まっしゅ★たわごと

街歩き、建築、音楽、フランス、それに写真の話題を少々

餘部を渡るべぇ!【前編】

2006年08月31日 00時07分01秒 | 都市

今年の秋より架け替え工事が開始されるという噂を聞き、またどこにも行かない今夏の己を憂い、急遽、餘部鉄橋を見に行くことを思い立ち、尼崎駅から特急「北近畿」に飛び乗り餘部へ向かう。福知山経由で城崎温泉まで二時間半、そこから鈍行のワンマンディーゼル列車に揺られ約40分の道のりである。城崎温泉駅での乗り換え時間はたったの4分しかないので急いで乗り換える。地方交通線なので余裕で座って行けるだろうとタカをくくっていたら、餘部鉄橋架替効果のためなのか車内は超満員の状態であった。 座る事は断念したものの、何とか進行方向右側の日本海が望める立ち位置を確保する事ができた。

上の写真はトンネルを出てすぐ、餘部鉄橋に差し掛かった瞬間の写真。遥かに高い位置から集落を望んでいるため、眼下の風景はゆっくりと流れていくので不思議な感じがした。橋を渡り終えたところがすぐ餘部駅になっている。ホームが一本と簡易な待合室以外何もない無人駅である。ところが、ホームに降り立つや否や警備員やらJRの駅員さんやら列車から降りてきた大量の乗客でホームが埋まってしまっている。

警備員はホーム上の警備をしているが、駅員はホームの上で記念入場券をオレンジカードを販売している。・・・というかオレンジカードってまだあったのね??なんというかこのカードの存在を感じたのは一体何年ぶりのことだろうか!

 

駅は山の中腹に有り、集落は谷の底にあるので駅から集落に至るには山腹をひたすら右へ左へと沿いながら降りていかなければならないのである。上の写真はちょうど中間あたりの景色である。何回も橋の下をくぐるので橋マニアにはタマラナイ感じの光景を堪能することが出来る。

看板には「道なりに徒歩5分」と書いてはいるが、真夏の炎天下でこの坂を登っていくのはかなりつらいことだと思う。しかしながら、問題は夏場の灼熱地獄ではなくて、冬の時期の方が問題は深刻であるらしいのである。なぜなら、駅までの道自体が凍結して、乗客が駅に至る事が出来ないことも有るらしいのである。恐るべき「ノンバリアフリー」駅なのだ。

山を降りきった先の小屋に、申し訳なさそうな椅子と机にささやかなスタンプ台と土産物の販売がなされていた。ただそこには売り子の姿はなく、餘部鉄橋に関する「解説の書かれたスタンプ用の台紙」「小石に鉄橋のプリクラシールを貼り付けただけの置物」「鉄橋の額入写真」が置かれていて、それぞれに値札が付され「善意の貯金箱(?)」に料金を自主的に投入するようなスタイルになっている。ちなみにスタンプ台紙は5~10円であった。・・・もちろん私は10円を投入。

集落の中心にある「はせがわ」という川が日本海に注いでいる。ここに来て感じたのが橋脚の配置はおそらくこの川の両端を跨ぐスパンを基準とし、それから均等割付にしたのかなと思った。左から二つ目の橋脚の手前に観音像が立っている。観音像の袂には慰霊の石版が埋めこまれてあり、今から20年前の12月に起こった列車の転落事故の悲劇を風化させぬべく鎮魂の言葉が刻み込まれている。

昼ゴハンは橋の近くに有る大衆食堂で「塩焼そば」を注文する。塩分摂取して熱中症対策??店の人は多くを語る事はなかったが、この架替効果による観光客の増大は特に歓迎できるものではなく、むしろ、工事によって生じるかもしれない立ち退き等の問題も無きにしも非ずということで、実際に2006年秋着工というのも疑わしい状況であるというような話を聞いた。

そういえば歓迎ムードがあったのは餘部駅だけで、少しでも利益を得ようとするJR西日本による記念切符とプリペイドカードの販売が駅員によってなされているだけで、集落自体は唯一の記念品販売コーナーは無人でスタンプ台帳の価格は5~10円(つまりコピー台+α程度)であったし、夏のくそ暑い時期なのに屋台での「かき氷」の販売などもないのである。売れば利益を得る事ができる状況なのに、あえてそれをしない町の人々。

それは、おそらく町の人々の脳裏には、未だに20年前の悲劇(※)を決して忘れてはいないということなのだろうと思われる。そして加害者であるJR西日本サイドは20年前の出来事として、既にそれらを忘却の彼方へ葬り、そして(企業としては当然では有るが)利益追求へ走っているのではないかと感じた。

※:1986年12月28日、回送中の客車列車が日本海からの強風にあおられ機関車を残して客車7両が真下の水産加工工場を直撃。当時加工場で作業に従事していた主婦ら12名が死傷したという痛ましい事故。許容数値を超えた風速が観測されていたにも関わらず、列車の運行を中止しなかった国鉄(当時)による人為的ミスであったと言われている。

そこに居住を構える住民たちにとっては、これから自分たちの頭上で何年にも渡って行われる危険な橋脚架け替え工事への不安感みたいなものも当然あるのだろうなと思った。

【後編】に続く