ジャズピアニストのジャズ批評

プロの耳で聞いたジャズをミュージシャン流に批評。

My Romance Ⅲ

2015-09-29 01:14:03 | Weblog
和声はどの音を重複させるか?重複させてはいけないか?というのが実際のヴォイシングでは問題になってくる。和声学のトレーニングではできるだけ無駄な重複は避ける、特にコードの3度と7度は避けて和声を組み立てて行き、バランスの良い和声構造に耳を慣れさせていく、というのが基本だ。その感覚を身に着けるのはやはり実際のヴォイシングにも役にたつ。もちろんこの重複というのは、ピアノという楽器の上でのことだ。いろんな楽器やそれぞれの人数の問題がからんでくるとまた別の要素も発生してくるが、もとになるピアノ上での組み立てがしっかりしていたら応用も効く。和音は特定の声部を重複することによってその声部が強調され、和音全体が豊富になる。だから重複するのには明確な音楽的な目的が必要なのだ。二つの音が重複された場合、3、6度はその音程の色彩感がくっきりと出るし、2、7度は和音をより鋭くする。4つ5つの音の重複は打撃音のような効果ももたらす。コードによってどんなテンションを使うか?どういう並び方にするか?など個人的な嗜好の問題はあるが、どの音を重ねるか?というのもジャズサウンドの方向性を決めるおおきな要素なのだ。ヴォイシングのやり方は星の数ほどある。自分の好みに合ったもの、その楽曲に適したものを見つけるのは地道な試行錯誤しかない。

My Romance Ⅱ

2015-09-21 18:16:27 | Weblog
Substitute Chord(代理和音)の概念はあいまいだ。線引きが難しい。ジョンミーガンが増4度離れたドミナント7thだけを代理と呼ぶべきだ、と書いていた。まあこうすればはっきりしていいかもしれない。でもここでは、そもそも和音はなぜ代理がきくのか?ということをちょっと考えてみたい。その理由は和声というものの根本的なあいまいさ、人間の聴覚の限界にある。優秀な音楽家はわずかな構成音の違いを聞き分けることはできるが、その反面いくつかの「代理和音」をそれぞれ許してしまう聴覚も持ち合わせている。そしてこの許容力が調的中心を交換したり1つの調が12個のどの調とも関連されることを許してしまうのだ。12個の音を使った調性音楽は人間の感性の美的感覚とそのゆるさの上に成り立っている。転調には全音的なものと半音的なものがある。それぞれをうまく組み合わせて美的感覚に訴えるのだ。この「My Romance」の場合、旋律も転調も完全に全音階的だ。その和声が全音階的だとどうしても退屈に聞こえてしまう。いろいろなバリエーションの和声に慣れたジャズミュージシャンや聴衆には物足りない。定義や肩書にこだわらず、半音的な和声づけをしないと演奏が成り立たなくなる。

ブック・オブ・バラーズ
ドン・アブニー,ジョー・ベンジャミン,チャーリー・スミス,フランク・ハンター&オーケストラ
ユニバーサル ミュージック クラシック

My Romance

2015-09-07 02:20:05 | Weblog
1935年Richard RodgersとLorenz Hartのコンビによって書かれた曲。ミュージカル「Jumbo」の中の曲だ。1962年に同名の映画が製作されたときはサウンドトラックでDoris Dayが歌っている。楽曲の形式はA-B-A-Cで32小節。プレーヤーもヴォーカリストもあまりにも多くの人が録音を残していて、文字通り「大スタンダード曲」であるといえる。10代の頃この曲の譜面を最初に見たとき、キーは演奏用のCで書かれていたのだが、メロディーはCのスケールの7つの音だけなのにコードを追っていくと黒鍵がいっぱい出てくる。なんとなく不思議な感じがしたけどその成り立ちの理由は分からなかった。もちろんその譜面はある程度ジャズミュージシャンにリハーモナイズされたすでに広く知られているコードだった。この曲は多くのミュージシャンがレパートリーにしていることでもわかるように「クッキング」がやり易いのだ。そしてハズレがない。リズムのかたちやテンポもそうだが、コードをいじくり出したらキリがない。まあなんでもやってみればいいんだけど・・・。でも間違いのリハーモナイズはだめだ。この曲はメロディーのトナリティーを優先すべきで、最初の4小節はⅠの調性で3小節目だけがドミナント、次の4小節はⅥの調性に移り前半の最後の4小節はⅤの調性で一旦落ち着く。だいたいこのへんのポイントをはずさずにリハーモナイズすれば間違いは起こらない。変奏曲を書くときの過程だ。こういう和声の選択肢が多いように見える楽曲ほど基本の過程を経てアレンジやリハーモナイズをしないと間違いを犯してしまう。で、間違ったリハーモナイズでは絶対に良いインプロヴィゼーションはできない、というかアドリブ自体ができない。これはジャズをやってる人なら体感でわかると思う。音楽の「正しさ」を見抜くのは難しい局面もあるが、インプロヴィゼーションをやることによって分かってくることがよくある。

Waltz for Debby
Ojc
Ojc

Will You Still Be Mine? Ⅳ

2015-08-31 02:56:30 | Weblog
和声の考え方はいろいろある。12音平均律が整備されていない時代でも2部や3部のコーラスは存在したし、自然界の倍音列に沿って音を選ぶ耳を人類は備えていた。では12個の音素材の組み合わせで和声を考えるというのはどういうことかと言うとそれは和声をより構造的に考えるという人間の思考性が反映されるということなのだ。トナリティーを無視して考えると和音はその緊張度、濁り度だけで選別することになる。12個の音をよく円で表すことがあるが、それでこのシステムを応用すると、まさに和音選びは「図形選び」になってしまう。この「図形」をどう設定するか?「図形」のどこに美を見出すか?というのがポイントになってくる。具体的に言えば半音の音程をいくつ含むか?そしてその数は奇数か偶数か?そんなところが判定基準になる。そして自然界に存在する上音列の概念も当然忘れてはいけない。倍音の仕組みからいくとおおまかに言ってピラミッドのように和声が組み立てられているほうがどっしりと響く。こういう音構造の考え方は言葉で説明するとジャズスタンダードの「歌」の概念からはほど遠いように聞こえるかもしれないが、実際にはジャズのヴォイシングの考え方に大いに活用されている。かなり具体的になるが、和声に使う音の数も、ドミナント7thのコードだと12個のうち10個が「使用可能」なのだ。ジャズサウンドに長く携わっていると、複雑な和音や微妙なテンションの聞き分けも自然に慣れてわかってくるようになる。でも和声を自分で一から組み立てるときにはその「熟練の耳」だけではどうにもならないときがある。もちろん耳をたよりにああでもない、こうでもないと頑張ってはみるが、図形から得られるインスピレーションが突破口になることもある。

Will You Still Be Mine? Ⅲ 

2015-08-18 03:25:47 | Weblog
この曲はピアノも弾き歌も歌うマットデニスの曲、楽譜に書かれている音符と歌詞との関係については全く問題ない。マットデニスが責任をもってくれている。メロディーラインと言葉が無理なく合致しているのだ。自身がピアノを弾き作曲の能力もあり、歌手としての優れた感覚も持っているというひとは実は稀有な存在で、歌のために書かれた曲、いわゆる「歌曲」といっても楽器のための音符と歌詞には常に微妙な関係がついてまわる。結局うまく歌詞がはまらない場所がどうしてもでてくることが多いのだ。作詞と作曲、どちらが先か?というのはよく問題にはなるが、はっきり言ってどちらでもいい。結果として良い歌曲になればそれですべて解決だ。作詞と作曲が違う人物の場合、どちらが主導権を握っているかにもよるが、やはりお互いに歩み寄らなければなかなかうまく進まない。まあほんとにいろんなケースがある。ソナータとカンタータという風に音楽を区別した訳がわかる。スタンダードになっている曲でも歌詞がうまくはまらなかったり足りなかったりする曲はたくさんある。そういうこの「ふたつの音楽」もひとりの脳ミソの中だとうまく結びつく。簡単な作業ではないと思うが。曲と歌詞の結びつき具合は、歌手が一番わかる。ピアニストの立場で曲を推薦しても歌詞との相性や歌詞の内容があまり好きではなくて歌うをいやがる歌手もいっぱいいる。歌詞の流れや内容が好きで歌いたいと言われてもつまらない曲もある。どちらが正解かわからない。立場がちがうと物事の評価は変わってくる。これは音楽に限ったことではない。しょうがないことなのか?

ザ・ミュージング・オブ・マイルス
マイルス・デイヴィス,レッド・ガーランド,オスカー・ペティフォード,フィリー・ジョー・ジョーンズ
ユニバーサル ミュージック クラシック

Will You Still Be Mine? Ⅱ

2015-08-11 01:36:39 | Weblog
まずこの曲の特徴的な場所としてあげられるのは13、14小節目のメロディーラインだ。変化音(オルタード)のふたつの音列でそこがこの曲のタイトルを歌う場所になっている。ジャズ的な分析をするとここの部分はドミナント7thのオルタードスケールの部分で、ジャズのこういう音使いに慣れてるひとにとっては耳慣れたサウンドだ。この解釈がわかりやすくていいと思う。ジャズの方法論や分析の仕方は荒っぽいところもあるが、音楽の全体像を捉えるには簡単でいい。細かいところで問題があるときは別の理論をもとに考えればいいわけで、アナライズというのは自分のプレイのためにやることだから自分なりでいいのだ。オルタード音は簡単にいえば、楽譜でシャープやフラットの臨時記号がついている音、もとの7音の音階からはずれた音のことだ。それを音楽の中で時と場合に応じてうまく使う。もちろん使う変化音にもひとつひとつ役割があるし、順序もある程度決まっている。和声の流れと一緒だ。音を半音変化させる目的はほとんどの場合音楽に「色気」を加えるためだ。ジャズサウンドの場合それが「ブルージー」という言葉に置き換わる。12個の階段上の音程の中で音楽に情緒を加えようとするとこの手段しかない。これは完全な7音音階の世界やペンタトニックやヘクサトニックの世界ではありえないし、12音の半音階の世界でも存在しない。12個の音を7個と5個に分けて音楽作りをする先人が編み出した偉大なステージでのみ存在する。幼いころピアノの鍵盤の白鍵と黒鍵を眺めながらどうしてこんな形になっているんだろう?とずいぶん考えたがわからなかった。明確に教えてくれる大人もまわりにいなかった。音楽の組織は人間の知恵のかたまりだ。できるだけ深く、正確に理解しなければ良い音楽は作れない。

プレイズ・アンド・シングス
ジーン・イングルンド,マーク・バーネット
ユニバーサル ミュージック クラシック

Will You Still Be Mine?

2015-08-03 02:09:15 | Weblog
1940年Matt Dennisの作品、作曲者自身の歌もプレイも録音されている。実はこの曲、最初に知ったのはマイルスのバンド、そしてレッドガーランドのトリオアルバムだった。その中ではこの曲の形式がA-A-B-Aの簡素な形になっていてそういう曲だと思い込んでしまった。Aの部分は16小節、ブリッジのBの部分は8小節だ。そのあとソニーロリンズの「Freedom Suite」の中の演奏を聴くとちょっと違う。あれっ?・・・でも当時はそのまま・・・。何回かヴォーカルの伴奏でこの曲に接すると、そんなに簡素な形ではない。Matt Dennis本人の歌を聴いたりしていろいろわかってくると、マイルスが自分たちの演奏にために曲を変えてしまっているのだ。マイルスのバンドでこの曲を覚えたレッドガーランドもそのあと簡単な形でこの曲を演奏している。オリジナルは、A-A’-B-A’’の形だ。3つのAの部分はコードもメロディーも微妙に違う。いわゆる「歌曲」にはあって当然の形だ。歌詞の問題が大きい。この曲に限らずインプロヴィゼーションの素材として既成の楽曲を選択する場合、どこまでオリジナルに忠実に演奏するか?というのは難しい問題だ。演奏、とくに録音とかになると、どうしても自分なりのやり方でやりたくなる。自由にやればいいようなもんだけど、やはり限度もある。一線を超えると「間違い」になってしまう。音楽的なちゃんとした理由があって自信があれば許される、それが音楽の世界でもあるが・・・。この曲のマイルスやガーランドのやり方はかなりギリギリのところだと思う。ガーランドのコードでは歌手は全く歌えない。でもガーランドのピアノはほんとに最高で、何百回聴いたかわからない。

グルーヴィー
レッド・ガーランド,ポール・チェンバース,アート・テイラー
ユニバーサル ミュージック

Solar Ⅳ

2015-07-23 03:18:05 | Weblog
音の認識力はひとそれぞれで絶対的なものはない。ただ幼いころから音楽に接していたり音楽教育を受けていたりすると今の音楽で使っている12音、つまり階段状にピッチを刻んだ音の組織が記憶されて「音楽上」の音の認識力は高まる。これは記憶力や習慣に起因するものだ。絶対音感といわれるものもこれのひとつだ。そして絶対音感を持つと、共感覚といわれる「音」を「色」に置き換えて認識する感覚を同時に身につけることがある。医学的にはよく知られていて、何人にひとりとかの確率も数字ででている。この感覚は音ひとつずつに色が見えるのでコードが聞こえると色が混ざって額の前のスクリーンに映り、それがいろいろ変化するので、抽象画の連続を見ているようでとても美しい。で、その美しさが音楽の良しあしを判断する基準になってしまう。でもいつもいつもというわけではない。感覚を研ぎ澄ませて集中して音楽を聴いたり演奏したりしているときだけだ。だから特定の曲はある一定の色彩の画像として認識してしまう。これが曲者だ。キーが変わるとこれが根底から崩れてしまう。考えて移調してちゃんと弾けるように練習してそして自分の脳ミソに納得させる。まあ色は変わってもいい曲に変わりはない。実際の演奏活動の中では日々これの繰り返しだ。絶対音感と言ってもいろんな「程度」がある。あまりにもしっかりした絶対音感を備えていると不便なことのほうが多い。脳ミソの融通がきかない。音楽家に「音」に対する高い認識力を求める理由はわかるが、もっと大事なのは「音楽」に対する認識力なのだ。

Solar Ⅲ

2015-07-12 02:53:41 | Weblog
和声の緊張度というのはもちろん、そのときに鳴っているコードの音構成に由来する。でも楽曲を理解するという意味では、基本のコード進行つまり4声の積み重ねからその緩急を読み解かなくてはいけない。その基本構造を理解したうえでその緩急をふくらませたりあるいはあえて裏をかいたりして音楽を「面白く」する、それがジャズのヴォイシングであるといえる。コードの緩急の原因は含まれている音程だ。長短2度7度がどれだけあるか?トライトーンが含まれているか?チェックすべき点ははっきりしている。でも問題は音が12個しかないこと、そしてジャズのヴォイシングは6個7個の音をしょっちゅう押さえるということなのだ。和声の緊張度というのは前後と相関関係にある。長短2度7度やトライトーンを含んだ和音は単体ではかなりの緊張度を感じるがそれが連続すると「普通」になってしまう。そしてそれが落ち着いて聞こえてしまう。人間の耳と脳の不思議なところだ。ジャズサウンドをひとくくりでいうことはできないが、この全体的な緊張度がそれを指していることがおおい。ジャズ演奏のためのマニュアルはアメリカ発信のもので、理解しやすくジャズサウンドの入り口としては素晴らしい明快さだと思う。難しいのはそのあとだ。その場の状況に応じて緊張度を操作できる即興的な技術がないと演奏が思うようにならない。失敗を恐れないでやるしかないと思う。そのうち見つかる。コードを思うようにあやつるというのはホント難しい。

Solar Ⅱ

2015-07-07 03:26:20 | Weblog
この曲は12小節でできているがブルースではない。ブルースの和声をもじっているかといえばそうでもない。でも12小節という数がジャズミュージシャンにはブルースを連想させる。メロディーを検証してみよう。すぐに分かるのがはっきりとした2小節ごとの2度進行だ。最初だけは長2度、あとは半音。順番に下がってきている。旋律の素材としての2度進行が上向音程であるか、下向音程であるかによって緊張と緩和が左右されるのが旋律の原理ではあるが、しばしばこの緊張と緩和は和声進行のそれと相いれない時がある。それはそれで音楽的には意味のあることで、悪いことではない。ただこの曲の場合はその旋律と和声の緊張度の度合いが一致している。だから12小節の間、旋律も和声もみごとに流暢に推移してそれで終わる。要するにこの「Solar」はモダンジャズのスタンダードナンバーでもあるが「穏やかな歌曲」でもあるのだ。この点がやはりブルースとは一線を画している。2度進行が工夫されてちりばめられた楽曲には並行して現れる2度進行もある。それも複数。作曲家にとって旋律は音楽の生命線だから、やはり細心の注意を払って旋律作りをする。従って2度進行を何種類か並行させるのがむしろ普通といってもいい。でもこの曲は一種類、分かりやすい。インプロヴィゼーションの素材としても一流であることは、1954年に発表されて以降、無数のミュージシャンがライブ演奏や録音に使用していることで証明されている。