中日新聞の「くらしの作文」に「5円玉と共に」というタイトルで、63歳の女性が投稿されていました。
父は元気な頃、小銭を貯めていた。
一円、五円、十円と種類ごとに分けて、牛乳瓶ぐらいの貯金箱に入れていた。
二〇〇九年、脳梗塞で倒れた父を我が家で引き取ることにした。
身の回りの物と一緒に、その貯金箱も持ってきた。
しかし、度重なる肺炎などの闘病生活で、貯金箱のお金は、増えることも減ることもなかった。
一八年、父は八十五歳で亡くなった。
残った小銭をどうしようかと考えて、五円玉をおさい銭に使うことを思いつき、旅行でいろんな所へ行くのに持って行った。
一番初めは伊勢神宮だったと思う。
一度も行ったことがない父に代わってお参りでき、心がジーンとした。
それから、九州は霧島神宮や鵜戸神宮、四国の金刀比羅宮にも参詣した。
新潟県・佐渡島へ渡ったときには「ついに佐渡まで来たよ」と五円玉を握りしめた。
昨年十二月、とうとう最後の五円玉がなくなった。
長野の善光寺で終わりとなった。
四年と五ヶ月の月日が流れていた。
父は電気工事業を自営していたこともあり、ほとんど旅行をしたことがない。
そんな父を毎回連れてきている気がしていた。
決して仲の良い親子ではなかったけれど、良い供養ができたのではないかと思う。
以上です。
投稿者さんは五円玉を賽銭がわりに使うことで、いろんな所に出かけられて良い供養が出来たと思います。
私も今年の元旦 地元の神社へ参拝した時、五円玉を賽銭箱に入れました。
五円ひとつでは、神様も願い事を聞いてくれる筈はないと思いながら。😅
五円玉といえば以前ブログに書いたかも知れませんが、3〜4歳の時に父親からお駄賃をもらった時、何気なく飲み込んでしまいました。😅
父が慌てて私を逆さにして、病院へ走って行ったことを思い出します。
幸いな事に五円玉に穴が空いていましたので、息が出来ので助かりました。
その五円玉も1〜2日で、排出されたようです。
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