A.ソクラテス、大好きです。
ソクラテスという人は書物を残しませんでした。
したがってソクラテスの哲学がどのようなものであったのかはっきりとはわかりません。
ソクラテスの弟子のプラトンはすべての著作を対話編という形で書き、
その主人公はすべてソクラテスとなっています。
つまり、プラトンの著作の中ではソクラテスが哲学を語っているのですが、
それはソクラテスが本当に言ったこと、ソクラテス自身の哲学なのか、
それともプラトンの哲学をソクラテスという登場人物に語らせているだけなのかがはっきりしません。
おそらく後者なのでしょう。
ただ、プラトンの初期の著作、『ソクラテスの弁明』 や 『クリトン』 などは、
ソクラテスの言葉をそのまま伝えているのではないかとも言われています。
もうひとりの弟子クセノポンが書いた 『ソクラテスの思い出』 という書物もあり、
それらを通してソクラテスの人となりや思想を推定してみるしか私たちにはできないのです。
ですから、これから書く話も本当にあったことなのかどうかはわからないのですが、
とても気に入っているエピソードで、それが私がソクラテスを好きな理由です。
これはプラトンの 『パイドン』 のなかに書かれている話です。
ソクラテスは哲学の祖として、懐疑の精神を人びとに伝えていました。
ソクラテスは当時のアテナイを支配していた既存の倫理 (=法) をも疑い、
これに問いを投げかけたため、一般市民や政治家たちの反感を買うことになりました。
けっきょく彼はそれがもとで裁判にかけられ、死刑判決を下されてしまいます。
ソクラテスを敬愛する弟子たちは脱獄の手はずを整え、いつでも国外逃亡できるように準備して、
なんとか師を救おうとしたのですが、ソクラテスはこれを固辞しました。
ソクラテスは真の人間の生き方として、たとえどんな法であったとしても、
人びとを説得して法を改めることに失敗してしまったならば、
ポリスに生きる者としてそのポリスの法には従わなければならないと考えていたのです。
その信念に従いソクラテスは死刑を受けることになりました。
死刑当日、ソクラテスのもとに弟子たちが集まってきます。
彼らに向かってソクラテスは 「哲学者は喜んで死のうとするものだ」 と語ります。
しかし、弟子たちはこれに納得せず反論してきたのです。
そのときソクラテスはその執拗な議論を喜んでいるようでした。
そして、残された時間ソクラテスと弟子たちは、霊魂は不死なのかどうか、
死によって霊魂は消滅してしまうのか、それとも肉体の牢獄から解放されることになるのか、
等々といったことについて激しい議論を交わすことになるのです。
議論のなかで厳しい問いを向けられて答えに窮してしまうことがありましたが、
そんなときソクラテスはいつも通りのクセで、目を大きく見開いてほほえむのでした。
この議論のあいだ中ソクラテスは幸せそうだったと弟子のひとりが証言しています。
このエピソードって、よく考えてみるとものすごい話だと思うのです。
ソクラテスはこの議論のあとすぐに死刑執行のため毒薬を飲まなければならないのです。
師匠が今まさに死を迎えようとしているわけです。
その師匠は、哲学者は喜んで死を迎えるものだ、死んでも霊魂は消滅するわけではなく、
霊魂は不滅で、死によって肉体のくびきから解放されるのだと信じ、死を受容しているわけです。
その師匠に対して弟子が、霊魂は不死ではない、死んだら霊魂は消滅するのだと反論するのって、
むちゃくちゃだと思いませんか?
せっかくの死の受容を根本から否定しようとしているのです。
それって師匠思いの弟子のすることでしょうか?
しかし、ソクラテスは弟子たちのそうした様子を喜んでいます。
ソクラテスが弟子たちに伝えたかったのはまさに懐疑の精神でした。
師匠の言うことを素直に受け止め信じるまっすぐな心ではなく、
たとえ尊敬する師匠が言ったことであろうと、
たとえ死を目前にしているといった切羽詰まった場面であろうと、
おかしいものはおかしいと言い、納得できないことは徹底的に追究する、
そういう懐疑の精神をソクラテスは弟子たちに伝えようとしてきたのでした。
そして、最期の最期の場面で弟子たちはみごとにその懐疑の精神を発揮してくれました。
そのことをソクラテスは喜び、それによって幸福感に包まれていたのでしょう。
なんだかとてもいい話だと思いませんか?
自分の言うことを素直に信じるイエスマンを育てるのではなく、
自分の言うことに本気で反論してくる真の意味での哲学者を育てる、
そうやって育てた弟子たちととことん議論を交わすことを心から楽しむ、
これってそうとう心が広くないとできないことだと思います。
私はまだまだここまで人間ができていませんが、
哲学にとって疑うことが大切であると言い続けている以上、
いつかはこれぐらいの高みに達したいものだと思います。
というわけでソクラテスは大好きだし、哲学者の鑑として心から尊敬しています。
ソクラテスという人は書物を残しませんでした。
したがってソクラテスの哲学がどのようなものであったのかはっきりとはわかりません。
ソクラテスの弟子のプラトンはすべての著作を対話編という形で書き、
その主人公はすべてソクラテスとなっています。
つまり、プラトンの著作の中ではソクラテスが哲学を語っているのですが、
それはソクラテスが本当に言ったこと、ソクラテス自身の哲学なのか、
それともプラトンの哲学をソクラテスという登場人物に語らせているだけなのかがはっきりしません。
おそらく後者なのでしょう。
ただ、プラトンの初期の著作、『ソクラテスの弁明』 や 『クリトン』 などは、
ソクラテスの言葉をそのまま伝えているのではないかとも言われています。
もうひとりの弟子クセノポンが書いた 『ソクラテスの思い出』 という書物もあり、
それらを通してソクラテスの人となりや思想を推定してみるしか私たちにはできないのです。
ですから、これから書く話も本当にあったことなのかどうかはわからないのですが、
とても気に入っているエピソードで、それが私がソクラテスを好きな理由です。
これはプラトンの 『パイドン』 のなかに書かれている話です。
ソクラテスは哲学の祖として、懐疑の精神を人びとに伝えていました。
ソクラテスは当時のアテナイを支配していた既存の倫理 (=法) をも疑い、
これに問いを投げかけたため、一般市民や政治家たちの反感を買うことになりました。
けっきょく彼はそれがもとで裁判にかけられ、死刑判決を下されてしまいます。
ソクラテスを敬愛する弟子たちは脱獄の手はずを整え、いつでも国外逃亡できるように準備して、
なんとか師を救おうとしたのですが、ソクラテスはこれを固辞しました。
ソクラテスは真の人間の生き方として、たとえどんな法であったとしても、
人びとを説得して法を改めることに失敗してしまったならば、
ポリスに生きる者としてそのポリスの法には従わなければならないと考えていたのです。
その信念に従いソクラテスは死刑を受けることになりました。
死刑当日、ソクラテスのもとに弟子たちが集まってきます。
彼らに向かってソクラテスは 「哲学者は喜んで死のうとするものだ」 と語ります。
しかし、弟子たちはこれに納得せず反論してきたのです。
そのときソクラテスはその執拗な議論を喜んでいるようでした。
そして、残された時間ソクラテスと弟子たちは、霊魂は不死なのかどうか、
死によって霊魂は消滅してしまうのか、それとも肉体の牢獄から解放されることになるのか、
等々といったことについて激しい議論を交わすことになるのです。
議論のなかで厳しい問いを向けられて答えに窮してしまうことがありましたが、
そんなときソクラテスはいつも通りのクセで、目を大きく見開いてほほえむのでした。
この議論のあいだ中ソクラテスは幸せそうだったと弟子のひとりが証言しています。
このエピソードって、よく考えてみるとものすごい話だと思うのです。
ソクラテスはこの議論のあとすぐに死刑執行のため毒薬を飲まなければならないのです。
師匠が今まさに死を迎えようとしているわけです。
その師匠は、哲学者は喜んで死を迎えるものだ、死んでも霊魂は消滅するわけではなく、
霊魂は不滅で、死によって肉体のくびきから解放されるのだと信じ、死を受容しているわけです。
その師匠に対して弟子が、霊魂は不死ではない、死んだら霊魂は消滅するのだと反論するのって、
むちゃくちゃだと思いませんか?
せっかくの死の受容を根本から否定しようとしているのです。
それって師匠思いの弟子のすることでしょうか?
しかし、ソクラテスは弟子たちのそうした様子を喜んでいます。
ソクラテスが弟子たちに伝えたかったのはまさに懐疑の精神でした。
師匠の言うことを素直に受け止め信じるまっすぐな心ではなく、
たとえ尊敬する師匠が言ったことであろうと、
たとえ死を目前にしているといった切羽詰まった場面であろうと、
おかしいものはおかしいと言い、納得できないことは徹底的に追究する、
そういう懐疑の精神をソクラテスは弟子たちに伝えようとしてきたのでした。
そして、最期の最期の場面で弟子たちはみごとにその懐疑の精神を発揮してくれました。
そのことをソクラテスは喜び、それによって幸福感に包まれていたのでしょう。
なんだかとてもいい話だと思いませんか?
自分の言うことを素直に信じるイエスマンを育てるのではなく、
自分の言うことに本気で反論してくる真の意味での哲学者を育てる、
そうやって育てた弟子たちととことん議論を交わすことを心から楽しむ、
これってそうとう心が広くないとできないことだと思います。
私はまだまだここまで人間ができていませんが、
哲学にとって疑うことが大切であると言い続けている以上、
いつかはこれぐらいの高みに達したいものだと思います。
というわけでソクラテスは大好きだし、哲学者の鑑として心から尊敬しています。
高校1年でそんな宿題が出るんですね。
とても高度な宿題だと思います。
正直な感想を言うと、『ソクラテスの弁明』 って哲学書としてよりも、
ソクラテスの偏屈な性格を知る上で面白い本だと思っていて、
もっとうまいこと弁明していたら有罪にも死刑にもならずにすんだのではないかと笑ってしまうのですが、
そんな本が思考の原点になってるなんて、かずくまさんの人となりが伝わってきました。