下げる効果がある。
 この年の6月8日朝、アイスランド南部のラキ火山が火を噴いた。火山噴火による噴出物の量は、百億立方メートルに達したと言われ、これはおなじ年に噴火した浅間山や1982年に噴火したメキシコのエルチチョン火山の噴出量の20倍にも及ぶ膨大なものであった。亜硫酸ガスに富んだ噴煙は、水蒸気とともに高度10キロメートル以上の成層圏にまで達したのち、硫酸のエアロゾル(青い霧)に姿を変えて2年から3年ほど大気中にただよったために、太陽からやってくる日射のエネルギーが減少し、地上の気温を低下させたと推定される。
 火山の大噴火と気候変動との関係は、実は、そう簡単ではない。・・・1783年の場合、浅間、ラキの複合噴火で、日本は異常冷夏をむかえたが、イギリスやフランスなど、ヨーロッパ西部の諸国では暑い夏となった。・・・一般的に、火山大噴火後には、気温低下に明瞭な地域差が生ずることは従来から指摘されている。
 本書では、複合大噴火後のこうした気温変化の地域差についても、科学的に納得のゆく説明が加えられており、単なる歴史的事実の記載に終わっていない点で、説得力がある。」

 一方、本のあとがきでは、上前氏は次のように控えめに書いているのであるが。

 「・・・ただ、かんじんの1783年の複合噴火が89年のフランス革命の原因だったかどうかについての論証が、完璧にできたとは私は思っていない。革命の前年フランスは不作で、その結果起きたパンの値上がりが暴動を呼んだことは確かだが、それが噴火のせいだと断定するだけの根拠を私は握っていない。・・・また、かりにパンの値上がりの遠因が噴火にあったとしても、それだけでフランス革命が起きたと主張するつもりは私にはない。・・・」

 地球の気候変動の問題が、極めて複雑であることは、今日の地球温暖化の議論でも感じることで、上前氏がこのように断定的な表現を避けていることは理解できるところである。

 さて、浅間山の麓で暮らす私は、日々浅間山を眺めながら、大噴火の起きないことを願っているのであるが、一方で浅間とパリとをつなぐこの壮大な物語に、何故かわくわくしたものを感じる。

 今、手元に、マリア・テレジアと名付けられたワイングラスがある。カップ部分がウランガラスでできていて、紫外光下で緑色に光る。あのマリー・アントワネットの母親の名前がついたこのワイングラスを見るたびに、フランスに思いを馳せ、「たら・れば」とついつい考えてしまうのである。


マリア・テレジアの名を冠したワイングラス(左:通常光下、右:紫外光下、)




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