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1年前シリーズ「方言の喪失と挨拶」

2017-12-10 06:41:17 | 1年前シリーズ
 1年前シリーズ。

 昔、地域の村社会ではあまり「挨拶」らしい「挨拶」はなされていなかった。しかし、今日、地域のつながりは薄れていき、それと同時に「挨拶運動」が始まった。「挨拶」はいいことではあるが、その背景には人間同士のつながりが希薄になっていることがあるのではないかという話である。

 放送大学の「語用論」の授業をを受けて、挨拶目を向けることによって、対人関係の距離をどのように表現しているのかを考察し、ここ数十年の変化について考察した。今回は考察の3回目で最終回。

〈方言と挨拶について〉
 近年方言があまり使われなくなり、日常会話も標準語化してきている。学校に行くと子供たちは方言でしゃべるのがふつうであったが、現在はみな標準語で話す。もちろんイントネーションに方言が多少は残っているが、それほど大きなものではない。

 ここでひとつの可能性を述べる。方言が一般的に用いられる社会から標準語が用いられる社会への変化すう過程で、子供たち同士に距離感が生まれてきているのではないか。相対的にではあるが、昔のような地域のつながりが薄くなりつつあり、保育園、幼稚園、学校などのつながりが主流になりつつあり、より多くの人との交流をしなければならない時代に移り変わってきた。その結果、子供たち同士の距離感が相対的に広がり、挨拶が増えてきたのではないか。

〈まとめ〉
 日本はここ数十年の間に「村社会」から、東京中心の社会に、そして国際化に時代に大きく変化した。その間、テレビ、ラジオなどのマスメディアの発達、そしてインターネットによるSNSの発達など言語環境も同時に大きく変化した。その変化に伴い、言語活動や言語表現が変化していることが伺える。
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