とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

センター試験の国語の現代文の問題は狂気の沙汰だ

2017-01-19 18:12:48 | 高校国語改革
 これまでも現在の国語教育についての批判を書いてきた。そして一番の批判の対象は現代文の評論の難しさについてである。そしてその原因は大学入試問題にあると言ってきた。

 今年のセンター試験の国語の評論問題を見てみた。ひどい。これは国語力を測るものではない。今回は取り急ぎ簡単に指摘しておく。

 まずは題材が難しすぎる。これを簡単だと言っている人はこのような難しい評論文が好きな人である。「大学入試国語マニア」の人といっていい。もちろん、このような評論文は刺激的だし、多くの高校国語教師がおもしろい文章だと感じてもおかしくはない。しかし、高校生が読む文章ではないのはあきらかだ。

 文章が長すぎる。このむずかしさでこの長さの問題をどうやって解けというのだ。もはや受験テクニックの指導が必要だということを示している。高校の授業が成立しなくなるのは明らかだ。

 選択肢が紛らしすぎる。しかも選択肢が3行にも及ぶなんてありえない話だ。受験生は難しい間違い探しを制限時間の短い中でやらされているわけだ。

 この愚かな問題で泣いている受験生がどんなにたくさんいるのか。出題者は想像したことがあるのか。

 これが学力を測る試験と言えるのか。これが「国語力」なのか。こんな試験が何十年と続いてきたことに国語教師として恥ずかしく、腹立たしく、そして絶望を感じる。しかし負けていてはいけない。今こそ変革しなければいけなないのだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 破綻している高校国語教育7... | トップ | 国語のセンター試験がむずか... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

高校国語改革」カテゴリの最新記事