8月16日に「八月納涼歌舞伎」の第2部と第3部を見てきました。その第3部の演目『廓噺山名屋浦里』の感想です。主演は中村勘九郎と中村七之助。原作は笑福亭鶴瓶の新作落語だそうです。
とてもおもしろい話でした。歌舞伎の人情話としてかなりよくできた話となっていたと思います。
ただしやはり筋が弱い気がしました。理由は2点。
1点目。七之助演ずる花魁が実は暗い過去があります。その暗い過去によって遊女になってしまった。その思いがあるからこそ、勘九郎演ずる武士の実直さにほだされるのです。その過去が軽く描かれているように思いました。
2点目。勘九郎演ずる武士と七之助は、決して結ばれることがないとしても、やはり恋仲になるという設定にしたほうがいい。そうしなかったから話があまりにストレートに進みすぎ、深みが出なかったように思えます。
普通なら後の花魁道中が感動の焦点となる場面となるはずなのに、どうしてもつけたしのように感じるのはそのためではないかと私は考えています。
しかしこういう話を大切にして、再演を繰り返していけば歌舞伎も多くの人に愛されていくように思います。意欲を感じるすばらしい舞台でした。
とてもおもしろい話でした。歌舞伎の人情話としてかなりよくできた話となっていたと思います。
ただしやはり筋が弱い気がしました。理由は2点。
1点目。七之助演ずる花魁が実は暗い過去があります。その暗い過去によって遊女になってしまった。その思いがあるからこそ、勘九郎演ずる武士の実直さにほだされるのです。その過去が軽く描かれているように思いました。
2点目。勘九郎演ずる武士と七之助は、決して結ばれることがないとしても、やはり恋仲になるという設定にしたほうがいい。そうしなかったから話があまりにストレートに進みすぎ、深みが出なかったように思えます。
普通なら後の花魁道中が感動の焦点となる場面となるはずなのに、どうしてもつけたしのように感じるのはそのためではないかと私は考えています。
しかしこういう話を大切にして、再演を繰り返していけば歌舞伎も多くの人に愛されていくように思います。意欲を感じるすばらしい舞台でした。
私はこのお芝居を見たこともありませんし、落語もあらすじを読んだだけです。ですから論評する根拠は何もないのですが、基本的な疑問が二つあります。
一つは、この物語の原話は花魁花扇の実話だと聞いていますが、なぜあえてヒロインを浦里にしたのだろうか、という点です。浦里と聞くとどうしても浦里時次郎の心中噺を思い出して暗いイメージがあります。花扇は気っ風の良い侠気に富んだ花魁だったという伝説が伝わっていますので、そのまま花扇をヒロインにした方がよかったのではないかと。
もう一つは、鶴瓶師匠がこの新作を発表されてから、ご覧になった方のコメントをいくつか読ませていただきましたが、まだよく練り込まれていないというような印象をお持ちになった方が何人かいらっしゃいました。まさかこれほど早く歌舞伎化されるとは思いませんでしたが、話題の落語とはいえ、あまりに受け狙いの歌舞伎化ではないかと。
ちょっと的外れの感想ですみません。