このブログの「国語教育改革」の中で、センター試験を初めとする大学入試のあり方に批判をしています。ただし誤解のないように申し上げますが、これはだれが悪いというわけではないのです。
そもそものセンター試験、そしてその前身の共通一次試験の役割は、入試問題ならびにその採点の適正化です。共通一次試験前の大学入試問題は、はっきり言ってしまえば出題者の好き勝手な問題だったのです。趣味的な文学史の問題、答えがどうとでも書けるような問題、出題の意図が読み取れないような問題など、だれも知らないような知識問題など、悪問だらけだったといっていいと思います。その当時の採点結果を今のように開示していたら、多くの大学は訴えられていたものと思われます。だから入学試験を適正にしたという意味で共通一次やセンター試験は必要だったのです。
しかし、どのような制度でもそうですが、一度できてしまった制度はそれを守る形で固定化していきます。これは当然のことです。古い制度の中で努力してきた人にとっては、新しい制度は簡単には受け入れられません。古い制度を大きく変えてまで新しい制度を誕生させようとすれば、新しい制度が絶対にいいものになっていなければなりません。悪い言い方をすれば「抵抗勢力」がどうしても生まれてしまうのです。センター試験の弊害はだれもが気づき始めました。しかし、これまではセンター試験を改革するだけの力はだれにもなかったのです。
人間の社会というのは、このような形で形骸化していきます。誰のせいでもない。しかし事態は悪くなっていく。いつの時代のどの政治も、このようなジレンマとの向き合いか方が問われているような気がします。
そしてその戦いは自分自身の中にも必ずあります。古い自分を変えたい。しかし、変えられない。だから私たちは苦しみます。ここで注意しておきたいのは古い自分は悪い自分ではないということです。古い自分をよく見つめながら、古い自分と相談し、新しい自分にチャレンジする、そんな生き方ができたらと考えています。
話はずれてしまいました。もとに戻します。
この停滞した流れに大きな変化のきっかけが出現しました。大学入試改革です。大学入試改革が全面に出てきた今、変化の大きなチャンスです。この変化のチャンスにどう対応するか。今こそ教育界の英知の結集が必要です。