goo blog サービス終了のお知らせ 

団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

4月の誕生日プレゼントを、やっと買ってもらいました。(笑)

2020-06-25 04:03:26 | 日記





  一昨日の午後 スニーカーを買いにスポーツ店へ行きました。

 昼から出掛けるのは面倒ですが、「靴を買う時は、足がむくむから午後から夕方に買うと良い。」と言いますので、午後から出掛けました。

 かみさんは今履いているスニーカーが少し小さいということで、ひとつサイズの大きいスニーカーを買うということでした。

 私は4月の誕生日プレゼントにスニーカーを買ってもらう約束でしたが、自粛でなかなか出かけられず、やっと1昨日誕生日プレゼントの
スニーカーを買ってもらったという訳です。(笑)

 去年の秋 買ったニューバランスの型と同じ横幅の広いウォーキングシューズで、
この前の色はグリーン、今回はブルーと色違いのスニーカーを選びました。(上の写真)

 お店に入ってから10分程度で決めました。(笑)

 かみさんは色々迷って、店員さんのアドバイスを受けて40〜50分程度でようやく今回買うスニーカーを決めました。
汗ダクダクでした。(笑)

 エアコンがあまり効いていないせいもあるでしょうが、あれもこれも履いてみたりすると汗をかきますね。(笑)


 話は変わって、最近 目覚める時、「人生は、思うようにならない」と、2〜3回唱えます。
今回のコロナ禍で、それを実感しました。

 「人生は、思うようにならない」と、唱えると、少し気分が楽になります。(笑)






テレサ・テン 三木たかしを唄う 10 Songs

この女学生さんは、勇気を出して謝りに行ったのでは。

2020-06-24 05:05:13 | 日記
 中日新聞に「正直者の女学生に感心」というタイトルで、85歳の女性が投稿されていました。



 6月初めの夕方のことです。

 玄関のチャイムが鳴って出たら、見ず知らずの女学生の緊張した姿がありました。

 「今朝、植木鉢を・・・・」。
女学生は申し訳なさそうに語り始めました。
登校途中に自転車でわが家の植木鉢にぶつかってしまい、プラスチックの鉢を少し割ってしまったとのことでした。

 かわいらしい制服姿の彼女の目に涙がにじんでいました。

 「あなたでしたか。大丈夫ですよ」と私は返しました。
それにしても何て正直な子なんでしょう。
心底感心しました。

 植木鉢で咲いていた黄色いユリが声をそろえて彼女に
「こちらは大丈夫。あなたこそけがはなかった?」と言っているようでした。


 以上です。

>登校途中に自転車でわが家の植木鉢にぶつかってしまい、プラスチックの鉢を少し割ってしまったとのことでした。

 このぐらいのことですと、なかなか謝りにいかないですよね。
この女学生さんは、勇気を出して謝りに行ったのでは。

 投稿者さんもすんなり受け入れられ、女学生さんも安心したのでは。

 以前 私は夕方かみさんとウォーキングしていると、帰宅途中の女学生に自転車で引っ掛けられ、路上に倒れてしまいました。
その女学生は、謝りもせずにそのまま自転車で走り去りました。

 この女学生、こちらの地方では名門校と言われている学校の生徒だったので、
学校にクレームの電話をかけようかと思った程です。(苦笑)

 女学生もいろんな生徒がいますね。
謝る為にわざわざ来てくれた、この女学生のような生徒に会ってみたい!(笑)




ふたりのビッグショウ さだまさし 白鳥英美子

私も友達がなかなかできず、学校に居場所がないタイプでした。

2020-06-23 04:23:44 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「学校苦手な子 見守って」というタイトルで33歳の女性が投稿されていました。



 感染拡大が続いた新型コロナウィルスの影響で、誰がこれほどまでに長く学校が休みになると思ったでしょうか。
六月、概ね各地の学校が再開されるに当たり、心が折れそうに感じた子どもがいたとしても不思議ではありません。

 私自身もその昔、友達がなかなかできず学校に居場所がありませんでした。
学校が楽しいと思っている児童や生徒には分からないかもしれませんが、学校が苦手な子どもだっているのです。

 今回、思いの外遅く始まった学校生活に今なお戸惑っている人もいるでしょう。
大人だって急にテレワークでなく「明日から会社に来い」と言われたら「えっ」と思う人は少なくないはずです。

 特に多感な時期の子どもはささいな言動で救われる一方、絶望することも十分にありえるのです。
このウィルス禍、親はどんなにつらくてもわが子を見守るようにしてください。

 無理に学校に行かせることは子どもの重荷になる可能性もあるのですから。


 以上です。


 私も友達がなかなかできず、学校に居場所がないタイプでした。
このコロナ禍で、3月から5月までの3ヶ月も休校でしたら、多分学校へ行きたくなくなっているでしょうね。(苦笑)
特に小学校・中学校・高等学校の新入生は、戸惑っているお子様が多いのでは?

 先週の日曜日、3ヶ月ぶりに次男の中3の孫と末っ子の中1の孫が、息子とわが家へ一緒に遊びにきました。
孫たちは、休校中 家にいたわけですが、「外出するな」ということで窮屈な生活を送っていたようです。

 中1の孫もまだ中学校に慣れていないようでした。
部活もどこに入るか決まっていないようでした。

 中1の孫の話では、朝から眠っている生徒もいるようでした。
長い休校で、生活のリズムが狂っているのでは?と思いました。

 学校が苦手な子を、親は暖かく見守って欲しいですね。





二人のビッグショー 加山雄三 ザ・ワイルドワンズ

うちの父は買い物に行くたび、3歳の息子(孫)にチョコレートを必ず買ってきたようです。

2020-06-22 05:04:13 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「優しくて力強かった父」というタイトルで76歳の女性が投稿されていました。



 10歳の頃、風呂から出ると右の脇腹に鈍痛が走り、体がだるく感じました。
家族に話すと、父が私を背負って20分ほどの坂道を上って病院に連れて行ってくれました。

 急性虫垂炎だと分かってすぐに手術をすることになり、父母が横で見守ってくれましたが
広い院内に私の大きな声は響き渡ったそうです。

 その傷は60余年たってもおなかに残っています。
あのとき、もう少し病院に行くのが遅れたら大変なことになっていたとよく母が言っていました。

 父が背負ってくれなかったら今の自分はなかったかもしれません。

 父は70余年前、戦地に行ったようでしたが、そのときの体験を語ることは一切なく、
いつも寡黙な人でした。

 優しくて家族のために懸命に生き、86歳でなくなりました。

 父の日が近づくたび、たくましい父のあの体と頑強な手を思い出します。
大好きだった酒とたばこを今年も供え、手を合わせるつもりです。


 以上です。


 昨日のブログと同じ「父の日」の話題の記事でした。

 私は以前にもブログで書きましたが、3〜4歳の頃、誤って5円玉を飲んでしまったので、
父親が私を逆さに持って、1キロほどある病院へ走って駆け込んだ事があります。

 父は30代だったと思いますが、それは大変だったと思います。

 最近 かみさんと話しをしていましたら、父の話題が出ました。
かみさんは娘を出産後、私の実家に暫くいました。

 うちの父は買い物に行くたび、3歳の息子(孫)にチョコレートを必ず買ってきたようです。
かみさんは「私は甘いものを食べさせないようにしていたので、困った」と言っていました。

 私が子供の頃も、私を自転車の後ろに乗せて街へ仕入れに行きました。
父は洋品商を営んでいました。

 帰りにいつも1枚レコードを買ってくれました。
結構高いレコードだったと思いますが、毎回買ってくれました。

 蓄音機の側に、100枚近くレコードがあったと思います。
どんなレコードを買っていたかは覚えていませんが。






舟木一夫コンサート特集 NO3

今日は父の日ですね。 母の日と違って影が薄い!(苦笑)

2020-06-21 04:00:12 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「あす父の日 墓前で手を」というタイトルで74歳の女性が投稿されていました。





 半世紀以上前の小学校低学年だったとき私はよくかぜを引いて熱を出した。
今は亡き父はかかりつけ医に電話し、看護師とやって来た女医は私の胸に聴診器をあてるのが常だった。

 処方された水薬が甘くて一回分の目盛り以上に飲んで父に怒られたことがあった。
「お父さん、これからは気を付けます」と私が反省の言葉を述べると、父は
「うん、うん」と笑顔になった。

 父は母に卵がゆを作らせて私に「たくさんお食べ。早く治るから」と言った。

 私が寝入っても父はそのまま枕元に座って見守り続けていたらしい。
そんなことを母から後で聞くたびに父の愛を感じた。

 二十一日は父の日。
墓前で「ありがとう」と言って手を合わせ、庭の花を供えようと思っている。


 以上です。



 今日は父の日ですね。
母の日と違って影が薄い!(苦笑)

 東京にいる娘からお祝いのメールがくるかな?

 私の父親も投稿者のお父様のようにやさしい父でした。
いろんな思い出がありますが、小学校の低学年の時に逆上がりが出来なかったので、
学校まで連れて行ってもらい、父親の指導の元、何度も逆上がりの練習をしたことがあります。
おかげで何とか逆上がりが出来るようになりました。(笑)

 小学校に入った時、私のネーム入りの鉛筆を2ダースほど買ってくれたり、
Z会の通信教育から、問題集を買ったり。

 きっと私への期待が大きかったのでは。
そんな父の期待に添えなかったのが残念です。(苦笑)







布施明さん ヒットメドレー