寝たきり社長の「上を向いて」 連載30回目
前回のブログの続きです。
2016年4月。私は入院中で、打ちひしがれていた。そんな中、音楽界につてがある友人から母に連絡があった。
大ファンの「コブクロ」の小渕健太郎さんが、お見舞いを検討してくださっているとのことだった。
私は号泣した。悔し涙だった。本当は入院前の三月に、コブクロの小渕さんと黒田俊介さんに会う夢をかなえていたはずだった。
入院中の私は声が出なかった。お二人には、どうしても自分の声でお礼を言い、元気な姿を見せたかった。
私は、丁重に断ることにした。
友人も母も驚いていた。でも本気の夢こそ、妥協はしたくなかった。
半年後、私は奇跡的に声を取り戻し、完全復活した。
その友人と名古屋のコブクロのライブへ行き、終演後に会う時間を取ってもらえることになった。
私は緊張で胸が高鳴った。ついに待望の対面を果たした瞬間、私は泣きながら「十年間ずっとお会いしたかったです」と言った。
小渕さんは「やっと会えましたね」と言い、黒田さんが「3月に会えなかったですもんね」と言いながら手を強く握ってくれた。
小渕さんは私の涙をティッシュで拭ってくれた。
別れ際、小渕さんが「これは僕が普段、使っているものです」と言って私にギターのピックを手渡してくれた。
最後に、3人で記念写真を撮ることもできた。
それも小渕さんの自撮り写真だ。
私は写真を撮っている最中、少しだけ後悔していた。
夢のコブクロに会えたのに、ずっと泣いてしまっていたからだ。
小渕さんは撮り終えた後の写真を確認し、私に見せながら笑顔でこう言ってくれた。
「涙で写真がキラキラしてるね」。
私にとって一生忘れられない日になった。
夢をかなえてくれた友人にも心から感謝している。
<佐藤仙務(ひさむ)=「仙拓」社長>
以上です。
佐藤さんの十年間の思いが叶って良かったです。
コブクロ小渕さんと黒田さんのファンを大切にする姿にも感動しました。
下記は前回29回目の記事です。(参考)
中日新聞の「寝たきり社長の上を向いて」の29回目 「コブクロがくれた希望」のタイトルで、佐藤仙務さんのコラムが掲載されていました。
隔週水曜日に掲載されています。
私には大好きなミュージシャンがいる。
「コブクロ」だ。
きっかけは中学三年生のころ、音楽の授業でバンド演奏をすることになり、選曲がコブクロの「桜」になったことだ。
初めて彼らの音楽を耳にした時、真っすぐな詞と心に響き渡る歌声に衝撃を受けた。
何より、二人の「歌を届けよう」とする情熱と誠実さにひかれた。
いつもコブクロの音楽を聴いていた。
気持ちがどん底に落ちても、コブクロの音楽のおかげで、心にすむ「諦め」という魔物を追い払うことができた。
彼らの音楽はすべて好きだが、ピンチの時は必ず「光」という曲を聴く。
歌詞にはこうある。
「暗闇に差し込む光にかざした その手でいつしか 夢をつかむ君に
僕ができる事はただ1つ 君が この道の果てに 目を伏せてしまっても
『こっちだよ』って手をたたいて 君が前を向けるように 君の進むべき方へ」
集中治療室(ICU)でもCDをかけてもらい、聴いていた。
生死の境をさまよい、生きることがつらくて目を閉じてしまいそうな場面でも、
「諦めないで、こっちだよ」と励ましてくれた。
コブクロがいなければ、今の私は私でなかったとも思う。
子どもの頃から「いつか、コブクロの二人に会う」と口に出していた。
周りの人は笑っていたが、私は本気だった。
ファンになって約十年がたった時、私の夢を知った友人につてがあり、
「コブクロの二人に会わせてくれる」という。
私は歓喜した。
しかし、東京へ会いに行く準備をしていた二〇一六年三月、私は入院することに。
肺炎による呼吸器不全で、ICUに入った。
一時は声まで失いかけ、どん底に突っ伏していた。
だが、奇跡は起きる。
<佐藤仙務(ひさむ)=「仙拓」社長>
以上です。
加山雄三「ぼくの妹に」