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とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画『波紋』を見ました。

2023-06-19 18:02:37 | 高校国語改革
荻上直子監督の新作『波紋』を見ました。現代の人間社会を突き放した目で見つめる映画でした。人間の愚かさと同時にいとおしさが描かれています。いい作品です。

今現在、私たちは東日本大震災のことなど本当はほとんど忘れてしまっています。忘れるのは人間だからしょうがないのですが、あの時の影響は見えない形でもいまだに人間社会にはっきりと残っています。この映画も原発事故によって心が壊れてしまった人たちのストーリーです。

人生の壁にぶち当たると、だれもが傷つき、だれもが他人を恨み、だれもが誰かにすがりたくなります。東日本大震災とか、新型コロナウイルスとか、あるいはかつて日本が行った戦争とか、バブル経済の崩壊もそうです、大きな出来事は見えないところで今も人々を狂わせていきます。そこで狂った人間を憎むのは当然かもしれませんが、しかしその裏にある社会の原因を見つめなければいけません。そうしなければ恨みの連鎖はとどまらないからです。むずかしいことですが、それができなければ大きな悲劇が待っています。

出演するのが、
筒井真理子
光石研
磯村勇斗
安藤玉恵
江口のりこ
平岩紙
津田絵理奈
花王おさむ
柄本明
木野花
キムラ緑子
ムロツヨシ
このメンバーだけ見てもすごい。

前回『怪物』について厳しい意見を書きましたが、この『波紋』のほうが「怪物」を見事に描いています。
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エルニーニョと地球温暖化の関係は「ない」のではない。「不明」なのだ。

2023-06-15 08:57:02 | 社会
 先日『ひるおび』を一瞬だけ見ていた。エルニーニョの説明をしている場面だった。そこに出ていた気象予報士がエルニーニョと温暖化は関係ないという説明をしていた。しかしそれは間違いである。関係は不明だというのが現在言い得ることである。

 気象庁のHPでも次のようなQ&Aが掲載されている。引用する。

Q エルニーニョ現象と地球温暖化は関係があるのですか

A 1990年代前半に、太平洋赤道域東部の海面水温偏差が正の状態が長く続きました(気象庁の定義では、1991年春〜1992年夏がエルニーニョ現象発生期間となっています)。地球温暖化の影響の可能性を指摘する調査結果がある一方、自然変動だけで十分説明できるとする調査結果もあり、必ずしも、研究者の間で意見が一致しているわけではありません。
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第4次報告書によれば、多くの地球温暖化予測実験モデルで、温暖化したときの平均的な海面水温の昇温は、太平洋赤道域東部の方が西部に比べて大きく、エルニーニョ時に見られるようなパターンになると予測されています。しかし、数年おきに発生するエルニーニョ現象のモデルによる再現性はあまりよくないため、温暖化したときにエルニーニョが今より頻発するかどうか、規模が大きくなるかどうかについて結論はでていません。

 地球の温暖化とエルニーニョ現象の関係はまだはっきりしていなのである。

 次は私が去年の7月2日にここに書いたものである。再掲する。

 さすがに今年は暑い。この暑さの原因はラニーニャ現象だという。最近はラニーニャとエルニーニョが交互にやってきている。普通の年がない。なぜなのだろうか。

 ラニーニャ現象というのは南米ペルー沖の海水温が下がることである。その結果フィリピン沖の海水温が上がり、その結果日本上空の偏西風が北に蛇行し、日本が熱くなるという理屈のようだ。今年の梅雨が短かったのは、北に蛇行した偏西風のおかげで梅雨前線が押し上げられたせいだという。

 昔、エルニーニョとかラニーニャという現象が言われ始めたとき、それはペルー沖の海底火山のせいだという説明を聞いたことがある。だとしたらこんなに頻繁に起こるのはおかしい。そこで調べなおしてみると、実はエルニーニョとラニーニャの原因がまだはっきりとわかっていないのだという。だとすれば環境破壊がその原因だという可能性もある。

 日本が暑いということは、世界のどこかでは寒い地域があるのかもしれない。だとすれば地球温暖化とは言えない。しかし世界中の平均気温が上がっているという調査結果をみたこともある。それが事実だとすればやはり環境破壊を食い止める必要がある。

 科学的な知見を持ち寄って、議論をし、それを整理していく過程が必要だ。何が正しいのかがわからない。近年の暑さが、やはり環境破壊のせいならば、別次元の対策が必要である。

 冷静な議論とそれを一般に広めるマスコミ等の努力を期待する。

 結論は同じだ。これだけ毎年のようにエルニーニョとラニーニャが起こっていることを、簡単に考えてはいけないのではないか。
 
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映画『怪物』を見ました。

2023-06-14 07:08:28 | 映画
カンヌ映画祭で坂元裕二氏が脚本賞を受賞した映画『怪物』を見ました。私にとっては不満の残る作品でした。

私がこの作品の気に入らなかった理由は、学校がリアルではないということです。映画では息子に体罰を与えた教員を抗議するために母親が学校に行きます。そこでの学校側の対応が情けない。実際にああいう対応をするはずがないと感じたのです。

学校はトラブルだらけです。しかしいくらなんでも、保護者に対してああいう対応をする学校はありません。校長も逃げるようにいなくなる。担任もあやまる気力もないのに語りだけ謝る。他の教員はわざとらしくと見えるまでトラブルをさける行動をとる。確かに後半でそのいきさつは説明されるのですが、学校側の対応はありえないものでした。

学校と保護者のトラブルはもっと繊細な部分で生じています。学校職員だってトラブルを避けようと努力しています。確かに教師のなかには非常識と思われる行動をとるものもいます。しかしそれはもっと微妙なところでです。微妙な態度が生徒を傷つけそれが大きなトラブルに発展する。それがわかっているからトラブル処理には慎重になります。

学校は保護者トラブルがあった場合必ず教育委員会に報告します。少なくともマスコミネタになってしまうようなトラブルがあった場合、教育委員会が対応します。保護者も学校の対応がおかしいと思った場合は教育委員会に訴えます。こじれると長い時間かかる対応になってしまうのですが、さまざまな難しい要素がからんでいるからです。

この映画はステレオタイプの見方を批判しています。しかしこの映画の学校の描き方は明らかにステレオタイプです。そこが大きな欠陥です。

私は元学校の教員であり、現在の学校教育には大きな不満を持ちますが、学校教育はこの映画で描いているよりはずっとまともです。私が元教員でなければ、満足した映画だったと思います。しかし残念ながらリアリティのなさに失望しました。

この映画を作った人たちも「怪物」です。
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映画『渇水』を見ました。

2023-06-11 09:14:35 | 映画
映画『渇水』を見ました。水道料金を滞納する家庭を回って水道を止める業務に当たる水道局員の男性が、良心と職務の間で葛藤する映画です。身につまされるものがありました。

私も長年教員をやっていました。最初のころは怖いもの知らずで、教員なんかみんな敵だという気持ちでやっていたのですが、いつの間にか取り込まれてしまい、本来の自分を失ってしまったような気がします。公務員はこうあらねばいけないとか、教師はこうあらねばいけないという変なしばりにがんじがらめになってしまいました。その結果いつの間にか自分を偽ってしまっていたのだと思います。最後はストレスだらけの生活になっていました。

この映画の主人公も組織に取り込まれ、本来の自分を見失っていたのだと思います。その結果当たり前の感覚を失ってしまいました。絶望の淵にたった時、やっと明日の生活もままならない子供たちから水を奪っていたことに気づくことができます。

もちろんここにこの映画の弱さもあります。今の世の中、きちんとした児童保護の制度もあり、こどものために働いてくれる人もたくさんいるのです。そういう人につなぐことぐらいやるべきことであるのは同然なのです。

とは言え、エアポケットのような罠に人間ははまってしまいます。それが恐ろしい。

社会の落とし穴を描く映画でしたが、最後は救われた気分になりました。


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夏目漱石作『薤露行』(かいろこう)を読みました。

2023-06-09 07:05:08 | 夏目漱石
夏目漱石の初期の短編小説『薤露行』を読みました。1905年(明治38年)に発表された作品で、アーサー王物語を題材にした創作作品です。円卓の騎士ランスロットをめぐる3人の女性の運命を描く、非常に興味深い作品です。

三人称小説。文体の特徴は格調のある雅文体であり、それが中世の雰囲気を出しています。過去形は用いられず、現在形で描写されます。

五章に分かれており、あらすじは以下の通りです。

一 夢
アーサー王は戦争のため円卓の騎士とともに北に向かって発つが、騎士ランスロットは、病を口実にして残り、王妃ギニヴィアと逢引し、ランスロットは試合にひとり遅れて出発する。

二 鏡
高台に立つ部屋で、シャロットの女が鏡に外界を映して眺めている。その鏡の中に騎乗姿のランスロットが銀の光となって現れる。女は立ち上がり、窓から顔を外に突き出す。ランスロットは高台の下を駆け抜け、鏡は真っ二つに割れて粉々に砕け散る。女は倒れ、倒れながらランスロットに呪いを掛ける。

三 袖
アストラットの古城に娘のエレーンとその父親、二人の兄が暮らしていた。そこへランスロットが一夜の宿を求めて立ち寄る。ランスロットは試合への遅参をごまかすため、長兄の盾を借りて正体を隠すことにする。エレーンは、ランスロットをひと目見て恋に落ちる。彼女は真紅の長衣から袖を切り取り、この袖を兜に付けて闘ってくれるよう訴える。

四 罪
北の試合が終わり、騎士たちは館に帰還するが、ランスロットは戻らない。13人の騎士たちが乱入し、ギニヴィアとランスロットの密通を糾弾する。

五 舟
ランスロットが試合で負傷し、シャロットの城の近くで治療を受けたことを聞き、悲しみに沈むエレーンは、思いつめて絶食による死を選ぶ。彼女の遺体は小舟に乗せて流される。小舟は白鳥に導かれてカメロットに流れ着く。水門が開き、アーサー王以下、城中の者たちが集まる。亡骸の右手に握られた手紙に気がついたギニヴィアは文を読み、「美しき少女」とつぶやいて熱い涙を注ぐ。

私が興味を抱くのは「二 鏡」。漱石の初期作品では鏡がよく出てきます。これは何を示しているのでしょうか。しかもこの作品では鏡が砕け、鏡を見ていた女はおそらく命を失っています。鏡の中の世界とはなんなのか。私は鏡の世界は小説の世界なのではないかと漠然と考えています。今の私の探求テーマです。

この作品については江藤淳の研究があります。それをすぐにでも読んで、もっと深く考えてみたいと思っています。
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