とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画「Ryuichi Sakamoto | Opus」を見ました。

2024-07-19 06:46:14 | 映画
坂本龍一さんの最後のピアノソロ演奏を記録した映画「Ryuichi Sakamoto | Opus」を見ました。音楽に身をゆだねる時間のすばらしさを実感できました。

知っている曲が6割ほど。初めて聞く曲もあります。知っている曲はそれを聞いていたころの思い出や、そこから生まれて来るさまざまな感慨が浮かんできます。心地のいい時間が過ぎていきます。初めて聞く曲は曲に集中していきます。次に来る音を想像し、想像を裏切る展開に喜びを見つけ、緊張感を味わいながら聞いていきます。生きている時間の貴重さが心に沁み込んでいきます。

昔、仙台で大貫妙子さんが坂本龍一さんのピアノだけで歌うコンサートがあり、それを聞きに行きました。12月で仙台市の夜はは有名な「光のページェント」で輝いてゐます。その光のページェントについて坂本さんは、「やめればいいのに」と言って大貫さんに「コラコラ」とたしなめられていました。余計なエネルギーを使うなという意図だったのですが、それがとても印象に残っています。

未来に何を残すべきか。帰り道そのことを考えていました。

坂本さんは亡くなりましたが、坂本さんの音楽は残り続けます。
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NTLIVE「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」を見ました。

2024-07-15 04:52:33 | 高校国語改革
イギリスの舞台をそのまま収録し、映画館で上映するナショナル・シアター・ライブの作品 「ザ・モーティヴ&ザ・キュー」を見ました。重要な近代劇の「事件」を演劇化した演劇人のための演劇であり、演劇の意義を考えさせる好作品です。

1964年にブロードウェイで『ハムレット』が上演されました。主演はエリザベス・テイラーと結婚したばかりのリチャード・バートンです。そして演出はジョン・ギールグッドというベテランの役者です。ギールグッドはシェイクスピア俳優と言ってもいい存在です。バートンとギールグッドの演劇観は真逆であり対立します。感情を表に出しやや誇張した演技をするか、感情を抑え微妙な心のひだを表出する演技をするかの対立です。

この対立は今でも同じように存在します。従来の大きな表現による演劇もさかんですが、日本でも「静かな演劇」が流行し、静かな語りによる演劇が多く上演されるようになりました。それぞれにはそれぞれのよさがあり、これによって演劇のバリエーションが広がりました。演劇に限らず、映画やテレビドラマでも、あるいは文芸作品でも同じような対立があり、それが表現の幅を広げているのです。

演劇とは何か、演技とは何か、そして表現とは何かその本質にせまる作品です。
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結局東京都知事選ってなんだったのか?

2024-07-13 08:03:07 | 社会
 東京都に住んでいない人間にとって都知事選なんかどうでもいいことであった。それなのに日本中が大騒ぎをして、NHKも大河ドラマを休止して迄開票速報をする。筋が通らないことを平気でするようになってしまった。結局日本は東京のためにあることをだれもが容認し始めている事態があきらかになったのである。

 国会議員もほとんどが東京都民、マスコミも東京都民。電通も東京都民。経済人も東京都民。みんなで東京だけが住みよい場所にして、どんどん相対的に地方を貧しくしていっているのであり、同時にそのことを隠蔽しているのだ。

 今回の都知事選、結局は茶番劇だった。小池百合子も蓮舫もどっちも大嫌いだ。ほかにいないのかと探していたら、よくわかんないけどちょっとよさそうな元市長がいる。政治経験もあるし、まあ小池や蓮舫に投票するよりいいだろうと投票してみたら、すぐに化けの皮がはがれてしまったという結果であろう。

 東京都民は「東京劇場」で暇つぶしをして楽しんでいたのだろう。いいご身分だ。

 東京を解体することがこの国を救うことになるのではないかと思えてきた。
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映画『スクラッパー』を見ました。

2024-07-08 16:36:02 | 映画
ぎこちない父娘を描くイギリス映画『スクラッパー』を見ました。不器用な親子の不器用な生き方がいとおしくなる映画です。

母を亡くし、アパートにひとりぼっちで暮らす少女ジョージーは自転車を盗んで、それを売ってなんとか生活しています。日々の生活はトラブルがたえません。そんなジョージーのもとに、ずっと行方がわからなかった父ジェイソンが突然訪ねてきます。ジャージーは父親が許せず、絶対に気をゆるしません。しかしぶつかり合いながらも、お互いがお互いを必要としていることに気付いていきます。

ジャージーにとっては母の死を受け入れるためには父が必要だったのです。そしてそれが出来た時、ジャージーは大人になります。同時にジェイソンも親としての自覚が生まれます。やっと本当の父として娘と向き合うことができるようになったのです。

ふたりの関係は不器用ですが、それこそ本当の家族の関係のように感じられました。生の人間を感じる佳作です。
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山形県民は笑わない

2024-07-07 07:27:40 | 政治
山形県民は1日1回笑うことなどに努めることになった。山形県議会が「県笑いで健康づくり推進条例」が賛成多数で可決されたのだ。今すぐこんな県から出ていきたくなった。
 
笑う頻度が高いほど死亡リスクが低いとする山形大医学部の研究結果を踏まえ、家庭や職場などで笑いによる心身の健康づくりを推進するのが目的だと言う。県民の役割について「1日1回は笑う等、笑いによる心身の健康づくりに取り組むよう努める」とする。事業者に「笑いに満ちた職場環境の整備」を求め、毎月8日を「県民笑いで健康づくり推進の日」と定めた。

へたな理屈をつけて目立つ条例を作る、馬鹿な議員たちだ。そもそも議員たちの政治がひどいから、山形県は貧乏県になってしまったのだ。へんな条例を作る前に、笑って暮らせる県にするのがあなたたちの使命だろう。

そもそも閉鎖的で仲間内で固まってしまう県だ。県庁内部だって忖度だらけで効果的な政策なんか打てやしない。人口減少は歯止めが聞かず、経済も一向に上向く気配がない。教育政策は失敗だらけだ。

もう山形県はいらない。宮城県さん、山形県を合併してください。お荷物をかかえさせて申し訳ありませんが、もう山形県は県が限界集落です。

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