とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

朝日新聞『折々のことば』より

2021-07-19 18:39:42 | 折々のことば
 しばらくお休みしていた「折々のことば」が再開された。考えさせられることばばかりで、楽しみにしている。同時にことばのむずかしさを感じずにいられない。
今日のことば。

なにかを知るということは、身軽に飛ぶことではなく、重荷を負って背をかがめることになるのです。(福田恆存〈つねあり〉)

 人は何かを知ることでもっと遠くへ行ける、もっと新しい世界が開けると思うが、それはいま以上に「大きな未知の世界を、眼前にひきすえた」ということなのだと、劇作家・評論家は言う。人はそこに開けてくる光景に無関心でいないと心に刻んだのであり、だから他人の言葉にも深く耳を傾けるようになると。『私の幸福論』から。

 私たちは世の中のことがわかりたくて一生懸命勉強するす。しかし、ひとつのことが理解できた瞬間に次のわからないことが生まれる。そして、そのわからないことが次元の違うわからなさであることがよくある。

 宇宙のことも、原子のことも、命のことも、言葉のことも、人間のこともわかったと思ったことが次の苦しみを生み出す。

 その重荷は人間の宿命なのかもしれない。
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映画『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』を見ました。

2021-07-17 12:09:58 | 映画
 1972年にアレサ・フランクリンが収録を目的として教会で行われたゴスペルコンサートを行いました。その映像は結局公開されなかったのですが、今回映像が新作映画として公開されることになりました。約50年前のゴスペルコンサートです。音楽の力を感じさせます。

 監督 シドニー・ポラック

 アメリカ人は今も教会が力を持っています。日曜日に協会に行く人も多くいます。黒人は教会でゴスペルと呼ばれる歌を教会で歌います。讃美歌というときれいなハーモニーの歌のイメージがありますが、ゴスペルは各自が自由に歌っています。しかしその声が一つになった時、圧倒的な厚みを感じます。厚みのあるコーラスに負けずにアレサ・フランクリンがソロパートを歌います。その歌声は圧倒的に心に迫ってきます。

 歌は興奮を生み出し、会場は恍惚状態になっていきます。それは宗教的な体験と重なるようになります。

 音楽の力を感じると同時に、音楽の力を生み出すスターの偉大さ、そして名もなき参加者の偉大さを感じる映画でした。
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レガシー

2021-07-15 07:10:03 | スポーツ
 私はスポーツ中継が大好きだ。何気なく見始めたスポーツ中継でもいつの間にかのめりこんでしまう。スポーツにはそれだけの力がある。

 そのスポーツの力を国家が利用し、経済界が利用するのは当然のなりゆきだったのだろう。スポーツは国威発揚の道具になり、一方では金儲けの道具になった。

 人気スポーツ選手の収入はどんどん増えていき、想像を絶するような収入を得るようになる。もちろんスポーツ選手がお金を得て悪いわけではない。しかし人気選手の収入は明らかにバブル状態であり、マネーゲーム化している。もはやプロスポーツは、スポーツ本来の意義を逸脱して、お金を絡めた形で語られるようになった。つまりお金持ちが勝つのだ。

 今回の東京オリンピックでもよくわかった。オリンピックはお金の祭典であり、お金持ちのためのイベントと言ってもいい状態になっている。

 東京オリンピックのドタバタが、本来の理念との整合性が維持するために何をすべきなのかを考えるきっかけとなってほしい。その意味での「レガシー」となることが、せめてもの開催意義となる。
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「他人事」も「たにんごと」も本来誤用

2021-07-13 18:04:12 | 国語
 最近気になる言葉に「たにんごと」があります。

 実は私自身「たにんごと」ということばを平気で使用していたのですが、実はこれは本来は誤用なのです。そもそもなかった言葉なのです。

 本来正しいのは「ひとごと」です。これに漢字をあてると「人事」です。「他人事」という漢字をあてるのは間違いでした。

 しかし「人事」という言葉には「じんじ」という読みもあります。そして近年は「じんじ」という読みを使うほうが圧倒的に多くなってしまいました。その結果「ひとごと」と読むときに「他人事」という文字をあてるようになったのです。

 「他人事」という漢字を使いはじめると、それをそのまま「たにんごと」と読み間違える人がでてきました。読み間違える人が多くなり、誤用が定着しつつあるというのが現状です。

 つまり、「他人事」も「たにんごと」も本来は間違っているのです。

 さらに最近「自分事(じぶんごと)」という言葉も耳にするようになりました。これは「他人事」に対して生まれてきた言葉だと思います。つまり「誤用」をもとに生まれた言葉です。

 多くの人が何が正しいのかわからないまま不思議な展開をしている言葉です。
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菅総理は真実の言葉で国民に語ってほしい

2021-07-10 09:00:56 | 政治
 新型コロナウイルスに対する日本政府の対応にはうんざりしている。ここまでひどいと、この政府を信頼している人は多くないのはあきらかだ。

 おそらく若者はもう新型コロナウイルスを恐れていない。自分たちは感染しても重症化しないと思っているし、高齢者はワクチン接種しているので大丈夫だと思っている。だから緊急事態宣言なんて屁とも思っていない。もちろんそんなに安心できる状況ではない。案の上これまで感染していなかった40代、50代の感染者が増え、それに伴い40代、50代の重症者が増えているのである。ワクチンの効果は出ているのは明らかであるが、「安心。安全」という段階ではないのである。現実の危険性と、若者の意識は明らかにずれている。

 こういう若者の意識を作ってしまったのは政府の対応だった。「ワクチン」の大合唱により、大部分の日本人が7月中にはワクチン接種ができそうな幻想を作ってしまった。これはあきらかに政府の情報操作だった。ある地域では若い人も接種した。大規模接種により、だれでも接種できる。職域接種が一気にひろまる。そんな情報を次々流し、もうワクチン接種が誰もができるという幻想を作り出していたのだ。

 もちろんこれはオリンピック開催のためである。オリンピックがなければそこまであせる必要はなかった。しかしオリンピックを開くために、むりやり幻想を作ってしまったのだ。だからすべての混乱は日本政府が作り出したものであり、その意味では二重の意味で政府には責任がある。

 とは言え、ここで立ち止まっているわけにはいかない。ここまで来てオリンピックをやらないというわけにもいくまい。しかもあと数か月がんばればワクチンの効果は明確に出てくる。あと少しのがまんで何とかなるのではないかと思うのである。

だから、今こそ、政府は国民にしっかりと語りかけ、あとしばらくの辛坊をお願いしなければなるまい。そしてその辛坊を支えるような政策を打ち出さなければなるまい。

 菅総理、自己弁護のためのうわべだけの言葉はもういらない。事実をもとにした真実の言葉でとことん語ってください。
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