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とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

映画『対峙』を見ました。

2023-02-17 08:09:35 | 映画
 映画『対峙』を見ました。ものすごい映画でした。

 ある教会に二組の年配夫婦が集まります。一組は息子が銃乱射事件で命を落とした夫婦。そしてもう一組はその加害者の両親です。。被害者側の夫婦と加害者側の夫婦、どちらもが大きな傷を抱えており、生きていくのが厳しい状況に陥っています。なんとか立ち直ろうと話し合いを始めます。しかしその話し合いはうまくいきません。

 話し合いは何度も破綻しかけるのですが、それでもお互いになんとか持ちこたえようと努力します。この微妙な心が表情やセリフから伝わってきます。演技を超えた演技があります。

 お互いに本音をぶつけ合い、長時間向き合うことによって、心と心が触れ合います。芯から許すわけではないのかもしれませんが、被害者側が加害者側を赦します。その微妙な理屈を超えた感覚が映像によって見事に伝わってきます。

 デジタル化した現代において、どれだけアナログ的な心の通い合いが大切かが伝わってきます。
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木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』を見ました。

2023-02-12 18:31:22 | 映画
 東池袋「あうるすぽっと」で、チェルフィッチュ主宰の岡田利規さんが演出する木ノ下歌舞伎『桜姫東文章』をみました。とても刺激的な演劇でした。

 いわゆる「普通の演劇」のようなセリフ回しがありません。感情をあまりこめないで、ぼそぼそと語る芝居です。セリフはゆっくりめのはなされるのでぼそぼそしたセリフですが、よく耳にのこります。間の取り方も自分の間で語られます。だからリアルな会話のようにも感じます。最近時々見るリアルな会話の演劇のようにも感じられます。

 とは言え、役者のダラダラした雰囲気は異様です。決して「演劇」にならないようにしています。見ようによっては自分勝手な「演劇理論」を見せられているような気にもなります。

 しかも『桜姫東文章』の筋はめちゃくちゃです。わりと最近シネマ歌舞伎で玉三郎、仁左衛門の『桜姫東文章』を見ましたが、「なんだこのシュールは話は!」と驚かされました。この演目をわざわざ選んだのです。

 しかし、客席は集中しています。わたしも集中して見入っていました。これは何なのでしょう。時間をかけて考えていきたいテーマです。

 木ノ下歌舞伎をみるのは初めてです。さらに岡田利規さんの演出も初めてです。ですからこの不思議な雰囲気はどちらのものなのかはわかりません。おそらく岡田さんの演出の方法なのではないかとは思います。そしてそれにまんまとはまってしまったという印象です。

 そこにあったのは、人間の自然な反応であり、共感できる人間性なのだと思いますが、その方法論にはとても興味があります。今後、木ノ下歌舞伎と岡田さんを追いかけてみたいと思いました。


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貴家堂子さんのこと

2023-02-11 07:59:52 | 社会
 貴家堂子さんが亡くなったというニュースが飛び込んできました。改めて言うまでもなく、『サザエさん』のタラちゃんの声を50年以上もやってきた方です。とても残念です。

 『サザエさん』は私の世代です。小さいころから『サザエさん』を見て育ってきました。最近はあまり見ることもなくなったのですが、それでも時々見ていました。中でもタラちゃんはかわいらしいので魅力的なキャラクターでした。舌足らずのしゃべり方に特色がありました。

 その声優さんの貴家堂子さんはどういう方なのか気になりました。まずは読み方がわからない。「きかどうこ」さんと勝手に読んでいました。ネットの時代になり、やっと読み方がわかるようになりました。いつの間にかタイトルバックの紹介にはルビがふられていました。

 今年87歳だったそうです。その年まで声優を続けてこられただけでもすごいことです。そして一つの役を50年以上も続けてこられたこともすばらしいことです。

 大げさかもしれませんが、一つの時代が終わったと思ってしまうニュースでした。

 ご冥福をお祈りします。
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『千と千尋の神隠し』の分析的読解7「生と死」

2023-02-10 07:56:55 | 千と千尋の神隠し
 国語の授業で『千と千尋の神隠し』の分析的読解をやってみようと思い、準備しています。キーワードごとに分析していこうと考えています。まだ構想段階ですがメモ的に書いていきます。

 7つ目のキーワードは「生と死」。

 家族たちが車で引っ越し先の家に行く最初のシーンは現実の世界、つまり「生の世界」です。しかし山道に迷い込み、廃墟に入ったところあたりからは別次元の世界になります。ここは死の世界なのでしょうか。「銀河鉄度の夜」の項で申し上げましたが、死の世界まで行くには電車に乗る必要があります。ということはまだ完全には死んではいない。千尋たちが迷い込んだ別次元の世界は、「生と死の境目の世界」と考えるのが妥当です。そしてそこに神々が集うのです。


 「神々の世界」に現世の人間が迷い込むと、透明になっていくようです。千尋も最初、透明になりました。カオナシもそうです。鉄道に乗る人々もみんな透明です。透明になった現世の人間は死の世界に行くと考えていいようです。しかしその世界のものを食べてしまうと、その世界の住民となってしまいます。他の動物になるか、一生働き続けるしかありません。

 その異空間に迷い込んだ人間が、現世の「生の世界」に戻っていくには、大変な努力が必要です。しかも、その努力には勇気も必要です。自分の力で局面を打開していかなければいけないのです。それを成し遂げた千尋は、「生の世界」にもどることを許されます。

 さて、「生の世界」に戻ろうとする千尋にハクは言います。
「トンネルを抜けるまで絶対に振り返ってはいけない」



 さて、「生の世界」に戻ろうとする千尋にハクは言います。
「トンネルを抜けるまで絶対に振り返ってはいけない」


 これは古事記のイザナミ、イザナギの話を思い出させます。その内容は以下の通りです。

イザナギは妻のイザナミに先立たれましたが、逢いたくて黄泉の国へと行きました。
イザナミはイザナギが来たことを喜びました。
しかし黄泉の国の食べ物を口にしているため、黄泉の国の住人になっていました。
「帰りたいけれど、この国の神々と相談してくるので、その間は決して私の姿を見てはいけません。」と言って御殿の中に入っていきました。
しかし、イザナギはなかなかイザナミが帰ってこないので、中をのぞいてしまいました。
すると、そこには腐敗して体中に蛆がたかり、雷をまとった妻の姿がありました。
イザナギは恐れて逃げ出し、イザナミは追いかけました。
そしてイザナギは黄泉比良坂でイザナミと離縁しました。

 このイザナミ・イザナギの神話は『千と千尋の神隠し』に反映しているのは明らかでしょう。

 だとすると『千と千尋』においてイザナミと同じ立場になるのはハクです。ハクは死んだのでしょうか。その可能性もありますが、それはまだ謎です。

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映画『イニシェリン島の精霊』を見ました。

2023-02-06 10:08:30 | 映画
 脚本家として有名なマーティン・マクドナーの監督作品『イニシェリン島の精霊』を見ました。難しい作品ですが、老いにさしかかった人間の感情をみごとに描く作品だと私は感じました。

 アイルランドのイニシェリン島に暮らすパードリックはある日、いつもパブで楽しく過ごす親友のコルムから突然絶縁を告げられます。なぜ友人をやめるのか、パードリックには理解できません。このあたりは不条理劇的な要素が感じられます。

 コルムは残り少ない人生を意味のあることに使いたい、何かを残したいのだと言います。そのためにはパードリックとの無駄話をやめたいのです。私自身も老いを感じ始めてから、焦り始めました。まだ何も成し遂げてはいないではないか。毎日毎日生きているだけで、自分が自分であることの証が何もない。だからコルムの気持ちはよくわかります。

 コルムはこれ以上、自分にかかわったら自分の指を一本ずつ切るとパードリックに告げ、実際にそうしてしまいます。このあたりのブラックユーモア(?)がマクドナーの特徴です。ただし、このユーモアは私にはきつすぎます。

 島の生活は退屈です。しかし退屈な中に生活の本質があり、人間の本質があります。一方では人間は自分が自分でありたいという気持ちも強くあります。近代という時代は「自分」の時代です。その時代に生きる人間にとって「自分」の意味こそが最大の生きる目的です。この二つの対立の中で分裂して苦しみながら生きているのです。

 グロテスクの部分があり、ちょっと引いてしまう部分もあるのですが、心に響く映画でした。
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